小泉八雲といえば、怪談話の蒐集だけが有名ではあるが、実はそれが総てではない。此処に紹介されている話の多くは「怪談」ともいえない「ちょっと不思議な話」が多くある。
江戸時代。蔦屋重三郎の耕書堂の店先に展示されている本の数を、絵やドラマなどで確かめると、せいぜい20種類にも満たない。毎月様変わりして行ったとしても、せいぜい100作ぐらいが毎年の刊行著作だったろう。
そのうち、黄表紙滑稽本以外の著作はどれくらいあったのだろうか。
人は常に物語を欲している動物である。
ちょっと怖いけど、なんかスッキリしない、なんか悲しい、なんか心があったまる、なんか腹立たしい、そんな話を聞いて、人はなんか心を整えていったのだろう。人伝に聴いてきた「物語」が、耕書堂の店先の「外」に、無数にあった、はずである。
小泉八雲は、それを蒐集した。
本書は『影』『日本雑記』『骨董』『怪談』『天の川物語その他』『知られぬ日本の面影』『東の国より』『心』「仏陀の国の落穂』『霊の日本にて』から小説とエッセイにわけて刊行順に従って幾つかを載せている。『知られぬー』からがエッセイである。エッセイと言いながら、不思議話に絞って編集されているようだ。全48篇。全て外国で刊行された。
ひとつひとつがとても興味深く、
ひとつひとつにコメントしていると、
恐ろしく長文になる。
でも、幾つかはコメントしたくて堪らない。
以下は私のメモのようなものである(長文ごめんなさい)。
「鮫人の恩返し」(『影』)
琵琶湖の辺り。男が、竜宮でヘマをして追われた鮫人を保護した。男は女人に懸想し、大金が必要になった。その事を話すと、鮫人はサメザメと泣き涙が宝石となった。男は喜び、もっと泣けという。鮫人は怒らず、浜辺に連れていってもらい故郷を懐かしみ泣くと、竜宮から迎えがきた。鮫人は喜び帰り、男も妻を娶った。
⸺丹後に近い近江国の話ではあるが、あの有名な浦島噺とも違う。浦島別バージョン?道徳的な教訓はあまりない。物事には原因があり、結果があるということは納得する。
「守られた約束」(『日本雑記』)
⸺死んで約束を守るという話のひとつ。出雲国の話で、歴史上人物がウヨウヨ出てくる。悪名高い経久が、実は「その人は無法で残忍な男であったが、他人の誠実を愛する心には敬意を忘れなかった」と文中で評価されている。その記述だけで、いろいろ考えさせる。こんなん、長編でないと、やっちゃいけない物語でしょ。
「破られた約束」(『日本雑記』)
⸺これはかなり怖い怪談話。しかも何故か寝取られた女は、男ではなく罪のない女の方へ向かうという法則にさえ則っている。最後の一言が効いている。
「梅津忠兵衛の話」(『日本雑記』)
⸺不思議な話。最後の1行。「この物語の書かれた当時、(その男の子孫は)まだ出羽国に生きていた」。遠野物語に似た、人伝噺がなんと多かったことか。
「幽霊滝の伝説」(『骨董』)
⸺なんと言っても最後の1行の衝撃!!教訓噺といえばそうなのだけど、その報いならば余りにも酷い。聴いた人たちは、そのように囁きあったことだろう。けれども、世の中には、こういう話がままあるのだ。
「茶碗の中」(『骨董』)
⸺八雲は古い読み本の中に、小径の先の絶壁のように途中切れの作品を発見する。それを紹介した。そのこと自体が、いろんな想像を膨らませてくれた。
「常識」(『骨董』)
⸺珍しく「謎解きミステリ」である。
「生霊」(『骨董』)
⸺生き霊の存在を、江戸時代(つい最近!)の商家の手代も主人も生き霊当人さえも、当然のように信じている。千年近く信じられていたのならば、どうして現代は信じられていないのだろう。それとも、形を変えて、現代も信じられているのだろうか。
「死霊」(『骨董』)
越前代官が死んだ後、部下が共謀し代官が不正をして藩の財を獲ったと虚偽の報告をした。突然女中に代官の霊が乗り移り、全てが明らかになる。
⸺全くもって怖くない話である。スカッとする話である。「(女中は終わると)2日2晩、死んだように彼女は眠った(取り憑いていたものが離れると、取り憑かれた者にひどい疲労と深い眠りが襲ってくるのである)」と、八雲は解説している。とっても親切。
