ボリス・ヴィアンのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
ネタバレ⭐︎4と5の間くらい…幻想的で不思議で綺麗だった。
未来なのかいつなのか、裕福な主人公・コランはクロエに出会って恋に落ちて、結婚するが、クロエの肺に睡蓮が巣くって、彼女を救うために財産を食い潰していく。彼ができる範囲で労働するものの、結局彼女は死に、自分は没落しきり、お金がないために満足も葬式が出せない始末。彼女のためになんとかしていた労働が、不幸配達人ともいうべき職業で、そのせいでクロエが死ぬ1日前にその事実を知ってしまう、という仕掛けも悲しかった。部屋がどんどん縮み、太陽が入らなくなり、人は簡単に死んでいき(しかも復活していなさそう?)、そんなことって起こるの?ということが起こり続ける物語だったが、不思議とすんなり入ってくる。
友人のシックとアリーズカップルの話も結局悲しく終わってしまった。ネズミちゃんも…。
好きだったのはやはり前半の幻想的なシーン。
ピアノを弾くと、曲に合わせてカクテルができるピアノのおしゃれさや、クロエとのデートの描写!
「私に会えてうれしい?」
「うん、もちろんさ!……」
二人は、最初の歩道沿いに、脇目もふらず歩き始めた。小さなバラ色の雲が一つ、空から降りて来て、彼らに近づいた。
「行くぞ」と雲がいった。
「行こう」とコラン。
雲が二人をすっぽりつつんだ。中に入ると熱く、シナモン・シュガーの味がしていた。(p.64)
こんな情景、描けるなんて…っていう。 -
Posted by ブクログ
文学作品としてめちゃめちゃ面白いかと言われればそうは思わない。レトリックも正直粗雑な印象だしスリラーとしての緊迫感みたいなものも特別ない。タイトルに勝る挑戦的な内容をどうしても期待してしまったわけである。
ただ、フランス人がデビュー作としてアメリカ人を装い世に出したという本作にまつわるエピソードはまぎれもなく面白いし、終戦後まもない時代の退廃的な風潮が色濃く現れていて、人種差別というどうしようもない社会の暗部につかみかかるような作品であり、そういう意味でこの作品がもつ意味は大きいだろう。解説を読んで、ボリス・ヴィアンの生き様にも興味がそそられた。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ読み始めと読み終わりでは全然印象が違う小説。
最初はシュールだなあ、なんて笑いながら読んでいた。
けれども、現実と非現実が絡み合い混じりあうように紡がれる文章が、どんどん笑えなくなってくる。
シュールというよりサイケデリック。
好き勝手に生きているように見えて、生きていくための手段を全くもたない登場人物たち。
奔放に生きるというよりも、緩やかに死んでいくかのように。
自覚のない自傷。
彼らが痛ましくてしょうがない。
自分を生かすことすらままならないクロエ。
クロエを支えたいのに、気持ちばかりでなんの力もないコラン。
ふたりの生は、どんどん小さく儚くなっている。
しかしそれよりも、シック。
彼は自分が破滅に向かっているのを知っていながら、自分の力では止められない。
だからアリーズから離れようとするのだが、それに対してアリーズの取った行動。
シックとアリーズの、気持ちのかけ違いが哀しい。
警察が踏み込んできたとき、シックの心の一部は解放されたんではないだろうか。
現実と非現実の入れ替わりが、よい意味で引っかかる。
咀嚼するのに時間のかかる文章だ。
そして、私が読んだこの本は、訳が古い。
それがまあ、いい意味で味になっている部分もあるのだけれど、やっぱりこれはちょっと古すぎるような気がするので、これから読もうと思っている人は早川書房や光文社古典新訳文庫で出ている新しい訳『うたかたの日々』の方で読んだ方がいいかもしれません。
新訳読んでないから断言はできないけど。
この本の訳の古さって、例えば
“電気オーヴンの指針は、七面鳥の焙り焼きにあわせてあり、『ほぼよろし』と『ちょうどよろし』とのあいだを揺れ動いているところだった。もうそろそろ取り出す時間だ。ニコラが緑色のボタンを押した。知覚接触子が始動して、ひっかかりもせずにすべりだすと、その瞬間に指針は『ちょうどよろし』に到達した。”
1970年って、こんな言葉使ってました?古すぎません?
知覚接触子って、センサーってことだよね。1970年にはない言葉だったのか。
ちなみにデューク・エリントンのレコードをかけるのは“電蓄”
古くない?
さすがにステレオとかレコードプレーヤーって言ってませんでしたか?
いろんな意味で面白かった。