佐和隆光のレビュー一覧
-
Posted by ブクログ
「SDGsの超基本」
持続可能な開発目標という意味らしいのですが詳しくは知らなかったので買ってみました。
世界で達成すべき項目として17つ挙げられています。
1.貧困をなくそう。
2.飢餓をゼロに。
3.すべての人に健康と福祉を。
4.質の高い教育をみんなに。
5.ジェンダー平等を実現しよう
6.安全な水とトイレを世界中に。
7.エネルギーをみんなにそしてクリーンに。
8.働きがいも経済成長も。
9.産業と技術革新をつくろう。
10.人や国の不平等をなくそう。
11.住み続けられるまちづくりを。
12.つくる責任つかう責任。
13.気候変動に具体的な対策を。
14.海を豊かさを守ろう。
15.陸の豊かさも守ろう。
16.平和と公正をすべての人に。
17.パートナーシップで目標を達成しよう。
となってます。
飢餓や貧困はある程度まで達成しましたが目標までにはまだまだあるみたいです。
海の資源もプラスチック汚染で生態系や魚が被害を受けてて難しい問題です。
経済格差は日本は結構下位にいることも知りました。
日本は豊かだと言われてますが男女格差や経済的格差も下の方です。
ちなみにアメリカでも格差は大きいです。
日本は少子高齢化がこれから問題になると思いますが人口は高齢者が増えて子供は減っていくので何とかしたいところ。
僕の給料も低すぎて生活はカツカツで読みながらなるほどなぁと理解するところも結構ありました。
たぶん僕の世代では大丈夫だと思いますが次の若い世代は生活も厳しくなりそうです。
何とかしないとと思わなくてはいけないなと改めて思います。 -
Posted by ブクログ
858
佐和隆光
1942年和歌山県高野山に生まれる。1965年東京大学経済学部卒業。専攻、計量経済学、統計学、環境経済学。現在、滋賀大学特別招聘教授、京都大学名誉教授
理系で人社系知(・・・文化人類学や考古学、民俗学、哲学、宗教学、歴史学などの文系知)が無い人は危ないんだよ。中国共産党独裁者達みたいな共産主義思想や全体主義者になりやすいんだろうな。民主党の鳩山と菅直人、共産党の志位和夫も、極左思想家の吉本隆明とかも全員理系だし共産主義と理系思考が親和性高いことは確かだと思う。
中国でも、江沢民(在任期間1993─2003、以下同様)、胡錦濤(2003─13)、習近平(2013─) と3代続きで、名門理工系大学出身者が国家主席の座に就いている。首相もまた、李鵬(1987─98)、朱鎔基(1998─2003)、温家宝(2003─13) と名門理工系大学卒が3代続いたあと、北京大学法学部出身で経済学博士号を持つ李克強(2013─) が首相に就任した。全体主義国家では、体制批判の言動は許されないため、人社系の学部卒業生は、共産党内での出世の階梯を登り詰めることなく、途中で、時の権力者の 顰蹙 を買い粛清の憂き目に遭うのである。 こうした経緯を見るにつけ、私は、次のようなテーゼを定立するに至った。 全体主義国家は必ずや人社系知を排斥する。 人社系知を排斥する国家はおのずから全体主義国家に成り果てる。
すでに述べたとおり、マサチューセッツ工科大学は工学の単科大学と誤解されがちだが、人文社会系の学科を盛りだくさん抱えている。カツウリアス副学長の言うとおり、人文知や社会知に富むエンジニアを養成する体制を、MITは伝統的に整えていると見てよい。
第二に、数学的リテラシーである。論理的な思考力を身に付けるためには、数学の勉強が一番手っ取り早いし役に立つ。法律家から政治家に転じ、第 16 代アメリカ大統領になったエイブラハム・リンカーン(1809─65) の少年時代の愛読書は、聖書、イソップ物語、ユークリッド幾何学原理だったとのことだ。要するに、法律家にとって必須の能力である論理的な思考力を、一見、何の関係もなさそうな平面幾何学の勉強により、リンカーンは磨き上げていたのだ。論理的な思考力は、法律家以外の仕事に就く者にとっても、必要不可欠な能力の一つである。
グランゼコールへの入学志願者は、リセに附置されているグランゼコール準備学級(1─2年) に進学して専門基礎を学習する。グランゼコールには理工系の学校が多いため、文系の頂点であるエコール・ノルマールが最難関とのことだ。ピケティはグランゼコール準備学級では数学を専攻し、エコール・ノルマールに入学して経済学を専攻し、1993年、 22 歳の若さで、パリ社会科学高等研究院とロンドン・スクール・オブ・エコノミックス・アンド・ポリティカル・サイエンスの共同博士号を取得し、マサチューセッツ工科大学(MIT) の助教授に採用された。 -
Posted by ブクログ
