【感想・ネタバレ】ソロエコノミーの襲来のレビュー

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Posted by ブクログ

ネタバレ

以下読書メモ
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・つまり、物理的にそこに実在していたとしても、個人がそれを認識しなければ、それは「透明な存在」であり、事実とも思われない。

・日本が超高齢社会であることは誰もが知ることだ。しかし実は、その高齢者人口より独身者人口の方が多いという事実をご存知だろうか。

・毎年5%ずつ男が多く生まれるのだ。それでも昔は、男の乳幼児の死亡率が高かったため、結果として男女同数に収まっていた。しかし、医療の発達によって男児もそのまま成人する。結果として、「男余り現象」を引き起こしている。

・逆に、女性では400万円以上の年収での生涯未婚率が大きく上昇している。年収400万円台の女性では生涯未婚率28%、800万円台の女性でも29%、絶対数は少ないが、1250〜1500万未満の女性に至っては、36%が生涯未婚なのだ。女性全体の生涯未婚率は2015年の国勢調査では約14%なので、稼ぐ女性たちは全国平均の倍以上が未婚であるということになる。「男は金がないから結婚できず、女は金を稼ぐから結婚できない」という事実がここにはある。

・ 未婚化に対し「若者の草食化」とよく言われるが、実はいつの時代も恋愛能力のある男女は3割程度しか存在しない。これを「恋愛強者3割の法則」と私は名付けた。

・ ちなみに、恋愛強者とルックスの良さとの間には相関がある。「容姿に自信がある」率も、男女とも3割程度なのだ。

・「成功の見込みがわからない中で相手に告白」できる男がどれくらいいるか、ご存じだあうか、ソロ男28%、既婚男性29%と、これも3割なのだ。逆に言えば失敗を恐れずアプローチできる男が恋愛できているという証拠かもしれない。

・ まさにその通りで、「進むべき道は己で選び、切り開く自立した人」こそがソロアーティストであり、ソリストなんだと考える。

・ 結局、世代論というものは、上の世代の大人たちが安心するために、下の世代の若者を都合よくラベリングしているに過ぎない。極論すれば、いつの時代も若者は若者であり、おっさんはおっさんなのだ。

・言い方を変えると、どんな人間も若い時は「自分が何者かわからずに悶々」としているものだし、年を取って安定を得ると「これでいいのだ」と現状保全したがる。それは至極当然のことだ。

・ 要するに、世代論とは「群の理屈」なのだ。安心強固な共同体に所属し、弾としての力を発揮できた時代はそれでよかった。

・「親らしく」「父らしく」という規範は、多少の不自由を感じたとしても、それによって達成感や自己の社会的役割を感じられるものだ。ところが、ソロは社会生活に、「先輩らしく」「上司らしく」という規範と役割は与えられても、ブライベート生活においては、「ずっと子どものまま」なのである。家族のためにいろいろ我慢を余儀なくされる既婚者とはそこが大きく違う。

・エンゲル係数とは、消費支出に占める食費(外食含む)の割合で、一般的にはこの数字が高いという事は生活水準が低いとされている(エンゲルの法則)。食費は、生きていくために必要なものであり、その最低限必要な絶対額は人によってそう大差はない。エンゲル係数が高いということは、支出の中でその最低必要額の比率が高いということであり、生活水準が低いとみなされるわけである。

・「独身の方が幸福な国」もある。特に台湾は10ポイントも独身の方が上回っている。同じ東アジアでも、日本と台湾がこれほど違うのも興味深いところである。

・「フォーカシング・イリュージョン」という言葉がある。これは、ノーベル経済学賞の受賞者であり、米国の心理学・行動経済学者ダニエル・カーネマンが提唱した言葉である。ある特定の「状態」に自分の幸福の分岐点があると信じ込んでしまう人間の偏向性を指す。たとえば⋯「いい学校に入れば幸せになれるはず」「いい会社に入れば幸せになれるはず」「結婚すれば幸せになれるはず」

