佐藤洋一郎のレビュー一覧
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農学博士による、東アジアにおける稲と米の研究結果をまとめたもの。純粋な研究結果というよりも、研究旅行記といった方が的確かもしれない。書かれているのは、インド、タイ、ラオス、ベトナム、カンボジア、中国の6カ国。研究結果も興味深いが、旅行記部分も楽しく読めた。
「世界には、世界三大穀類と呼ばれる種類がある。米、小麦、トウモロコシの三種で、額面上の生産高はトウモロコシが一位である。しかし、トウモロコシは家畜の餌として消費されたり、アルコールに加工されたりする分が多く、直接人の口に入る分でいうと、じつは米が世界一多く食べられている穀物なのである」p12
「(米栽培には大量の水が必要)1キロの米を作るのに使われる水の量は3トンにもなるという」p13
「(どこでも外食できるわけではない)自由に外食できる環境とは、食べるものに満ちあふれている特異的な環境である」p30
「ここ30年足らずの間に南京の米はずいぶん美味くなった」p258
「(ハイブリッドライス)市販の種子を播いてそれから次世代の種子を得ようとしても、ある場合には彼らは種子をつけず、また仮に種子をつけても、それらを播いてももはや同じ性格のものが出てくることはない。それらの品種は「エフ・ワン」といって、毎世代専門業者の手になる種子を買い続けなければならない。なぜなら、彼らがもともと「他家受粉植物」といってほかの株の花粉でないと受精できない遺伝的な仕組みをもっているからである。植物には他家受精するものと自家受精するものとがある。稲や小麦のように自家受精するものでも、他家受精でできた株のほうが自家受精でできた株よりもよく育つのだ。この原理を雑種強勢という。その詳しいメカニズムはわかっていない」p266 -
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食べ物と社会について書かれている。社会とざっくり言ってしまったが、経済や文化や生き方と食べ物の関係について、丁寧に説明して著者の考えを述べている。
経済効率を優先すると、多様性が失われ、多様性が無くなると、作物が病気になるリスクも高まり、結局は人間にとっては良くないーといくつもの例を挙げて説明している。では、グローバル社会で経済重視の社会で生きる現代の私たちは、どうすれは良いか も示唆してくれます。
中学生向けに購入。内容自体は、子育てしているお母さんが日々考えているようなことで、中学生が興味がもてないかも。でも、文章はとても分かりやすいのでウチの中学生にもススメようと思う。 -
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パスタに蕎麦、うどんにそうめん、ラーメン、冷麦。麺類も大好き
だけれど、1日1回は口にしないと落ち着かないのがご飯である。
炊きたてご飯の香りは幸せである。最後の晩餐なら、最高の
日本米で作ったおにぎりを食べたいっ!あ…涎が。
でも、日本で食べられているお米だけが米ではない。世界には
いろんなお米があって、いろんな食べ方をされている。それを
ジュニア向けに書いたのが本書。
ジャポニカ米とインディカ米の名付け親って日本人だったのね。
そんなことも知らずに毎日、モリモリとご飯を食べてました。
すいません。
冷夏でお米が不作だった時、外国産の米がまずいやらなんやら
と話題になったが、そもそも日本のお米とは特徴が違うのだから
同じように炊飯しちゃいけなかったんだよね。
それぞれの特徴を知って、料理別にお米を変えてみるとバラエティ
に富んでおいしく食べられそう。
残念なのは写真が少ないこと。出来れば数ページでカラー写真を
掲載して欲しかった。
おまけ。ジュニア新書なので中高校生向けなのだが、途中で和辻
哲郎の話が出て来てびっくり。中高生で読むか?和辻哲郎。私は
読まなかったよ。 -
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稲の起源を追い求め、30年にわたって海外調査を続ける筆者が書いた紀行文。
地理学や遺伝子学などを通して様々な考察が上がるが未だ結論は出ていないらしい。
結論は出てないにしろ好きなことを追い求める姿勢が羨ましく感じました。
