コンラッドのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
解説を読むと、この光文社古典新訳版で、なんと四人目の訳者になるらしい。それだけ、魅力のある作品だということなのでしょうが、読者それぞれに想像させる描写が多く、物語の筋は分かるけど、そこから何を問いかけているのかが、難しく感じた。
初読で私が感じたことは、単純だけど、改めて植民地の概念って何だろう? ということです。
いきなり、知らない国の人たちがやって来て、特産品をいただくので、ただ働きしてくださいみたいな、現地の人にしてみたら、何言ってんの、ってなるであろうこの感覚は、私の理解の範疇を超えている。それなのに、見た感じでは、当然に受け入れたかのように働いている現地人の姿の描写が痛々しく感じ -
Posted by ブクログ
ロンドンのブレット・ストリートで雑貨商を営み、
若い妻ウィニーを娶り、彼女の母と弟を同居させ、
穏やかに暮らすアドルフ・ヴァーロックの正体は
某国のスパイ、コードネームΔ(デルタ)だった。
雇用主から
長い間まともに本来の仕事に精を出していないと
叱責された彼は、新たな任務を負ったが……。
19世紀のアナーキー・イン・ザ・UK
……と言いたいところだったけれども(苦笑)。
序盤はヴァーロックの日常と、
そこから著しくかけ離れて見える本業との対比や、
上司との皮肉の応酬が黒い笑いを誘い、
アイロニーとブラックユーモアで
ストーリーを引っ張っていくのかと思ったが――
実は、背景となる当時の
霧と -
Posted by ブクログ
コンラッドは、自身が船長として、現在のコンゴ民主共和国のキサンガニ(スタンリー・フォールズ)に遡行した時の経験を基に、この小説を書いたとあとがきにあります。
主人公がアフリカの奥地で出会うクルツという人物の心の闇、そして19世紀当時のアフリカのジャングルの闇が不気味に描写されています。
このあたり、映画の「地獄の黙示録」は、この小説の雰囲気を良く伝えています。実際、フランシス・コッポラはこの作品の映画化を真剣に検討していたようです。マーロン・ブランド演ずるカーツ大佐の名前が、クルツに似ているのは偶然ではないでしょう。
異郷であれ、大都会であれ、そこに住む人間の寂寥を描く、というのは文学の -
Posted by ブクログ
夏目漱石が愛読したコンラッドの代表作。
そして、オーソンウェルズ、スタンリーキューブリック、フランシスコッポラなど巨匠たちがこぞって映画化しようとしたけれども、実現には至らなかった。
という前情報〔千夜千冊1070話〕に興味をそそられて読み始めた。
しかし、読みにくかった。
けっして難しい文章ではないのだが、どうにもリズムが合わない。
読後に解説を読んでみると、色んな人が翻訳しており、今回手にしたのは新訳だとわかった。
そして、そこで、原文が読みにくいことで有名だということもわかり、それに対して、それぞれの訳者が色々試行錯誤していることもわかった。
うーむ、その結果が、こういう訳になる -
Posted by ブクログ
コンラッド自身の経験が元になった小説ということで、
当事者目線から19世紀の奴隷貿易やその舞台となったアフリカが描かれた小説というのは歴史的に見ても貴重な作品。
原文が出版されたのはなんと1899年!まじか!
そんな作品を21世紀に読めるなんて単純にすごい!
「闇」とはひとつに「未開の暗黒大陸」=アフリカを象徴しており、誰も知り得ない暗黒大陸の奥=アフリカの実態を描いていると思いました。
もう一つ「闇」とは、そんなアフリカに住んでいる人間がどんどん孤独や寂寥に蝕まれて人間性が失われている様子を描いているのかなと思ったり。
誰か解説してくれー -
Posted by ブクログ
ネタバレ難解だった・・・。そもそもおれの読解力が稚拙なんだけど、テーマが抽象的なうえ翻訳のむずかしさも手伝って、ぜんぜんわからんかったです。
再読しなくちゃいけないとおもうけれど、とりあえず、今回の読書では「孤独」の重さを感じた。
自然、自然であること(おのずからしかるべく)は、少なくとも現代社会をいきる人にとっては、とてつもなく「孤独なもの=不明なもの、闇」であって、その闇は未開の自然の象徴であるアフリカの奥地だけでなく、ひとのなかにもある。
ホルクハイマー=アドルノらがいう「理性による同一化作用」と親和性がある気がしたんだが、そうすると、人は孤独=闇をもとめているということでもあるのかね。
や