佐々田雅子のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
末娘セシリアの自殺から始まる5人姉妹の集団自殺が描かれている。預言的と書かれてあるがそこに現実批判(吟味)による倫理を読み解かなければならない。
集団自殺だからといってタブーにすることは当然意味がない。ただ未来に向かって現実を批判する時この集団自殺を突き放して見る視点があればいいのだろうと思いました。そういう視点を得ることがこの本の良さだろうと思います。坂口安吾で言えば故郷(ふるさと)かなって、没落していく雰囲気は一瞬フォークナーっぽく感じたけど、男の子の視点というところが自己批判の甘さがあると思う。そういう設定だから別にかまわないけど。お互いに循環論証になっていて止揚できないというか批判でき -
Posted by ブクログ
2段組700頁越えにビビるが読み始めると意外と軽快。主人公は一発屋のさえない小説家。政治家への投石で捕まった母親の暴露本を書くため彼女の過去を調査をするうちに、意外な展開になっていく。読んでいるときは「こいつロクでもねえな」っていう人ばっかり出てくるのに、最終的にはなぜだか誰も憎くないこの不思議。人は色々な面を持ち合わせていてどれも本当の自分。同じ出来事にも色々な側面があって、どこから見るか、どこを切り取るかで全然違う。そんな基本的だけど忘れがちなことが、丁寧にあぶり出されていく。著者のブラックユーモアも好き。主人公と編集者とのやりとり笑った。
-
Posted by ブクログ
私小説というわけでもないのに、作家が主人公の小説というのがけっこう多い気がする。やはり、自分のことを書くのが作家の基本なんだろうか。読者の方は、別に作家志望とかでもないだろうに、やっぱり作家が主人公の小説が好きなんだろうか。よくわからないが、小説が書けなくて、ゲームばっかりやっている大学助教授の話である。ネット環境がいいからと研究室のコンピュータで参戦するというのはどんなものだろうか。
サミュエル・アンダーソンは大学助教授。一時期、作家を目指したが、短篇を一作完成して以来何も書いていない。今では講義の合間にネットゲームにのめり込んでいる。担当は英文学で、ハムレットを教えている。クレーマーらし -
Posted by ブクログ
ネタバレ昔購読していたファッション誌のモデルさんがおすすめしていたのを見て以来、ずっと読みたかった作品。姉妹の部屋に吊り下げられた十二宮のモビール、ブラジャーの引っ掛けられた十字架といった印象的なモチーフが次々登場し、読んでいるこちらも段々と幻惑されられていく。最初の自殺の日から放置されたままのパーティー会場で、ピニャータのように吊り下がった死体を発見するシーンは鳥肌。ぜひ映画でその映像映えを堪能したいところ。70年代アメリカのティーンエイジャーの鬱屈した生活の中で、ひたすら死に引き寄せられる姉妹と彼女らに性欲を抱きつつ助け出したいと望む「ぼくら」の対比が美しい。
-
Posted by ブクログ
1936年テキサスにおけるアメリカ最後の絞首刑。実際に起きたその題材をもとに、作者は全く別の絞首刑を中心とする南部ミステリーを作り上げる。南部と言えば、ジョー・R・ランズデール、ジョン・グリシャムなどの印象が強いが、このローリー・ロイはまさにテキサスの農地に根付いた家族たちの物語を、土地に纏わる土俗的で濃密な時間や空気を書き綴る独特な筆力の持ち主である。
ミステリとしては、衝撃度や明らかな犯罪や犯人といったわかりやすさをむしろ放棄し、物語ることの中で、敵対する隣家との緊張した空気、その中で犠牲となった少年、そして絞首刑に晒されることになる青年の真実、といったミステリ要素を次第に浮き彫りに -
Posted by ブクログ
雲霞に似た昆虫、蛇蜻蛉が湖から湧き上がって町を埋め尽くす初夏に自殺した
リズボン家の五人姉妹について、後年、大人になった「ぼく」たちが回想し、
それぞれが知るエピソードを繋ぎ合わせて彼女らの死の謎に迫ろうとする。
舞台は明示されていないが、作者の故郷ミシガン州の町で、
彼が思春期の真っ只中にいた1970年代半ば頃の設定と思われる。
金銭トラブルや痴情の縺れによる殺人はどんな場所でも起こり得るが、
犯人が語る動機が他人には釈然としない、不条理かつ凄惨な事件は
ゴミゴミした場所より整然とした小ぎれいなベッドタウンで発生しやすい
……と述べたのは誰だったろうか。
この小説の中では他者への暴力は描 -
Posted by ブクログ
(上下巻を併せての評である)
1941年12月6日。いうまでもなく日米開戦前夜のアメリカ、ロサンジェルス。日系二世の市警鑑識官アシダは、自作の写真撮影装置を取り付けたばかりのドラッグストアで強盗事件に遭遇する。現場で捜査能力の高さを見込まれたアシダはその後に起きた日本人家族四人のハラキリ事件現場にも立ち会い、捜査に深く関わっていくようになる。その直後日本海軍による真珠湾奇襲攻撃が起き、アシダの立場は極端に悪くなる。米人からは卑怯なジャップ、日系人からは親米の裏切り者という烙印を押されてしまったのだ。市警からジャップを放り出せと吼える市長。アシダは次期本部長の座を狙うパーカー警部に取り入ることで -
-
-
Posted by ブクログ
バージンスーサイズとしてコッポラの映画を見たのが先だった。
素晴らしく幻想的でガーリーでその自殺さえもフリルにある刺繍のひとつであるかのように描かれていて、小説はどうだったんだろうかと。
コッポラは女性で、この小説を書いたのジェフリーは男性だった。
アプローチとしてもそのようになっていた。
つまるところ、これには近くとも深い断絶があり
そのひとつが女の子と男の子のあいだにあるものだった。
ただそれに仮託されたのが社会の断絶でもあったので
コッポラとジェフリーが対岸から書いてもいまだ同じ作品であった。
自殺と対極にあるのはカトリックなんだが、これはやや日本人としては捉え損なうかもしれない。 -
-
-
-
-
Posted by ブクログ
70年代前半、米国ミシガン州の郊外の住宅街に、五人姉妹が住んでいました。年齢は13才から17歳。厳格なカソリックの家庭に育った彼女らは、美しく謎めいていて、少年たちの憧れの的でした。
しかし、末娘のセシリアが自殺した初夏のある日を皮切りに、一家は崩壊の一途をたどり始めます。若く可憐な姉妹たちが、次々自ら命を絶っていったのです。
二十数年後、当時彼女らの近所に住み、同じ学校に通っていた少年の回想という形で物語は進んでいきます。
この小説は、フランシス・フォード・コッポラの愛娘であるソフィア・コッポラの初監督作品〝The Virgin Suicides〟として、1999年に映画化されたそうです。
-
Posted by ブクログ
ネタバレ読むのは2度目だけれど映画は未鑑賞。
両親、特に母親からの抑圧がとてもあるのに加えて、姉妹を外から眺めて賞賛する「僕ら」にも失望してたんじゃないかと思いました。セシリアの未遂の時点ならもしかすると留められたかもしれないのになぁ。
男子側の視点過ぎました。この年齢の男子だったことがないのでちょっとわからない。。姉妹のこと何でも知ろうとするけど、直接向き合ってた人はあまり居ない。僕らのうちの誰も、姉妹を本気でこの環境から連れ出そうとする気概がない。ミセズ・リスボンの妨害なんてなんのそのでは…と思うけど、この時代の保守的な街では仕方ないかとも思いました。学生だし親の言う事は聞いとかないと。。
映画は -