・エモ消費の特徴は、「何を買うか」という消費対象が先にあるのではなく、自己肯定や精神的充足という「欠落感の穴埋め」欲求が動因として存在し、そのツールとしてモノやコトが機能している。消費によって「承認」と「達成」という感情の欲求を満たし、その結果生まれる「刹那の幸せ」や「社会的帰属感」を得るのだ。

・ 帰属感とは、これも人間が根源的に持つ「コミュニティへの帰属意識」と同じだ。「一人でいることを強く希望する」ソロがコミュニティへの帰属意識を持ちたがるというのは不思議に思うかもしれない。しかし、これはどこかの集団に所属するとか仲間になるという意味ではない。コミュニティへの帰属意識とは、すなわち「自分が社会の中で役に立っているという自信」であり、自己の社会的役割の確認である。集団に属することだけが帰属ではない。このコミュニティ論については最終章で詳しく述べる。

・ 彼らの望むコミュニティとは、彼らが行動している瞬間だけ発生する刹那のコミュニティである。そこで生まれる剎那の感情を共有して、その瞬間だけ通じ合えればいいという感覚だ。その剎那のつながりが刹那であればあるほど、かえって幸福感は高まる。人見知りなオタクたちが、今まで一度も会ったことがない者同士なのに、「推しメン」が一緒であるという事実だけで、急に親近感を持つのもそれに近いものがある。かといって、それを機に友達になるわけではない。その瞬間だけつながれればよいのだ。

・それによって得られる「今この瞬間の自己の社会的役割を実感することでの自己肯定感」を買っているのだ。それは、刹那のコミュニティを作っていることであり、瞬間的な帰属意識で幸福感を得ることだ。これこそがエモ消費のひとつの形であり、そうした一連の行動を動かすエンジンとなるものが「エモーショナル・モーメント」という駆動力なのだ。

・堀江貴文さんの言う「感情のシェアが幸せにつながる」とも通じるものがある。エモ消費とは、感情のシェア・共有によって「その瞬間通じ合えたコミュニティ」を創造することで、自分の社会的役割(心の居場所)を確認する行為なのだ。

・結婚して子孫を残すというのはどちらかいえば身分や階層の高い者に限られており、本家ではない傍系の親族や使用人などの隷属農民たちは生涯未婚で過ごした人が多かった。

・それが、18世紀頃から傍系親族の分家や小農民自立の現象が活発化したことで、世帯構造そのものが分裂縮小化していった。それが未婚化解消のひとつの要因と言われている。つまり、今まで労働力としてのみ機能していた隷属農民たちが独立し、自分の農地を家族経営によって賄わなければならなくなると、妻や子は貴重な労働力として必須となるからだ。結婚とは、農業という経済生活を営む上で、欠くべからざる運営体の形成のためのものだったのだ。このようにして、農村地域の未婚率はやがて改善されていくわけだが、それでも1771年時点での男の未婚率は30%(前述信濃国湯舟沢村)もあった。

・その原因は、中国の「男余り現象」だ。本書でも、日本の未婚男性は300万人の「男余り」だと紹介したが、人口14億の中国ではケタが違う。中国の男余りは300万人以上と言われ、欧州の国ひとつ分の規模だ。

・つまり、仕事に没頭するようなタイプの女性ほど未婚なのだ。結婚適齢期といわれる20代後半から30代前半は、彼女たちはまさに仕事に夢中であることが多い。結果、結婚意思の強弱にかかわらず、晩婚化となる。さらに仕事において経済的自立を達成した女性は、無理に結婚という形を選択する必要もなくなる。死亡率の低下に関しては、江戸期は乳児の死亡率改善だったが、現代の場合は高齢者の長寿化ということになろう。

・「快適さを物質に頼るのが文明、精神において追求するのが文化」とは、落語家の立川談心さんの言葉だが、江戸のソロ男たちは、子孫こそ残さなかったものの、今に続く多くの文化や確業を残したとも言えるだろう。

・ここでの自己有能感の定義とは、客観的に自分を評価した時に「才能や能力がある」と思える意識で、自己肯定感とは、主観的に自分を見た時に「自分が好きだ」「自分を認められる」という意識である。

