河島英昭のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
●2025年5月30日、チャットGPTに質問「優秀なトップ層の男性から慕われて頼られる女性になりたい。ホステス的なのでなく、女王様」と話しかけてたら、「あなたにおすすめの書籍(知の主 導権を持つ「女王」タイプ向け)」という項目で、これらの本をおすすめされた。
「マキャベリズム」
権力を持つ者の心理と支配の技術。知的戦略思考 の基礎に。
「影響力の武器/ロバート・チャルディーニ」
支配・操作を受けないための心理戦の仕組みを学
ベます。
「サピエンス全史」
人類史の大局から、思想と構造を見る。言葉に深みが出ます。
「メディチ・インパクト」
異分野をつなげることで唯一無二になるための戦 略的発想法。
→ マキャベリの君主論は、多数の本があるので、とりあえずこの本をチェックした。マンガとか新訳で、もっと分かりやすいものを読んだ方がいいと思う。 -
Posted by ブクログ
5年ほど前に読んだ時と比べてかなり理解して読むことができたと思う。とは言え自分に思考的な進歩があったかと言えばそうではなく「チェーザレ・ボルジア あるいは優雅なる冷酷」を先に読んだのが大きい。あの本は君主論の導入本としてはこれ以上なく最適だと思う。
本編は「運命」と「力量」が君主にとって最も大事な要素である事を説明し、「運命」とはどのような影響を及ぼすか、「力量」とはどのように形成されていくかを歴史の実例(主に古代ギリシャ・ローマや中世イタリア)を元に紐解いていく。君主が助言を聴くのはあくまで君主側のタイミングであり、判断は君主に委ねられると言う部分はその通りだと思った。あととにかく舐められたら負けということか。
理想は理想だが、この本の内容を上手く使いこなせた時管理職として上手くいくのかもしれないーと月並みなことも考えたりもした。 -
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「君主は必要に応じて悪人にもならねばならぬが、その悪を行うときは全て一気に行い、その後は善人に戻るようにすること」という言葉が印象に残りました。また、君主が自らの利益や安全を守るためには必要に応じて人を裏切り、反逆者を排除しなければならないということも、深く考えさせられました。
マキャヴェッリが16世紀初頭に書いた政治論の古典。君主としての成功のために、強さ、知恵、権力の行使を重要視する。その手段は道徳的に正しいとは限らないが、目的に合わせた選択をすることが必要とされる。個人の意見にとらわれず、国家を導くために必要な判断をすることが求められる。そのためには、一定の「虚心坦懐」と「愛されることよりも恐れられること」が必要であると説く。政治家やリーダーにとっての一助になる本だが、倫理的な観点から批判されることもあると思う。
権力者に必要な思想と行動についての指南書であることは間違いないと思うのだが。
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Posted by ブクログ
ネタバレ君主を社長に読みかえて読んでみた。君主論は上に立つ人にとっていい本だと思うけど部下にこれを薦めたいとは思わない。
君主がみずからの地位を保持したければ、善からぬ者にもなり得るわざを身につけ、必要に応じてそれを使ったり使わなかったりすることだ。
→手を汚すことも必要だと解釈した。ただこれはやりたくはない。
気前の良さとけちについて
→権力の座に着くまでは他人の所有物を惜しみなく与える者との評判を取るように行動し、権力の座に着いたら倹約を旨とし自分のものや社内のものを大事にしなければならない。
冷酷と慈悲について
→性悪説に立つべき。慕われるより恐れられよう。人間は恩恵を施している間だけ味方になっているから。全幅の信頼を寄せるな。
どのようにして信義を守るべきか
→慈悲深く、信義を守り、人間的で、誠実で、信心深くといった資質を身につけて離れない。が、必要たあらば狐となって罠を悟り、獅子となって狼を驚かす。
どのようにして軽蔑と憎悪を逃れるべきか
→憎悪は強欲になって社員の給料を減らしたり名誉を傷つけることで生まれる。軽蔑を招くのは優柔不断な態度である。
運命はどれほどの力を持つか。私たちの諸行為の半ばまでを運命の女神が勝手に支配しているのは真実だとしても、残る半ばの支配は、あるいはほぼそれぐらいまでの支配は、彼女が私たちに任せているのも真実である。
→運命に全面的に任せてはいけない。時代に自分の行動を合わせることで幸運な結果を導くことができる。 -
Posted by ブクログ
p84. どうやって人に説明できただろう。ぼくが求めているのは、かつて見たことがあるものを、ふたたび見たいだけだ、などと?
