清水徹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
読んだのは1年も前だけど感想書いてなかった。まとめないと忘れる。
不条理と自殺との関係についての本。
曰く、「不条理」とは”この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死に物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態”、或いは“欲望する精神とそれを裏切る世界とのあいだのあの背反状態”、或いは”人間と世界とを結ぶ唯一の絆”。
実存哲学者達は人の理解を超えたものを神と呼び、不条理を生きる苦しみから逃れようとする。世界の不思議を全て神様の仕業にして受け入れてしまう。が、カミュは「不条理=神」とするのは飛躍だ、逃避だと批判する。
“シェストフにとっては、理性はむなしい、が、理性を超えたかなたになにものかが存在する。不条理な精神にとっては、理性はむなしい、しかも、理性を超えたかなたにはなにもないのだ。”
この絶望の中で、生きるべきか、死ぬべきか。カミュは生きるべきだと言ってる。
不条理は人間と世界との関係、対立のなかにあるから、対立の一方の項を否定すること(自殺)もまた不条理から逃げ出すことになる。神を信じることも自殺することも拒むとき、残った選択肢、“筋道の通った数少ない哲学的姿勢のひとつは反抗である”。
“反抗とは、人間と人間固有の暗黒との不断の対決だ。不可能な透明性への要請だ。”
“この反抗とは、圧倒的にのしかかってくる運命の確信―ただし普通ならそれに伴う諦めを切り捨てた確信―それ以外のなにものでもない。”
“意識的であり続け、反抗を貫く―こうした拒否は自己放棄とは正反対のものだ。人間の心のなかの不撓不屈で情熱的なもののすべてが、拒否をかきたてて人生に立ち向かわせるのだ。重要なのは和解することなく死ぬことであり、すすんで死ぬことではない。自殺とは認識の不足である。不条理な人間のなしうることは、いっさいを汲みつくし、そして自己を汲みつくす、ただそれだけだ。不条理とは、かれのもっとも極限的な緊張、孤独な努力でかれがたえずささえつづけている緊張のことだ、なぜなら、このように日々意識的でありつづけ、反抗を貫くことで、挑戦という自分の唯一の真実を証しているのだということを、かれは知っているのだから。”
生きる。具体的には、より多くを生きる。
“同じ年数を生きたふたりの人間に対して、世界は常に同じ量の経験を提供する。それを意識化するのは受取るぼくらの側の問題だ。自分の生を、反抗を、自由を感じとる、しかも可能なかぎり多量に感じとる、これが生きるということ、しかも可能なかぎり多くを生きるということだ。”
こんな感じだったと思うけど、腑に落ちない点もある。
全てを知りたいって欲求はめちゃめちゃ大きいし、どこまでも理性的でありたいって気持ちも理解できるけど、神(どんな神かにもよるけど)を信じるからといって、そこで思考停止に陥る人ばかりでもないと思うけどなぁ。
それから不条理=神とすることを拒むのは、どこまでも理性的であるって前提で納得できるけど、自殺によって不条理から逃げちゃいけない理由、反抗しながら生きなきゃいけない理由が、“偏見のない人間にとっては、知力が自分の力をはるかに超える現実と格闘している姿ほど素晴らしい光景はない”、つまり「抗ってる自分かっけぇ!」だけなのはすごく弱い気がする。人生の意義は意義などない人生を生き抜くことだ、それを生き抜くのがカッコイイんだと言われても、そう思えない人には自殺を思いとどまらせることができない。
あと、“重要なのはもっともよく生きることではなく、もっとも多くを生きることだ”っていう具体的な生き方に関して。“生の意義を信じることは、つねに、一連の価値の階梯、ある選択、ぼくらの好みを前提としている。不条理を信じることは、これまで定義したところにしたがえば、それとは反対のことを教える。”ってことで、不条理を生きる人間には良いも悪いもない、”どの行為の結果も等価値”だと言ってる(これは犯罪を勧めるものではないとも言ってる)けど、何だかあらゆるものから自由でいることにこだわりすぎてるんじゃないかって気がする。“自分の人生に何か一つの目的を思い描いている限り、かれは目的を達するのに必要なことをしようと従順で、自分の自由の奴隷になりつつあったのだ。”なんてことも言ってるし。なにものからも自由でありたいがためにこの論理をつくり上げたんじゃないかって気もしなくもない。
ただ語り口はやたらかっこいいのでぐいぐい読ませる。以下は一年前の自分が付箋貼った箇所の一部。
“おのれを殺す、これはある意味で、告白するということだ。生に追い抜かれてしまったと、あるいは生が理解できないと告白することだ。”
“ごまかしをしない人間なら、真実だと信じていることがその行動を規定するはずだということを、原則と認めることができる。”
“ひとりの人間にとって世界を理解するとは、世界を人間的なものへと還元すること、世界に人間の印を刻みつけることだ。”
“まったく道徳的だと思えるひとつの明々白々たる事実がある。人間は常に自分が真実と認めたもののとりこになってしまうということだ。”
