清水徹のレビュー一覧
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ネタバレ学生時代に読んでから、30年ぶりの再読。
当時は「真に重大な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ」という衝撃的な導入と、「シーシュポスは幸福なのだ」という結びの強烈なイメージを、どこか詩的な情景として受け取っていただけのように思う。それでも好きな本の一冊でした。
今回、改めてもっとちゃんと読んでみようと思って、英語版をメインに日本語版も併せて(AIとも議論しながら)一文ずつ論理を追いかけてみました。
カミュの言う「不条理」とは、単なる理不尽さのことではない。それは「なぜ」と問い続ける人間と、沈黙し続ける世界との間に生じる、終わりのない摩擦の状態。
多くの思想家や作家は、その沈黙の -
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初めてのカミュどころか初めての哲学書?だった。
難しい。様々な哲学者や名作を引用しながら不条理について、自殺についての文章が羅列してあった。何を言ってるか咀嚼しきれなかった箇所も多々あったが著者が記したいサビの部分はすっと入ってくる。
反抗、自由、熱情。この世界の不条理を受け入れ、それでいてなお意識を動かし反抗し続ける、自殺を拒否する。
個人的には、これほどまでに力強く、反抗の意思を示した著者の最期は交通事故だというあっけなさに強く関心をひかれるし、カミュの生い立ち、思想の元というところも知りたくなった。
小説として書かれている異邦人も手元にあるため、読む。 -
Posted by ブクログ
映画を2〜3回観てから読んでみた。本の方が間に今現在の描写が何度も出てくるので、回想感が強い分ちょっとあっちこっち気が飛んでしまうかも。
読んでも観てもお話のような運命の出会いだよなぁと思う。男はロリコンでもなさそうだし、むしろ15歳という歳に似合わず大人びている彼女に一目惚れしたんだろう。その男が大金持ちで彼女は家が貧乏で苦労している…なんて。なんてドラマみたいなの!交際?している間は淡々と付き合って深入りはしないようにしていたけれど、最後の客船での涙は愛していたから流れたのよねぇ。それでもあの当時もう2度と会えないかもしれない距離に帰ってしまったことは、彼女にとっては忘れられる、思い出にで -
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少しずつ読み進めてますが、若いときの読書体験の影響力とは凄まじいもの
僕が普段、何気なく心の芯においてる在り方みたいなものの多くはここに書いてあったことなのだなーと発見をしている
「人間の尺度を超えている、だから超人間的なものでなければならぬ、という。しかし、この、「だから」は余計だ。ここには論理的確実性などいささかもない。経験的蓋然性もいささかもない。僕の言い得るのは、なるほどこれは僕の尺度を超えている、これだけだ。そこから僕は否定を抽き出しはしない。いや、少なくとも僕は、理解不可能なものの上にはなにひとつ築きたくない。自分ははたして、自分の知っているものとともに、ただそれだけとともに生 -
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無限の神に有限の身体。その間に挟まれてしまった"ぼく"
届かないからそっぽを向いた。
「死ぬべきものとしてとことん生き抜いてやろうじゃないの」
不屈の反抗児カミュ。
このひとのことばは緻密さにあるのではなく、反抗という飛躍によって突き動かされている。
だから、どうしたってどうしようもなくへそまがりで頑固。前を見ながら後ろを見るということを平気でやってのける。それは有限と無限の合わせ鏡によってなされる。キルケゴールとヤスパースの比較がそれだ。
永遠という神にはどうしたってこの有限の者はなりえない。だったら永遠なんて幻からは背を向けてもう一度有限の身体に戻ろうではないか。目覚 -
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映画よりも、小説のほうが中国人の愛人のことより、母親のことが書かれていると思った。母親の関心をひきたいから、愛人を作ったようにも見える。母親の愛は上の兄に注がれるだけ、主人公と下の兄は母を愛していたが、愛に飢えていた。母親は娘のことを殴ったりするけど、外を向いては子供たちを絶対に否定しない。そこには強い女、母親が見てとれる。一人で3人の子供たちを育てた強い母親。お金が必要だから、娘が金持ちの中国人の愛人になっても、見えないふりを続けた。否定も肯定もない分からない行動。娘自身も愛というものがどんなものなのか、体の関係と割りきっていたはずなのに、本国に還る船の中で、突然彼を愛していたのかもしれない
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はじめてデュラスを読む。
映画の中のインドシナの退廃的な雰囲気が忘れられず原作をと。
映画では2人の逢瀬に多くの時間が割かれていた記憶があるのだが原作での描写は家族と私,彼と私,自分の周りの女性と私,という3つ程度にカテゴライズされる印象を受けた。
そのため最初は暴力的な家庭と悦楽の記憶が交互に立ち現れ,独白の羅列かのように見えるのだけれど,なぜか暴力ゆえにあれがさらに輝きを増していき,混濁が次第にエロスとタナトスの濁流を作り始める。私はその濁流にうっかり飲み込まれる(そうなることを望んでいたのだが)。メコンの流れを思い出す。あの土褐色の大河。
原作に忠実に映画化したら相当前衛的だっただ -
Posted by ブクログ
・人生は不条理だけど、自殺は拒否する。だって自殺したら負けじゃん。
人生が生きるに値するか否か。
無論、人生は人生は不条理だ。自殺をするということは、《苦労するまでもない》と告白すること。ただそれだけに過ぎない。自殺をすることは、日々の無益を認めたということになる。
・不条理な日々を《すべてよし》として、腹を括って向き合え。
生きるとは、不条理を生かすこと。なによりまず、不条理を見つめること。日々に意識的であり続け、反抗を貫くこと。ひとはいつも、繰り返し繰り返し自分の重荷を見出す。ギリシャ神話で地獄で無益な労働に従事していたシーシュポスは幸福なのだ。