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<徳川家康と戦国時代>師は信長・秀吉・信玄? 乱世を征した家康の底力
少年期の人質生活に始まる苦渋の人生を歩んだ徳川家康。信長に妻子殺害を命じられ、秀吉によって関東へ国替えとなり、信玄には完膚なきまでに敗戦した。しかし、その経験が関ヶ原合戦、大坂の陣での勝利に結びついてく! 大器晩成、家康の強さの秘密に迫る! -
<徳川家康と戦国時代>政権確立の決定打! 将軍職譲位
関ヶ原合戦に勝利した家康の次の課題は、秀吉恩顧の外様大名たちの統制であった。依然として強い太閤信仰に、慎重な懐柔策を余儀なくされる家康。しかし、秀忠への将軍職譲位により天下の趨勢は一気に徳川へと傾いていく! 徳川政権成立の過程を検証! -
<徳川家康と関ヶ原合戦>燻し銀の老獪さ! 家康の謀略戦
関ヶ原合戦の勝敗を分けたのは、決戦の裏で繰り広げられた激しい謀略戦であった! 開戦直前の段階では、ほぼ互角の布陣だった両軍だが、家康の裏切り工作が西軍を混乱の極致に追い込んでいく。苦渋の人生を通して身に付けた家康の老獪さを分析する! -
<石田三成と戦国時代>激震!関ヶ原合戦 五大老編
豊臣秀吉、前田利家の死後、徳川家康の専横が顕著になるにつれ、五大老は分裂状態に陥った。家康との対決を決意した石田三成は、分裂状態を逆手に取り毛利・宇喜多らを反家康勢力に取り込んでいくが…。関ヶ原合戦に臨む五大老たちの思惑と野望とは? -
<石田三成と戦国時代>激震!関ヶ原合戦 五奉行編
行政手腕に優れ、豊臣政権の中枢を担った五奉行。その中でも秀吉が最も寵愛したのが石田三成である。秀吉の死後も豊臣家に忠誠を誓う三成であったが、他の四人の心は揺れ動いていた…。やがて迎えた関ヶ原合戦、五奉行たちが下した決断とは? -
<豊臣秀吉と戦国時代>覇王の跡目は誰だ? 白熱!清洲会議
信長の後継者を決めるために開かれた清洲会議。天下の趨勢を左右する重要な会議を征したのは、秀吉の実績と筋目を通した意見だった? 秀吉の飛躍のきっかけと、賤ヶ岳合戦へと発展する勝家との因縁を生んだ清洲会議を考察する! -
<豊臣秀吉と戦国時代>ヒューマニスト秀吉の本懐
秀吉の天下統一のひみつはヒューマニズムにあった? 生涯を通じてユーモラスなエピソードにことかかない秀吉は、その明るい性格と下々の者への気配りを忘れない義理堅さによって、臣下の心を掌握していた。“人たらし”秀吉の魅力を徹底解説! -
<豊臣秀吉と戦国時代>秀吉の天下統一マスタープラン
織田信長の遺志を継ぎ、天下統一を果たした豊臣秀吉。秀吉の統治政策は、織田政権よりもさらに中央集権化を進め、独立国家としての日本の地位確立を目指したものであった。江戸幕府にも影響を与えた、国家統治者・秀吉の功績を検証する! -
<武田信玄と戦国時代>変幻自在の軍略 武田信玄の上洛作戦
武田信玄晩年の西方攻略戦を解説! 信玄は外交、調略を駆使し万全の態勢を整え侵攻を開始する。それは、上洛さえも視野に入れた信玄渾身の作戦だった。稀代の策略家としての信玄の足跡を辿りながら、その天下取りの構想を分析する! -
<織田信長と戦国時代>覇業優先主義 信長の宗教政策
比叡山焼き討ちや本願寺との抗争によって、無神論者というイメージが強い織田信長。だが、一方で神社への寄進やキリスト教の容認といった保護政策も行っている。そこには、覇業達成を第一に考える合理的な信長の判断があった! 宗教政策の裏と表を解説! -
<北条早雲と戦国時代>動乱の関東に早雲台頭す!
一四九一年、北条早雲伊豆に侵攻す! 戦国時代のはじまりを告げる事件の背景には、室町幕府による統治の失敗と、その後に訪れた擾乱に揺れる関東の情勢があった。複雑に入り組んだ関係を丁寧に解きほぐし、群雄割拠の戦国関東地方への理解を深める一冊! -
<徳川家康と戦国時代>大器晩成! 徳川家康の天下取り
秀吉の死は、家康に雌伏の時の終わりを告げた。最後の大器がついに天下取りに立ち上がる! 苦渋の人生で培った、戦術・戦略を駆使して関ヶ原合戦に勝利した家康は、徳川政権の確立に奔走する。江戸入城から大坂の陣まで、家康の天下取りを詳細に検証! -
戦国武将に学ぶ情報戦略
戦国の世を生きぬくには、敵よりも早くたしかな情報を集めなければならない。織田信長は戦いの勝敗の7割は情報で決まると考えていた。例えば桶狭間の戦いは、これまで雷雨の天候を利用した奇襲作戦にすぎないといわれてきた。だが信長は、事前に今川方の情報を徹底的に収集し、偽の情報を流し込んでいた。周到な情報・謀略戦が勝利へと導いたのである。信長の情報第一主義は、「備中返し」の秀吉、関ヶ原の家康へと継承されてゆく。この三人が戦国三英傑といわれるのは、情報戦略において他者の追随を許さない才能を発揮したためでもあるといえるであろう。 -
泥の蝶 インパール戦線死の断章
太平洋戦争末期の昭和十九年三月、インドを英国領から解放し、新政権樹立を目論む日本は運命の一戦に打って出る――インパール作戦。後に「無謀な作戦」の代名詞となった戦いは、補給路を軽視したため夥しい餓死者を生む修羅場と化した。渦中にあった若き兵士たちが胸に秘めた、愛する家族、母国への想いとは何だったのか? 心揺さぶる魂の戦記。 -
危地に生きる姿勢
自由に、悔いなく生きた男たちの人生は、どのようなものであったのだろうか? 逆運に立ち向う男の生き方を考える――宮本武蔵、塚原卜伝、伊藤一刀斎などの、激烈な闘争の半生と不動の境地を考える時、16歳の昭和20年1月、動員先の川崎航空機工場で受けた、戦慄の空襲体験を思い出す時、故郷・片男波の海が育んだ、命を賭けて逆運に立ち向かう男たちを知る時……、著者の胸に去来するものを、熱く静かに語る、滋味あふれるエッセイ集。悔いなく生きる、自信と備えを考える名著。サラリ-マンをやめ、無一文で帰郷してからの激しい星霜と、敵を回避することを潔しとしない性分、男として守らなければならないものを、静かに語る!