日本の稲はなるべく低く、多収量な品種が好まれ、それが当たり前です。
しかし世界の棚田では敢えて稲の脱粒性が高い品種でそれが持続している場所もあり、肥料や機械、場所の問題と戦っていることを知りました。
いろんな品種を蒔き、成長がまばらで収穫時期が違うことが1日の労働を抑えたりなど、モノは考えようでいかにその環境で暮らすかという思想は今の消費社会より健全だと感じます。
稲も人もモノカルチャーにならずに、暮らしに沿った生き方が理想と改めて思いました。 -
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ざっくりした感想は、ホモサピエンス全史を食に絞って書いたような本だな、というもの。社会の授業中に資料集を眺めまくり、民博に喜び勇んで行くタイプなので個人的には好き。
ユーラシア大陸の食事情がどのように発展していったのか、風土や周りとの関係がどのように影響を与えていったのかを紹介しつつ述べられていた。
個人的に印象強かったのは
・インド人がベジタリアンなのは人口密度が昔から高めだったため、環境負荷のかかる肉食を避けようとしたためでは。宗教の戒律は後付けでうまれたのでは
・モンスーン気候の東アジアでは稲を育てつつ周辺の野生動物(主に魚)を食べていたため、自然崇拝や多神教、天然物をありがたがる心が育まれた
一方、欧州など西アジアでは家畜化した動物からタンパク質を摂取しているため、神が人間に必要なもの全てを作ったという一神教が生まれた
同じ内容が繰り返し出て来たため、少々冗長に感じてしまったのがちょっと残念。
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この途方もない地球の歴史と、途方もない人間の欲求
狩猟採集、農耕、牧畜(遊牧)の起こりや、各々のふしぎな相互関係に触れつつ、
この地球のとても複雑な自然史と文化の要約を通して、人間の営みを省みる1冊です。
「世界の食文化についての雑学」くらいカジュアルな内容でないと私の頭では理解できないんじゃないかと心配でしたが、興味を失うことなく完読できました。
子供のころに保健の授業で習ったタンパク質や糖質の話と、社会科で習った地理学や風土、歴史で学んだ文化文明がごく自然につながることに感動し、今になって知る喜びを感じました。でも本来その繋がりは当たり前のことなんだよな〜と思い、若い頃もっと勉強に興味をいだければよかったなとも思うことも。「知ること」「知ったことがつながること」の喜びに子供のころに気づけるかどうかは大事ですよね。
人間に欠かせない栄養素、糖質とタンパク質。この組み合わせは風土によって米であったり小麦であったり、魚であったり豆類であったりと異なります。日本は「米と魚」、西洋では「麦とミルク」などといったように。著者はこれについて「糖質とタンパク質のパッケージ」という概念を提唱しています。この組み合わせの違いがその地の文化や宗教、思想にフィードバックしているのが面白いです。
食文化の素晴らしさにも触れています。たとえば日本食について、世界でも注目される和食。その原点ともいえる一汁一菜には、日本の紀行・風土が現れていると著者は説きます。汁ものには水が豊富であることと良質な軟水があること、豊富な魚介類から採れるさまざまなダシも必要です。湿潤な気候により発展した米作りと発酵技術も和食には欠かせません。以前は粗食であることの例えだった「一汁一菜」ですが、白ごはん、味噌汁、お漬物、ただこれだけでも、日本の豊かさが現れているのです。
人間の社会と気候が互いに影響しあったり、海と森林が互いに作用しあったりと、複雑な相互関係が絶妙なバランスを保ちつつ、地球をおおいつくす毛細血管のようにからみあって、この自然というシステムを持続させてきたわけですが、途方もなく長い地球の歴史上のたった一瞬にも満たないこの数百年で、人間は豊かさや便利さを求めるあまりにいきすぎた環境破壊をおこなってきたわけです。
