荒川和久の一覧
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ユーザーレビュー
既婚男女は自己有能感はマイナスだが、自己肯定感が高い。ソロ男は自己有能感はそこそこ高いが、自己肯定感は自己有能感を超えない。つまり、有能である自分しか肯定できない(自分に対する「条件つき愛情」)。もともと自己肯定感の高い人が結婚しているかもしれない。
---という仮説を議論していた部分が個人的には
...続きを読む 特に印象に残った。
Posted by ブクログ
以下読書メモ
ーーーーー
・つまり、物理的にそこに実在していたとしても、個人がそれを認識しなければ、それは「透明な存在」であり、事実とも思われない。
・日本が超高齢社会であることは誰もが知ることだ。しかし実は、その高齢者人口より独身者人口の方が多いという事実をご存知だろうか。
・毎年5%ずつ男
...続きを読む が多く生まれるのだ。それでも昔は、男の乳幼児の死亡率が高かったため、結果として男女同数に収まっていた。しかし、医療の発達によって男児もそのまま成人する。結果として、「男余り現象」を引き起こしている。
・逆に、女性では400万円以上の年収での生涯未婚率が大きく上昇している。年収400万円台の女性では生涯未婚率28%、800万円台の女性でも29%、絶対数は少ないが、1250〜1500万未満の女性に至っては、36%が生涯未婚なのだ。女性全体の生涯未婚率は2015年の国勢調査では約14%なので、稼ぐ女性たちは全国平均の倍以上が未婚であるということになる。「男は金がないから結婚できず、女は金を稼ぐから結婚できない」という事実がここにはある。
・ 未婚化に対し「若者の草食化」とよく言われるが、実はいつの時代も恋愛能力のある男女は3割程度しか存在しない。これを「恋愛強者3割の法則」と私は名付けた。
・ ちなみに、恋愛強者とルックスの良さとの間には相関がある。「容姿に自信がある」率も、男女とも3割程度なのだ。
・「成功の見込みがわからない中で相手に告白」できる男がどれくらいいるか、ご存じだあうか、ソロ男28%、既婚男性29%と、これも3割なのだ。逆に言えば失敗を恐れずアプローチできる男が恋愛できているという証拠かもしれない。
・ まさにその通りで、「進むべき道は己で選び、切り開く自立した人」こそがソロアーティストであり、ソリストなんだと考える。
・ 結局、世代論というものは、上の世代の大人たちが安心するために、下の世代の若者を都合よくラベリングしているに過ぎない。極論すれば、いつの時代も若者は若者であり、おっさんはおっさんなのだ。
・言い方を変えると、どんな人間も若い時は「自分が何者かわからずに悶々」としているものだし、年を取って安定を得ると「これでいいのだ」と現状保全したがる。それは至極当然のことだ。
・ 要するに、世代論とは「群の理屈」なのだ。安心強固な共同体に所属し、弾としての力を発揮できた時代はそれでよかった。
・「親らしく」「父らしく」という規範は、多少の不自由を感じたとしても、それによって達成感や自己の社会的役割を感じられるものだ。ところが、ソロは社会生活に、「先輩らしく」「上司らしく」という規範と役割は与えられても、ブライベート生活においては、「ずっと子どものまま」なのである。家族のためにいろいろ我慢を余儀なくされる既婚者とはそこが大きく違う。
・エンゲル係数とは、消費支出に占める食費(外食含む)の割合で、一般的にはこの数字が高いという事は生活水準が低いとされている(エンゲルの法則)。食費は、生きていくために必要なものであり、その最低限必要な絶対額は人によってそう大差はない。エンゲル係数が高いということは、支出の中でその最低必要額の比率が高いということであり、生活水準が低いとみなされるわけである。
・「独身の方が幸福な国」もある。特に台湾は10ポイントも独身の方が上回っている。同じ東アジアでも、日本と台湾がこれほど違うのも興味深いところである。
・「フォーカシング・イリュージョン」という言葉がある。これは、ノーベル経済学賞の受賞者であり、米国の心理学・行動経済学者ダニエル・カーネマンが提唱した言葉である。ある特定の「状態」に自分の幸福の分岐点があると信じ込んでしまう人間の偏向性を指す。たとえば⋯「いい学校に入れば幸せになれるはず」「いい会社に入れば幸せになれるはず」「結婚すれば幸せになれるはず」