「雉子のはなし」(『骨董』)
⸺全くもって理解不能な話。夫婦のうち、男も突然サイコパスになるし、女の行動はヒステリックだし、地頭の判断は頭の良い判断とは思えない。また、これが「物語」として成立しているのが理解できない。
「土地の風習」(『骨董』)
⸺これは、「怪しいことは疑ってかかる」知り合いの禅僧から聞いたとして、書かれている。実際に八雲が聞いたのかどうかはわからない。旺盛に八雲は聞き込みしていたし、極めて短文だし、聞いたのは事実なような気がする。だとすると、ゾゾゾゾとするのである。
「草ひばり」(『骨董』)
草ひばりという、鈴虫に似た虫が死んだ。女中がサボって餌を与えなかったからである。大きさは、蚊ほど。値段は12セント(現代貨幣価値千円)。
⸺これ、創作なのか?事実のようにも思えるが、蚊のような鈴虫がいるとは思えない(調べたら本当にいた!)。まるで、古代からの記憶をなぞるような恋歌を毎夜奏でるらしい。最期は自分の脚を齧ってまで歌を歌っていたらしい。小説集と思っていたのだが、最後にこの話で締めるのが凄い。
「耳なし芳一のはなし」(『怪談』)
⸺この話は有名だし、『怪談』も有名なので、あまりコメントしたくないのではあるが、実はこの秋から冬にかけて、眠る前の愉しみにて「芳一」を3回もaudibleで聴いてしまった。
今回「原作?」を初めて全部聴いて、少しも怖くないことに気がついた。何故なんだろう。とつらつら考えるに、芳一が最初から最後まで、ひとつも怖がっていないし、ひとつも不幸になっていないからだろう。「平家物語」の唄と楽曲を、最も聴いて欲しい人々に演奏できて、涙と喝采を貰っていたのだし、耳をちぎられても、彼は結局一言も痛いとは言っていない。しかも耳が聞こえなくなったわけではなかった。しかも、彼の名声は、このことより更に高まった、そして金持ちになったと末尾に書かれることになった。琵琶法師として、此処までの名誉なことがあろうか。
実は、最も哀れなのは、最後まで聴くことができなかった、平家のお歴々(幽霊)だったのだろうと思うのである。
ただ、危険が迫っているのに、無責任にも寺をあけ、尚且つ最後耳に念仏を弟子が書き忘れているところを点検さえできなかった御住職の最終盤の「かわいそうに、芳一」「かわいそうに、かわいそうに、芳一!」という畳み掛ける言葉のみの謝罪が、結局は芳一を有名金持ちにしたのだから、世の中皮肉なものである。
「お貞のはなし」(『怪談』)
⸺このはなしが『怪談』に入っていたのか!6割方は、佐藤正午「月の満ち欠け」。いや、佐藤正午が八雲の話を参考にしたのか?恋する女の生まれ変わりの話である。佐藤正午の場合、たくさんの「仕掛け」を入れ込んだけど、八雲の話は至極単純。でも最後は大きく違った。めでたく結婚できたら、女は全てを忘れてしまったのである。
「むじな」(『怪談』)
⸺『怪談』は有名話ばかしと思っていたら、この題名は知らなかった。読んでゆくと「のっぺらぼう」だった。なあんだ、よく知ってる。ところが、これが東京赤坂通りの紀ノ国坂の話であることを「原作」読んで初めて知った。ラストは勿論蕎麦屋の主人のアレであるが、最後の一文は知らなかった。原作は読んでみるもんだ。
「力ばか」(『怪談』)
⸺『怪談』は短文の話こそ、良いものがあるような気がする。この「りき」という、頭の巡りが悪い男は八雲の近所にいたらしい。蚊帳を焼いて自宅を一軒燃やした時も近所の人達は力に親切だったらしい。暫く見ないでいると、力は死んだらしい。その後のことは何処から創作なのか。兎も角、悲しい終わり方である。
「鏡の乙女」(『天の川物語その他』)
⸺ここに出てくる鏡が興味深い。基本、井戸から鏡が出てくるのは珍しくはない。その謂れを明らかにするのは難しい。
よって、物語にして無理質理説明したのだろうが、一応筋が通っているのが興味深い。
