【感想・ネタバレ】ヘビトンボの季節に自殺した五人姉妹のレビュー

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Posted by ブクログ 2024年03月16日

さっぱりわからない。うちのばあちゃんがアメリカでどうしても理解できないところは、なぜ、みんないつも幸せそうなふりをしてるかってことなんだ。

フォーマルドレスを着た女の子たちは、どことなく怪物めいて見えた。頭の上には髪が うずたかく、しっかりと結い上げられていた。酒を飲んだり、キスしたり、あるいは椅...続きを読む子の中で酔いつぶれている彼女たちの向こうには、実はもう、カレッジが、夫が、子育てが、 ぼんやりとしか感じられない不幸が待っているのだ――いいかえれば、人生が待っているのだ。

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Posted by ブクログ 2022年02月17日

狂ってるけど、綺麗。映画も見たけど、本の方が印象に残ってる。いつだって狂った親の犠牲になるのは子どもたち。狂った親が綺麗な娘たちの心を握りつぶしちゃったって感じ。

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Posted by ブクログ 2014年07月09日

この本を10代の時に読めて良かったと思う。

小説の後に映画を観たが、小説の場面をたどたどしくなぞっているだけ、という印象で、小説を読まずにこの映画を見た人はどんな話か理解できるのか?と疑問だった。
少女たちに音楽をプレゼントしてあげる場面で、一番重要な「明日に架ける橋」をカットしたのも意味不明。
...続きを読む
映画でなくて、この原作の魅力がもっと広まってほしい。

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Posted by ブクログ 2013年09月23日

ヴァージンスーサイズを見てから読んだので、おおざっぱな話や登場人物はだいたい頭に入った状態で読みました。映画のほうは女の子たちのほうにクローズアップがされていましたが、こちらは語り手である男の子たちや、映画で拾いきれなかった細かい事柄がきちんと説明されていたので個人的には原作のほうが好きです。特にク...続きを読むライマックス~エピローグに至るまでは小説のほうが密で、いくつもの絶望(年月の経過、街の退廃など)が重なっていき少女たちの死が覆い隠されてしまう過程がわかります。あと、映画のタイトルが何故「ヴァージンスーサイズ」であるか、ということは原作のほうが分かりやすいです。

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Posted by ブクログ 2012年05月29日

ヘビトンボが飛ぶ季節に末娘のセシリアを筆頭に次々と自殺していくリスボン家の姉妹たち。
その時のことを当時少年だった「僕ら」の視点から振り返る。

彼女たちの自殺の原因は書かれてなく、読み手も「僕ら」と一緒になって推測するしかない。
リスボン家は躾に厳しく、学校外で他人と接する機会がないため姉妹たちは...続きを読む周りからミステリアスで憧れの存在だった。
しかし本当は彼女たちも普通の私たちと変わらない子たち。
最初は家が厳しすぎることで将来を悲観しての自殺かと思ったが、それ以上に根本的なことかもしれない。
この世界そのものが彼女たちと合わなかったのではないだろうか?
不思議な感じで始まり、不思議な感じで終わる、とてもミステリアスだけど穏やかな話。

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Posted by ブクログ 2011年05月01日

語り手になる少年達(もうオッサン?)の姉妹に対する視線はまさに愛です。
少年たちが持つ青春のみずみずしさ、少女たちが抱える十代の苦悩が上手いこと描かれています。

僕の場合先に映画を見てるから本を読みながら映画のシーンや音楽がフラッシュバックしてどっぷり世界に浸る事ができました。

映画では「...続きを読むおしいっ!」って思っていた部分も原作を読んで痒いところに手が届きました。

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Posted by ブクログ 2010年10月26日

もう何年も前に読んだ。

この話を知ったのは映画が先だったはず。

この本を読んでかなり映画は忠実だな…と思った記憶が。
古くさく頭の硬い親たちの子育てに犠牲になったのか…
表面的にはきっと幸せに見えていたはずだが。
窮屈な生活の中でほんの小さな喜びを見つけたり
こそこそ悪いことをする女の子達は
...続きを読むくごく普通なのだ。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