・つまり、男性の場合、恋愛が充実していればいるほど自己肯定感が高く、女性は仕事の充実度が大きく影響している。ソロ男とソロ女はその傾向がさらに強いのだ。これは正直に言って意外な結果だった。むしろ逆だと考えていたからだ。

・ソロ男女とも表面上は、恋愛軸と仕事軸で欠落感が異なっているように見えるが、突き詰めると本質は一緒で、「恋愛相手に頼られたい」「誰かを全身全霊支えたい」と思うソロ男、「仕事において役に立っていると認められたい」と願うソロ女とも、共通するのは自己の社会的役割の確認である。欲求として言えば、それはまさにマズローの「社会的欲求(帰属欲求)」なのだ。

・ 先に述べた通り、ソロのエモ消費とは、没頭できる興味関心領域において、承認と達成という実感を通じ、自己の社会的役割を確認する行動である。

・よくやりがちなのが、相関と因果の混同だ。相関性が高いからといって必ずしもそこに因果があるとは限らない。にも関わらず、人間は相関があると因果があると思い込みたい。つまり原因追求ではなく、願望なのだ。

・東京大学教授で脳研究の渋谷裕二氏は、「脳には妙なクセがある」(扶桑社新書)の中で、「意志は脳から生まれるものではありません。周囲の環境と身体の状況で決まります」と語っている。つまり、意志とは本人の錯覚にすぎず、実際の私たちの行動の大部分は環境や刺激によって起きるものであり、あるいは本人の習慣によって
予め決まっているものなのだ。にもかかわらず、人間は「自分で判断した」と勘違いしているに過ぎないと喝破する。

・「やる気」というものも存在しない虚構だと、池谷氏は言う。仕事、勉強、家事などのやらないといけないことは、最初は面倒でも、やりはじめると気分が乗ってきて作業がはかどるという場合がよくある。そうした行動の結果を脳は「やる気」が出たから⋯⋯と解釈しているだけであり、「やる気が出たからやった」のではなく、「やったからやる気が出たと思い込んだ」のだそうだ。つまり、行動が先で、意志はその行動の後追い解釈なのである。

・つまり、思考があって行動が生まれるのではなく、行動があって思考が生まれ、思考は行動と矛盾しないようにつじつま合わせをしているに過ぎないのだ。よって「思考が行動を生み、行動が習慣となる」という美しい流れも機能しない。習慣化した行動も、まさに意識なき行動だし、癖もそうだ。

・ ソロ男の消費は「無意識行動」によって支えられていた。ソロ男のエンゲル係数が異常に高いのはそのあたりに原因がある。

・感情というものも、意志というより反射に近いものであるが、唯一「嫌い」という感情は意志や理屈によって作られる。「なんでこれが(あの人が)嫌いなの?」という質問に対して、人は能弁になれる。なぜなら、それは「好きにならない」ための正当な理屈付けが自分の中に必要だからである。

・そもそも、ナッジとは、不完全な選択行動に陥らないように生み出されたものである。つまり、普通にしていたら、人は合理的で正しい選択ができないということだ。これこそ、自分の意志とは関係なく、提示された選択構造に誘導されるまま人は行動しているという証明でもある。

・ 彼らの「行動しない行動」を発生させている要因、それが「リスク回避欲求本来、ソロは既婚に比べて、満足しない現状を変革したい気持ちが強いのだが、だからといってリスクを考えないわけではない。

・ AIDMAについては、今更説明する必要もないとは思うが、簡単に言うと、Attention(注意)Interest(関心)Desire(欲求)Memory(記憶)→Action行動)という流れで動く消費者の心理的行動プロセスモデルのことを言う。このようなカスタマージャーニーといわれる消費者行動プロセスには、AIDMAの他に、デレク・ラッカーが提唱した「4A」(認知(Aware)→態度(Atitude)-行動(Act)→再行
動(Act Again))や、コトラーの提唱する「5A」(認知(Aware)一訴(Appeal)→調査(Ask)→行動(Act)→奨励(Advocate)などがある。

