島村菜津のレビュー一覧
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「エクソシストとの対話」の続編。「対話」から20年、エクソシズムを取り巻く状況の変化や、「対話」に出てきたエクソシストたちの近況から始まって、現代人がエクソシズムを求める理由を探っている。
「悪魔」という概念は、エクソシズムを語る上で避けて通れない。しかし、「悪魔」をどう捉えるかは、千差万別だ。どの解釈でも「悪魔」を理解するためにはハリウッド的な悪魔像を頭から追い出さなくてはいけないということは共通している。
悪魔を「知性を持つ外的存在」ではないかという神父もいれば、「人間の意識できない領域にある何かを表す概念」だという精神科医もいる。
私は精神科医の意見に賛成。でも、神父の意見にも正直魅力 -
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「いってみれば、悪魔のおかげでより聖性を高めることができたといえるのです」 ー 153ページ
たとえばスピリチュアルに代表されるように、悪が不在の「聖」というのももちろん存在はしている。けれど、様々な事例を見ている限り、悪を前提視した「聖」のほうが結束力というか凝縮力があるなと思う。仮想的がいるから仲良くなれる、というのももちろん大きいのだが、悪を意識することで自分の中の正義、聖というものを確固たるものにできるのがその背景にあるのだろう。
すべてが「聖」であると考えること、あるいは「聖」のものにしか接しない生きかたというのは、「悪」が存在している世界観に比べて構築が難しい。「悪」が存在 -
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イタリアの有名観光地ではなく、小さなコムーネがどのように生き残っていこうとしているかについて書かれた本。
均質化され、世界のどこにでもある「郊外」に成り下がらないために、地域がどう取り組んでいるかが紹介されている。郊外については、イタリア人自身の言葉で「ただ眠りに帰るだけの街、働く場もなく、人が集まる広場や市街地のような中心もない」ものと書かれている。「工業化された食が溢れ、コピー文化が氾濫するグローバル社会の中で、いかにオリジナルな文化が生き残っていけるか」、そのためには小さな町である必要があると言う。大きな町では、「良いバールは潰れ、職人は仕事を失い、個人店はフランチャイジングの大手に、名 -
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ネタバレグローバリズム〜世界の均質化〜の波は、日本だけではなくもちろんイタリアにも押し寄せている。そんな中で、地方の小さな街や村がどのように生き残りをかけて努力しているのか。スローシティの先進国ともいえるイタリアからのリポート。
どの街に行っても同じような量販店、コンビニ、ショッピングモールとシネコンが立ち並ぶのは、我が国だけの風景ではないらしい。それらは地元の個人商店や産業を容赦なく駆逐していく。しかし始末が悪いことに、それらの存在は、便利さを求める地元民の要請でもあるのだ。
そんな中で様々な観点から自分たちの土地を見直し、時間をかけてその魅力を掘り起こし、また新たにつくり出すことに成功した事例 -
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興味本位のオカルト本ではありません。バチカン公認のエクソシスト、カンディッド神父を中心に、その活動の実際と、周辺の人々の証言で構成されたノンフィクションです。もちろん医学者や心理学者など、宗教関係者以外への取材もされています。
本書を読んで知ったのは、エクソシズムはオカルトとは無縁の、厳格な形式をもった祈りの儀式だということです。エクソシズムとは告解であり、人と向き合い、その心の声に耳を傾けること。エクソシズムの本質は魂の救済にありました。
悪魔という概念は、クリスチャンでない者にとっては理解しがたいものですが、悪魔憑きと呼ばれた瞬間から、人の苦悩は意味を持ち始めるという一文は印象的でした。