大久保喬樹のレビュー一覧
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匿名
ネタバレ 購入済みとてもわかりやすい
まだ途中までしか読んでませんが、文章を彩る日本語の多様さに驚かされています。当時の日本の実情をよく理解できるのみならず、言葉遣いや創作などでも本作は非常に役に立つでしょう。
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Posted by ブクログ
武士道の定義。武者がその任務において、または日々の暮らしにおいても従うべき規範。
無形のものであるから一層強く武士の行動を拘束し、心に刻み込まれた。
戦いにフェアプレイ。やトム・ブラウンの決して小さな子をいじめもしなければ、大きな子に背を向けて逃げ出すこともしなかった。
武士道が過去の日本の一階級の文化でありながら、現代人にも理解、共感できるような精神的内容のものであること。また西洋社会においても騎士道という共通する性格の文化があったこと。つまり武士道の本質は決して歴史的、民族的に限定された特殊なものではなく、どんな時代、どんな民族にも通用するような普遍的なものであると言う新渡戸の基本的な考え -
Posted by ブクログ
ネタバレ「和の心」というテーマで展示を作成するにあたり、その核となる書籍として選んでみました。
「粋だねえ」などと言われ、ある種の誉め言葉として使われる「いき」という概念は、はたしてどのようなモノであるのか、読み終えて、ひとつの定義を知ることができたように思います。
原著を現代語で読みやすく書き改めてあるので、本論もストレスなく読むことができましたし、著者の主張もわかりやすかったです。
実体験として、また実生活の中で自分が「いき」に生きることはなかなかハードルが高いのですが、だからこそ(そして「いき」がどのようなものであるかわかったからこそ)「いき」である人やその仕草にあこがれ、尊いものだと認識でき -
Posted by ブクログ
・茶を飲むという日常の行為を、芸術の域にまで高めた茶道。
ほとんど何も置かれていないままの茶室。室町時代末期~安土桃山時代、千利休によって完成されました。
明治の思想家、岡倉天心は、茶室と人との関わり、宗教、そして茶室の一輪の花にも注目しています。
「花を摘むのも手当たり次第ではなくて、心に思い描く芸術的造形にしたがって、注意深く一枝一茎(いっしいっけい)を選ぶものであり、
もし、必要以上に切ってしまうようなことがあれば、恥じ入るほかはない。
西洋では、花の展示が、富の見せびらかしの一部であり、つかの間の遊びであるように思われる。
これら多くの花は、騒ぎが終わった後、どこに -
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「いき」は日本の独自文化で、男女のつかず離れずの媚態における「逢瀬の美学」である
人生の50冊 エンジョイライフ ベスト3位
九鬼周造は2013年における大発見でした。
なにしろ日本の遊里における男女の媚態を分析して、
これをフランスで哲学書として成立させるのが、九鬼魔術(マジック)。
白眉は、欧米の類似の恋愛観と比較しながらも、吉原における男女の機微に日本独特の文化的背景を展開するロジックにある。
「いき」は武士道の理想主義である「意気地」と
仏教の脱俗世である「諦観」と密接な内的関係がある。
さらに、関連諸概念として、上品と下品、派手と地味、意気と野暮、渋味と甘味を挙げ、それらで -
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偶然につけたNHKのEテレで梅原猛さんのインタビュー放送をやっていた。震災にまつわる話が中心だったが、話の中で度々出ていた言葉が「草木国土悉皆成仏」(涅槃経の言葉から最澄が云い始めた言葉と伝えられるが、真偽のほどは不明)。草木や国土のように心をもたないものでもことごとく仏性があり、仏となりうるのだという意味。この言葉は仏教からの言葉ではあるものの、梅原さん曰く、要するに草木や風物も命があり、自然のなかで生きることにおいて人間と等しく、人間は自然の上に立つものではなく、人間は自然と共生すべきことに帰結するのだと。そこには仏教の思想を越えた自然観、宇宙観があるのだとも。
このような話を聞いてい -
Posted by ブクログ
先日伊勢神宮に行ってから、日本的な美意識に興味が沸々と。岡倉天心の茶の本が新訳で出ていて、なかなか評判がよろしいらしい。
茶道の本質は不完全ということの崇拝ーー物事には完全などということはないということを畏敬の念を持って受け入れ、処することにある。不可能を宿命とする人生のただ中にあって、それでも何かしら可能なものを成し遂げようとするこころ優しい試みが茶道なのである。
この一文に、西洋と東洋の美意識の違いがエッセンスとして凝縮されている。これは美意識のみならず、一神教を軸とする西洋の精神文化の持つ論理、構造性、に対応する東洋からの回答ともいえる。不完全性を受け入れた諦めの先にこそ、軽やかで自 -
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もうかれこれ20年以上前から読みたかったのだがようやくご縁により読むことができた
元々は「茶の心」は岡倉天心が西洋人に「茶」の精神を理解させるために英文で書いたものだ
(天心は幼いころから家業の関係で英語に携わることが多く、また語学センスが素晴らしかったようだ)
そして勘違いしていたが、決してお茶の指南書、概説書ではなく、日本の精神や文化を広めるための書といえよう
そして天心は詩人であった!
ユーモアもあり、皮肉も批判もするが、良いものは良いとし、平和と精神文化を追求する
非常に読ませる文章のセンスに驚いた
シンプルな言葉で読みやすいものの、真意をくみ取り自分の中で咀嚼するには難解な -
Posted by ブクログ
岡倉天心(1863(文久2年)~1913年(大正2年)/本名は覚三)は、福井藩士の次男として横浜に生まれ、東大文学部を卒業後、文部省に入り、美術行政を担当する。1886~87年、東京美術学校設立のためにアーネスト・フェノロサと共に欧米を視察し、1890年に東京美術学校(現・東京藝大美術学部)の初代校長に就任。1898年に東京美術学校を排斥され辞職してからは、インド訪遊を経て、1904年以降ボストン美術館の仕事で頻繁に米国に滞在したが、晩年には茨城県五浦に隠遁し、1913年に日本にて永眠。
子どものときから学んだ英語と、優れた国際感覚をもって、日本・東洋の文化を内外に訴え、本書収録の『茶の本』は