ノーベル文学賞を受賞したカズオイシグロ氏のデビュー作とのことです。
今イギリスで生活している女性の人生について、戦後の長崎で生活していた時の記憶を交えて描かれています。
「遠い山なみの光」というタイトルは、主人公の女性の記憶にある戦後まもない長崎の風景と当時の将来への希望を表したものであると思います。
ストーリーですが、主人公の悦子はかつて戦後まもなくの長崎に夫と二人で生活していて、初めての子供を妊娠して幸せに暮らしていました。女の子を出産後、理由は描かれていませんが当時の夫とは別れ、二人目のイギリス人の夫と共に娘(景子)を連れてイギリスに渡り、現在はイギリスの田舎で生活しています。
イギリス人の夫との間にも女の子(ニキ)が生まれますが、長崎で前の夫との間に生まれイギリスに連れてきた長女(景子)は、イギリスでの生活に馴染めず引き篭もりとなり、やがて家を出たいと言い出して、独り暮らしをする中で自殺してしまいます。
イギリス人の夫との間に生まれた次女(ニキ)も今は家を出て独り暮らしをしており、母親を心配して一時的に家に戻りますが、その娘と生活する中で、かつて自分が長崎で生活していた時のことを思い起こします。
長崎で、悦子は幼い娘を抱えるシングルマザーの佐知子という女性と知り合います。佐知子は戦後の混乱期を幼い娘を抱えて乗り越えようとしていました。一方、当時の悦子は良い夫にも恵まれ、お腹には子供も授かり、幸せな生活をしていると満足していたはずですが、そんな自分が、やがて夫と別れ、幼い娘を連れてイギリスに渡ってきた今になって、かつて長崎で出会った佐知子のことを思い出し、今の自分と重ね合わせます。当時の佐知子は、確証もないまま愛人のアメリカ人を頼って長崎を抜け出しアメリカに渡ろうとしていたのですが、悦子はそんな佐知子を見て、環境を変えることは幼い娘が可哀想と思い、口には出さないまでも佐知子を批判的に見ていました。
しかし、悦子もやがて夫と別れ幼い娘を連れてイギリスに渡り、その娘も失ってしまったわけで、未来に夢を見つつも現実に翻弄されていた当時の佐知子を思い出しながら、今の自分を重ねていたのだと思います。当時は佐知子に批判的だった悦子ですが、今は肯定的に思わざる得ない自分をこの時は認識していたと思います。
物語の中では、結婚して義父に甲斐甲斐しく尽くす旧態然とした悦子の姿や、戦後の価値観の変化についていけず民主主義や男女平等に不満を漏らす義父・緒方の姿が描かれ、一方でこれと対比的な思想の佐知子や悦子の夫・二郎が描かれていて、これも戦後の日本における思想の移行が、この小説のもうひとつのテーマになっていると思います。
長崎で幸せな生活を送っていたはずの夫と別れ、自らの意思で娘を連れてイギリス人の新しい夫とともにイギリスに渡り、その結果娘の景子を犠牲にしてしまったという自責の念が、悦子の意識の中には常に存在していたと思うのですが、後悔しても戻すことはできない、先に進むことはできないと、まるで何事もなかったかのように、これからの人生を生きていこうとする女性・悦子の姿がこの小説には描かれています。
イギリス人の夫との間に生まれた次女ニキは、現在の自立した考え方をする女性の象徴的な存在として描かれているのですが、彼女から悦子が長崎で生活していた当時の思い出の資料が欲しいと頼まれ、悦子は長崎の港の風景のカレンダーを渡します。そこに遊びに行った時の思い出を話し、その時は本当はまだ妊娠中であったにもかかわらず、「あの時は景子も幸せだったのよ。みんなでケーブルカーに乗ったの。」と、ニキに嘘をつきます。これも過去を忘れて(偽ってでも)生きていくしかないという、自立して生きていこうとする悦子の思いを示しているように思いました。
ただ、小説の中で語られていない真実を、小説の中で語られている事実の断片から、読者が想像して判断するしかない部分が多々見られるように思います。例えば、なぜ悦子は長崎を離れイギリスで生活するようになったのか、長崎で生活していた当時の夫である二郎となぜ別れたのか、景子はなぜ独り暮らしを始めたのか、景子とニキとの関係はどうだったのか、景子はなぜ自殺したのか、などです。
最後に思うのは、悦子が長崎で知り合ったという佐知子は架空の人物で、実は悦子そのもの(本人)のことだったのかもしれないなということです。