・よく、未婚者に対して「孤独死するぞ」と警告する既婚者がいるが、実際に孤独死の危険のある一人暮らしのセルフネグレクト高齢者のうち、婚歴のない独身は3割で、残りの7割は、離別や死別した元既婚者や家族と暮らしていた人たちである(平成22年内閣府「セルフネグレクト状態にある高齢者に関する調査」より)。むしろソロより既婚者の方が孤独死の危険度が高いという事実もお伝えしておく。

・ これは、女性は「写真の中にいる自分」を承認してほしいのに対し、男性は、「自分の行動」を認めてほしいからだ。つまり、女性が承認してほしいのは自分そのものであり、男性が承認してほしいのは自分の成し遂げた仕事であるということである。

・ザイオンス効果とは、1968年に、アメリカの心理学者ロバート・ザイオンスの論文で発表された心理現象のことである。日本語では「単純接触効果」と呼ばれる。同じ人や物に接する回数が増えるほど、その対象に対して好印象を持つようになる効果のことである。これは、音楽にも当てはまる。「音楽は聞かせれば聞かせるほど好きになる」言われる。だから、かつて音楽CD全盛期は、新曲のプロモーションとしてップが盛んだったのだ。接触機会が増えれば、無意識に好きになってしまうからだ。

・ついでに、もうひとつ自己肯定感をあげる方法を書いておこう。それは、犬や猫などに対して「よくできたね〜」「お利口さんだね〜」と毎日のように褒めるということだ。脳生理学者の有田秀穂氏は、著書『「脳の疲れ」がとれる生活術癒しホルモン「オキシトシン」の秘密』(PHP文庫)の中で、褒めるという行為によって、脳内にオキシトシンな分色されると述べている。従来、オキシトシンは、出産や育児に伴う女性だけのものと考えられていたが、今では男性も年齢に関係なく分泌されるとわかっている。別名「幸せホルモン」とも呼ばれるオキシトシンの効果は、「心が癒され、ストレスが軽減される」「不安や恐怖心が減少する」「幸せな気分になる」と良いことづくめだ。
00:55 田村まり しかしソロだとしても、恋人がいなくても、犬や猫とのスキンシップでも代用可能だし、前述した通り、褒めるという行動が大事なのだ。誰かを褒める言葉を自分の耳で聞くことで、脳は自分が褒められていると勘違いしてくれる。毎日ペットを褒めると、自分自身が褒められているのと同等の効果を得られる。大事なのは、他者に褒められることではなく、他者であれ自分であれ、褒められていると脳が錯覚することなのだ。

・「文脈効果」と呼ばれるものだ。文脈効果とは、知覚・言語・認知・記憶に関する概念で、人間は前後の刺激や環境によって対象の意味合いを変化させてしまう心理現象ある。1955年にアメリカの認知心理学者であるジェローム・シーモ・ブルーナー氏が発表している。

・もうひとつは、意識の文脈化としての意味報酬である。エモ消費の最終的な目的(精神的充足)とは、彼ら自身の帰属欲求(社会的欲求)を満足させることである。既婚者

・「リスク社会」や「個人化する社会」を提唱したドイツの社会学者ウルリッヒ・ベックは、「昔、家族は、資本主義社会での心のよりどころだった。だが、個人化によって家族はリスクの場に変わりつつある」と分析した。ベックによれば、従来の伝統的集合体の概念である家族とは、「ゾンビ・カテゴリー(死に体カテゴリー)の好例である」と表現し、人間にとって家族とはもはや必然的な共同体ではなく、選択的親密性であると言っている。


・ベックと並び評される社会学者バウマンも同様に、個人化について言及している。彼は、流動化していく現代社会を「リキッド(液状化)社会」と表現した。地域や職場や家族という強固なコミュニティの中に、固体のように組み込まれることで安心を得てい
たソリッド社会から、それまで安心を担保してくれたコミュニティが失われ、個人は液体のように不安定で流動的になるということだ。

・ 私は、常々「ソロ社会」を生き抜くのに大切な力とは、「ソロで生きる力」だと提唱しているが、これは、無人島で誰の力にも頼ることなく独力で生き抜く力ではない。逆説的になるが、「ソロで生きる力」とは「人とつながる力」である。