即ち、奈良時代、百済制作の鏡であり、斉明天皇から代々受け継がれ、平安時代保元の乱で井戸に落とされたという。多分本当は、平安時代の渇水を鎮めるための祀りのために献納された可能性の方が高いだろうが、室町時代のこの頃ではそういう謂れはなくなっていたのだろう。ただ、鏡自体は、この頃でも未だ霊験新かな力を持っており、洪水を予見したりするのもそのひとつ。
そういう謂れの文書が300年経って、八雲のもとに届いたのだと思うと感慨深いものがある。
「弘法大師の書」(『知られぬ日本の面影』)
⸺所謂、弘法大師伝説の聞書である。というわけで、この『面影』からはエッセイではあるが、編者の意図は未だ『怪談』の続きを紹介しているのかもしれない。面白いのは、この話をしてくれたのが真鍋晃(「ばけばけ」では吉沢亮が演じている)であること。彼を「友人」と言っている。因みに、『面影』は、ハーンが八雲になる前に書かれた初めての日本についての著作である。因みに、『面影』は一冊の本として別に買っているので、これ以上はコメントしない。
「駐車場にて」(『心』)
巡査を殺して脱走した犯人が捕まり、熊本駅に護送されるを聞いた八雲はそれを見物する群衆の1人となった。八雲は衆人暴動や犯人が暴れることさえ予想していたが、意外なことが起きる。捕まえた巡査が、殺された巡査の幼な子に犯人の顔を見せたのである。幼な子は泣きじゃくる。そして犯人は泣いて子供に謝った。そして、衆人も巡査も泣いた。ここに、八雲は「日本の魂」を見たのである。
⸺「すべてを理解し、すべてのことに感動し、悔恨と恥じらいに満足し、人生の困難と人間性の弱さとをすなおに深く経験しているがゆえに、怒りではなく、ただ罪に対する大きな悲しみを抱いている大衆がいたのである」
八雲は、幼児だからあり得たことだと分析する。そして、そういう日本人は外国人と違うと言ってくれた。そして、そういう日本人を愛してくれた。
「哀れ」というキーワードや、日本人の判官贔屓という性格を知ってか知らずか、私は八雲の分析はとっても鋭いと思う。現代ではこういうことは起こり得ないけど、怒りで炎上している大衆が、一転もし変化するとしたら、やはりこういう事に似た場面に遭遇する時ではないだろうか?もしかしたら、最近では、その典型例が兵庫県知事選挙だったのかもしれない。しかし、それは不幸な典型例だった。
そして体験に基づいたエッセイであっても、極めてドラマチックに筆を進める八雲の文は凄いと思うのである。
「人形の墓」(『仏陀の国の落穂』)
⸺八雲の家に住み込んでいた子守の身上話らしい。4人の兄弟を残して、両親が一年のうちに亡くなる。その時はもうひとつ「人形の墓」を建てなければもう1人亡くなると信じられているという。しかし結局、金が無くて建てなかった。実際に、そうやって大黒柱の兄を亡くし、そして家は絶えたらしい。その後、八雲がその娘(11歳)にしたことは、なんと優しいことか。是非、これは朝ドラでもやってほしい。
⸺⸺八雲は松江に1年と8ヶ月だけ居た。寒気のため生来の弱視がますます悪化することを恐れたらしい。勧められて熊本に移転。しかし、これは失敗だった。案外寒く、気風が荒く、外国人慣れしていて敬意が払われなかったからか?と解説者は考える。もう一つは、ちょうど松江に着いた頃(明治23)、教育勅語発布年、22年は明治憲法発布年だった。自由民権は後景にいき、排他的な国権主義へ移行しつつあったと解説者は言う。そして、神戸へ、そして東京へ。そして旺盛な著作を毎年ものにするのである。
熊本にあった漱石邸はお屋敷であるが、八雲邸は日本に一般的にある小さなあずま屋だったと、2年前熊本に行ったとき私は見た。
八雲はさまざまな日本に移り住み、多くの場所へ(倉敷にも来ている!)旅をした。そして、日本のことを常に褒めた。今や、彼の見た日本は滅んだ、彼の言は誉めすぎだ、という人が多くいるらしい。
しかし、私はざっと読んだだけだが、彼の描き出した日本は未だ残っているし、誉めすぎとも思えなかったのである。