初パヴェーゼ。作者も作品も知らなかったたので、「ぼく」の背景を知らず、この主人公の行動や人々の会話が何を意味するか分からず、最初は読んでいるだけだった。そのうち、イタリアの寒村の風景、「私生児」アングィッラの暮らしと、戦争で変わってしまった人々と村、祭りや労働の記憶などの味わいを感じた。ヌートのクラリネット、篝火、玉蜀黍の皮、孤児院と小作人、荒家と山羊と榛の茂み、葡萄とポレンタ、チントヴァリーノ老婆、マッテーオ旦那と2人の娘、司祭とパルチザン。貧しさの記憶と故郷パドリーノの家での季節の移り変わり。 -
Posted by ブクログ
「国を守るために悪事を行わざるをえないときは、非難されてもひるんではいけない。あらゆることを考え合わせてみると、美徳と見えた物が実際は命取りになったり、悪徳と見えた物が安全と繁栄につながったりするからだ」ーー『君主論』
マキャヴェッリの『君主論』は無数の名言を世に残った一方、その批判も数え切れない。「マキャヴェリアニズム」という言葉すら存在しているように、マキャヴェッリの言論は、統治のために大衆を操作し、道徳的な関心を持たない政治思想の代名詞ともなっている。こうした先入観を持っていた私は、次の言葉を読んだ時に驚いた。「窮屈。死。恐れることはない。私は古人に魅了された」。40歳の頃に、やむを得ず隠遁生活を過ごしていたマキャヴェッリが言う。その言葉は、私が『君主論』、そしてそれを書いたマキャヴェッリが置かれた時代背景をもう一回読み直すきっかけとなった。先人の知的蓄積を人生のエネルギーの源にしていた彼は、決して冷酷非道な人ではないと考えたからである。
メディチ家はどのような時代背景の中で登場したか。マキャヴェッリの時代の「大衆」はどのようなものなのか。彼が話しかけている「君主」とは誰か。『君主論』の背景を調べてみれば、解説の本や文章はたくさんある。マキャヴェッリがそれを書いた動機に対しても様々な分析が行われてきた。それらの説明を省略して、『君主論』と開発について2つの側面から考えていきたい。
1つ目は、開発のメカニズムを誰の立場から解明すべきかである。人類学的な調査で一般大衆の「声なき声」を描き出すのは、一種の研究者の「正義」といえる。しかしそれと同時に、弱者が自分の戦略がばれてしまったことで被害を受ける可能性も高い。それに対して、マキャヴェッリは一見民衆を操作する技法を書いたものの、実は権力側の働きかけや操作の解明ともなっている。結果的に、民衆が権力者の技を看破し、その統治から脱出するに役立つのではないかと考える。知を武器にする研究者の矛先に、実は意図せざる相手が立っている。
第2に、開発援助の「脱道徳化」は可能か、必要かどうかである。世界中の開発援助、なかでも村レベルのボランティア活動などは「善意」のもとで行なわれているように見える。「活動経験の共有」や「教訓」などの言葉は多く聞くが、プロジェクトを成功させるために、どのように「相手を上手く操作するか」に関する議論はあまりない。例えば、ラオス政府を動かすためにどのようにプレッシャーをかけたら効果あるか、のような経験を必要とする援助側が多いかと思うが、どこか耳ざわりが悪いと感じる。道徳感覚は、結果的に開発援助の「失敗」につながると言いたいわけではないが、それを議論できる空間が存在すべきではないかと考える。
振り返ってみて、15世紀頃のフィレンツェに、人類の星の時間がながれていた。後世に政治学の父と呼ばれているマキャヴェッリは、そのながれの中で輝いている知的巨人であることは間違いない。
(東京大学大学院新領域創成科学研究科 博士課程 汪牧耘)