映画にもなった
「ヴァージンスーサイス」。

ストーリーについては、わりと
皆さんがレビューしているので割愛。

それよりも僕にとって
「映画の聴こえる音楽」。
と、カッコよく言ってみたものの
講演で話していた柴田元幸さんの
受け売りなんだけど。

リズボン家の少女達と
男の子達...続きを読むがお互いに
電話で自分の
「お気に入りの曲」
を流す場面がある。

ギルバートオサリヴァン「アローンアゲイン」
に始まり
キャロルキング「去りゆく恋人」まで

交互に受話器にレコードの音を近づけて
相手に贈る。

僕の一番好きな場面。

こういう事なんだよなぁ、と思う。

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Posted by ブクログ 2021年12月12日

1970年代、デトロイト。リスボン家五人姉妹の末っ子セシリアが、パーティー中に二階の窓から飛び降りて死んだ。町の人びとの好奇と憐憫の目に晒され、のこされた一家は少しずつ壊れていく。遂に五人姉妹の全員が死にゆくまでを執拗に見つめていた〈ぼくら〉は、中年になり青春の思い出として彼女たちを語りだす。回顧録...続きを読むを模して書かれた、歪んだ青春小説。


とにかく〈ぼくら〉の語り口と行動原理がキッツい!最初から最後まで「キッツ……いやキッッッツいわ……」と思いながら読み終えたのに、解説の巽孝之が語り手のヤバさに一切触れていなかったのでびっくりしてしまった。だが、「〈ぼくら〉の目を通して見たリスボン家事件の顛末」だということこそ、本作の肝じゃないのか。自殺した少女たちの心理に迫ることが目的の小説ではなく、ストーキングの加害者心理を描いた秀逸な小説として私は読んだ。
〈ぼくら〉の仲間は異常である。リスボン家に招き入れられるや否や姉妹の部屋を覗き見、トイレを物色し使用済み生理ナプキンを持ち帰ろうとするヤツ。下水道からリズボン家の地下室に潜入し、奇しくも風呂場で1回目の自殺を図ったセシリアの発見者になったヤツ。〈ぼくら〉はいつも双眼鏡で、あるいはこっそり窓の下に潜んでリスボン家を覗き込んでいる。終盤にはなんと、もっと幼い頃からリズボン家を監視するための秘密基地を木の上に作っていたと明かされる。〈ぼくら〉と一人称複数を名乗るのもセシリアの日記に基づくのだが、その日記をはじめとして姉妹にまつわるあらゆるものを蒐集し、「資料」と称して見せびらかそうとする。
五人姉妹を執拗に見つめていた〈ぼくら〉だが、当然姉妹からも見返されていたとのちにわかる。それでもなお自分たちの窃視症を棚に上げて駆け落ちの相手に選ばれたのかと勘違いする救いようのない能天気さ。彼らに対する姉妹たちの復讐は強烈だ。そして復讐の相手は〈ぼくら〉だけにとどまらないだろう。関係者のインタビューから片鱗が見ているにもかかわらず〈ぼくら〉が直視しようとしないところにこそ事の本質がある。
姉妹たちの死亡報告書を書いたホーニッカー医師は、さらりと「家族に対するいじめ」という言葉を使っている。これはセシリアの自殺のあと、野次馬たちに囲まれた日々を指しているとも考えられるが、リスボン一家がこの町に移住してきた新参者だったことを考慮するとまた異なる角度の景色が見えてくる。越してきたのは11年前、既に末のセシリアも生まれ、五人の女の子がいる家は目立ったろう。しかも父親は地元の学校の新任教師として子どもたちとその親の噂の的だったはずだ。幼い〈ぼくら〉が基地を作ってまでリスボン家を覗こうとした好奇心はそこに端を発すると思われる。
〈ぼくら〉の町デトロイトが移住者にどう接するかは、黒人やヨーロッパからの移民の扱いを通して間接的に描写している。こういう情報の出し方がとても上手い。ある意味では、リスボン夫妻はわざわざ越してきて11年かけて町に全てを奪われ、デトロイトに棄てられたのだとも言える。かつてラックスの恋人だったトリップの落ちぶれた中年の姿からしても、これはホワイト・トラッシュ的なものの考え方が醸造されていく町の空気感を書き写した小説なのだと思う。
とにかく、自分たちに責任の一端があるなどとは微塵も思わず、けれども姉妹の心理を"分析"する資格はあると考えている人間の視点を貫いて書かれている。姉妹の一挙手一投足を凝視していたことの免罪符のように自分たちがまだ童貞だったこと、そして自分たちの思いを姉妹が"わかろうとしなかった"ことを強調して怒りだす〈ぼくら〉は、今で言えば完全にインセルの仲間ということになるだろう。公民権運動後のデトロイトという舞台設定を最大限に活かしながら、現代でも変わらぬ搾取構造の強烈な痛みが体に突き刺さる、完成度の高い作品だった。

