松方冬子のレビュー一覧
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幕末の巻であることは表紙を見ただけでもわかりそう。
ですが、幕末の巻でよくありがちな「黒船来航」から始まるのではありません。
幕末を知るにはそれのもう少し前から学ぶほうがより、時代がわかるのではないかと思いますが、この巻を読んで確信しました。
1章:押し寄せる外国船・・・日本各地に貿易を求める外国船がやってきたことやシーボルト事件、蛮社の獄について。
2章:黒船と開国・・・黒船から日米修好通商条約。
3章:激化する尊王攘夷運動・・・攘夷運動の高まり。安政の大獄。桜田門外の変。公武合体策による和宮降嫁。
4章:尊王攘夷から倒幕へ・・・龍馬登場。八月十八日の政変~(略)~薩長同盟。龍馬暗殺。
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世界史上類例がないとも述べられる、200年の長きにわたって継続的にリポートされつづけた国際情勢。それが風説書だった。この新書が論文を下敷きにしているだけあって、そこまでの知識を新書レベルで誰が欲するんだというくらい掘り下げている。
いろいろ改めて気づかされる。
なぜオランダが唯一の西欧の貿易相手国だったかということや、なぜオランダは日本と貿易をし続けたのかということなど。
また、風説書は幕閣や諸藩にとって西洋近代の脅威を感じとる窓口であったと述べられる。とりわけ薪水給与令への転換を見れば清朝の連敗は衝撃であったことが容易に想像つく。
通詞や商館による自身が有利になるための情報操作があったも -
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ネタバレ[ 内容 ]
日本人の海外渡航を禁じた江戸幕府にとって、オランダ風説書は最新の世界情勢を知るほぼ唯一の情報源だった。
幕府はキリスト教禁令徹底のため、後には迫り来る「西洋近代」に立ち向かうために情報を求め、オランダ人は貿易上の競争相手を蹴落すためにそれに応えた。
激動の世界の中で、双方の思惑が交錯し、商館長と通詞が苦闘する。
長崎出島を舞台に、「鎖国」の200年間、毎年続けられた世界情報の提供の実態に迫る。
[ 目次 ]
第1章 「通常の」風説書
第2章 貿易許可条件としての風説書
第3章 風説書の慣例化
第4章 脅威はカトリックから「西洋近代」へ
第5章 別段風説書
第6章 風説書の終焉
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徳川吉宗⇛田沼意次⇛松平定信⇛徳川家斉⇛水野忠邦という改革の流れが非常に面白い。
幕府の財政は石高に依存していたので、米の生産量が増えると米の価格が落ち込んでしまい、幕府財政は悪化してしまう。これは経済学で言うところ、需要と供給で説明できるが、当日は経済学的な考えもなく、米価格は増産に伴い下落する一方で、それ以外の産品は供給量に限りがあり、価格高騰していた。
徳川吉宗は米の生産量拡大に注力したが、田沼意次は商人の経済活動を活発化させることで幕府の税収を増やそうとした。商人との結び付きを強めた田沼意次は、既存勢力からの反発を招き、長男が暗殺されてしまう。
田沼意次の政策から一転して、松平定信は商 -
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徳川幕府の始まりで豊臣家を根絶やしにするために大阪夏の陣、冬の陣が開戦するが、家康は孫娘を豊臣家に嫁がせていた。それでも、豊臣家の将来の復讐を防ぐために戦争をするのは、いかにも戦国時代の発想だと思った。
印象的だったのは、島原の乱で幕府からの命をうけてキリスト教であるオランダが鎮圧に参加したこと。オランダは日本との貿易からの利益を得るために、島原の乱で幕府の味方をし、同じキリスト教信者を殺害するのは、オランダが余りにも実利的な思考で驚いた。
また、対馬の藩主が挑戦との交易をするよう幕府から命じられたときに、幕府の勅許を偽造し、朝鮮へ交渉しているのも面白い。結果的に、朝鮮との貿易再開を対馬藩主が -
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面白かった!
幕末の日本で起きていた様々な事件、争い、暗殺、交渉。ぼんやりしていた相関関係が、ややクリアに。
当時の人々が置かれた立場と知識と先行きを見通して、それぞれが最善を選択していた。
倒幕か、攘夷か、開国か、交渉か、拒否か。
この時代に生きる面白さと困難さは想像もできない。当時の、未来の日本を案じ、未来の日本人のために尽力してくれた方々には感謝しかない。
この頃の人でもし会えるなら、会ってみたいのは、吉田松陰、勝海舟、高野長英の御三方。
困難な現在をいかに生きるか、歴史はそのヒントをくれますね。新型コロナの混乱を、偉人たちならどう見てどう考え対処するだろうか。 -
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江戸時代における海外情報の流通を追った労作である。
通時的な分析によって、徳川幕府の関心の移り変わりが透けて見えるのが面白い。
こうした研究が成り立つのも日蘭が長いこと深い関係を結んでいたからこそだが、オランダの国際的地位が揺れ動く中で関係を維持するために、商館や通詞たちは暗闘を繰り返してきたわけである。したがってこれは、阿蘭陀通詞という裏方の歴史でもある。
「おわりに」でさらっと触れられているが、通詞たちは幕府だけでなく九州諸藩にも情報を横流ししていたらしい。彼らにとってはバイト感覚かもわからんが、通詞たちの情報が多少なりとも九州諸藩の国際感覚醸成に役立って幕末期につながった、と妄想すると面 -
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近代以前、海外の情勢を知る手段は限られていました。まして、貿易を経済の礎にしていた国でもなければ、土地から離れた遠い世界の出来事に関心を持つことも少なかったはずです。実際、鎖国的な体制をとった東アジア圏の国々で、オランダ風説書のような仕組みができたのは日本くらいらしいです。そこがおもしろいところでもあるのですが!
本書は、歴史上の細かい出来事ももらさず書いていながら、全体を通してのメッセージもしっかりしています。知識不足で、文章の雰囲気くらいしかわかりませんでしたが、オランダ風説書の魅力が感じられるよい本だと思いました。高校で世界史をやった人も、日本史をやった人にもオススメです。こういう複眼 -
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「ここでいう『日本文字で美しく書かれ、商館長による署名がなされ』た文書が、オランダ風説書である。風説書は、オランダ人が眼にした数少ない正式な日本文書であった。江戸では老中、ことによると将軍さえ見るかもしれない。そのためとくに緊張感をもって、ていねいに仕立てられた。」(はしがきより)
江戸時代に200年にわたって長崎から江戸に届けられた世界の出来事に関する情報「オランダ風説書」について書かれた本。非常におもしろかった。幕府が世界の情報を熱心に収集しようとしていたという事実と、その意義、あるいはその限界について書かれた本。いろいろ考えさせられた。 -
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ネタバレ日本人の海外渡航を禁じた江戸幕府にとって、オランダ風説書は最新の世界情勢を知るほぼ唯一の情報源だった。長崎出島を舞台に鎖国のニ百年間、毎年続けられた世界情報の提供の実態に迫る。
第一章 「通常の」風説書
第ニ章 貿易許可条件としての風説書
第三章 風説書の慣例化
第四章 脅威はカトリックから「西洋近代」へ
第五章 別段風説書
第六章 風説書の終焉
おわりに
著者によると研究すればするほど、風説書の限界が見えてくるという。本書の結論風にあえて言うなら「風説書は、江戸時代の日本が聞いたオランダ人のささやきでしかなかった」ということになるという。
著者の過大評価すべきでないとい