増田四郎のレビュー一覧
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ネタバレ都市同士の有機的な繋がりおよび発展と、各市民の意識の形成がうまく繋がっていくのがとても面白かった。
村落から都市への発展は生き生きと読めたのだが、都市から国家への発展がまだ掴みきれていない気がするので勉強していきたい。
以下僕の理解↓
ローマを継いだ東欧は帝国を志し、ゲルマンと共存した西欧は世界帝国を否定し国民国家の基盤を形成していった。
西欧の村落は原始村落から集村あるいは散村に発展し、それぞれ穀物生産を三圃式で増強あるいは特産品を産出した。集村と散村の接触地帯には市場が展開された。外敵の侵入が落ち着いたことや人口増加、市場の展開などを背景に12,13世紀ごろには商業が発達、商人の力が増し -
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増田四郎
1908年奈良県に生まれた。東京商大−一橋大学−卒業、同大学教授、同学長を歴任。日本学士院会員。経済学博士。西洋経済史を専攻し、とくに封建社会の構造分析では優れた成果をあげている。『西洋封建社会成立期の研究』『歴史学概論』『都市――その根底にあるもの』『西洋中世世界の成立』などの著書がある。
大学でいかに学ぶか (講談社現代新書)
by 増田四郎
教師もまた、高校までは教科書を教えることが主でした。教科書に書かれてあることの、ことばは悪いですが、いわば一種の押し売りです。しかし、大学の教師は、どんなばあいにも、押し売りは許されません。ただ、長いあいだ研究して、その教師が到 -
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ネタバレ海という自然の国境に囲まれた島国に生き、日本語という絶対的な標準語があり、民族も単一(本当は違うが)である我々日本人には理解できない大陸国家の人たちのもつ国家観念について、示唆に富む話がわかりやすく書かれている。
-----以下要約-----
地中海というギリシア文化の影響をもろに受ける土地で着実に文明化したローマ人。そのローマ人の打ち立てたローマ帝国の実情は契約関係で結ばれた複数国家の集合体であった。それが東洋の領土国家観に影響を受け次第に皇帝が全てを統治する制度国家へと変貌するが、ローマ帝国の衰微に伴ってゲルマン民族が擡頭しはじめるとローマ帝国は東に移ってビザンツ帝国となり西にはゲルマ -
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ヨーロッパ社会史 増田四郎
一橋大学の歴史学4傑と呼ばれる増田四郎氏の市民講座を本にしたもの。最近、広井氏の『コミュニティを問い直す』や木下武男氏の『労働組合とは何か』を読んでいた際に、中世都市の記述で増田氏が頻繁に引用されているのを発見し、改めて増田氏の本を読みたくなった。増田四郎氏は、祖父のゼミの先生であり、私のゼミ教官が増田四郎氏が指導した阿部謹也先生の愛弟子であるため、私とは深い縁がある。大学入学時に耽読した『ヨーロッパとは何か』『大学でいかに学ぶか』の2冊には大いに興奮した。特に、『ヨーロッパとは何か』で取り上げられる辺境史観という発想は、その後、言語学や人類学などを学ぶにつれて、 -
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はるか以前から創文社版を積ん読のままだったのが、創文社の事業中止に伴い、今般、学術文庫として刊行されたことに感慨を覚えながら、改めて購入することとしたもの。
ピレンヌ・テーゼという言葉は知っていたが、本書を通読して、その内容が一応理解はできた。全体を通して、ローマ帝国及びその内海であった地中海の圧倒的な歴史的重みと、イスラム勢力の拡大がヨーロッパに与えた歴史的影響の大きさを、そのシャープな叙述で明らかにしているところが非常に印象的であった。
訳者あとがきにもあるとおり、本書は、綿密周到な「研究」を裏に潜めながらも、研究とは一応区別される「叙述」になっているところに、一般読者としては魅 -
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[ 内容 ]
ヨーロッパの思想や制度を熱心に受け入れることにより、驚異的ともいえる近代化を達成してきた日本。
それでいて、ヨーロッパとは何かについて、真に学問的な深さで洞察し、議論した書物は意外に少ない。
本書は、ヨーロッパの社会とその精神の成り立ちを明らかにし、その本質的性格に迫ろうとする「ヨーロッパ学入門」。
[ 目次 ]
[ POP ]
[ おすすめ度 ]
☆☆☆☆☆☆☆ おすすめ度
☆☆☆☆☆☆☆ 文章
☆☆☆☆☆☆☆ ストーリー
☆☆☆☆☆☆☆ メッセージ性
☆☆☆☆☆☆☆ 冒険性
☆☆☆☆☆☆☆ 読後の個人的な満足度
共感度(空振り三振・一部・参った!)