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Posted by ブクログ 2020年09月25日

末娘セシリアの自殺から始まる5人姉妹の集団自殺が描かれている。預言的と書かれてあるがそこに現実批判(吟味)による倫理を読み解かなければならない。
集団自殺だからといってタブーにすることは当然意味がない。ただ未来に向かって現実を批判する時この集団自殺を突き放して見る視点があればいいのだろうと思いました...続きを読む。そういう視点を得ることがこの本の良さだろうと思います。坂口安吾で言えば故郷(ふるさと)かなって、没落していく雰囲気は一瞬フォークナーっぽく感じたけど、男の子の視点というところが自己批判の甘さがあると思う。そういう設定だから別にかまわないけど。お互いに循環論証になっていて止揚できないというか批判できない部分があると思います。そこが世界文学になれるかどうかの瀬戸際のような気がします。

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Posted by ブクログ 2019年02月01日

昔購読していたファッション誌のモデルさんがおすすめしていたのを見て以来、ずっと読みたかった作品。姉妹の部屋に吊り下げられた十二宮のモビール、ブラジャーの引っ掛けられた十字架といった印象的なモチーフが次々登場し、読んでいるこちらも段々と幻惑されられていく。最初の自殺の日から放置されたままのパーティー会...続きを読む場で、ピニャータのように吊り下がった死体を発見するシーンは鳥肌。ぜひ映画でその映像映えを堪能したいところ。70年代アメリカのティーンエイジャーの鬱屈した生活の中で、ひたすら死に引き寄せられる姉妹と彼女らに性欲を抱きつつ助け出したいと望む「ぼくら」の対比が美しい。

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Posted by ブクログ 2017年09月26日

雲霞に似た昆虫、蛇蜻蛉が湖から湧き上がって町を埋め尽くす初夏に自殺した
リズボン家の五人姉妹について、後年、大人になった「ぼく」たちが回想し、
それぞれが知るエピソードを繋ぎ合わせて彼女らの死の謎に迫ろうとする。

舞台は明示されていないが、作者の故郷ミシガン州の町で、
彼が思春期の真っ只中にいた1...続きを読む970年代半ば頃の設定と思われる。

金銭トラブルや痴情の縺れによる殺人はどんな場所でも起こり得るが、
犯人が語る動機が他人には釈然としない、不条理かつ凄惨な事件は
ゴミゴミした場所より整然とした小ぎれいなベッドタウンで発生しやすい
……と述べたのは誰だったろうか。
この小説の中では他者への暴力は描かれないが、そんな、
岡崎京子「GIRL OF THE YEAR」(角川書店『チワワちゃん』収録)の
主人公のモノローグで

