吉川洋のレビュー一覧
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全てを「数字(exおカネ)」で表す社会は短期的な効率性を実現できるが、長期的には「リスク」を取れずに衰退する。
1990年以降、バブル後の日本はまさにそれ故に「失われた30年」を過ごしてしまった。
経済学の2人の巨人、KeynesとSchumpeterは「Animal Spirit」と「Innovation」の重要性を繰り返し唱えた。
1.森嶋通夫の戦後教育批判(19)
「偏差値教育」丸暗記には巧みだが、論理的思考・意思決定は苦手という人材育成。
価値判断を行う能力を失った=エリート養成の失敗
21世紀 日本は頂点から崩れていく危険が大きい
2.バブルを支えた「土地神話」→官製のnarrative
①金融立国 首都改造計画
②余暇とレジャー拡大 87年06月「リゾート法」
3.自由貿易vs保護貿易
リカードの自由貿易論は各国の産業Positionを固定化
ドイツの「幼稚産業保護論」には遙かに妥当性ある
4.高齢化問題の予兆
1973年「福祉元年」田中角栄内閣
老人医療費の無料化 70歳以上自己負担ゼロ
中央官僚の危機感 財政的に持続可能なのか?
5.崩れゆくモラル
「マネーゲーム」利益の数学的期待値を最大化する
⇒それをやったら企業は終りだ(Keynes)
今の日本は、かってのローマ帝国と同様「時計」がとまっている。チャレンジしないサラリーマン経営者たちのせいで。「低いアンテナと高いプライド」に支えられ。
内向きの課題対応に追われて、多様な可能性・破壊的イノベーションを逃している。SONY久多良木健 -
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少子化が叫ばれる日本の出生率は2023年に1.20まで低下した。アフリカ諸国の6.0と比べると圧倒的に低く、先進国の中でも最低レベルを推移している。一方で平均寿命は男女共に80歳を超えているから、相対的に少なくなる若年層の負担は今後暫く増加していくのは間違いない。何より寿命は誰にでも訪れるから、出生数が減少することは将来に渡り人口が減っていく事を表している。
18世紀のイギリスの古典経済学者であるマルサスが著した「人口論」は食料生産力の増加を超える人口増加は人々を経済的貧困に陥らせる事に警鐘を鳴らし、人口抑制策の導入の必要性を説いたが、今の日本の未来はその反対側の方向へと向かっている。だが世界レベルで見れば地球上の人口は100億を近い将来超える勢いがあるし、既に食糧不足を危惧する声は大きくなって、日本でも最近昆虫食に注目が集まるような状況だ。
日本の様な人口の減少が今後何を引き起こすかについては、自然に考えつくのは経済活動の停滞に伴う、経済規模の縮小の懸念であり、昨今GDPでドイツに抜かれたことからも、それを思い浮かべる人は多いだろう(実際は円安に伴う影響が大きいだろうが)。だがドイツも出所は低迷し、日本と大きくは変わらない。違いは移民を受け入れる政策にある。移民を受け入れてまで経済拡大を望むか、人口減少による経済縮小を受け入れつつも、日本人としての道を歩み続けるのか。人それぞれ考え方の違いはあるだろうから、議論が分かれるところだ。
では経済の拡大は望めないのか。本書では過去の日本が高度成長期に労働人口の増加率を遥かに凌駕する経済成長を遂げたことに注目する。それは技術革新・イノベーションの力であり、必ずしも人口の増減と経済規模が単純比例しない事に触れる。また、その背景には人々が裕福な暮らしを望み、モノを欲しがる気持ち、所謂需要が旺盛であったことが、市場の拡大を生み、日本が世界有数の経済規模になれた事にも言及する。人間の欲は無限で、他人よりも豊かな暮らしがしたい、美しい服を着たい、美味しい物を食べたい、といった欲望が経済の拡大を引っ張る要因である事を説明する。
だが人間的な裕福が必ずしも経済規模だけで測れるかと言えばそれはノーだ。現在進行形の人口減少がこのまま続けば、勿論何もしなければ経済規模は縮小し、世界での順位は下がり続けるだろう。だがしかしそれがそのまま不幸な事だとは言い切れない。昨今量より質が問われる時代であり、更には個人の嗜好が重要な時代に入る。私にとっての幸せと他人の感じる幸せの尺度は異なる。それぞれにとっての幸福度は、国の経済規模だけでは測れない。
そうした様々な考え方と議論の中で、読者が何を考え、何を幸福・豊かさの基準とするか。我々一人一人に問いかけてくる一冊である。
また最終的にはこれからの超高齢社会や人口減少は社会が変わる節目であり、そこに新たにビジネスやイノベーションが巻き起こるチャンス・機会とも捉える事ができる。そうした意味でその時代を生きる我々の周りには凡ゆる検証機会ときっかけが溢れているという事を教えてくれる。ただひたすらに産めや増やせやで人口も生産も増加させた時代は終焉したのだから、新しい時代の新しい考え方、価値観を持つ事が重要になってくる。 -
