コンラッドのレビュー一覧

  • 闇の奥

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    ネタバレ

    アフリカの植民地の奥地へ、雇われ船長として向かったイギリス人男性の回顧録、という形式。19世紀末のイギリスの有名古典小説。全編がロンドンの河口に浮かぶ船の上で、男が友人に語る形で振り返る。船乗りだったコンラッドの実体験が投影され、植民地支配の闇を告発する。
    ・病気になって死を待つばかりの黒人奴隷が集められた木陰。
    ・ジャングルの出張所で完璧に整えられたシャツを着る白人経理。
    ・白人が求める(アフリカで調達する)ものは、大量の象牙。
    ・象牙や、黒人を使役する対価として渡すものは「真鍮の針金」と「ガラス玉」
    ・美しく着飾った(はずである)アフリカ女性は、真鍮の針金を加工した装飾具と、ガラス玉の首飾りを身につけている
     作中で明示されていないが、以下の関係が暗示されていると考えられる。
    ・真鍮の針金=金のように綺麗な色だが、西洋文明では取るに足らない量産できる品(真鍮は銅と亜鉛の合金)
    ・ガラス玉=宝石のように綺麗だが、こちらも西洋文明では量産できる品
    一見貴重品に見える取るに足らないものを対価に、奴隷を働かせ、象牙をかき集める。

    飢える黒人船員に対して、食料ではなく真鍮の針金を渡し続ける様子におぞましさを感じた。この作品を19世紀末に描いたコンラッドの、実体験に基づく鋭い視線は現代にも響いた。

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    2026年09月05日
  • 闇の奥

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    もちろん人間の中には、道を踏み外すことさえできないほどの馬鹿もいれば、──闇の力の強さを意識することさえしない鈍感者流もいる。僕は思うに、馬鹿が悪魔に魂を売った例はないのだ。どちらだかは知らないが、──馬鹿が馬鹿すぎるか、悪魔が悪魔すぎるか、そのどちらかなのだ。もっとも中には神の姿、神の声以外にはなに一つ見えない、聞えないという、途徹もない人間放れのした聖人もいるのかもしれない。だが、彼等にとっては、もはやこの地上はただ立って呼吸をしているというだけの場所であり、──そうなることが、果して僕等の幸福だか不幸だか、知れたものではない。そして僕等大多数の人間というものは、馬鹿でもなければ、聖者でもないのだ。

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    2026年02月21日
  • 闇の奥

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    ポーランド生まれのイギリス人作家コンラッドの作品。自身が1890年ごろコンゴ自由国を訪問した経験に基づき書かれている。当時のヨーロッパから見たアフリカがどのような印象であったかがよくわかる。

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    2025年07月19日
  • 闇の奥

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    中学生くらいのときに、地獄の黙示録の原作を読みたくて300円で買った本。懐かしい駸々堂のブックカバーのまま、40年寝かせて今頃読んだ。
    主人公マーローが、アフリカの奥地にいるクルツを連れ戻すように会社に命令され、地獄のような光景を見ながらコンゴー川を遡って行く。
    地獄の黙示録が好きな人ならきっと気にいると思う。

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    2021年07月22日
  • 闇の奥

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    英国の作家ジョセフ・コンラッドによって書かれた中編小説。20世紀における英語文学の傑作として知られる。仏国の貿易会社に雇われた船乗りマーロウが、アフリカの出張所を訪れるためにコンゴ川を遡行し、やがてクルツという名の代理人を求めて大陸の奥深くへ足を踏み入れるが……というストーリー。背景には当時のベルギー国王によるコンゴ自由国に対する苛烈な植民地支配が存在し、本作にはコンラッドの船員時代の経験が反映されている。

    本作では語り手マーロウの出航から帰還までが作中作の形で展開し、プロットを辿れば物語の全体像は把握できるものの、作品を包み込む重厚なーーあたかも倫敦を覆う陰鬱な闇のような雰囲気が、テクストの表面的な読みを妨げている。通常の読書体験は《読者-語り手》という伝聞形態を取るが、本作では多重構造化によって《読者-私-語り手》という「又聞き」の形態を強いられる。我々は物語から一階層引き剥がされ、それゆえ出来事の意味が不明瞭に、闇の奥へと押しやられる形で抽象化されているように感じるのではないだろうか。つまり読者は小説からイベントの配列を読み取るだけでなく、その背後に潜む物事の意味を能動的に掴み取らなければならない。マーロウ自らが注意するように「生の感覚こそが、その経験の真実であり、意味でありーー捉えがたい深い本質」だとすれば、構造外から闇を覗き込んでいるにすぎない我々がその本質を捉えるのは難しいだろう。作中作の形式で書かれた物語は無数に存在するが、文明からの乖離を描いた『闇の奥』では構造化の効果が最大限に発揮されている。本作から「生の感覚」汲み取るためには、自身を取り巻く一切のコードを捨て去らなければならない。理性を失うことなく帰還したマーロウではなく、狂気と闇の深淵で死んでいったクルツのように。