特に後半の文化に関する項目がとても勉強になる。
今後、社会が変化をしていく時に、「安心、信頼」の価値観がもっと重要になるはず。共通の文化を持つことの素晴らしさは忘れちゃいけない。AIの進化は凄まじいといえど、ここを、蔑ろにせずに戦っていくことにまだ勝機は残されてそう。
山極先生の、太陽光発電パネルを置くために、森林を伐採することは、本当に正なのか?というコメントは、物事を一面でしか見ない時の危険性をズバッと言い表してくれたいい例。先日の酒井先生の本でも似た表現があった気がする。
一面から、都合よく見ようとせず、もっと多角的に見れるように学び続けないと行けないなと思った。 -
Posted by ブクログ
『二十一世紀における争点のひとつは、コスモポリタン的な寛容とファンダメンタリズムの対立であろう。
情報や映像が日常的に地球上をかけめぐるグローバル化した世界では、私たちはだれしも、生活様式を異にし、思考様式をも異にする人々と、ひんぱんに出会うことになる。
コスモポリタンは、こうした文化のふれあいと融合を好ましいこととして歓迎する。他方、ファンダメンタリストは、それを、秩序破壊的なゆゆしきこととして警戒する。
宗教、人種的アイデンティティ、あるいはナショナリズムの名のもとに、ファンダメンタリストは、伝統を復興させ、それらを純化しようとする。そして彼らは、伝統を保守するためには、暴力に訴えることすらはばからない。』
これは1999年の著書。
21世紀に考えるべきこと、グローバリズムの本質、多様化するリスク、伝統をめぐる戦い、変容をせまられる家族のあり方、民主主義の限界及び民主主義の民主化。
こんな情勢だからこそ、出発点からきちんと考える必要があり、入り口を間違えると間違った肩入れをしてしまうのではないかと。 -
Posted by ブクログ
「グローバリゼーションは何をどう変えるのか」と、副題にあるように、極めて今日的な課題である世界のグローバル化についての解析を試みるのが、この小冊子の目論見である。ギデンズは、5つの章を立て論点を簡潔に示している。西洋キリスト教社会に生きている訳ではない者にとっては納得できる部分もあるし、そうでない部分もあるが、著者の分析は概ね公平な視点に立っていると思われる。
第一章では、グローバリゼーションが経済だけに限られた現象でないことに注意を喚起する。通信技術の発展が必然的にもたらした世界のグローバル化は、共産主義社会の崩壊を招き、富の不平等化を引き寄せた。さらにそれは国や宗教が保持していた独自の文化をもゆさぶり、否応もなく我々は「様々な変化の相乗作用の結果として、無目的かつ無原則的にできあがる秩序である」新しい世界、グローバル・コスモポリタン社会に足を踏み入れている。すでに機能停止している旧制度を捨て新しい制度を創造することで、この新秩序に対応せよと、ギデンズは言う。
次には世界が直面している多様な「リスク」について、予防原則という手だての有効性を論じながらも、環境リスクを重要視するあまり、反科学、反合理主義に陥る愚を説き、リスクへの積極的な挑戦こそが経済を活性化し、社会を改革すると力説する。
第三章では、「伝統」について検討を加えている。コスモポリタニズムに対するファンダメンタリストの盾となる「伝統」には捏造されたものが多いことを、キルトの作られた歴史から説くところはイギリス人らしいユーモアに溢れている。その一方で、ギデンズは「伝統の存在は社会を存立させるための必要条件である」ともいう。伝統が稀薄化すれば、人はアイデンティティーを自己自身の物語作りに負わなければならなくなる。その意味で、フロイトの業績を「脱伝統文化の初期の段階で求められる、自己同一性を刷新するための処方箋を確立したことにある」とする見解は興味深い。
家族を扱う第四章の結論を一言で言うなら、従来的な家族観から抜け出し、新しい家族観を認めるべきだということになろう。子どもや女性の人権を守ること、同性愛者に対する差別の撤廃など、耳新しいことは何もないが、イスラム諸国の現実を考えあわせれば、ファンダメンタリストとの闘いは避けて通ることはできないであろう。
最終章でギデンズが取り上げるのは民主主義の有効性である。健全な民主主義を三本足の腰掛けになぞらえて、政府、市場、市民社会の三つが調和がとれていることの重要性を説く。アフガン支援でNGOの参加に圧力を加える政治家のいる国は三本目の足の長くなるのを恐れて鋸で切ろうとしているものでもあろうか。国民国家の枠を超え、グローバル化された民主主義が必要な所以である。