読書の速度(時 -
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現在のヨーロッパが何であるのかを知るために、まず成立の過程を理解することから始まる。
明治時代に日本人がものすごい勢いで輸入したヨーロッパだが、見落とされた部分は多い。何世紀もかけてできあがったヨーロッパ意識もその一つ。その背景はどうであったのか。
著者は「ちょっと風変わりなヨーロッパ論である」とことわっているが、ヨーロッパがどのようにしてできたのか、またそれはどうしてか、をこれ以上なくわかりやすく解説している。
ローマ帝国が崩壊したから、ゲルマン民族が大移動したから、キリスト教が公認されたから、カール大帝が帝国を支配したから、封建制度ができたから、今日明日でヨーロッパができたわけではない。 -
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ロシアのウクライナ侵攻を見て、ヨーロッパの歴史を少し勉強しようと思い、読んだ本。
「地政学」とは、もともとは「地理的諸条件を基軸におき、一国の政治的発展や膨張を合理化する国家戦略論」という意味であった。「地理的諸条件」というのは分かったような分からないような気がしていたが、この観点からこの本を読むと「なるほど」と思うことがいくつもあった。
例えば、
東からフン族(4-6世紀)のような騎馬民族が攻めてきた場合、地形が平坦な東ヨーロッパでは食い止めるのは困難で、西ヨーロッパの東の境のカルパチア山脈まで侵攻されてしまう。実はこの辺りがヨーロッパ文化の防衛線になり、結果として西ヨーロッパだけが -
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ネタバレ本作、世界史の授業でしばしば言及される作品です。出色なのは「イスラムがヨーロッパを形作った」とする言説です。
もう少し丁寧に言うと、現在のヨーロッパを基礎づけたのはイスラム教の侵入とカロリング朝だという言説。なお本作第二部でのメインテーマです。
・・・
ロジックは以下の通りです。
5世紀以降のイスラムの急激なる隆盛(アラビア半島からの北上)によって、先ずは商業圏としての地中海からキリスト教徒・欧州人たちは排除される。ローマ時代以降、商業で大いに栄えたマルセイユなどの港湾都市での取引はしりすぼみとなり、ローマ時代は大いに使用されていた香草やハーブ等は600/700年代以降はさっぱりヨーロッパ -
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本書の元となったのは、1983年に6回に亘って行われた岩波市民セミナーの講述録である。
概説ではなく、著者の明確な問題意識によってテーマが取り上げられており、それらについてはかなり詳しく説明がなされている。また講義形式で基本的事項から順々に解き起こしてくれているので、今まで今一つ腑に落ちなかった事項についても、だいぶ理解を進めることができた。
かつて世界の覇権を握ったヨーロッパが大戦により深刻な反省を迫られ、歴史学においても単純な発展史観ではなく、歴史の実相を再確認することが求められたが、その代表的な現れが、基層社会の構造的特色を追っていこうとする動きである。
著者自身は、日本の近代 -
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マルクス主義に代表される発展段階説や各国別の歴史とは異なる、歴史学の新しい潮流を受け止めつつ、ヨーロッパとは何かという問題についての考察をおこなっている本です。
歴史学の新しい潮流としては、一方にシュペングラーやトインビーの文明史が念頭に置かれていますが、より重要なのはアナール学派に代表される新しい歴史学で、本書でも中世的世界の形成に関するそれらの業績が踏まえられています。ただし著者は、そうした新しい歴史学の成果をそのまま受け入れるのではなく、明治以来ヨーロッパの文物を取り入れてきた日本の立場から、改めて「ヨーロッパとは何か」と問いかけています。
具体的な内容としては、ローマ帝国の崩壊から -
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『西ヨーロッパはすでにローマの滅亡以来、今日に至るまで、いまだかつて一つの国に統合されたためしはないのである。これを裏がえしていえば、ヨーロッパを一色にぬりつぶそうとする企ては、いつでも失敗におわっているということである。さらに内容的にいえば、西ヨーロッパの歴史は、各地域の特性を発揮する力と、これをまとめようとする力との緊張関係の連続であった』
『画一化をあくまで嫌い、それぞれの地域性や国民性を生かした上での協力体制の確立、個性を生かした百花繚乱たるユニークな文化圏の統合、ヨーロッパはその方途を真剣に探っているのであり、将来もおそらくその努力をつづけるであろう。その意味で、EEC加盟がーイギ -
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ネタバレこの著作は「学ぶということ」、「学問への私の歩み」、「現代が背負う二つの課題」、「私の歴史研究」、「苦楽一如」、「対話の学び」、「現代学問のすすめ」の七部から構成されている。著者の増田四朗は1908年生まれの明治期生まれであり、その学者期間中には戦争も経験している。そしてこの著作は昭和四十一年発行のものであり、この時期は高度経済成長期、日本の興隆期であり時代的な大きな転換期であった。この本はタイトル通り、大学でどう学ぶべきかを中心に据えて書かれたものであり筆者である増田四朗の生い立ちやその研究内容及びその成果はその補強として描かれているにすぎず、この本を通じての主張は血肉の通った「コミュニケー