p.14 "「推論などしない。三段論法の規則によれば、<二ツノ個々ノモノカラハ何モ出テコナイ>。二つの個々の事象からは、いかなる法則も引き出せないのだ。まずは、法則を知る必要がある。たとえば、触れた者の指をくすませる物質が存在するとか……」"
p.100 "「書物というのは、信じるためにではなく、検討されるべき対象として、つねに書かれるのだ。一巻の書物を前にして、それが何を言っているのかではなく、何を言わんとしているのかを、わたしたちは問題にしなければならない」"
p.301 ”「これが紫水晶だ」彼は言った、「謙譲の鏡であり、聖マタイの純真と温和とを思い起こさせる。これが玉髄だ。愛徳(カリタ)の証であり、ヨセフと聖大ヤコブの慈愛(ピエタ)の象徴である。これが碧玉だ。信仰を讃え、聖パウロと結びつく。そして紅縞瑪瑙だ。殉教の徴で、聖バルトロメオを思い出させる。これが青玉だ。希望と観想を意味して、聖アンドレイアと聖パウロの宝石である。そして緑柱石だ。聖なる教義や学識や忍耐の証であり、聖トマスの徳性そのものである……これらの宝石の一つ一つが語りかける言語の、何とすばらしいことか」”
p.370 "「でも、どうして存在し得ましょうか、可能性を全面的に織りこんだ必然的存在などが? どのような差異が、それならば、あるのでしょうか、神と原初の混沌とのあいだに? 神の絶対的全能とその選択の絶対的自由とを肯定するのは、神が存在しないことを証明するのに等しいのではありませんか?」"
p.394 一人の修道僧を毒殺したくなった
p.439 "SF小説はおおむね純粋なロマンスである。ロマンスとはどこかよその場所の物語だ。"
p.497 "エーコは何度となく、『薔薇の名前』を書いた直接の動機は、モーロ事件にあった、と述べている。"
驚くべきことに、著者自身の手になる登場人物の素描がある。まさしくイラストである。また建造物の地図や外観図がある。学生時代にTRPGを準備していた時のことを思いだす。NPCを描き、地図を描き、シナリオを書いたものだった。
旧版と完全版との差異はなんであろうか。上巻の序文で著者が述べるところによれば、本筋ではなく、ラテン語からの引用などにとどまるようだが、訳者による「旧版解説」によれば改版のたびに改訂があったようだ。「『薔薇の名前[完全版]』刊行にあたって」では、原著2020年版には大小さまざまな修正が施されたと記されている。
内容を覚えていないにしても、せっかくの再読なのだから、それと分かるようなら差異を楽しみたい。そう考えて下巻の補足資料的な部分から読み始めたが、正解だったかもしれない。
アークナイツへの影響。ウンベルト、アドソ。ミケーレ。ブルネッロ。登場人物の名を借用。「聖山降臨1101」の物語の構造は、神の実在を疑うというモチーフにおいて類似している。現実の国家を記号化した架空の国家を配置する方法も、アフリカノ果テに謎が残されている点も、ひょっとしたら。
エンドフィールドへの影響。エンドフィールドはデータの遅延ロードを実装してマップ間の移動を高速化した。そのうちのひとつがNPC。ロード完了していない間、NPCは灰色のマネキンとして表現される。どこかで見たような表現ではあるがロードに適用された例は初見のような気がして新しいと感じた。下巻p.128にその発想の元ネタと見えなくもない表現がある。"人間の姿も、初めは灰色の亡霊のように、霧のなかから現れて、見分けがついてくるのだった。"
奈須きのこへの影響。キアラという名と存在は『薔薇の名前』から引用したのかもしれない。迷宮は小川マンションの構想に影響を与えたかもしれない。
京極夏彦は影響を受けただろうか。謎の核心という小さなプロットに、本編とは無関係、関係はあっても迂遠な知識を厚くコーティングしていくやり方に影響を受けただろうか。
ドラゴンランスへの影響。知への渇望。レイストリンとアスティヌス。
推理小説の中には、構造的な弱点を持つ作品がある。核心となる箇所がそうである場合、かなり致命的で、呆れること必至。
迷宮のルール。北方に「ANGLIA」「GERMANIA」などともっともらしい説明をつけているが、そう読むためには、部屋に割り当てられた記号を二度使用せねばならぬこともあり、好きに読めてしまう。「アフリカの果て」を示せれば良いので、雑に仕上げたのかもしれない。
謎解きを中途で切り上げることがしばしばあり、時間稼ぎを感じる。
五日目の口論。宮崎駿か押井守かという有様。まったく覚えがない。
探偵が事件の進行を止められない状況はミステリのお約束だが、探偵役に本業をもたせて、探偵業どころではないとするのは悪くない言い訳だと思える。
ノリツッコミふうに笑わせようとする試みがある。
『ムーンチャイルド』を思いだす。クライマックスにおいて、これまで語られてきたことは些事であり、未だ語られぬ重大事のために、主人公は些事を捨てて去る。ぶん投げも極まれリエンド。キリスト教の重大事の前には(読者にとって重大事である)僧院の惨劇は些事でしかないという構造。
信仰とは推し活で、推す対照は神ではなく、自信の信仰に対する考え方である。推し活者の一部がそうであるように、信仰の持ち主の一部も狭量である。公式に語られていない説を作り出すこともある。解釈にこだわる。自信の信仰の強固な裏付けとして、神と神に関わる権威を引用する。権威の引用には記憶力が有用である。ザ・人文。
クライマックス。アドソの悪夢。本筋で醸し出せなかった猟奇成分を補おうという意図か。くどいほどに長く続く。
探偵には命の危機は訪れない。訪れるのは謎に対する敗北の危機。この物語はそれを慎重にコントロールしている。
彼には企みなどなかった、間違ってそれを発見してしまった。ウィリアムは事件をそのように総括する。では、殺人が発生するたびにホルヘが黙示録の一節を呟いていたことを、読者はどう受け止めればよいのだろう。
未だに分からないことだらけだが、神秘のベールはもはや感じない。分からないことは装飾に過ぎないと理解したから。寂しいことだが、これも再読が持つ価値であろう。