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「この頃の娘は自由に恵まれすぎているために、人にちやほやされる喜びに自分のほんとうの感情がかき消されてしまうことが多いんですのよ。」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
「彼は手あたり次第なんでも読み、家へ帰って、下男にまだ服をぬがせてもらっているうちから、もう本を取って読み――読書から睡眠に移り、睡眠からサロンやクラブでのおしゃべりに、おしゃべりから酒と女に、酒からまたおしゃべりや読書や酒へと移るというふうだった。彼にとって酒を飲むことはますますもって肉体的、と同時に精神的な欲求になってきていた。医者たちに、あなたのような肥満体には酒は危険だと言われていたにもかかわらず、彼はふんだんに飲んでいた。彼は、自分でも気がつかずに、大きな口に何杯か酒を流しこんで、体に快いぬくもりをおぼえ、自分のどんな隣人にもやさしい気持ちを感じ、頭がどんな思想にも上っ面だけの反応を示してその本質に深入りすまいとするような状態のときになってはじめて、完全に気分がよくなるのだった。ぶどう酒をひとびんか、ふたびんあけた頃になってはじめて彼は、最前まで彼をおびやかしていた、入りくんだ、おそろしい、人生の結ぼれも思っていたほどおそろしくないと、漠然とそう意識するのだった。頭のなかががんがんしながらおしゃべりしたり談話を聞いたり昼食や夜食のあとで読書をしたりしているときには、彼の目に絶えずその結ぼれのどっち側かが見えていた。だが、酒の影響下にあるときばかりは、自分にむかってこんなことが言えた。『こんなものはなんでもないんだ。こんなもつれはいま解いてみせるさ――おれにはこのとおり説明の用意ができているんだもの。だけど、いまは暇がないから、こういうことはあとでとっくり考えることにしよう!』だが、この『あとで』はけっして訪れなかった。」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
「「服装もフランスふうなら、思想もフランスふう、感情までフランスふうじゃありませんか! 現に、あなたは、メチヴィエはフランス人でやくざ者だというんで、首っ玉をつかんで追いだしなすったそうですが、わが国の夫人連は這わんばかりにしてやつのあとを追いまわしているようなありさまじゃありませんか。きのうだって、わたしは夜会に出ましたが、五人の奥さんのうち三人はカトリック信者で、法王の許しを得て、日曜に刺繍などしているような状態ですよ。それでいてご本人たちは、こんなことを言っちゃなんですが、銭湯の看板よろしく、裸も同然のかっこうで坐ってござるんですからな。いやまったく、わが国のわかい連中を見てごらんなさい、公爵、いっそのこと博物館からピョートル大帝の昔の槲の棍棒を持ちだしてきて、ロシア式に横っ腹をなぐりつけてやりたいくらいですよ、そうすりゃばかな考えも抜けるでしょうから!」」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
「彼は賭博好きではなかった、すくなくともけっして賭博に勝って儲けたいとも、負けてすりたいと思ったこともなかった。彼は虚栄心の強い男でもなかった。自分が人にどう思われているかなどということは、彼にはまったくどうでもいいのだった。見栄っ張りなところがいけないなどとはなおさら言えなかった。彼は何回か、自分の出世コースを台なしにして父親を怒らせたこともあり、名誉などはすべて一笑に付していた。彼はけちではなかったから、人から無心されれば、だれにもことわったことはなかった。彼の好きなことといえば、ただひとつ、遊びと女だけだった。そして、彼の考えからいくと、こういった趣味にはなにひとつ下劣なところはないのだし、自分の趣味を満足させればほかの人々にとってどういうことになるかというようなことは反省できない男だったので、心中ひそかに自分は非の打ちどころのない人間だと思い、卑劣な男や悪人を心から軽蔑し、良心も安らかに昂然と頭をあげて歩いていたのである。」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