・エモ消費の特徴は、「何を買うか」という消費対象が先にあるのではなく、自己肯定や精神的充足という「欠落感の穴埋め」欲求が動因として存在し、そのツールとしてモノやコトが機能している。消費によって「承認」と「達成」という感情の欲求を満たし、その結果生まれる「刹那の幸せ」や「社会的帰属感」を得るのだ。
・ 帰属感とは、これも人間が根源的に持つ「コミュニティへの帰属意識」と同じだ。「一人でいることを強く希望する」ソロがコミュニティへの帰属意識を持ちたがるというのは不思議に思うかもしれない。しかし、これはどこかの集団に所属するとか仲間になるという意味ではない。コミュニティへの帰属意識とは、すなわち「自分が社会の中で役に立っているという自信」であり、自己の社会的役割の確認である。集団に属することだけが帰属ではない。このコミュニティ論については最終章で詳しく述べる。
・ 彼らの望むコミュニティとは、彼らが行動している瞬間だけ発生する刹那のコミュニティである。そこで生まれる剎那の感情を共有して、その瞬間だけ通じ合えればいいという感覚だ。その剎那のつながりが刹那であればあるほど、かえって幸福感は高まる。人見知りなオタクたちが、今まで一度も会ったことがない者同士なのに、「推しメン」が一緒であるという事実だけで、急に親近感を持つのもそれに近いものがある。かといって、それを機に友達になるわけではない。その瞬間だけつながれればよいのだ。
・それによって得られる「今この瞬間の自己の社会的役割を実感することでの自己肯定感」を買っているのだ。それは、刹那のコミュニティを作っていることであり、瞬間的な帰属意識で幸福感を得ることだ。これこそがエモ消費のひとつの形であり、そうした一連の行動を動かすエンジンとなるものが「エモーショナル・モーメント」という駆動力なのだ。
・堀江貴文さんの言う「感情のシェアが幸せにつながる」とも通じるものがある。エモ消費とは、感情のシェア・共有によって「その瞬間通じ合えたコミュニティ」を創造することで、自分の社会的役割(心の居場所)を確認する行為なのだ。
・結婚して子孫を残すというのはどちらかいえば身分や階層の高い者に限られており、本家ではない傍系の親族や使用人などの隷属農民たちは生涯未婚で過ごした人が多かった。
・それが、18世紀頃から傍系親族の分家や小農民自立の現象が活発化したことで、世帯構造そのものが分裂縮小化していった。それが未婚化解消のひとつの要因と言われている。つまり、今まで労働力としてのみ機能していた隷属農民たちが独立し、自分の農地を家族経営によって賄わなければならなくなると、妻や子は貴重な労働力として必須となるからだ。結婚とは、農業という経済生活を営む上で、欠くべからざる運営体の形成のためのものだったのだ。このようにして、農村地域の未婚率はやがて改善されていくわけだが、それでも1771年時点での男の未婚率は30%(前述信濃国湯舟沢村)もあった。
・その原因は、中国の「男余り現象」だ。本書でも、日本の未婚男性は300万人の「男余り」だと紹介したが、人口14億の中国ではケタが違う。中国の男余りは300万人以上と言われ、欧州の国ひとつ分の規模だ。
・つまり、仕事に没頭するようなタイプの女性ほど未婚なのだ。結婚適齢期といわれる20代後半から30代前半は、彼女たちはまさに仕事に夢中であることが多い。結果、結婚意思の強弱にかかわらず、晩婚化となる。さらに仕事において経済的自立を達成した女性は、無理に結婚という形を選択する必要もなくなる。死亡率の低下に関しては、江戸期は乳児の死亡率改善だったが、現代の場合は高齢者の長寿化ということになろう。
・「快適さを物質に頼るのが文明、精神において追求するのが文化」とは、落語家の立川談心さんの言葉だが、江戸のソロ男たちは、子孫こそ残さなかったものの、今に続く多くの文化や確業を残したとも言えるだろう。
・ここでの自己有能感の定義とは、客観的に自分を評価した時に「才能や能力がある」と思える意識で、自己肯定感とは、主観的に自分を見た時に「自分が好きだ」「自分を認められる」という意識である。