> そこにはショートケーキのようなウソくさい家がラブリーに建ち並んでいる

と称されたような郊外の住宅地で、
十代にして人生に行き詰まりを感じた少女たちが自殺していく暗澹たる物語。

「ぼく」らは彼女らを救いたいと思い、不器用ながら手を差し伸べようとしたが、
彼女らはそれを恐らく理解しつつ、
「ぼく」らの手を握り返すことなく旅立ってしまった。
「ぼく」らも彼女らと同年代の、まだ子供で、
彼女らの苦悩を受け止めきれないことを承知していたからだろう。
少年たちでもなく、きれいごとや理想論しか言わない大人でもなく、
彼女らと同じ「生きづらさ」を感じながら抜け道を見つけて生き延びた、
若干知恵をつけた少し年上の「おにいさん」「おねえさん」が近くにいて
支えてくれていたら、こんな悲惨な事態にならずに済んだかもしれない。

「死」以外に脱出口が見出せないほど現状が辛いなら、
死なずにその場から逃げ出すのがベストな選択だと思うが、
少女たちには逃亡を図ることもできなかった。
痛ましい。

ところで、長い時間が経って、すっかりおじさんになった「ぼく」らだが、
思い出の中の、
性衝動をどうにか抑えて日々を過ごしていた青臭かった時代の行動は
なかなか気持ちが悪い(笑)。
リズボン姉妹が使っていたバスソープの銘柄を知るや、
同じものを買ってきて香りを確かめた(p.66)だとか、
女の立場で言わせてもらうと「豆腐の角に頭をぶつけて××!」
といったところ。
五人姉妹それぞれに独立した美点を認めて好きだと思っている、というより、
彼女らを一塊の「女(になろうとする生き物)」なるオブジェと捉えている風で、
「十三歳の女の子だった」ことがある身として生理的に許し難い。
現実には、こうした男子のバカさ加減と女子の頑なさが、
ある時点で互いに軟化し、折り合って、自然な恋愛感情として発酵していくのだが。

原題は The Virgin Suiside で、ソフィア・コッポラによって映画化された。
機会があったら観てみたい。
しかし、この邦題は長いが見事。

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Posted by ブクログ 2013年10月29日

バージンスーサイズとしてコッポラの映画を見たのが先だった。
素晴らしく幻想的でガーリーでその自殺さえもフリルにある刺繍のひとつであるかのように描かれていて、小説はどうだったんだろうかと。

コッポラは女性で、この小説を書いたのジェフリーは男性だった。
アプローチとしてもそのようになっていた。
つまる...続きを読むところ、これには近くとも深い断絶があり
そのひとつが女の子と男の子のあいだにあるものだった。

ただそれに仮託されたのが社会の断絶でもあったので
コッポラとジェフリーが対岸から書いてもいまだ同じ作品であった。

自殺と対極にあるのはカトリックなんだが、これはやや日本人としては捉え損なうかもしれない。
ただ、心性として僕らも一神教的な世界に近づいているとすればこの世界における自殺と同じようにそのおぞましい求心力を感じることだろう。ただそれ自体としては潔癖であるにもかかわらず。

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Posted by ブクログ 2013年04月06日

リズボン家の5人の姉妹が自ら命をたつ1年間の物語です。20年後に、彼女らの友人のひとりが過去を振り返っていく筋立てになっています。少女たちの死を扱っていながらも不思議と深刻さが希薄で、絵画的かつ寓話的な作品です。

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Posted by ブクログ 2012年09月02日

バージンスーサイドの原作ぽいあなと思いつつ読み終わり、後書きでやっぱりと思いました。映画だとなんで自殺したか分からなかったけど、小説の方が自殺に至る経緯が分かりやすい。

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Posted by ブクログ 2012年02月16日

つかみどころがない。雰囲気とか煙みたいなものだけが漂ってる。
「生活」を感じさせない女の子たちがただ、淡々と死んでく。
触れんし、呼び戻すこともできんし、最初から会話できてたのかも怪しい。
自分らには見えんものを見て、聞こえんものが聞こえてる人らに「生活」を求められん。相手してもらえない。せいぜい、...続きを読む終わってから気付く。
原題は「The Virgine Suicides」やのに、ヴァージンじゃない子がでてくるけど、それが大したことではない。