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ライフネット生命創業者の出口さんのオススメ本。
●レビュー
・人口と経済の関わりを、歴史、海外との比較、経済学者などの論考への分析などの多面的に検討する画期的一冊。
・人口は増えたほうがいいとか、減ったほうがいいとか、単純な議論ではなく、双方のメリット、現状の問題点などを洗い出している。
・人口減少に伴う諸問題(GDP減少懸念、高齢化、長寿問題)に対する解決策は、イノベーションと移民受け入れですって結論は割とシンプル。
●ほか
・マルサス、アダム・スミス、ケインズ、ミル、漱石、老子、内藤湖南など引用が豊富。
・GDPのメリット(経済のサイズを測るに便利な指標である点)とデメリット(家事の価値など)は参考になった。
・高度経済は実は内需が支えていた、ってことを仰られていて、その点、野口悠紀雄さんとかが仰ってたこと(キャッチアップモデル、人口増加、圧倒的円安、1940年体制とかだったかな)に対してもう少しデータに基づいて話してくれると嬉しいです。 -
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デフレ論争。
デフレ20年の記録。
リカードの貨幣数量説。
マーシャルはマネーサプライより、実物的な要因によって生み出される、とした。
M=kPy kはマーシャルのk。yが増大すれば、Mが変わらなければ、物価Pは減少する。しかし、yの増大にともなってMが増えれば、Pは減少しないはず。しかし、yが増大してMが変わらなければ、金利は上昇するはず。しかし実態はかわらなかった。これをギブソン・パラドックスという。
ケインズの時代は、Mが増大したが、Pは減少した。
ブラウン=オズガによると、交易条件によって物価水準がきまる。
貨幣数量説は正しいか。ミルトン・フリードマンなど。絶対価格の変化か相対価格の変化か。
テーラールール=金利水準を決定するルール。カーター大統領とボルガー議長の時代
マネーサプライだけでは、インフレデフレは制御できない。
ポール・クルーグマンモデル=金利がゼロ水準で流動性のわなに陥っている状態でも、現在のマネーサプライを増やせば、将来の物価上昇の期待を通じて、デフレを解消できる。
しかし、個人の集合を代表的な個人で代表することはできず、実社会では、異時点間の消費の代替の弾力性はないに等しい。
価格の決定の論理=社会的に正義にかなうか否か。フェアなことは通用する(仕方ないと社会が思う)が、アンフェアな価格付けは社会が拒否するので通用しない。
2部門アプローチ=一次産品は需要によって価格がきまるが、二次産品はコストによって価格が決まる。一次産品は、需要と供給によって価格が決定するが、二次産品は、価格は一定で、需要がない場合は供給が減ることで調整が完了する。
日本だけがデフレだったのは、賃金の下落があったから。雇用が賃金か、と選択を迫られたときに雇用をとった。
賃金は非伸縮性が高いが、非正規雇用の増加によって、全体として伸縮性が実現した。
貨幣数量説の弱点は、均衡点と均衡点を比較すれば成立するが
その過程を説明できないこと
目の前でデフレが進行している時、インフレ期待は生じないだろう。しかし、合理的個人、で代表させて説明しようとする合理的期待モデルでは、経済主体が合理的であれば、変数をいじることで、インフレ期待が生じることになる。 -
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著者のケインズの学説の進化を中心に紹介する新書「ケインズ」が面白かったので、こちらも読んでみた。
20世紀前半の2大経済学者と言っても異論はないであろうケインズとシュンペーターを当時の激動の時代と関係づけつつ時系列的に紹介したもの。
とは言っても、この2人の影響関係はよくわからなくて、シュンペーターはケインズを意識したようだが、ケインズの方はあまり眼中になかった模様。
個人的には、シュンペーターの経済学はちゃんと読んだことがないので、かなり勉強になった。彼のイノベーション論、創造的破壊論はこれまで表面的な理解しかなかったんだなと思い、「経済発展の理論」を読まなきゃという気になった。
私はケインズという人が好きなんだけど、彼の経済理論はいろいろ穴があってツッコミどころは多い気がしていた。が、先般、岩井克人さんの本を読んでいたら、「一般理論」は当時の経済学者が納得できるように学問的に精緻に書かれたものであるといったことが書いてあって、ここはちょっと違和感を持っていた。
こちらの本では、ケインズが経済学をちゃんと勉強したのは1年程度で、あとは具体的に当時のイギリスで、世界で起きていた経済問題に対する処方箋という意味を持った理論であると位置付けられていて、こちらの方が私のケイン理解に近い気がした。