・つまり、男性の場合、恋愛が充実していればいるほど自己肯定感が高く、女性は仕事の充実度が大きく影響している。ソロ男とソロ女はその傾向がさらに強いのだ。これは正直に言って意外な結果だった。むしろ逆だと考えていたからだ。
・ソロ男女とも表面上は、恋愛軸と仕事軸で欠落感が異なっているように見えるが、突き詰めると本質は一緒で、「恋愛相手に頼られたい」「誰かを全身全霊支えたい」と思うソロ男、「仕事において役に立っていると認められたい」と願うソロ女とも、共通するのは自己の社会的役割の確認である。欲求として言えば、それはまさにマズローの「社会的欲求(帰属欲求)」なのだ。
・ 先に述べた通り、ソロのエモ消費とは、没頭できる興味関心領域において、承認と達成という実感を通じ、自己の社会的役割を確認する行動である。
・よくやりがちなのが、相関と因果の混同だ。相関性が高いからといって必ずしもそこに因果があるとは限らない。にも関わらず、人間は相関があると因果があると思い込みたい。つまり原因追求ではなく、願望なのだ。
・東京大学教授で脳研究の渋谷裕二氏は、「脳には妙なクセがある」(扶桑社新書)の中で、「意志は脳から生まれるものではありません。周囲の環境と身体の状況で決まります」と語っている。つまり、意志とは本人の錯覚にすぎず、実際の私たちの行動の大部分は環境や刺激によって起きるものであり、あるいは本人の習慣によって
予め決まっているものなのだ。にもかかわらず、人間は「自分で判断した」と勘違いしているに過ぎないと喝破する。
・「やる気」というものも存在しない虚構だと、池谷氏は言う。仕事、勉強、家事などのやらないといけないことは、最初は面倒でも、やりはじめると気分が乗ってきて作業がはかどるという場合がよくある。そうした行動の結果を脳は「やる気」が出たから⋯⋯と解釈しているだけであり、「やる気が出たからやった」のではなく、「やったからやる気が出たと思い込んだ」のだそうだ。つまり、行動が先で、意志はその行動の後追い解釈なのである。
・つまり、思考があって行動が生まれるのではなく、行動があって思考が生まれ、思考は行動と矛盾しないようにつじつま合わせをしているに過ぎないのだ。よって「思考が行動を生み、行動が習慣となる」という美しい流れも機能しない。習慣化した行動も、まさに意識なき行動だし、癖もそうだ。
・ ソロ男の消費は「無意識行動」によって支えられていた。ソロ男のエンゲル係数が異常に高いのはそのあたりに原因がある。
・感情というものも、意志というより反射に近いものであるが、唯一「嫌い」という感情は意志や理屈によって作られる。「なんでこれが(あの人が)嫌いなの?」という質問に対して、人は能弁になれる。なぜなら、それは「好きにならない」ための正当な理屈付けが自分の中に必要だからである。
・そもそも、ナッジとは、不完全な選択行動に陥らないように生み出されたものである。つまり、普通にしていたら、人は合理的で正しい選択ができないということだ。これこそ、自分の意志とは関係なく、提示された選択構造に誘導されるまま人は行動しているという証明でもある。
・ 彼らの「行動しない行動」を発生させている要因、それが「リスク回避欲求本来、ソロは既婚に比べて、満足しない現状を変革したい気持ちが強いのだが、だからといってリスクを考えないわけではない。
・ AIDMAについては、今更説明する必要もないとは思うが、簡単に言うと、Attention(注意)Interest(関心)Desire(欲求)Memory(記憶)→Action行動)という流れで動く消費者の心理的行動プロセスモデルのことを言う。このようなカスタマージャーニーといわれる消費者行動プロセスには、AIDMAの他に、デレク・ラッカーが提唱した「4A」(認知(Aware)→態度(Atitude)-行動(Act)→再行
動(Act Again))や、コトラーの提唱する「5A」(認知(Aware)一訴(Appeal)→調査(Ask)→行動(Act)→奨励(Advocate)などがある。
・よく、未婚者に対して「孤独死するぞ」と警告する既婚者がいるが、実際に孤独死の危険のある一人暮らしのセルフネグレクト高齢者のうち、婚歴のない独身は3割で、残りの7割は、離別や死別した元既婚者や家族と暮らしていた人たちである(平成22年内閣府「セルフネグレクト状態にある高齢者に関する調査」より)。むしろソロより既婚者の方が孤独死の危険度が高いという事実もお伝えしておく。
