言わずと知れたニッコロ・マキャヴェッリのあまりにも有名な国家政治論。
その序において、フィレンツェの君主家であったロレンツォ・デ・メディチに献呈したというスタイルを取っている。
16世紀イタリアは群雄割拠しており、さらにフランスやスペインといった強国が介入する争乱の場と化していた。一度は理想君主の
...続きを読む一人としたヴァレンチーノ公(チェーザレ・ボルジア)によるイタリア統一を願ったマキャヴェッリであったが、彼は早々に失脚してしまう。こうした中、時の教皇レオ10世はメディチ家出身のジョヴァンニ・デ・メディチであり、メディチ家によるイタリア統一という希望を託すという意味において本書は執筆されたということである。
解説によればマキャヴェッリはフィレンツェ共和国時代の政府書記官であったが、メディチ家の復権とともに投獄され職を失うという経歴を持っている。メディチ家へのこうした接近は彼の処世術の一環でもあったことだろう。
本書を語る上で外せないのが有名なマキャヴェリズムである。最終的な勝利のためには、ありとあらゆる手段を講じ、どんな汚いやり方でもその目的のためなら容認し推奨する究極の権力第一主義!その思想は人間の心理や思考、行動パターンの鋭い洞察や分析に根差したものであり、今日なおも胸に突き刺さってくるものがある。
そして、本書に通底するマキャヴェッリの視角は「力量」と「運命」である。この視点は姉妹編といってもよい『ディスコルシ』でも特に強調されていたもので、「力量」と「運命」を持つ者が君主の座に着きこれを維持できるとし、さらには「運命」の女神を従わせるのは人間の「力量」であるともいい、君主の座に登るものが備えるべき決意と方法を過去の事例を丹念に紐解きながら訴えるのである。
本書の内容からすると『ディスコルシ』と被る部分も多々見られ、同時期に構想した内容をテーマに沿う形で整理・分類して二書に分けたものであったのだろう。
本書の前半は、君主の政体(つまり国)のパターンをひとつひとつ取り上げた上でその長短を述べ、次に君主政体が持つ軍隊のパターンを取り上げてその長短を述べる。
そして後半では、君主が褒められることと貶されることとか、気前が良いこととケチであることとか、あるいは信義を守るべきやいなや、軽蔑と憎悪を免れるには?、名声を得るには?などなど、君主が採るべき姿勢や態度とその効果について述べる。
訳者解説によれば、前半部分は「君主政体論」で後半部分は文字通りの「君主論」に分けることができるという。
確かに前半はそのテーマの趣旨からいって、様々な古今の政体や軍隊のありようの事例を上げながらその末路について解説しているのに対し、後半は君主たるべき者への進言が基本となっているといえ、後半こそ本書を著したかったマキャヴェッリの真骨頂が述べられているといっても良いであろう。
中でも自分なりにずっしりときたのは、君主は冷酷でなければならない!普段はケチでなければならない!普段から考えていなければならないことは戦争のことであり他はどうでもよい!信義は守らなくて良い、必要とあらば悪の中にも入っていけ!しかし、普段は慈悲深く誠実で宗教心が篤いように見せておけ!信義を破る時は一気呵成に!ということである。
前近代の国と権力者の役割は現代の国家に比べかなり限定的なので、究極的にはこのような思想に辿りつくのだろうという考えがある一方で、人間心理や行動に根差した普遍的な思想であるが故に現代でも立派に通用するのではないかとも思える。
ということで、早速、日ごろの生活に取り入れよう!ひひひ。