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Posted by ブクログ 2010年01月06日

ソフィア・コッポラの映画「バージンスーサイズ」原作。
末娘の自殺をきっかけにして、伝染病のように「死」は5人姉妹の間に広がっていく。
苦しい物語。読むのが辛かった。

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Posted by ブクログ 2009年10月11日

70年代前半、米国ミシガン州の郊外の住宅街に、五人姉妹が住んでいました。年齢は13才から17歳。厳格なカソリックの家庭に育った彼女らは、美しく謎めいていて、少年たちの憧れの的でした。
しかし、末娘のセシリアが自殺した初夏のある日を皮切りに、一家は崩壊の一途をたどり始めます。若く可憐な姉妹たちが、次々...続きを読む自ら命を絶っていったのです。
二十数年後、当時彼女らの近所に住み、同じ学校に通っていた少年の回想という形で物語は進んでいきます。
この小説は、フランシス・フォード・コッポラの愛娘であるソフィア・コッポラの初監督作品〝The Virgin Suicides〟として、1999年に映画化されたそうです。
ティーンエイジャーの悲しく甘美な揺らぎを綴った、すばらしい青春小説でした。

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Posted by ブクログ 2022年11月26日

読むのは2度目だけれど映画は未鑑賞。
両親、特に母親からの抑圧がとてもあるのに加えて、姉妹を外から眺めて賞賛する「僕ら」にも失望してたんじゃないかと思いました。セシリアの未遂の時点ならもしかすると留められたかもしれないのになぁ。
男子側の視点過ぎました。この年齢の男子だったことがないのでちょっとわか...続きを読むらない。。姉妹のこと何でも知ろうとするけど、直接向き合ってた人はあまり居ない。僕らのうちの誰も、姉妹を本気でこの環境から連れ出そうとする気概がない。ミセズ・リスボンの妨害なんてなんのそのでは…と思うけど、この時代の保守的な街では仕方ないかとも思いました。学生だし親の言う事は聞いとかないと。。
映画はソフィア・コッポラ監督で女性目線での制作だから原作より寄り添えるかも…と、ますます観たくなりました。

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Posted by ブクログ 2022年11月13日

出版当時のアメリカの雰囲気や流行、母国の人が持つ感情をもう少しでも知識があればもっと楽しめた気がする。5人の少女たちの不安定さや独自さが魅力となり、触れたいのに触れられない気持ち。自殺によりそれが強化され調査に乗り出す「ぼくら」が成長し続ける中で、彼女たちを忘れたら青春が無くなってしまうような感覚が...続きを読む切なくて温かい気持ちになる。少女たちの自殺に向かう生命力や不潔さ、そして清楚さの同居に、人って複雑で理解なんてできっこないんだって思わせてくれる文章がすごい。

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Posted by ブクログ 2017年10月23日

次々と、そして淡々と死んでいく姉妹。そんな姉妹を崇拝しながら、どうすることもできなかった少年たち。掴みどころがなくて儚くて幻想的。

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Posted by ブクログ 2016年03月21日

想いや感情を記すには言葉が少なすぎる、を地でいった作品。映画と小説の、それぞれ優れた部分があるけれど、少年達の心情の吐露に関しては小説の方が上だろうな。

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Posted by ブクログ 2014年08月31日

読んでいるうちにどんどん息苦しくなってきて、どうしても長時間通しで読むことができませんでした。
細切れに読んでは休み、読んでは休み。

次々に自殺したというわけではなく、最初に末の妹が自殺し、その後残された姉妹たちが何とか自分たちの置かれた状況を打破しようとしたけれどそれはならず、最後に手段は別々で...続きを読むも同時に自殺したんだと思う。

環境に適応できなかったのは五人姉妹ではなく、親のほうだったのだと思うのだが、危険の多い世の中に子どもを送り出す不安は私にもわかる。
できることならば目の届くところにずっと子どもをおいておきたい。
でもそれはできないことでしょう?
出来ないことと、普通はあきらめるでしょう?