たとえば現代に生きる私たちが手に取ったひとつのパンには、どれだけの人と技術が関わっているでしょうか。海外で小麦を栽培する農家、その栽培に使われる機械およびその燃料、小麦の製粉、包装にも人間や機械は当然関わりますよね。そして何トンもの小麦粉は船で運搬され、食品メーカーが買い入れ、工場の巨大なベルトコンベアやオーブンでパンが焼かれます。個別包装する機械、それをまとめて小売店に運ぶトラック、小売店による管理と販売があって、やっと私たちの手元に届くのです。ここまでにどれだけの燃料が使われ、どれだけの土地を使って巨大農場や工場が建てられているでしょうか。このたかが一つのパンは人間のとんでもない贅沢だということに読後気づかされます。
大量生産、大量消費が当たり前の現在から、作り手と食べる人の関係がよりローカルで、より小さな輪でつながるような在り方を目指すべきではないかと思います。農家直売のマーケットで買うことや、時には財布と相談しながら、他のものより高い値段のフェアトレード商品を買うこと。すこしずつでも、できる範囲で今の在り方から距離を取っていきたいと思っています。
何千万年と続く膨大かつ複雑な世界の歴史・文化に大幅にページを割いていますが、最後のたった十数ページ「終章」「おわりに」にため息が漏れるほど胸を打たれました。最後の数行を以下に引用します。
〝食とは、地球システムのなかでの人間の営みなのであって、いくら技術が進んだところでこの根本原則が変わることはない。これを都合よく制御しようという現代社会の試みは、いったん動きだせばあとは永遠に動きつづける「永久機関」を作ろうという試みと何ら変わることはなく、破綻は目に見えている。繰り返し書こう。食の営みは、土を離れては、あるいは人と人との関係を切り離したところでは持続しえないのである。〟
人間が管理しようとすることイコール多様性をなくし、コントロールをしやすくすること。自然相手でも、人間相手でもそうだと思っています。スーパーに並ぶ野菜はどれも形、大きさ、色味が揃えられていますが、野生のものは姿形もバラバラです。本来はそうなのです。多様性を受け入れることは、すなわち管理をゆるめることにつながることではないかと思うのですが、実際の社会は管理・監視の目を強めているようにしか思えません。
人類史の本を読むたびに、この人間が生み出した技術を賛美したくなるような文明の発展と、生態系の破壊に見られるような人間の罪深さのあいだで色々な感情がないまぜになります。取り返しのつかないことをした人間たちが今になってやっと始めた、せめてもの罪滅ぼしがSDGsということになるでしょうか。 -
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<目次>
第1章 人類の食、日本人の食
第2章 こんなにもある和食材
第3章 東と西の和食文化
第4章 都会と田舎の食
第5章 江戸と上方~都市部の食
第6章 二つの海~日本海と太平洋
第7章 海と里と山~里海・里地・里山
第8章 武家・貴族・商人の食
第9章 はしっこの和食
終章 いくつもの「和食」を未来へ
<内容>
そんなに目新しいことはなかった気がするが、細長い、歴史も長い日本の食をうまく分類、分析しているのではないか?武士や商人の食を示してるのは斬新。「○○料理」は、ここ最近の呼び方であり、地域でもっと素晴らしい料理があったことを知る。 -
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考えるテーマの中心は「多様性」「実際にかかっているコスト」「絶対安全などない」といったところ。食の安心安全についてやたらと感情に訴えかけるだけの本とは違い、発信者の都合で出してないだけの情報の部分も良く考えた上で、最終的には各人が自己責任で判断すべきだ、ということを分かりやすく啓蒙している。東日本大震災の翌年に書かれている本で、各種専門家が「想定外」と軽々しく言うことに関しては「考えることと責任を放棄している」と手厳しく批判している。
「食の多様性」を守ることの大切さを改めて考えさせられる。文化を継承する大切さだけではない。近代でも欧州でジャガイモばかり効率良く作っていたため、ジャガイモが伝染病にかかって壊滅的な打撃を受けたときに他の作物で代替えができず餓死者を相当出したことがあったという。
食も、人や組織もまた同じ。効率の良い同じような物ばかりだと、うまく行っている時は効果を発揮するが、ひとたびその効率が崩れた時は脆い。 -
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ネタバレ<目次>
はじめに
第1章 稲作がやってきた~気配と情念の時代