一読後感じるのは、概説的な書物の持つ宿命として、論議が抽象的になりがちだということである。一種の信仰表明のようなものであり、著者の立つ位置ははっきり示されているが、読者は何をすればよいかは示されることはない。ただ、試薬のようなものとしては有効で、自分の論を築く上で、確かな足場を提供してくれている。因みに、個人的見解として、1、3章には共感を、4、5章は今更ながらといった感じを、2章には疑問を感じたことを付け加えておきたい。
著者のギデンズは、トニー・ブレア英国首相のブレーンとして知られる社会学者であり、サッチャリズムでもなく、従来型の左翼の手法でもない所謂『第三の道』を標榜する理論的主導者でもある。紙面の背後に浮かび上がってくるのは、確かな現実認識があり、柔軟な思考のできる、知的に誠実な学者像である。自国の経済状況や他国からどう見られているかという内向きの問題に汲々としている日本の状況を思うとき、世界に対する責任を自覚した意見を発信できる学者を首相のブレーンとして持つことのできる国民がちょっと羨ましくなった。(佐和隆光訳) -
Posted by ブクログ
21世紀初めの10年における、国際化社会の様相を示唆、論考した本書。ギデンズは国際化の流れでおこる社会の変化が及ぼす影響を測定不能とし、リスクを予防することを主張している。また、かれは排除のない世界を理想として掲げる。しかし、2011年、進展した国際化はより暴走し、我々(日本)はそれに適応することができてないと思う。いまだ、新自由主義の流れは強く、格差は拡大し、不平等への無関心が我々を包んでいる。不平等や、社会的定位・排除は社会の構造的に産み出されることは、もはや明確であるにも関わらず。我々に求められることは、国際化に伴う社会の構築変化に対して、どのような理想をもって社会活動に参加するか、という思想と活動様式である。本書は、国際化が及ぼす社会への影響と、その圧倒的かつ不可避な力のなかで、我々市民がどのような社会を築き上げていくのか、という社会ビジョンの構築に視座を与えてくれる。
-
Posted by ブクログ
ギデンズのものの中ではとりあえずとても読みやすい。グローバリゼーション、リスク、伝統、家族、民主主義、あたりをキーワードにしながら、民主主義がグローバリゼーションを推し進めたけれどもそれはコスモポリタン的寛容とファンダメンダリスムの両方を生み出した、議会制民主主義はある種限界にきているので、国民国家を超えた民主主義を考えて暴走する世界をコントロールしなくちゃね、なんて話が書かれている。この中には、同性愛について寛容なひとも増えたことについて「セックスを生殖から切り離したことの必然的帰結」とあっさり述べていて、長年の人権運動はどこへ行っちゃったのよと最初は腹を立てた。あんたの言うことはわかるけど、でも実際そうなんだよね、と、2006年春にこれを講読したときのMH先生は苦笑いしていた。今は、ギデンズがこういう風に言う背景が少しわかってきて、まぁそういう説明をしてもいいか(それだけじゃないけどね)なんて思っている。
-
Posted by ブクログ
ネタバレまさかの20年前の書(笑)。
グローバリゼーションをどう捉え対応していくか、というのが主題。
確かに、当時、グローバリゼーションという言葉がもてはやされ、そんな世界にどう対処していくのか、って議論になってた気もするー。
と思いながら読んだ(笑)。
古いけど、ある種今も色褪せない議論が展開されている感じ。
大筋の、グローバリゼーション自体はどうもこうもしようがない、というのは、先見の明ありだし。
個人的には、伝統とは何か、というくだりが何気に面白かった。
しかし、適当に手にした本なので、こんなに有名な著者のこんなに古い本だとは思わなかった(笑)。 そして、こんな薄い、しかも書きぶりもこんなさらっとした感じで、がっつりアカデミック議論しているとは意外でした~。 -
Posted by ブクログ
『経済学とは何だろうか』(岩波新書)において、クーンのパラダイム論を援用しながら経済学の「制度化」の問題を考察した著者が、アメリカの制度化された主流派経済学や、政治にとって都合のいい役回りをみずから率先して演じている日本の経済学を批判し、モラル・サイエンスとしての経済学の復権を説いた本です。
「経済学のすすめ」というタイトルですが、マルクスのそれとおなじ意味で著者なりの「経済学批判」を展開した本ということもできそうです。ただ、科学社会学的な観点からの経済学批判としては、やや議論が散漫な印象を受けました。また著者自身の政治的な立場からの意見が生のままで提示されているところもあります。本書のような経済学批判の試みも重要な課題だと考えるだけになおさら、地に足の着いた議論を展開してほしかったように思います。