・人は、どうしても自分と同じ価値観の人、自分に共感してくれる人、自分を認めてくれる人とつながりたがる。それ自体は否定しないが、そうした居心地のいい関係性(同類縁)だけでは、結果的に自分自身の可能性を狭めていることになる。友達であるがゆえに気を使い、支障のないことしか言い合えないという経験は誰しもあるだろう。そういう表面上の関係よりも、全く利害関係のない赤の他人とのつながりが結果として自分にメリットをもたらす場合も多いのだ。

・これは、アメリカの社会学者マーク・グラノヴェッターの言う「弱い紐帯の強さ」とも通じるが、いつも一緒の強い絆の間柄より、有益で新規性の高い刺激をもたらしてくれるのは、いつものメンバーとは違う弱いつながりの人たちのほうなのだ。血縁・地縁・職縁という所属のつながりは「強い紐帯」である。それ自体を否定はしないが、そうしたつなかりは「強いがゆえに、均質で冗長」になりやすい。たしかに、安心はできるか「強い紐帯」だけに頼りきるのは、まさに,妻唯一依存"に陥った定年後の夫のような状態となり、リスクが大きい。

・どこに行っても、誰に対してもブレない確固たるアイデンティティこそが「本当の自分」だと思わないでほしい。そういう幻想に縛られるから、その状態にない自分自身を肯定できなくなる。唯一無二の自分などないのだ。自分の中の多様性というものを絶えず意識して、そのために人とのつながりを開発し、保持し続けていくという視点こそ、未来への適応力ではないかと思う。

・所属することでの安心というのは、それと引き換えに、空気を読んだり、不本意ながら同調するという無理も伴います。所属とは、みんなと同じなら安心だ、という共同幻想を信じるということだからです。が、今後大切になるのは、「所属しなくても得られる安心がある。誰かと一瞬接続するだけでも安心が得られるのだ」と気付くことだと思います。それが「接続するコミュニティ」なのです。

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2021年05月16日

Posted by ブクログ

江戸時代はソロ社会だったというのは面白かった。家族という単位の神格化は明治維新後ということ。今のソロが増えた社会は、安心安定のコミュニティは失われ、接続するコミュニティ、一個人の中にある多様性に応じて切り替わるコミュニティが居場所になる。クラウドファンディングがソロ社会特有のものであるということにはなるほどと納得した。現状維持消費が既婚、変革のための消費がソロ、私は両方をやって来たということ。変革の方がやはり自分には合ってるけど、両方やれたのは良かった。

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2020年07月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

「未婚化」「単身化」が特異な状況ではなく自然であることがわかった。
この状況に騒いでしまう僕たちは「家族」や「結婚」が身体に染み付いている。
おそらく「家族」を形成すること、「結婚」することは人口増加社会を前提にして、
GDPを上げていこうとする資本主義経済にとって好都合であって、
すべての社会システムはこの人口増加を前提にして作られているため大騒ぎしているのだろう。
ソロを自然なサイクルとして捉えずに、逆にコントロールしてしまおうというのは
西洋的な支配主義であって東洋思想の日本では受容されない。
どうやって人口を増やすかではなく、人口が減ってもコンパクトに生きられる社会に合わせてシステムをアップデートしていくこと必要。

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2019年05月06日

Posted by ブクログ

中野信子さんとの対談本「一人で生きるが当たり前になる社会」を読み終えて、こちらを手に取ってみた。ぼっち、おひとり様ではなく、あえて「ソロ」という言葉を使う理由にも納得。江戸時代の人々の暮らしについて書かれていたのも面白かった。
既婚、未婚、子あり、子無し、立場や価値観の違いがあり、対立することもあるけれど、それぞれが自分自身を認めながら、生きづらさを感じることなく、生きていける社会になればいいと思う。

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2021年03月18日

Posted by ブクログ

第3章までと第7章を読めばOK♫

・結婚数の減少は経済構造の変化を齎す
・2015年のソロ率は41%
・ソロ社会の内訳は、15〜50代までの未婚男性と、60歳以上の離別死別女性
・ソロは購買意欲が高い(購入対象によるが)
・消費の目的が物質的満足度から、精神的な繋がりを得る事にシフト
・自分の中の多様性に気付く

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2019年05月24日

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