・ これは、女性は「写真の中にいる自分」を承認してほしいのに対し、男性は、「自分の行動」を認めてほしいからだ。つまり、女性が承認してほしいのは自分そのものであり、男性が承認してほしいのは自分の成し遂げた仕事であるということである。
・ザイオンス効果とは、1968年に、アメリカの心理学者ロバート・ザイオンスの論文で発表された心理現象のことである。日本語では「単純接触効果」と呼ばれる。同じ人や物に接する回数が増えるほど、その対象に対して好印象を持つようになる効果のことである。これは、音楽にも当てはまる。「音楽は聞かせれば聞かせるほど好きになる」言われる。だから、かつて音楽CD全盛期は、新曲のプロモーションとしてップが盛んだったのだ。接触機会が増えれば、無意識に好きになってしまうからだ。
・ついでに、もうひとつ自己肯定感をあげる方法を書いておこう。それは、犬や猫などに対して「よくできたね〜」「お利口さんだね〜」と毎日のように褒めるということだ。脳生理学者の有田秀穂氏は、著書『「脳の疲れ」がとれる生活術癒しホルモン「オキシトシン」の秘密』(PHP文庫)の中で、褒めるという行為によって、脳内にオキシトシンな分色されると述べている。従来、オキシトシンは、出産や育児に伴う女性だけのものと考えられていたが、今では男性も年齢に関係なく分泌されるとわかっている。別名「幸せホルモン」とも呼ばれるオキシトシンの効果は、「心が癒され、ストレスが軽減される」「不安や恐怖心が減少する」「幸せな気分になる」と良いことづくめだ。
00:55 田村まり しかしソロだとしても、恋人がいなくても、犬や猫とのスキンシップでも代用可能だし、前述した通り、褒めるという行動が大事なのだ。誰かを褒める言葉を自分の耳で聞くことで、脳は自分が褒められていると勘違いしてくれる。毎日ペットを褒めると、自分自身が褒められているのと同等の効果を得られる。大事なのは、他者に褒められることではなく、他者であれ自分であれ、褒められていると脳が錯覚することなのだ。
・「文脈効果」と呼ばれるものだ。文脈効果とは、知覚・言語・認知・記憶に関する概念で、人間は前後の刺激や環境によって対象の意味合いを変化させてしまう心理現象ある。1955年にアメリカの認知心理学者であるジェローム・シーモ・ブルーナー氏が発表している。
・もうひとつは、意識の文脈化としての意味報酬である。エモ消費の最終的な目的(精神的充足)とは、彼ら自身の帰属欲求(社会的欲求)を満足させることである。既婚者
・「リスク社会」や「個人化する社会」を提唱したドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは、「昔、家族は、資本主義社会での心のよりどころだった。だが、個人化によって家族はリスクの場に変わりつつある」と分析した。ベックによれば、従来の伝統的集合体の概念である家族とは、「ゾンビ・カテゴリー(死に体カテゴリー)の好例である」と表現し、人間にとって家族とはもはや必然的な共同体ではなく、選択的親密性であると言っている。
・ベックと並び評される社会学者バウマンも同様に、個人化について言及している。彼は、流動化していく現代社会を「リキッド(液状化)社会」と表現した。地域や職場や家族という強固なコミュニティの中に、固体のように組み込まれることで安心を得てい
たソリッド社会から、それまで安心を担保してくれたコミュニティが失われ、個人は液体のように不安定で流動的になるということだ。
・ 私は、常々「ソロ社会」を生き抜くのに大切な力とは、「ソロで生きる力」だと提唱しているが、これは、無人島で誰の力にも頼ることなく独力で生き抜く力ではない。逆説的になるが、「ソロで生きる力」とは「人とつながる力」である。
・人は、どうしても自分と同じ価値観の人、自分に共感してくれる人、自分を認めてくれる人とつながりたがる。それ自体は否定しないが、そうした居心地のいい関係性(同類縁)だけでは、結果的に自分自身の可能性を狭めていることになる。友達であるがゆえに気を使い、支障のないことしか言い合えないという経験は誰しもあるだろう。そういう表面上の関係よりも、全く利害関係のない赤の他人とのつながりが結果として自分にメリットをもたらす場合も多いのだ。