他にも印象的な言葉がたくさんあるよ。 -
Posted by ブクログ
カミュが29歳の時の作品。若くして不条理に正面から向き合って語る彼の熱いエネルギーを感じました。
直ぐは理解できないところも多かったが全体像は朧げながら理解できた気がする。
何故彼が不条理についてこれほど思索を重ねたのか?と気になって彼の経歴を調べてみた。
彼は貧しい生まれで1歳で父を亡くした事、小学校で恩師ルイ•ジェルマン先生に出会った事で人生が大きく変わった事を知った。彼はまた42歳で戦後最年少ノーベル文学賞を受賞している。受賞に際してルイ・ジェルマン先生に感謝の手紙を送っており彼の誠実な人柄を表していると思った。
ギリシャ神話のシーシュポスという人物とエピソードを初めて知った。 -
Posted by ブクログ
解説を読むことで腑に落ちる箇所がいくつか。
断章っぽくなっていて、悪く言えばとっ散らかっている印象も受けたが、それが一周まわって読みやすくもあるし面白いと感じる不思議な経験をした。
ただし、本作でデュラスを初めて読む自分からすると、どうしても「自己完結しすぎだろ!」とツッコミたくもなる。小説なんて全部そうだろと言われればそうだが、それにしても……というか。
本作を「詩的で、幻想的」と言いきれないのはこういう点も含めてのことだ。純粋に詩的と言うには個人的すぎるような気もする。自己正当化とか、そういうことじゃないのも何となくわかる。
それでも、すごく嫌な言い方をすれば、独りよがりで、それっぽい文章を書いて気持ちよくなっているような臭さがまだ残っているように思えてしまう。と言うよりは「匂い立っている」と言うべきかもしれない。強烈に。
最終的には「そういう作品」と割り切るしかなくなった。が、少しモヤモヤする。
とはいえ、本作の絶妙な感じの理由には、作者と読者のギャップと言うよりは、「時間の差」があるようにも思った。老年期の、老成した人なりの時間感覚、スピード感(あるいはぶつ切り感)と言えばいいのか。もう少し歳をとったら違うかもね。 -
Posted by ブクログ
『シーシュポスの神話』を読んでみた。
……。
ペストよりも複雑。訳のせいなのか、原文もやはり複雑なのか。
カミュの思考の断片を読む…みたいな目的があるなら楽しいかも知れない。けど、個人的には回りくどく延々と同じ事を違う言葉で言ってるだけにしか見えなかった。
この辺りの思考が『ペスト』のあのあたりに反映されてるんだな。という部分もあったけど。
知らなくてもペストはペストで十分、疲れる物語だった。私には『ペスト』で意味が分からず疲れた部分を、ぐっと深堀してもっと疲れるため作品でしかない。
頑張って読んでみたけど、何を読んでるのか分からなくなる。
物語ではなくて、エッセイなのでなおさら、『個人の思考』の話。個人的すぎて、分かるケド……分かるケド、そんなのを長々と綴られたらこっちが発狂するわ。と思った。
不条理がどうのこうのと書いてあったけど、こんなのを読んでると『この本を読む事が不条理である』という思考に行きつきそう。
タイトルにある『シーシュポスの神話』とは、岩を山の上まで運ぶと、その岩が転がって再び山の上まで運ばなければいけないという地獄の物語らしい。
この本の事だろうか? 一度読んだと思える部分が再び繰り返される。
……で?何の本だった?と聞かれると、
『意味の分からないモノを延々と繰り返す本』と言ってしまいそう。
もちろん、繰り返して読む気はない。本棚の奥深くに眠らせてしまいたい一冊。本棚の奥深くから引っ張り出したけど、再び戻そうと思う。 -
Posted by ブクログ
異邦人の主人公、ムルソーの大ファンでありながら、今ひとつ理解できないもどかしさを解消したくて読んだ。表現が難解でさらに分からなくなってしまった。不条理=非論理的、不合理という簡単なものではないらしい。理屈にならない理屈ってなんだ。それ自体に矛盾を孕んでいて、荒唐無稽なものということなのか。自分で書いててさらに分からなくなってきた。一つだけ印象に残っている例え話をメモって逃げよう。未来の自分に任せよう。
183ページ、カフカの不条理を比喩する物語である。
狂人が風呂桶の中で釣りをしている。
精神病に独自の見解をもっている医者が「かかるかね」とたずねたとき、気違いのほうはきっぱり答えた、「とんでもない、馬鹿な、これは風呂桶じゃないか」。
カフカの世界とは、何も出てきはしないと知りながら風呂桶で釣りをするという身を噛むような贅沢を人間が自分にさせている言語を絶した宇宙である。
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Posted by ブクログ
哲学書を高校の倫理以降読んだことが無い私としては難解な思想がずっと続いて読むのが大変だった。
不条理性をテーマに人間の生と幸福を考えさせられるエッセイであり、常にカミュが大事にしてきた思想が伺える作品でもあると思う。人間の死と、それに対する反抗的思考を冷静に思考する。飛躍した希望的思想になりがちであった宗教への評も、気づかされる事ではある。
人間が人間自体の目的であり、それ以外の何でもないと思う事により、自決や夭逝を避ける事も可能なのではないかと思う。
