青柳いづみこのレビュー一覧
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19世紀後半から1920年代あたりまでのパリの「サロン文化」と音楽の関係を綴った一冊。
何しろ、膨大な人が出てくる。
グノー、ベルリオーズ、フォーレ、ラヴェル、ドビュッシー、ストラビンスキー…といった有名な音楽家はもちろん。
ランボー、マラルメ、ツルゲーネフ、ヴェルレーヌ、コクトー、ブルトン。
文学者も、美術家も、ニジンスキーとバレエ・リュス、そして最後にはシャネルが登場。
人脈がネットワーク状に広がっていくさまを、本書では追いかけていく。
例えば。
自身もピアニストとして活躍したニナ・ド・ヴィヤール夫人。
彼女のサロンに来ていたシャンソン作曲家のシャルル・ド・シヴリーの妹マティルドは、ヴ -
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音楽ってかつては(17世紀)は教会と王様が命じて作らせていた。作曲者も彼らのために曲を提供した。それが18世紀後半、ベートーヴェンからは作曲者が自発的に創作するようになる。芸術になる。とはいえまだまだ王侯貴族からの援助がなければやっていけない。
19世紀、市民社会の到来とともに音楽の保護者はパリではサロンになる。貴族やブルジョアの女主人が、音楽家に出会いと世に出る機会を与えたことになる。これが20世紀ではコンクールになる。コンクールって民主主義の産物で、審査員が協議して優秀者を選ぶ。でも音楽の価値を多数決で測れるのだろうか。パリの音楽サロンって鼻持ちならないけど、優れた目利きが偉大な音楽家を見 -
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ドビュッシーの音楽は、パリを中心とした19世紀末の文化なくしては生まれなかった。
個人の才能だけでは、決して生まれないエポック•メイキングな文化活動が、普仏戦争〜パリ•コミューンという激動の時代にあって、時代の刻印を激しく受けながら、人と人の出会いによる刺激の中から生まれてくる様を丹念に描き出す。
ドビュッシーは、ランボーとパリの通りで一瞬間すれ違っている。
すれ違う二人の天才に世紀末の縮図を見る思いがする。
本書は青柳の大学院の卒論であるため、肩肘張った文章が読みにくいところもあるが、音楽家の視点から天才ドビュッシーに迫る迫力は流石だ。
従来の口当たりの良いドビュッシーはここには居ない。
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青柳いづみこ(1950年~)氏は、東京芸大音楽学部卒、国立マルセイユ音楽院卒(首席卒業)、東京芸大大学院博士課程修了のピアニスト。安川加壽子、ピエール・バルビゼに師事。文化庁芸術祭賞受賞。大阪音楽大学教授。エッセイストとしても活躍し、『青柳瑞穂の生涯』で日本エッセイストクラブ賞(2001年)、『六本指のゴルトベルグ』で講談社エッセイ賞(2009年)を受賞。
私は、ノンフィクションやエッセイを好んで読み、今般、過去に評判になった本で未読のもの(各種のノンフィクション賞やエッセイ賞の受賞作を含む)を、新古書店でまとめて入手して読んでおり、本書はその中の一冊である。
本書は、岩波書店の月刊PR誌「図 -
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ドビュッシー研究家の第一人者でもある青柳いづみこさんによる、題名通りのドビュッシーが病気で亡くなるまでの一年余りの人生にフォーカスを当てた一冊。
雑誌に連載していたものと、書き下ろし「ヴィクトル・セガレンとドビュッシー」(セガレンとはドビュッシーとの仕事を切望した精神科医であり劇作家)の二部構成。
青柳さんは、ドビュッシーが「ワーグナーのその先の音楽」を目指しながらも、志半ばで終わったことを残念がっている。
せめて戦争が終わるまで生きていたら音楽史の方向性も変わっていたのでは?と。
ショパンやモーツアルトと比べると長生きしたけれど56歳の人生だった。
女性問題で度々世間をザワザワさせ、 -
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ドビュッシーの残したピアノのための作品を、ドビュッシーの演奏・解釈の第一人者である作者の青柳いづみこさんが丁寧に紹介していく一冊。
ドビュッシーと言えば、流麗なピアノ曲が多いイメージ。
「月の光」は誰もが知るクラシックの名曲ですね。
とは言え、私は、まだ曲も、ドビュッシーの人物像も明るくないため、これはとても勉強になった。
ドビュッシーは、ジャポニズムを取り入れた最初の作曲家だったという。
東洋の美術が大好きで、蒐集していたという。
多くの日本人がドビュッシーの曲を「美しい」と感じるのは、そのためなのですね。
ラヴェルとの関係性も興味深かった。
印象主義といえば、ドビュッシーとラヴェル。 -
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2015年にBS1で放映された「もうひつとつのショパンコンクール・ピアノ調律師たちの闘い」という番組を見ました。ピアニストが競うコンクールですが、その舞台裏ではエントリーした演奏家がどのメーカーのピアノを選択するのかというピアノメーカーの闘いが繰り広げられており、それを現地でサポートする調律師達の仕事ぶりを紹介する秀逸のドキュメンタリーでした。そんな感じの内容を期待したんですが、本書は出場した各演奏家のパフォーマンスへのコメント、コンクールが求める理想の音楽像、コンクールが抱える問題点など音楽そのものに焦点を合わせた内容でした。テレビ番組なら出場者の演奏の一部でも聴きくことができますが、何せそ
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著者の本はドビュッシーの評伝の他、数冊を持っている。あとピアノ曲のCDも。評伝はドビュッシーが好きなんだナと思える処と冷たく分析する処が、演奏家としても評論としても、プロの文章の印象だった。
「亜麻色の髪の乙女」から始まる、短めの文章。ドビュッシーは髪フェチだったとの指摘。実はオペラ「ペレアスとメリザンド」の作曲中に歌曲「三つのビリチスの歌」も作曲されたとレコードの解説にあったので、そうだろうと思っていた。著者は更に証拠のエピソードを挙げている。ちょっと、嬉しい。
「ビリチス」へ言及は何度も。特に2曲目「髪」の官能の暗示、そして3曲目「ナイヤードの墓」の寒々しさ。若い頃買ったLPのアメリンク