・これは、アメリカの社会学者マーク・グラノヴェッターの言う「弱い紐帯の強さ」とも通じるが、いつも一緒の強い絆の間柄より、有益で新規性の高い刺激をもたらしてくれるのは、いつものメンバーとは違う弱いつながりの人たちのほうなのだ。血縁・地縁・職縁という所属のつながりは「強い紐帯」である。それ自体を否定はしないが、そうしたつなかりは「強いがゆえに、均質で冗長」になりやすい。たしかに、安心はできるか「強い紐帯」だけに頼りきるのは、まさに,妻唯一依存"に陥った定年後の夫のような状態となり、リスクが大きい。
・どこに行っても、誰に対してもブレない確固たるアイデンティティこそが「本当の自分」だと思わないでほしい。そういう幻想に縛られるから、その状態にない自分自身を肯定できなくなる。唯一無二の自分などないのだ。自分の中の多様性というものを絶えず意識して、そのために人とのつながりを開発し、保持し続けていくという視点こそ、未来への適応力ではないかと思う。
・所属することでの安心というのは、それと引き換えに、空気を読んだり、不本意ながら同調するという無理も伴います。所属とは、みんなと同じなら安心だ、という共同幻想を信じるということだからです。が、今後大切になるのは、「所属しなくても得られる安心がある。誰かと一瞬接続するだけでも安心が得られるのだ」と気付くことだと思います。それが「接続するコミュニティ」なのです。
Posted by ブクログ
よくあるトレンドウォッチャー的なひとのハナシで首を傾げることも多いが、著者の荒川和久氏は納得感の強い分析で信頼している。この本もデータも駆使してとても腑に落ちる解説。まずバブルや貧困など時代のムードで結婚の増減を語るメディアと違って、恋愛マニュアル雑誌やトレンディドラマ全盛のバブル時代から未婚化が増
...続きを読む えことを示す。婚姻数が減ったのは、男女の求めるもののすれ違いとともに、お見合いや紹介のシステムが減り、約3割の「恋愛強者」約恋愛結婚が残る。そしてこの強者が約3割というのはいつの時代もほぼ変わらない(厳密に絞ればさらに少ないと思う)。
また9割が結婚願望を持つと言う調査眉唾で、二者択一の調査結果だから。結婚に前向きな20から34歳までの未婚男性はたったの4割しかいない。一方同じ年齢の女性でも5割。つまり実際結婚意欲があると言うのはその半分程度であり、この傾向も30年前から変わっていない。
「結婚教」の「ソロハラ」もいまだに多いが、より充実した活動を求めるための選択的ソロ活のひとも増えていて、それを歓迎しなかった店側もソロを歓迎するようになってきている。
しかし江戸時代を見るとソロ活も離婚もむしろ現在に近く、明治からの皆婚制度が特殊である。終わりにはこれからのコミュニティとの付き合い方が述べられている。
Posted by ブクログ
中野先生の本ってなんでこんなに面白いのだろうか〜知見が深すぎる〜
この本は一見今後も一人で生きていこうと考えている人向けの本かと思いきや、すでに結婚している人、結婚願望がある人にも内容はとってもおすすめの本だと思う。
以下読書メモ
>>>
・「これから『一人で生きていく』ことに不安しか感じていなか
...続きを読む ったが、20年後には自分たちが多数派になるらしい。ということは、社会のあり方も大きく変わらざるを得ないはずだから、今よりも暮らしやすくなっているかもしれない」
・五十歳を超えて結婚できる割合は1%もない
→爺の姉すげえ
・男性は再婚相手に初婚の女性を選び、再婚女性は再婚の男性を選ぶ。なので僕は、これはもはや「時間差一夫多妻制」だと言っています。離婚・再婚を繰り返す人は何回も結婚するのに、1回も結婚できない人はずっとできない。
・それが逆転して「女余り」になるのは万歳ですが、これは、おじいちゃんになると急にモテるわけではなく、悲しいかな、男が先に死ぬからです。生きているうちはほとんど「男余り」ということですよ。累計すると、340万人の男は余っていく。すでに145万人余っているというのが「男余り現象」。ちなみに、中国は3000万人以上の男が余っていますよ。インドは5000万人、アメリカも900万人くらい男余りで、全世界で2億人くらいの未婚男性があまる。
第1章「ソロ社会」化する日本