「 りんごは熟すれば落ちる、――それはなぜ落ちるのか? 地球の引力によるのか、茎が枯れるからか、日光で乾燥するためか、風に揺さぶられるからなのか、下に立つ男の子がそれを食べたいと思うからなのだろうか? どれも原因ではない。それはすべて、あらゆる生命ある、有機的な、自然発生的事件が起きるときの諸条件の一致契合にすぎないのである。だから、りんごが落ちるのは細胞が分解するとか、そういったたぐいのことが起きるせいであると見る植物学者の考えが正しくもあればまちがってもいるその程度は、樹下に立つ子供が、りんごが落ちたのは自分がそれを食べたいと思って、落ちるようにと神に祈ったからだというのとおなじ程度なのである。ナポレオンがモスクワ遠征に出かけたのは彼がそうしたいと思ったからであり、彼が敗北したのはアレクサンドルが彼の敗北を望んだからだという人は、何万トンも掘って崩れかけていた山が崩れおちたのは、最後の人夫がその山裾で最後のつるはしの一撃を加えたからだという人とおなじように当たってもいるし、当たってもいないのだ。歴史的事件においてはいわゆる偉人なるものは、事件に名称を与えるレッテルみたいなもので、レッテルとおなじように事件そのものとはいちばん関係が薄いのである。」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
「もしも双方の司令官が理屈に合った原因どおりに行動していたとすれば、思うに、二千キロも深入りして、軍隊の四分の一も失う確率の多い戦いをおこなえば、確実な破滅への道を歩むことになることは、ナポレオンにとってこれほど明らかなことはなかったはずだし、クトゥーゾフにしても、戦いに応じて、同様に軍隊の四分の一を失う危険を冒せば、かならずモスクワを失うことになることはおなじくらい明らかだと思ったはずである。クトゥーゾフにとってそれは数学のように明白であって、それはちょうどもしも将棋のときにこちらの手駒がひとつ足りないのに駒の交換をすれば、かならずこちらの負けになるから、駒の交換をしてはならないのとおなじである。 敵が駒を十六持っていて、こちらが十四持っているときはこちらは敵よりも八分の一弱いだけだが、こちらが駒を十三交換すれば、敵はこちらより二倍強いことになる。」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
「「ですけど」と彼は言った。「人は、戦争って将棋に似ているって言うじゃありませんか」「うん」とアンドレイ公爵は言った。「ただちょっとちがうところがあるがね、将棋だとひとつ駒を動かすごとにいくらでも好きなだけ考えていられ、時間的制約を受けずにいられる、それからもうひとつちがうのは、桂馬はいつでも歩よりも強いし、二枚の歩はいつでも一枚の歩より強いが、戦争では一個大隊がどうかすると一個師団よりも強いこともあれば、ときには一個中隊よりも弱いこともあることだ。軍隊の相対的戦力なんてだれにもわかりっこないんだよ。ほんとうの話」と彼は言った。」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
「「戦いは、勝とうとかたく決意した者が勝利をおさめるのだ。なぜわれわれはアウステルリッツで戦いに敗れたか? わがほうの損害はフランス軍とほとんどおなじくらいだったのに、われわれはあまりにも早く自分に、戦いはわがほうの敗けだと言い聞かせてしまったから、負けてしまったのだ。どうしてそんなことを言い聞かせたかと言えば、それは、われわれにはあそこで戦う理由がなかったからなのだ。一刻も早く戦場から逃げだしたかったからなんだよ。」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著
「君に言わせると、わが軍の陣地は、左翼が弱くて、右翼が延びきっているということだが」と彼は話しつづけた。「そんなことは下らんことだよ、そんなことはちっともないんだ。じゃ、あすわれわれを待ち受けているのはなんだと思う? 何億というじつに多種多様な偶然の寄り集まりさ。そしてそれらの偶然は、逃げだしたのが、またこれから逃げだすのが敵かわが軍か、どっちが殺されるのか等によって一瞬のうちにきまってしまうのだ。だから、いまおこなわれていることなんか、みんな遊びさ。要するに、君がいっしょに陣地をまわって歩いた連中は、全体の戦局に資するところがないどころか、その邪魔をしているわけだよ。あの連中は自分たちのちっぽけな利害だけにとらわれているんだからな」」
—『戦争と平和(2)』トルストイ著