これ以上の批評は出来ないが、常に自分自身の生に置き換え人生を見つめる作品となった衝撃作だ。 -
Posted by ブクログ
マルグリットが少女だったころ
さまざまな事情からデュラス家は貧乏だった
早くに夫をなくした母は、実らない耕作地を知らずに買ってしまった
フランス領インドシナにあるその土地で
白人の最下層に立った母は、誰にも見下されまいと身をこわばらせ
それがよくなかったのか
子供たちの教育に失敗したあげく、精神を病んだ
マルグリットはのちに、そのころを小説に書いて名声を得るのだが
必ずしもそのことに満足したわけではなかった
なぜならそこでは不道徳な真実が省かれていたからだ
母の不安はマルグリットの不安だった
精神的に、経済的に
それを癒すため、彼女はみずから男を求めたのだった
母が死に、兄たちも死に、年老いた彼女は
すべてを暴露してみずからの物語を破壊することに決めた
それはひょっとしたらありえたかもしれないもう一つの人生
失われたイマージュ、失われた愛情をとりもどそうとする試みだった
あるいは、社会が望む物語のため犠牲になったものたちへの
鎮魂の試みであったかもしれない -
Posted by ブクログ
ネタバレ通勤の地下鉄でこの本を読んでいると、荒涼とした世界の無機質さや奇怪さが迫ってきて気持ち悪くなってくる。哲学が辿り着いた理性の限界という結論には同意しつつ、だから神を信じるというのは「飛躍」だとして、キルケゴールに代表される実存哲学を退けるカミュ。クリスチャンとしてはカミュの示す生き方を受け入れるのは難しいが、悲惨な戦争を経て生み出されたカミュの思想をクリスチャンも無視はできない(教会がその戦争を止められず、加担すらしたことも考えると尚更)。「飛躍」がないからなのか、より近い時代だからなのか、訳文のためなのか分からないが、キルケゴールよりは難解でない気がする(それでもかなり難解だが)。
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Posted by ブクログ
ネタバレ自分なりにカミュの「不条理の哲学」を要約すると以下のようになる.人間はその理性から,世界の全て,万物の理を知ることを欲する.しかし,世界は自ら何も語らず,そこに存在する.人間の理性では,世界を理解することは到底敵わない.つまり,人間は世界に産み落とされた段階で,わかるはずのないものを知ろうとするという絶望を体験することになる.この二つに引き裂かれた状態を「不条理」と呼ぶ.この不条理な状態に対しては二種類の対応の仕方が思い浮かぶ.一つは,不条理を生きることであり,もう一つは,不条理な世の中から逃避する,即ち,自死である.究極の選択である自死に対して,生きることを選択するということはどういうことか.それこそがこの本の主題である.例えば,実存主義の哲学者キルケゴールは,その不可知であるという性質から,世界に神を見た.つまり,全能の神を用意し,それに跪くことで,不条理を克服した.しかし,カミュはこれを逃避だと断じた.では,シュストフはというと,彼は,世界をわからないものだと諦め,それによって不条理を懐柔する.しかし,カミュは,人間の理性を信頼しているため,この姿勢を受け入れない.カミュにとってこれらの思想は「哲学上の自殺」なのだ.そして,カミュは以下の三つのものを提示する.一つ目としては,意識的であり続け,反抗し続ける姿勢である.不条理を生きるためには,現在その一瞬において醒めており,自分の内面から世界を知り尽くそうという努力が求められる.それは安住とは対極の緊張感を孕む,反抗である.二つ目は,死の意識によってもたらされる自由である.死は絶対不変の帰結点として存在する.それを思えばこそ,人は生きているその瞬間に意識的であると言える.三つ目は,生きている現在時から得られる経験を多量に感じ取ろうとする情熱である.世界は同じ年数生きた人間に同等の経験を授ける.しかし,そこから何を得るかはその瞬間の生き方に依存する,と考える.これら三つがカミュの主張する,不条理から出発した,反抗,自由,そして熱情である.しかし,カミュの不条理の哲学は現在という一時点に重きを置きすぎていると考えられなくもない.この哲学には未来への希望や,過去の反省といったものの介在する余地がないのだ.
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Posted by ブクログ
ネタバレ確か島本理生さんが文体に魅せられたと紹介していたので読んでみた。
自伝的小説なのにほとんど現在形で語られ、一人称と三人称が混在しているのが斬新だった。が、翻訳によるところが多いので、たとえば村上春樹が訳したら1Q84みたいな普通の語りになるのではないか。
この訳はかなり原文に忠実なようで、翻訳小説らしくセンテンスが長く、挿入句、修飾句が多く入り、日本人にはかなり読みにくいと思う。
内容的には、長男にだけ異常な愛情を注いで家を破滅させた母親のせいで、15歳の若さで愛人を持ったヒロインに深く同調した。顧みられずに死んでいった下の息子も哀れであった。
表紙の写真は著者が18歳のときのものだそうな。なんと妖艶な。