・ 私の著書でも紹介しているように、イギリスの精神科医のジョン・ボウルビイやアメリ力の発達心理学者メアリ・エインスワースらによって確立された「アタッチメント理論」(愛着理論)によれば、愛着スタイル(人間関係を築くうえでベースとなる認知の様式)には「安定型」「回避型(拒絶型)」「不安型」などのタイプがあります。
次のような特徴を持つと考えられています。
安定型:他者とのフランクな関係の構築が得意
回避型:他者とのフランクな関係の構築には消極的
不安型:他者に対する過度の期待や失望、喪失の危機感を抱く傾向が強い
・ 独身だと「結婚しないと孤独死するぞ」と必ず一回は言われますよね。でも孤独死の問題については、よく考えてほしいんです。孤独死しているのは、ほぼ元既婚者なんですよ。高齢で孤独死している75歳以上の人たちを例に出すと、いま75歳以上の人たちは日本が皆婚時代といわれていて、ほぼ100%結婚していた時代の人たちなんです。ということは、いま孤独死している人はほぼ全員、昔は結婚していたんですよ。
・ 繰り返しますが、結婚はしなければならないものではないんですよ。マルクス・ガブリエルというドイツの哲学者がいるんですが、今は何でも消費する欲望の時代で、結婚も消費の一つだと言うんです。「結婚は愛だ」とかいわれているけれど、結婚も一つの欲望を消費することによって満足しているものだから、実は消費なんだ、と。
・もともと武士にしかなかった家父長制度を庶民に適用したのは、まさにそういうことですよね。昔は田畑を質に取られて、「おまえ、言うことを聞かないと田畑を取っちゃうよ」と言われると嫌だから一生懸命働く。今はみんな農民ではなくなって、田畑のない都市型生活ですから。要は、田畑の代わりが家族なんですよ。「家族を持て」と言われたら、それは実は人質で、家族のためにおまえは働くんだよと強制されているわけなんですよね。
・それで一般職という職種があって、嫁候補を会社が用意するんですよね。言い方はちょっと乱暴なようですし、極端な言葉かもしれませんが、つまり人質候補ということですね
・ コンビニを支えているのは男性。
ソロ男の外食費は、一家族分の外食費の2倍近い
第2章 孤独とは悪いことなのか?
・ 万国共通かどうかは、みんなで一緒に食べることがストレスになる人がどれだけいるかによると思うんですね。日本はハイコンテクスト(コミュニケーションに際して共有されている体験や感覚、価値観などが多く、「以心伝心」で意思伝達が行われる傾向が強い文化)の社会でコミュニケーションが複雑なので、よりストレスの度合いは高いのかなと考えられます。HSP(Highly Sensitive Person)という言葉も2020年に入ってから巷に知られるようになりましたね。過敏に人の言葉やふるまいに反応して、傷ついてしまいやすい人たちのこと
・でも一番の孤独とは、大勢に囲まれて「なんか私、ものすごく孤独なんだけど」と感じること。それが最悪の孤独なんですよね。そのほうがむしろ一番ヤバい。だから、自殺する人には意外とそういう人も含まれていて、昨日まで友だちと一緒にいた人だって死んでしまったりするわけですよ。それは、一緒にいるからこそ自分の孤独をより強烈に感じてしまう、ということです。
・「選択的孤独」は非常に贅沢なもので、自分一人でアフォード(実行)できる経済力も必要。時間的余裕や一人で住む部屋を確保できるか、といった経済的な基盤によった「贅沢としての孤独」です。これは、自ら選んでいるので非常に心地よいものですね。個人の自由にできますから。
・一方、「排除による孤独」は、自分はここになじめないというもの。なじめないという孤独感は、大きなストレスになります。これがあの「便所メシ」という言葉が流行った頃の、「おまえはなじめてないよね」「落伍者だよね」という孤独ですよね。
・ 離婚問題に強い弁護士の話を聞くと、「夫婦仲がいいです」とSNSでアピールする人ほど危ないそうです。アピールしなきゃいけないほど夫婦仲が壊れているのに、何とか自分に言い聞かせて、「仲良しです」とやろうとしている努力の表れだから、オシドリ夫婦というイメージを発信する人は信じない、と言っていました。