    『闇の奥』を帝国主義批判の書、あるいは人種差別的視点から描かれた啓蒙小説とする見方もあるようだが(訳者の黒原氏も述べておられるように)本書はそうした意図を持って書かれた作品と思えない。スウィフトにせよオーウェルにせよ社会批判を目的とするフィクションには特定の思想基盤に依拠する「現実から象徴」への寓話化プロセスが見られるものだが、本作ではあらゆるイデオロギーの上位に実存の不可解さが置かれている印象を受けた。知性による合理主義的な解釈を拒む語りは、むしろカフカの不条理さに通じるものがある。理由もなく毒虫に変身したザムザの姿は、やはり理由もなく近代的な人間性を剥ぎ取られたクルツの姿と被って見えてしまう。あとに残されるのは思想でも知性でもない、人間本来の混沌ーー闇だけである。

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    2019年09月10日
  • 闇の奥

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    映画「地獄の黙示録」の原作といわれる作品とのこと。コンゴの奥地への異様に薄暗い旅。真夏に汗だくでもう一回読んでみよう。

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    2018年01月08日
  • 闇の奥

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    さすがに古典的名作と呼ばれる作品は、ものが違う。かならずしも整っているわけでは無さそうなのに、展開の巧みさ、テーマの奥深さによって、一読、忘れられない内容である。

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    2018年10月14日
  • 闇の奥

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    もっと難解なものを想像していたが、物理的に近いところに住んでいるおかげか、情景を思い描くことも感情の追体験をすることも意外なほど難しくなかった。最も近いと言っても国も違うし、100年以上の月日の間にフラット化されてしまった世界、そして何よりマーロウよりはいくらか擦れてしまっている心のせいですべてが緩やかにしか感じられないが、マーロウが見たもののかすかな面影は私の日々の生活で、そこかしこに感じられる。白人(黒人目線ではアジア人含む)のコミカルでシニカルな様なんか今もほぼそのまま。別訳・原著も読みたい。

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    2016年07月06日
  • 闇の奥

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    解説があってよかった。また、訳者の言葉もあってよかった。なぜなら、ともにこの作品について思いをめぐらすことを促してくれたから。読みながらも、読み終わっても、一筋縄ではいかない作品であると感じた。スタイルもメッセージもわかりにくいのだ。

    信頼できない語り手?いや、最後に婚約者にみせた「配慮」はいたって理性的だ。

    植民地主義や狂気、好奇心、利己心などが扱われているが、それがメインテーマではない。

    うねうねした、理解を超えた世界に生きる経験?その強烈さ?
    なのに聞き手がいるという矛盾?

    なるほど。強烈な経験をしたからこそ、本当は言えない。そこにフィクションという真実、真実はフィクションというメッセージが導かれるのでは?真実は誰かが誰かに配慮して語ることで、構成されていく。

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    2016年04月30日
  • 闇の奥

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    ネタバレ

    いろいろな解釈を取れる作品は
    どうしても評価が明確に分かれてしまいます。
    それは、この作品のラストです。

    この作品の鍵の人物となるクルツは
    結局のところ熱病(?)で命を落とすことと
    なってしまいます。

    そしてその後に、婚約者にあうこととなるのですが…
    これ、すべてを打ち明けられないでしょ。
    もしもそれを打ち明ければマーロウにも
    危険が及んだかもしれませんしね。

    どこか見えぬ霧が漂っていたり
    黒いものがあったりする感覚が
    気持ち悪くもありました。

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    2015年12月31日
  • 闇の奥

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    僕が人生で初めて熟読したと言える書物。かっこいい日本語の文章なので、翻訳者の中野好夫のことも好きになった。が、作者のコンラッドの文章が、僕は原文の英語でも読み、CDのオーディオブックも聞いたのだが、これがそもそもかっこいいのだ。