必要最低限の人間関係しか認めない。
家族のなかだけで完結しようとする両親。特に母親。
ボーイフレンドどころか、女の子の友だちもいない娘たち。
男の子に対する興味はあるけれど、デートの仕方も分からない、お洒落の仕方も分からない。

とりあえず家にいさえすればいいのか、家でお酒を飲みタバコを吸う少女たち。
そして外の世界に憧れる。

最初は見知らぬ世間に対する恐怖と嫌悪だったのかもしれない。
内側に内側にと向かう母の心は、最後は生きることへの無気力?無関心?あきらめ?みたいな感じになっていって、父親は職を失い、子どもたちは学校をやめさせられ、買い物に行くことも家のなかを片付けることも食事を作ることもしなくなる家族。
物はくさり家具は焚きつけになり。

「ここから連れ出して」というSOSは、結局自分たちの絶望に踏みにじられたのだろう。
少女たちは彼女たちを連れ出しに来た近所の少年たちの気配を感じながら死んでいったのだから。

世の中に希望を持てない、そういう時代だったのかもしれない。
親の束縛が堪えられない、そういう年頃だったのは確かにそうだ。
だけど、ではそういう子どもたちがみな自殺を企てるかというと、もちろんそんなわけはなく。
私はただ、リズボン家の孤立した、廃頽した家の空気がたまらなく堪えがたかった。

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Posted by ブクログ 2013年12月02日

この手の翻訳は苦手。

青春小説だった。
もっと暗くて、
ドロドロしたものかと思って読み始め、
どちらかというと、
彼女たちに恋をした男の子たちの目線で、
彼らの青春に、五人姉妹の
自殺が入り込んだようだった。

本当に人一人がはなしの中で
死んだのか分からないくらい、
周りの心理描写が薄く、衝撃も...続きを読むない。

彼らが序盤で言っていたように、
彼女たちは一つだったのかもしれない。

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Posted by ブクログ 2012年08月17日

リズボン家の最後に残った娘がとうとう自殺を図った朝もー今度はメアリイで、テレーズのときと同じ睡眠薬だったー二人の救急隊員が家に駆けつけた。その家のことなら、ナイフの入った引き出し、ガスオーブン、ロープを吊るすことのできる地下室の梁、もうどれも知り尽くしていた。

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Posted by ブクログ 2011年07月18日

5人姉妹が次々と自殺していく。そこに隠された秘密…そんなものはない。将来への不安、理想と現実の不一致。。アメリカの歴史になぞらえた小説。でも読んでると現実に起きた話なんじゃないかという錯覚におちいる。

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Posted by ブクログ 2019年01月01日

修飾語の多い回りくどい表現が多用されているのがいけなかったのか、説明不足で突然現れる人名がいけなかったのか、翻訳が今ひとつこなれていない感じがするのがいけなかったのか、とにかく内容が頭に流れ込んでこない本だった。一文一文理解しながら読み進めて行くことにつかれ、物語の雰囲気を感じ取ることができなかった...続きを読むのが残念。

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Posted by ブクログ 2010年02月21日

 別の本の検索をしたら少女つながりで出てきたんです。映画のタイトルだけは知ってたんだけど。

 姉妹の自殺はあくまでマクガフィンで、ぼくらの街のお話だった気が。(…と思いながら読んでたら解説にもやっぱりそうやって書いてました)

でも映画は機会があれば見てみたくなりました。

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Posted by ブクログ 2009年10月04日

The Virgin Suicides
甘美で残酷な響き。
痛い程の少女性を70年代アメリカの文化に併せて書き出した一冊。
終始記録的な客観視点で書かれ、ノルまでに少し時間がかかったもの、一気に読破。
映画の方も見てみようと思った。

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Posted by ブクログ 2009年10月07日

末娘の自殺によって死に魅入られたかのように崩壊する家族の物語。エロスとタナトスが一緒くたになった暗く不安な小説。

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