きっと彼はそれまでの経済学をそれほど学んでいなかったからこそ、経済学的なブレークスルーができたんだろうなと思う。また、彼は学者というよりは、ステイツマンと考えた方が良さそうで、「一般理論」は経済学者に対する本であると同時に、当時の経済政策を決定する立場の政治家や官僚に対して書いたものだと思う。
その辺りのところが改めて整理できた。
著者は、ケインズとシュンペーターの議論は噛み合わないところが多いとしつつも、資本主義というものの本質をしっかりと対峙したという姿勢は共通するところと考え、この2人の理論は統合可能なものという目論見を書いている。
その統合の理論は、その後に出版されている読んだが、専門書で値段も高いので、しばらくそれは先送りをしておこう。 -
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日本は少子高齢化により人口が急激に減っている。働き手は減り、地方都市は消滅の危機にある。もはや日本の衰退は不可避ではないかという論調が多いが、そのようなことはない。経済成長をもたらすものはイノベーションであり、人口が減っていくからといって、衰退が避けられないというものではない。以上が、本書の骨子中の骨子だと理解した。
それでは、そもそも経済成長って必要なのか、必要だとすれば何のために必要なのか、という問いも本書は投げかけている。この問いに対しての、私なりの理解を下記したい。
経済成長をもたらすものがイノベーションであるとすれば、イノベーションのないところに経済成長は起きない。では、イノベーションが起これば、どのような良いことが起こるのか。端的で分かりやすい例は、平均寿命の伸長である。平均寿命の伸長には、多くのイノベーションが与っている。それは、例えば、新しい薬の開発であったり、新しい治療方法の開発であったり、あるいは、国民皆保険や乳児に対しての予防接種というような社会システムもイノベーションとして考えても良いかもしれない。これらのイノベーションが平均寿命の伸長という果実をもたらしたのである。経済成長が起こっているということは、どこかの分野で、このようなイノベーションが起こっているということであり、一般的にイノベーションが起これば社会を良くするものである、これが経済成長が必要な理由の一つである。
また、成長か平等か、という議論が別にある。経済成長の結果、世界の多くの国で所得格差が広がっているのではということが言われている。しかし、格差を是正するためには、やはり成長による原資が必要となる。そういった面からも経済成長は必要である。ただし、これは成長した「から」格差が是正されるという関係にはなく、それはそのための対応が必要な事項である。
たしかに、このようなことは言えるとは思うが、事はそれほど簡単ではない気もする。少子高齢化により、高齢者人口が増大したことにより、社会保障費により多くの原資が必要になっている。経済成長により、国の富が増えても、そのうちの多くの部分を、追加の社会保障費に費やさざるを得ない状態が、今の日本の状態ではないだろうか。個人から見れば、折角、給料が増えても社会保険料や税金の増加により、それがなかなか実感できない、そういう状態かと思う。「イノベーションが経済成長をもたらす。従って、必ずしも人口減少は、あまりに悲観的に考える必要はない」という本書の考えは、少し楽観的かな、とも感じる。 -
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吉川洋 「いまこそ ケインズ と シュンペーター に学べ 」著者の結論は 資本主義経済の重要な核は ケインズの有効需要、シュンペーターのイノベーションの統合概念(需要創出型のイノベーション)
ケインズ=有効需要の理論
*経済の活動水準は需要により決まる=不況は需要不足により起こる
*投資の不安定性が資本主義経済の変動要因
*金融投資は 美人投票と同じ(自分が美人と感じる人に投票するのでなく、みんなが美人と感じる人に投票する)
シュンペーター=イノベーション、創造的破壊
*資本主義の本質=企業家によるイノベーションに基づくダイナミズム→不況はイノベーションがもたらす必然
「不況なくして 経済発展なし」 -
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人口問題から経済学を見るなんて面白い発想だなと思って手に取ったのだが、全くの勘違いであった。面白い発想どころか人口問題とは経済学のメインストリームであることを本書で初めて知った。
10年前にベストセラーになった藻谷氏の「デフレの正体」を著者が意識したかどうかはわからないが、経済成長は人口ではなくイノベーションによって決まる、が本書の主軸だ。確かに直接の因果を突き詰めればそうかも知れぬが、イノベーションは人間がなすものなれば、その数が多いほどイノベーションが生まれる確率も動機も高くなると見るのが自然だろう。さらに言えば経済成長と人口増減の相関を見るなら両者の微分をスケールを標準化して比較しなければ結論を出せないと思うのは理系人間だけ?