・その女性の中で、「認知的不協和」が起きているわけです。「こんなにひどいことされている」のに「一緒にいる」のは矛盾している。その矛盾を解消するのに、「一緒にいる」のほうを変えずに、「こんなにひどいことされている」のほうを変えてしまうんです。「こんなにひどいことされている『ように見えても、それは彼の愛情の印なんだ』と。それで、「自分しか彼を受け止めてあげられない」とか、「ここまで彼に尽くしてきたんだから、私はあの人のことをすごく好きにちがいない」とか、どんどん自縄自縛の心理が働いて、もう泥沼にはまり込んだようになっていく。
・そう思います。ペットを飼いはじめると子どもが生まれやすくなるという都市伝説みたいな話もありますね。あれは本当に、オキシトシンの量が増えると着床率が上がると言っている現場の先生方もいますけどね。
・ コミュニケーションって、子どもの頃からうまくできるわけじゃないから不完全なままで大人になりますよね。お互いに適切に伝えられずに、「なんでこういうことするんだ!」とか言っている間に人格攻撃になっていって、相手をすごく嫌いになってしまう人が世の中には多いというふうに思うんですね。身もふたもない言い方をするのであまり多くの人には受け入れられないかもしれませんが、そもそも恋愛としての「好きになる」というのは理性を麻痺させる仕掛けなんです。
・男性の出産ほどの危機的状況はないですが、それでも子育てにコミットするという負荷が待っています。男女ともにこの負荷を忘れさせるような仕組みがないと種が残らないので、理性に恋愛という麻酔をかける必要があるんですよ。その麻酔が効いているうちはいいんですが、やがて切れます。
・離婚が一番多いのは、結婚後5年未満ですからね。だから、その麻酔はせいぜい5年ぐらいしか持たないんですよ。この理性の麻酔は早ければ数か月で切れます。長くても4年とか言われていますね。麻酔が切れたあとも夫婦として継続するのは、子どもが生まれて、愛情が子どもに移行するから
・ よく、自殺率は失業率と相関があるといわれますね。このグラフは、離婚率と自殺率の相関を取ったんですよ。女性はまったく相関関係がないんですが、男はものすごく相関関係があるんです。「0.92」って、ほぼ1に近いです。
第3章 ソロの幸せ、既婚者の幸せ
・ もちろん個人差はありますが、女性を選ぶとき、男性の脳では「視覚関連領域」を使って、女性の容姿、なんなら尻と胸とくびれ、もちろん顔を見ます。一方、女性の脳はどこが活性化するかというと、視覚関連領域ではないんですよ。男性を選ぶときに活性化するのは、「前帯状皮質」という前頭葉の一部ですね。そこは予盾を検出するところなんです。その男性は、言動が一致しているか、嘘をつかないか、子育てをしてくれるか、というようなことを見る。子育てにコミットしてくれるだけの資産(リソース)を持っている男性かというところを見る⋯そのようなことを報告している研究グループがいます。すると、女性側には「愛はお金」という考え方も生じやすくなるでしょう。男性側にとっては、「愛は見た目」ということになるかもしれませんが。女性は、男性がリソースを自分と自分の子どもに割いてくれる人なのかと見極めようとしているわけだから、納得の結果です。
・ 世界価値観調査のようなものを国別で見ても、ほぼどこの国も独身の方が不幸
・面白いのは、既婚の男性と女性は有能感がマイナスなんですよ。「僕・私はたいして有能ではない」と思っているんですが、逆に自己肯定感はものすごく高いんですよ。ソロ男は、自己己有能感はそこそこあるんですけれども、自己肯定感は有能感を越えないんです。つまり、ソロ男は有能である自分しか肯定できないんです。
・ソロは結局、有名大学出身とか、一流企業に在籍とか、年収何千万稼いでいる、とかでなければ、自分を肯定できないというロジックに入ってしまいます。
・「フォーカシング・イリュージョン」(思い込みから生じる幻想)といわれていますが、「結婚すれば幸せになれるはず」とか、「いい会社に入れば幸せになれるはず」と思ってしまうことと同じような感じがします。
・男性の場合は、「恋愛に自信がない」とか、「容姿に自信がない」とか「異性に告白された経験がない」とかが出てきます。
一方、女性は「仕事の評価は能力主義がいい」とか、「負けず嫌いた」とか「副業・兼業したい」とか、こういう設問にイエスと答えた人ほど、自己肯定感が低いんですね。要するに、自己肯定感の軸が、男は「恋愛軸」で、女は「仕事軸」。これ、面白くないですか?