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    2014年02月06日
  • 闇の奥

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    ポーランド生まれのイギリス作家・ジョセフ・コンラッドによる実体験に基づいた著作。コンゴー河上流開拓会社の船乗りマーロウが語り手となって、闇黒アフリカの奥地にて象牙蒐集に明け暮れる天才クルツの救出の顛末を語る。
    コンラッドの作風として特徴的なものは、大自然を写実的に描くのではなく常に暗示的であり、この「闇の奥」もまた未開の地としてのアフリカの奥地のことだけではなく、人間の持つ心の深淵のことも示唆していることは想像に難くありません。
    白人による土人の搾取、文明とはかけ離れた黒人たちの原始の叫び…正常な人間でさえも闇黒の大陸では寂寥と孤独に蝕まれ、クルツのように人が持つ「人間性」も崩壊してしまう。臨終の彼が放った「地獄だ、地獄だ!」の台詞は、私にはその真意をとても理解できないであろうと感じさせると同時に戦慄と不気味な感覚を私に与えました。マーロウがクルツとの接見で感じたことについての描写は、やや晦渋でしたが、クルツを通して「闇の奥」のほんの一部分を垣間見ることができました。

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    2013年08月16日
  • 闇の奥

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    舞台は1890年代のアフリカ。
    船乗りマーロウはアフリカ奥地に出張所を持つイギリスの貿易会社に就職する。
    最奥部の出張所を預かる、腕ききの象牙採集人クルツが病に伏しているという噂が流れ、マーロウはクルツの迎えに赴く…。

    この小説はアフリカから戻ったマーロウが仲間の船乗りである「私」に語ってきかせる、というかたちで進められる。
    クルツの存在も常に伝聞・噂のかたちを取ってあらわれる。
    人から人へ語り伝えられ、そのイメージはふくらみ、ゆがみながら変化していく。
    クルツの言葉はマーロウによる翻訳と解釈を経て読者に届く。
    クルツ自身は切れ切れのイメージを作品の各部に浮遊させながらも、自身は空白、意味づけのできないものとしてテクストの「闇」の部分を担っているのではないか。

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    2011年01月08日
  • 闇の奥

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    わたしはこれが好きだ・・・とか、こういう傾向のものが・・・というのが「わたし」を知らない人にとって何の意味があるというのか。かといって、誰か有名な誰かが何かを言ったとか引用する気はさらさらにない。書評なんて自己矛盾的に、永久機関が動くはずがないようにそこに無駄にあるだけだろう。私はそういうわけで直感しか信じないが、一生の何処まで「気」が殺がれずにあるかワカラナイのでなるべくいいものに出会いたいなと儚い希望は捨てないで行こうと思っている。コンラッドと共に行けた闇の奥は運のいい場所であった。

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    2009年10月04日
  • 闇の奥

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    映画『地獄の黙示録』の元になった小説ということで。地獄の黙示録とはかなり違うんだけどあれを見返す体力はなかった(^_^;)

