## 感想
『自分の感受性くらい』の厳しくも優しい言葉が好きだ。
「人のせいにするな。」
そんなメッセージを感じる。
この詩を読んで、最近読んだ三宅香帆さんの『好きを言語化する技術』に書かれていたことを思い出した。
「自分が見て良い!と思ったものは、他人の感想を知る前に書き出そう」というもの。
人は他人に影響を受けやすい。
自分が映画を観て素晴らしいと思い、Xで調べてみたら、どうも否定的なレビューが目につく。
「自分のセンスが悪いのかな…」と不安になる。
それに近しいことが、色々なジャンルである。
私は幸いあまり他人を気にしない性格だから、それほどダメージは受けないが、人によっては辛いものと思う。
好きなものを好きでい続け、好きだと言えることは、案外難しいのかもしれない。
また、私は『ダンダダン』という漫画が好きなのだが、その中に坂田金太という、SFロボットが大好きなキャラクターが出てくる。
金太は「高校生にもなってロボット好きとかダセー」と同級生からからかわれるが、「好きで何が悪い!」と内心思い続け、その想いが活躍する瞬間が来る。
何かを好きだというエネルギーはとても大きい。
茨木のり子さんの言う「自分の感受性を守れ」というのは、「自分を保て」と言える。
自分をしっかり保って、流れの激しい世間に飲み込まれないように、自分の足で立つ。
そうあれるように、これからも自分の幹を太くしていきたいものと思う。
## メモ
### 自分の感受性くらい
ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて
気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか
苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし
初心消えかかるのを
暮しのせいにはするな
そもそもがひよわな志にすぎなかった
駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
### 夏の声
いくじなしのむうちゃん!
という声
しぱしぱと目覚れば
時計は午前の一時である
赤ん坊の泣き声は
ひよひよ ひいひい
はかなくせつない
家の前の坂道を
行ったり来たりして
いくじなしのむうちゃん!
いくじなしのむうちゃん!
いくじなしのむうちゃん!
子守唄のように続くそれは
澄んでいて綺麗
若い母の困惑といとおしさとが
入り混っていて
へんに艶かしくもある
〈いくじなし〉と〈むうちゃん〉は
ぴったり結合
ぬきさしならず
それゆえポエチカルでもあるのだが
やがて彼
母の薫陶よろしきを得て
意気地の男になるんだろうか
熱帯夜のつづく日本の夏はおとなだって音をあげる
着て寝たものもいつのまにやらどこへやらと消えうせて
団扇一本 はたり はたり
むうちゃんや!
いくじなしはいくじなしのままでいいの
泣きたきゃ泣けよ
意気地なしの勁さを貫くことのほうが
この国でははるかに難しいんだから