桃崎有一郎の作品一覧
「桃崎有一郎」の「中世武士団 偽りの血脈 名字と系図に秘められた企て」「「京都」の誕生 武士が造った戦乱の都」ほか、ユーザーレビューをお届けします!
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Posted by ブクログ
あとがきで著者のエネルギーと著作への理解が進む
野口実先生で解像度が上がった鎌倉以前、平良文の子孫がいっぱしの武力集団として血筋が広がっている事実だけで狂喜乱舞していたが、そのことには意味と必然があると桃崎有一郎先生の一連の著作で語られ知的興奮が止まらない
源平合戦というワードが古臭いものではなく実態を表わしていたというのを桃崎流の事実の行列で実証(こういうのが沢山あるのが楽しい)
メモ的に源平栄枯盛衰を記録する
①10世紀後半〜11世紀初頭(平氏優勢→源氏急浮上)
平氏(桓武平氏)は将門乱以前から東国で勢力拡大、受領として地方収奪を強め、武士の代表格に...清和源氏(経基→満仲)は当初劣勢だったが、満仲の母系(地方有力者・武人血統)の力で突然変異的に武力を獲得し、道長時代に平氏を追い越し、源平が武士の二大巨頭として「相場観」を確立(血統浄化・力の適者生存)
②11世紀(源氏優勢化)
源頼信・頼義・義家(前九年・後三年の役)で東国基盤を固め、武士の棟梁として名声を挙げる、平氏は一時相対的に後退も存続
③12世紀(平氏全盛→源平合戦)
平清盛が院政と結び、平氏政権を樹立(武士として初の中央支配)血統拡大・収奪で栄華極めるが、貴族化・反発を招く、治承・寿永の乱(源平合戦)で源頼朝・義仲・範頼・義経が平氏を滅亡、勝利した源氏は内部分裂・義経追放などで源氏も自滅傾向
④没落と次へ
平氏は滅亡、源氏は頼朝が鎌倉幕府樹立も、共同創業者の北条氏(平氏系)が貴種を鎌倉に入れて源氏将軍家は3代で事実上断絶(予定通り?)
著者は平安時代、個々の武力を持った準貴姓の伝統的武人(将種・蝦夷系)+地方古来豪族(土地・支配力)+王臣子孫(中央貴姓・朝廷コネ)の3集団が婚姻で融合したのが武士であり、母系の血の導入成功例を陳列する
Posted by ブクログ
近年では最高の歴史本、ついに「武士」がいつ、どこで、どうして生まれたのかが判明したのです
武士は889年「物部氏永の乱」勃発を契機に、天皇が我が身の危険に対応する目的で、宇多天皇が890年に「滝口武士」として設置した「朝廷組織外で官職を持たない」弓馬の達者な「武士」と儒学の発想と元正天皇の詔の先例から名付けられた
奈良時代より弓馬の道(日々鍛錬を要する非生産部門)を義務付けられていたが、平安時代より富の集中と格差がもたらす「群盗」の存在が、武勇に堪能する人材を地方に、地方の調停者として「王臣子孫」という存在を核に化学反応により生まれた「武士」、平将門の乱により段違いの武勇を得た兵士は、藤原純友の乱という働き場所をえて「滝口」という場所を得て京都で生まれた
Posted by ブクログ
武士の起源は何だろう?そんな疑問に正面からぶつかっている意欲作です。僕が学生の頃「生産力の向上で富の余剰が蓄積されると、その奪い合いの争いが起こる。その中で地方の富裕な農民、中でも年貢の納入を請け負う名主が荘園の中で成長し、土地や財産を自衛するために一族で武装し、武士になった。彼らは律令国家の諸矛盾の中で草深い田舎に生まれ腐敗した中央の貴族政治を克服して中央社会を切り拓いた」こう習いました。しかし、ここに書いてあることのほぼ全てが嘘だと著者は述べています。その時点で本に引き込まれました。またある学者は「都の衛府から生まれた」と言いますがそれも違うと論じてます。では武士の起源はどこにあるのか。それを紐解くには、時代背景を知らなければならず、時代というのは繋がっているので奈良時代から遡り解説されてます。京都の貴族社会、地方社会様々な角度から検証されてて勉強になりました。推測が多いと批判的なコメントもありましたが、僕は多くの文献を読んだ上での推測なので一定の価値があると思いました。