    以下、かなりネタバレしています。


    テムズ川に停泊中の遊覧船で、船主である重役、弁護士、会計士、”私”は潮の変わり目を待っていた。その間に船乗りのマーロウが過去の体験を語り出す。
    物語は、マーロウが過去を振り返りつつ、現在の考えを入れたり、聞き手に語りかけたりする。
    マーロウは以前、ヨーロッパの貿易会社にアフリカ大陸のコンゴ川を遡り、奥地の出張所に食料などを運び変わりに象牙を集める蒸気船の船長として雇われたことがある。
    事前に健康診断を受けた時に医師が「頭蓋骨を見せてくれ。(当時の頭蓋骨学)」という。マーロウが「帰ってからも見るんですか?」と聞くと「いや、変化があるとしたら内部だろうから」という。アフリカ行くと変わるっていうのがこの後の話になる?
    このコンゴ川沿いの出張所の役割は、原住民の黒人たちから象牙を集めて他の品物と交換する。しかし原住民たちは鎖で繋がれて働かされて病気になったら打ち捨てられている。出張所も品物を入れた倉庫が焼けたり船が沈んだりも日常茶飯事、象牙を運び込む原住民も「何かが足りなくてここから出発できないが、その何かはいつ届くかわからない」という「巡礼者」のようだった。川沿いには「土民」がいて、マーロウの前の船長は盗みのトラブルで槍で突き殺されたらしい。
    ヨーロッパが「未開の地」で会社経営するには「現地の人たちを我々ヨーロッパ文明に導いてやろう」という建前があって、でも実態は「我々白人と彼ら現地人には数千年の隔たりがある」と扱って奴隷経営(これはいろいろな本で読んだ…)。マーロウはある意味冷めていて「綺麗事言ってるけど要するに金儲けが目的ですよ」なんて言っている。
    そんな行く先々でマーロウは「クルツ」という奥地出張所の責任者の噂を聞く。彼は何年も奥地から出てこず、しかし送ってよこす象牙は大量で極上品だった。会社では利益をもたらせ、本社に変えれば出世間違い無しなんだが、自ら奥地に引きこもる不気味な男だとして怖れられてもいる。
    マーロウはクルツに興味を持つ。
    <目の当たりにクルツを見たような気がした。鮮やかな映像だった。独木(まるき)船、土人の漕手、なそして最期には、突如として本部に背き、交代になることを拒み、そしておそらくは家郷の思い出にさえ背いて、あの荒野の奥地、荒涼たる無人の出張所に向かって進んでいく一人の孤独な白人の姿。(P65)>
    マーロウの語りは、叢林(ジャングル)を遡っていけばいくほど「既知の世界とは永久に隔離され」ていく様子を深く、静かに描写していく。全てが終わってからの語りなので、時間もあっちへ行ったりこっちへ行ったりという感じもあって、何があったのかを把握するのはなかなか難しい。
    会社の白人社員や出張所の支配人たちは「クルツはもう死んでいるのではないか」とも噂している。どうやら彼らはそれを望んでいるようだ。クルツは奥地から報告書?などは送っているらしいが、ヨーロッパの理論とアフリカ叢林(ジャングル)奥地のクルツの理屈はまったく噛み合わなくなっている。さらにクルツが本社に戻れば出世は間違いない、今のところは奥地に引きこもるので自分たちの地位が脅かされる心配は無かったが、どうやらクルツは病気らしく、治療のため引き上げさせなければいけない、するとクルツが治ってしまうと自分の地位が危ない。
    マーロウにとってのクルツとは、何かを語る姿で、ただ「声」として存在していたのだ。その彼が語ることを聞けないのは残念だと思った。だがこのあとクルツに会うのだが…。
    マーロウと、支配人、使用人の現地「巡礼」たちは、船や徒歩で(途中で蒸気船が沈んだ)奥地へ奥地へと遡る。ある時白人がいたらしい小屋を見つける。後で分かるんだけど、ここは放浪の末に流れ着いたロシア人青年の小屋だった。そこには操舵術の本があり書き込みもある。文明人らしい。そして薪の山には「使っていいよ」とかいうメモも残してある。
    蒸気船が直りクルツのいる出張所に近づいた時に、原住民に襲撃された。投げられた矢や槍がマーロウの現地の黒人火夫で操舵士を殺した。この操舵士のことは「ズボンを履いて、羽根帽子を冠り、後足で立った犬芝居そっくり」で「言われたとおりにやらないとボイラーの悪霊に復讐される」と教えられて働いているような扱い。そして原住民は腐った肉だとか、死んだ操舵士だとかの肉を食べたがっている。どうやら本当にあった風習のようだが、これは何か宗教的とか意味があるの??
    さらに上流に上ると叢林(ジャングル)から「なにか異様な喚声、限りない荒涼さを思わせるような喚声」が沸き起こり、消える。
    ついにマーロウと支配人はクルツのいる奥地の出張所にたどり着く。そして小屋に住んでいた全身パッチワークの道化のような装束のロシア人(ウクライナ)青年と出会いクルツの事を聞く。ロシア人青年はクルツと一晩話をして「ぼくの心をすっかり広げてしまいました」彼を崇拝するようになった。そして昨夜の喚声は原住民たちが、蒸気船はクルツを連れに来たのだと思って嘆きの声だと教える。原住民たちはクルツを神のように思っている。クルツはそんな原住民たちを戦士として略奪させ、その品を貿易会社に送っていたのだ。
    ロシア人青年はクルツを崇拝しつつも「私はすっかり帰り道がわからなくなりましたが、自分のことは自分で面倒を見ます。でもクルツを連れ帰って欲しい」とも願う。この青年、自然そのもののジャングルに分け入っていくのにいきなり赤青黄色のツギハギの人工物!で出てくる。クルツに浸透しながら軽さもある。なかなか面白い人だ。
    マーロウは出張所の杭の上に丸い装飾のようなものを見たんだけど、よく見たらそれは彼に逆らった現地人の首だった??(「柵」というのはイギリス人が持ち込んだ風習)
    そして「とつぜん即席担架を運ぶ一団が現れた」この現地人にかしずかれて戦士たちを従えて担架に乗っているのがクルツ?この小説は大体160ページで、実際にクルツが出てきたのは120ページ!そしてロシア人青年は「彼が死んだら、彼の崇拝者に自分たちも殺されるかも」とか予言する?
    支配人とマーロウは小屋でクルツと対面する。この場でも支配人とクルツの間の意思の齟齬が見られる。会社はクルツに「未開拓地に関するレポート」を依頼していた。マーロウが見たそれはかなり知的で有能さを感じるものだったが、「彼ら野獣を根絶せよ」という書き込みがされていた。マーロウは現実での昇格にしか興味がなく白人の綺麗事を述べる支配人よりも、この奥地で人々に神聖視されるクルツに興味を持っている。その彼は死にかけている。「あの人の死後の評判が気がかりです」というロシア人青年に「それは任せておいて欲しい」と請け負う。そして「そろそろ引き上げ時」と、独木船に乗って消えていった。
    クルツの死を待つ描写はかなりの圧力。全身を装飾した現地の女がマーロウの船に近づき、そして去る(この女は描写だけの存在だが印象深い)。夜の闇から唱和のような声が立ち起こる、篝火が照らす戦士や影、そしてカモシカの角をつけた悪魔のような形相の魔法使いのクルツ。
    夜の叢林(ジャングル)でマーロウはクルツと相対する。自分は大地に立っているのか、中空に浮いているのか。それでもクルツは「一切の関心が自我の上にだけ集中された明晰」な男であって狂気ではない。だがたった一人で荒野に住んで自分の魂を見つめ続けてついに常軌を逸してしまった、自分も自分の魂との格闘をしなくてはならないのだろうか。
    <もし、誰か、一つの魂と格闘した者がいたとすれば、それはこの僕だ。(P164)>
    マーロウと支配人は瀕死のクルツを船に乗せてコンゴ川を下る。
    <「私の象牙、私の婚約者、私の象牙、私の出張所、私の河、わたしの…」一切が彼のものだった。(P100)>
    <「地獄だ!地獄だ!」>
    そしてクルツは死んだ。
    ヨーロッパにいた頃のクルツは、知的で芸術家で政治に出ても成功しそうで、任務についた最初は野蛮なアフリカ人たちを文明に導きたいとも考えていたんだろう。しかし自分が(コンラッドが筆を尽くしたように)叢林(ジャングル)の奥地へ向かい文明から離れると、クルツ自身も文明から離れてしまった。動物としての本能が表に出てきた?
    実際に貿易会社本社や、ヨーロッパ本国ではクルツは「アフリカ植民地の原住民に仕事を与え、会社にも利益をもたらせた」人物となっている。(マーロウもクルツの評判を保つ証言に協力する)
    マーロウはクルツが国に残した婚約者に会った。そして彼女が望むままに彼への称賛を聞き、「彼の最期の言葉はあなたの名前でしたよ」と嘘を付くのだった。しかしこの、天地がひっくり返るほどの嘘にも天が落ちてくることはない。

