なだいなだのレビュー一覧
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人間関係の問題は生きていると必ずつきまとってしまうものだ。子どもではいじめと呼ばれていたものが大人ではハラスメントと呼ばれるものに変わっている。なだ先生が書いていた時にもあったと思うが、これほどのものではなかったと思う。
人間には強い力を持った時に、思い通りになることへの愉悦からそれを弱いものに向けたり、自身の欲の開放に用いたりする。大人は年数を重ねた分だけ、それを制御する術を身に着けてくるが、子どもはそれをまだまだ身に着ける段階にあるから、いかんなく発揮してくる。軍隊はまさにその強い力を誇示するところにある。人間のもつ、無意識、生物的、身体的な部分の特徴といってよい。
そのこと自体はともかく -
Posted by ブクログ
45年も前に書かれた著作にもかかわらず、内容は、今もまったく色あせることのない名著だと思った。人のこころのしくみは、時代では変わらないので今でも十分通じる内容。
”研究者も研究室も、ぼくたちの中にある”。学者や研究者でなくても、こころの研究はできるという言葉にもなるほど、と思った。こころは、一人ひとり違っていて、見えなくて、それぞれの中にあるものだから、それぞれが研究者になっても良いのだと。
こころを、数値や図などで、明確に調べることは難しいけれど、優れた詩人や作家は、こころのことをたくみに表現できる。
なださん自身が専門家であるにも関わらず、このスタンスでお話しは始まる。
不安や、こわ -
Posted by ブクログ
おそらく、彼の遺したあらゆる著書の中で、これが、一番やっかいで、また彼の人生と言ってもいいかもしれない。
宗教の歴史的経緯とか位置づけとかはそんなもの学者に任せておけばいい。そんなことよりも、宗教はなぜ必要とされてきたのか。宗教を望むひとの精神、これは一体なんだ。神がいるいないとかの不毛なことを考えているのではない。神を望むのも、神を維持するのも、ひとえに同じ人間の心性だ。これ以上でもこれ以下でもない。ならば、ひとの精神に向かって生きてきた自分がこの心性を考えなければ誰が考える。
このことを考えるのはかなり骨を折ったに違いない。正常・異常など、ただのことばにすぎない。ということは、自分が正常だ -
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結局のところ、人間は、宗教をはじめとして、信じる対象がほしいだけなのかもしれませんね。
そして、教団をはじめとする組織は、大きくなることが目的になるような気がします。
「キリストはキリスト教を知らない」という視点は、考えてみれば当たり前なんですが、この本で初めて気づかされました。
また、3大宗教の教祖の弟子は、弟子から抜け出せなかったこと、さらには、宗教の経典化による、本来の宗教の意味(教祖の意図)の曲解など、宗教について「なるほど」と思えることがてんこ盛りでした。
一神教における神や悪魔の設定も、すごく納得できました。
平易な文章でありながら、深みのある考察を堪能できるいい本だ -
購入済み
神を否定する本、ではない
タイトルから勘違いしがちですが、神の実在を否定することがこの本の目的だというわけではありません。「神がいるのかいないのか」を問う内容ではなく、むしろ「神」なるものをめぐる人間の営みに目を向けています。
現代日本ではともすれば「うさんくさい」「古い」などといった偏見の目で見られがちな宗教というものを、人間くさく、いじらしく、またいかなる宗教の枠組みも超えて誰にでもある営みとしてとらえ直すことができます。
形式については、著者のなだいなださんの得意技ですが、対話形式をとっているので、話に沿って自分も考えながら読み進めていくことができます。同一著者による「権威と権力」「民族という名の宗教 -
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[ 内容 ]
ますます深刻化するいじめ。
私たちはいったいどうしたらよいのでしょうか。
昔からあったいじめが、人権意識の高まりとともに大人の社会では少なくなったが、学校という場には残ってしまった―精神科医の立場からこう考える著者が、ある高校生との対話を通してこの問題の深層をみつめ、解決への糸口をさぐります。
[ 目次 ]
第1章 昔に「いじめ」はあったか―「いじめ」の定義
第2章 昔にはどのような「いじめ」が…
第3章 「いじめ」はどこに行ったか
第4章 そして学校だけに残った
第5章 「いじめ」の心理
第6章 増えているから問題なのか
第7章 処方せん―「いじめ」をなくすために
[ PO -
Posted by ブクログ
なだいなだの著作コーナーに並んでゐたところから。
別に香山リカさんが嫌いといふわけではないが、今いちどこかぴんとこない。一度はためらつたものの、解説は読まなければいいだけの話だから読んでみることに。
心がどこにあるかといふ議論の前に心が「在る」とはどういふことなのかそれが問はれねばならない。それは飜れば心が「ない」とはどういふことなのかといふことも同時に問はれねばならない。
心にわきあがる恐怖・不安といふベースの考察から、無意識へと降りてゆき、発達・自我構造、精神分析の考察へとたどり着く。何かと批判の多い精神分析であるが、やはりひとの心の存在を問ふたといふ点において、精神分析を越ゑるパラダイム -
Posted by ブクログ
ネタバレ先般、亡くなられた「なだいなだ」先生の最後の書籍と思われる。吉岡隆氏との対談集?公開SV?。なだ先生は専門用語を日常のわかりやすい用語で説明されようとして、かえって軽く聞こえてしまうところもあるが、逆に深い意味を込めていることが、この本を読んで何となく感じた。面白い文面があったのであげておく。「常識とは、18歳までに集めた偏見のコレクションである」(アインシュタイン)「難しいことはやさしく書き、やさしいことは深く書き、つまらないことは面白く書く」「古くなって、改めねばならぬ常識が、偏見と呼ばれるだけなのだ」今さらながら、もっと、なだ先生の話が聞きたかった。
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Posted by ブクログ
かつての精神科の同僚だったカトリック信者と無神論者が、齢70を過ぎて、宗教とは何か、神とは何かを語り合う。
精神科医同士の会話という設定だけあって、切り口がかなり精神医療的。キリストやブッダ、マホメットなど、世界宗教の始祖と呼ばれる人々は優れた精神療法医だった、という大胆な(なださんの他にも、こういう説を展開している人がいるのかどうかは知らないが・・・)仮説から展開される二人の会話は、読んでいると「なるほど」と思えて、確かに理屈に適っているように思った。
読んでいていちいち納得することが多く、今ではきちんと確立されていることや、すっかり凝り固まった認識も、最初は手探りから始まって、だんだん