・ 実は、ソロ男・ソロ女の欠落感を埋めているのが「消費」。消費というのは、お金だけじゃなくて時間も対象です。お金だけでなく、時間も使って自らの幸せを手に入れることを、「エモ消費」と定義しています。
・ コト消費からエモ消費に移行すると、コト消費の体験価値は「時間価値」へと変わります。その体験によって、その人の時間がどのように価値を持ったのかが問われる。エモ消費における精神価値とは、ソロが抱える心の欠落感(低い自己肯定感)を埋めるために、代償行為として自己の社会的役割、つまり「俺は何か社会や誰かの役に立っている」という達成感を手に入れようとしているということです。
第4章 恋愛強者と恋愛弱者の生存戦略
・ナッジとは肘で軽くつつくという意味で、ちょっとしたきっかけを作っていい行動を促すこと
・ 心理学者の河合隼雄さんが提唱していた父性原理と母性原理:
「父性」とは自分で決断をしたり、物事の白黒をはっきりつけたり、規範や規則を守るという性質。リーダーシップを発揮するのも含みます。「母性」は、人の意見を聞いたり、困っている人を助けてあげたり、施しをしたりするもの。
・ 本当にそのとおりだと思います。私は個人的に温かみのある人柄がとても好きな方なんですが、梅沢富美男さんみたいな人ですかね。
あの方、自分の意見をガッとおっしゃるんですけど、実は弱者をすごく守るんですよね。自分より立場の弱い人に温かいんですよ。また、深い関係になった女性ともめたことはないと、ご自身ではおっしゃっています。自分が矢面に立って、そうした間柄になった人に対しては面倒を見るのでしょうし、責任は取るというタイプなのだと思います。おそらくそういう類型の人が、関係が長続きする亭主関白なのであって、単に支配的に振る舞うのが亭主関白ではないんでしょうね。
・「結婚しないと生産性がない」という国会議員の発言がありましたが、私は反対の立場なんですよね。結婚しないと生産性がないというのは、実は集団で見ると違うんです。結婚していない叔父、叔母がいるコミュニティのほうが次世代がよく育っているという研究があります
第5章 ソロ化と集団化の境界線
・社会からそういうメッセージを受け続けて、自分のパーソナリティーの一部のようになってしまう現象が「ステレオタイプ脅威」です。でも、血液型よりもっと深刻なのが、「性別によって生じるステレオタイプ脅威」。
・ 選挙ポスターをなぜあれだけ持っているかといったら結局は顔で決まるから
・人間は常にソロへの志向はある。そもそも生物がそういう思考があると言うか。それでも集団にならなければいけない理由は何かと言うと、一人では立ち向かえない事態があった時に集団であることのメリットが発揮されるから。危機的な状態では人間は絆を結ぼうとする。
・ 「ファミリアリティー」でも説明がつきますね。「ファミリアリティーのある味」とか。ファミリア(familiar)は自分に親近性が高いという意味で、ファミリアリティー(familiarity)は親近感とかわかりやすさです。これは味だけでなく、ルールや見知った顔についても言えます。つまり、見慣れたものにはみんな好感を持つんですよ。
・ 使う言語によってペルソナ(外的側面、周囲の人に見せる自分)が変わるという興味深い研究がある。
第6章 自分とは何か、一人の人間の多様性
・ 使う言語によってペルソナ(外的側面、周囲の人に見せる自分)が変わるという興味深い研究がある。
・「自分とはなんぞや」ということになると、要するに、「自分」なんてそもそも存在しないのではないか。「自分」とは、オプションにすぎないんじゃないか。いろいろな機能を統合するために、仮にそういう機能をつくってあるだけで、私たちが意識できるのはその仮の機能だけ。そのコアなんて存在しないんです。その仮の機能は非常に重要な感じがするかもしれないけれど、実は仮の足場とかプレハブみたいなものなのでは、という考え方です。「自分の中に、自分というものがいっぱいある」と考えられる人のほうが豊かな気がします。
・一人の人間の中の多様性というのは多分禅の考え方
第7章 世の中を動かす感情主義のメカニズム
・ 人間にはズルをしている人が制裁を受けるのを見たいという欲求があってそれが達成されるとドーパミン濃度が上がる
・ schadenfreudeシャーデンフロイデとは妬みに付随して起こる感情
・ 人は行動しないための理屈付けの方が得意
・ 一人でいるときは、他者がいないので自分に対して自分でフィードバックをかけなければいけない。そこで何が問題になるかというと、自分で自分にフィードバックをかけるときは、ちょっと「フェールセーフ」側(fail saf 操作方法を間違ったり、部品が壊れたりした場合に安全な方向へ向かうように設計すること)にかけるんですね。
どういうことかというと、ネガティブ側に自分を評価するようになる。つまり、一人でいると自分へのフィードバックが厳しめになる。すると、どんどん自分はダメな人間なんじゃないかと考えるスパイラルにはまっていく。
・ 私たちが向き合うべきは、変わるはずのないものを変えられるかのような欺瞞や茶番ではなく、ファクトを知った上で不可避な未来を見据え今をどう歩いていくかということ。
Posted by ブクログ
まさかこの二人が交わるとは思ってもいませんでした。
それぞれの知見から交わされる意見は非常に真新しく、とても新鮮です。
VERY GOOD!
Posted by ブクログ
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