    こうしてテムズ川の遊覧船でのマーロウの語りは終わる。すっかり暗くなっていた。

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    2026年06月06日
  • 闇の奥

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    難解だという評判もあり、実際読みやすい小説ではない。
    しかし、未開のコンゴヘ出航する主人公を「闇の入り口を護」る「黒い毛糸を編む女たち」や、「警告の仕草で人差し指を立て」、「熱帯ではとにかく心を穏やかに保つこと」と言ってくる医者が見送る頃にはもう、「密林の闇」、「心臓の鼓動のように規則的でこもった響きの太鼓の音」、「頭に角をつけた男たち」に囲まれた魔境のジャングルクルーズに引き込まれてしまっている。
    これから何が起こるのか、ぞくぞくしながら読み進めるも、肝心のクルツと何があり、何を聞かされたかははっきりしない。解説を読むに、あえて「満たされることに慣れきった感性に冷水を浴びせ」る構成の作品のようだが、もう少し考察の手がかりをくれてもいいじゃん!と思ってしまう。「地獄だ!地獄だ!」という名言があると前情報があったものの、本書の訳は「恐ろしい!恐ろしい!」だったのも肩透かし感(原文のニュアンスには「恐ろしい」のが近そうだけど)。
    現代の刺激的なコンテンツにちょっと慣れすぎてしまってるのかもしれないな…。