また国債を日本人が持っているから安心だとの説(今で言うMMT?)に対する反証として、株と外国人株主で喩えているがこれもナンセンスだ。国債を企業活動に例えるなら、社債をその会社の従業員だけで保有している状態を想定すべきだし、その場合は会社は社債を返すために従業員の給料を下げる手段が取れる、という意味で社外の債権者に返済するのとは意味が異なるだろう(それが解決策だとは思わないが、増税で国債を償還するのはそういうことだ)。
このように首をかしげる内容も少なくないのだが、「経済成長の飽和点=ゼロ成長社会」が存在するかどうかの命題は、「これ以上の寿命の延びを望むかどうか」に置き換えられるという説明は納得できる。言われてみれば不自然なテクノロジーで寿命を無理やり延ばす様子は、どうでもよいイノベーションでさして必要のない商品を無意識的に購買させられる姿と重なる。100年前なら葬式で「それは寿命でしたな」と慰められる状態も現在では短命と嘆かれる。つまり「寿命」には生物学的な定義などなく、人々の観念上の概念に過ぎないのだから、「これ以上長生きしなくともよい」との合意が形成されればゼロ成長社会が到来するのかも知れない。ただしその世界は旧共産圏のような色のないものになるだろうが、それも人々の総意なら皆Happyであろう。 -
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日本において進行する超高齢化と人口減少問題については、毎日のように新聞紙上にて論ぜられ、それにより国家の増大する一方の歳出に対する懸念は論を俟たない状況です。
筆者は、昭和期の高度経済成長が、労働人口の増加ではなく、生産性の向上により実現されたことを、GDP伸び率と人口伸び率の差を示して指摘し、人口減少社会でも生産性を向上させることにより経済成長を達成できると説きます。
中国製造2025やドイツのインダストリー4.0等、製造業でのイノベーションを喚起する国家的取り組みが世界的にも大きく注目されている中、日本では特定の業種(例えば自動車)で、革新的取組への意欲(自動運転、電動化など)が見られますが、それはグローバルな競争への対処であって、独自性に乏しいような気もします。
グローバルなシュンペーター型競争市場で頭角を現す企業が出現することにより、更なる経済成長を達成する期待はあるものの、一方で日本では企業が現金をため込み健全なリスクテイクが行われていない状況があります。
労働力不足を補うための外国人単純労働者の受入れが叫ばれていますが、停滞する日本企業をグローバルな市場へと連携させる外国人プロ経営者の招聘、というのも状況の打開への起爆剤となるかもしれません。 -
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私の理解では論旨はこんな感じ。
①「人口減少は大きな問題だが、だからといって経済成長できないわけではない」
②「経済成長はよいことである。最大の成果は寿命が延びたこと。人は幸せになった」
③「日本自身の経験に照らしても、成長ドライバーは人口ではなく『イノベーション』」
まず①については、「観光立国論」のデイビット・アトキンソン氏の意見が対極だろう。氏は「日本の奇跡的な経済成長は(日本人が思っているような)国民性やらなんやらではなく、要は急速な人口増によるもの」との立場。もちろん、だからこそ構造改革を、という点で両氏は通底している部分もあるが。
②について、成長を追わずに身の丈にあった暮らしを、といった意見を真向否定。ときにノスタルジックに語られる江戸時代についても(人骨などから判断できるとおり)栄養失調で寿命は短く、都市部は過密、今のほうがずっと幸せ、とすっきりしている。
では③、吉川先生が言う成長のための「イノベーション」とは何かと言えば、いわゆるサプライサイドというよりはつまりは「需要を作り出す工夫」のことと解釈した(大人用紙おむつや通勤用のグリーン車などを例示)。日本企業は内部留保貯めこんでなにやってるんだ、ちゃんとビジネスに使いなさい、と。
閉塞感に満ちた我が国に、理論とファクトで「人口減少は危機、その上でポジティブな未来はある」と訴える姿勢はすがすがしい。
とはいえ現状の財政を支えられるほどのイノベーションがありえるのか、企業が外需に目を向けるのは仕方ないのではないか、具体的なアイデアは、といった点は「それは下々の(笑)実務者が考えなさい」と割り切った本。
ともあれ、人口減問題のマクロ的理解として基本書と思う。