第2章 水田、国家経営される~自然改造はじまりの時代
第3章 米づくり民間経営される~停滞と技術開発が併存した時代
第4章 米、貨幣となる~米食文化開花の時代
第5章 米、みたび軍事物資となる~富国強兵を支えた時代
第6章 米と稲作、行き場をなくす~米が純粋に食料となった時代
第7章 未来へ「米と魚」への回帰を
おわりに
<内容>
タイトルは「日本史」だが、歴史家ではなく、農学者による日本での米がどのように扱われてきたか(作ることから食べることまで)を俯瞰した本。歴史科の視点ではないので、各章の区切りもユニークだし、その視点もユニーク。それだけに刮目される話が多い。例えば弥生時代には、コメは作られても食料の主流にはなり得なかったとか、中世から近世はともかくたくさん穫れることが目的だったとか(味は二の次三の次)…。 -
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食の確保が人類史を考える上での大きな視点であることは間違いない。「たかが食、されど食」なんと私たちは食の問題を卑小な問題と考えてしまっている事か!しかし人類の文化史そのものでもある。そして食べる行為を通して人間は社会性を高めていったということは否定できない!東西の交流において遊牧民の果たした役割について著者が極めて評価していることは、そういう意味で説得力がある。旧約聖書に出てくるいろいろな食べ物の名称もこのような観点では新鮮だ。ネアンデルタール人とクロマニオン人の接触の可能性などにまで及び、実に雄大な着想。和食文化がユネスコの無形文化遺産に登録されたこともこの延長線上で理解しやすい。しかし、今の日本では、食材の生産はおろか、加工や調理さえもしない、「食の外部化」の極致!との指摘は全くそのとおりだと思う。
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著者の佐藤洋一郎氏は、元総合地球環境学研究所教授・副所長の農学者。
本書は、ユーラシアの人類が進化し、文明化を遂げる中で、“食”に関してどのような歴史をたどり、現在に至ったのかを概観したものである。
その際、著者は2つの観点から、全体を整理している。一つは、生物としての人間の生存に欠かせない栄養素である「糖質」と「タンパク質」を何から摂取したのか、もう一つは、「狩猟・採集」、「農耕」、「遊牧」という大きく3つに分かれる生業のいずれから食料を得たのかという観点である。
そして、ユーラシアを、東の夏穀類ゾーンと西の麦農耕ゾーンに分けて以下のように分析している。
◆中央アジアの乾燥地帯の東側の地域は、大半が夏雨地帯で降水量も相対的に多く、豊かな水に支えられた森が、温度条件の差異により、北から針葉樹林、落葉樹林、常緑広葉樹林、熱帯雨林と、緯度帯に沿って広がっている。そして、食料については、それぞれの森の性格に応じた地域分けができるが、概ね、夏穀類(糖質)と魚(タンパク質)の組み合わせ、即ち、「米と魚」または「雑穀と魚」というパッケージであった。また、これを生業という観点から見ると、「農耕」と「狩猟・採集」によるものである。
◆一方、西側の地域は冬雨地帯で降水量も概して少ないが、地域のバリエーションは温度条件よりも水分条件に依存し、南北よりも東西方向に大きい。そして、食料については、冬穀類(糖質)と家畜(タンパク質)の組み合わせ、典型的なものとしては「麦とミルク」というパッケージであった。また、生業の観点から見ると、「農耕」と「遊牧」によるものである。この地域で、タンパク質を得るための動物質の食材が、天然資源ではなく家畜(人が作った動物)であるというのは、「家畜は神が人に与えたもの」というキリスト教の思想を反映したものとも言える。
更に著者は、3つの生業のかかわりについて、相互補完的でありながら相互対立的でもあったといい、「農耕文化」と「狩猟・採集文化」、或いは時代が下ってからは「農耕文化」と「遊牧文化」が、土地の利用形態を巡って対立を続けてきたこと、西ユーラシアが原産と考えられるコムギの東への伝播は交易の担い手であった遊牧民によってであった可能性が高いこと、などを挙げている。
『食の人類史』という壮大なテーマには答え得ていないが、現在のユーラシア各地の食文化の歴史・背景を知る上では有用な書であろう。
(2016年4月了)