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    2026年03月28日
  • 闇の奥

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    素晴らしい翻訳で熱帯のジャングルの人を寄せ付けない世界の出来事とそんな世界が生み出した人物の難解な物語を一気に読ませる。物語は夜更けのテムズ川に浮かぶ船の上で船乗り仲間にコンゴ川での経験を振り返って語るという語りの形式で、マーロウの語りを聞いている人物が小説の中にも存在していて、語りを聞いている人物が主体となっている入れ子的な構造。ほとんどの部分はマーロウが主人公の視点となっているが、あえてそれを客観的に聞く人物を設けることでアフリカでの出来事が幻のように遠い世界の話に聞こえる効果もある。
    クルツがどのような存在なのか。これはほとんど暗示的に示されるばかりで善か悪かも判然とはしない。かつて優秀で優れた人格を持っていた人物のように見え、アフリカの奥地での生活が彼を変えたというのではあまりにも単純に感じる。クルツには人間の本来持っている可能性の極端さが表れているのかもしれない。「怖しい、怖しい」というのはそんな人間の本質への怖れなのか。というのも浅薄か。

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    2023年03月04日
  • 闇の奥

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    「地獄の黙示録」の元ネタとして有名な(?)コンラッドの「闇の奥」。

    いろいろなところで言及されたり、分析されたりすることも多いので、なんとなく知っている気になるが、ここは一応読んでおこうということで。

    なんで、そんな気になったかというと、ここ数年、全体主義について調べているところなのだが、アーレントの「全体主義の起源」の第二部の「帝国主義」のなかで、「闇の奥」についての分析があったからかな?

    という流れなので、読む視点がどうしてもアーレントの読解に引っ張られるわけだが、それにしても、これはなんだかディープな本だった。

    設定としては、マーロウという船乗りが、船が停泊しているなかで、仲間に自分の体験を物語るという体裁をとっているのだが、読んでいて、誰が誰だか、わからなくなってしまう複雑さがある。

    訳文も1958年のもので、原文をしっかり訳そうとしているのか、かなり読みにくい感じ。なかなか、話の筋がわかりにくい。(もう少し、新しい訳を読めばよかった)

    この難しさはたんに訳文のせいだけではないはずで、まさに「暗黒大陸」アフリカの奥にむかって、川を遡行していくにあたって、なにがなんだかわからないことがどんどん起きて、悪夢のなかに迷い込んでいくような物語そのものの構造からやってくるのであろう。

    なんだかよくわらないにもかかわらず、かなり衝撃的な本だった。(読みにくかったのには、最近、わたしが小説をほとんど読まないということも関係しているかもしれない)

    アフリカの奥地、闇の奥(Heart of Darkness)に入ることによって、理性と非理性の対立、文明と原始との対立が浮かび上がるとともに、人間の心の闇(Heart of Darkness)に分けいっていくことが主題なんですね。

    と言っても、これは19世紀のヨーロッパ人の社会的な構築の文明観なんだけど。

    アーレントは、「帝国主義」のなかで、ヨーロッパの植民地経営のなかで、人種主義的な暴力が蔓延していったことが、人の命を軽くみてしまう感性を生み出したこと、そして、ヨーロッパで余計ものになったいかがわしい人々が植民地に行って、傍若無人な行為をおこなっていたことが「全体主義」を生み出す一つの要因になったとしているが、まさにそのあたりの分析を裏付ける本だな〜。

    「裏付ける」と言っても、これは小説であって、歴史家には、アーレントの論立ては、まったく許し難い論理であろうけど、アーレントは客観的な事実というより、主観的、心理的な経験というところから、全体主義的な暴力の一面を描こうとしていたんだなとあらためて納得した。

    もうちょっと新しい翻訳で、再チャレンジしてみたい。

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    2022年08月15日
  • 闇の奥

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    未だにわからない
    「The horror! The horror!」だけが入ってくる

    この作品を理解できるだけの人生はまだ自分は経験してないなぁ

    余談だが解説が長すぎる!

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    2022年07月19日
  • 闇の奥

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    濃密な文章で読みやすくはないが、そのおかげでアフリカの奥地の猥雑な雰囲気が伝わってくる。
    文明からかけ離れた未開の地に足を踏み入れることは、想像を絶するような体験なのだろう。正気を保てず狂ってしまうほど。怖しい!

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    2022年01月08日