清水徹のレビュー一覧

  • シーシュポスの神話(新潮文庫)

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    最近良くある自殺の話題に、参考というかある意味ひとつの見方だな。と思うことが書いてあった。不条理なことについて特に、入念に書かれていて、『生きることへの絶望なしに、生きることへの愛はない』のようなことが印象に残った。また、ドフトエフスキーやカフカについても触れており、参考になった。

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    2023年05月30日
  • シーシュポスの神話(新潮文庫)

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    ネタバレ

    不条理について

    メモ
    ・人生に意味などなければ、人生はずっと生きやすくなるだろう
    ・人生は無意味だし、不条理なものであるが、それを受け入れることでわれわれは自由に生きることができる
    ・重要なのはもっともよく生きることではなく、もっとも多くを生きることだ(※意識的に生きるということ)
    ・人間の心には、自分を圧しつぶすものだけを運命と呼ぼうとする困った傾向がある。だが、幸福もまた、人間にとっては自分のほうで避けるというわけにはいかないものである以上は、これはやはり理性の手に負えぬものなのだ。ところが、現代人は、いつでも幸福を勝ち得たのは自分の手柄なのだと考えるくせに、じつは自分の幸福に気づいてはいないことがときにあるのだ

    ・幸福と不条理とは同じひとつの大地から生れたふたりの息子である。このふたりは引きはなすことができぬ。幸福は不条理な発見から必然的に生れると言っては誤りであろう。幸福から不条理の感情が生れるということも、たしかにときにはある。

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    2023年02月26日
  • 愛人ラマン

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    「十八歳で私は年老いた。」この一言が強烈に印象に残る。タイトルで手を出しにくい作品かもしれないが、是非一読を。

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    2022年11月26日
  • シーシュポスの神話(新潮文庫)

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    表題作はあくまで論の中の一つで、「不条理な論証」、「不条理な人間」、「不条理な創造」、「シーシュポスの神話」、「付録フランツ・カフカの作品における希望と不条理」から本作はなっている。
    これはベースとしてシェイクスピア、ドストエフスキー、カフカの作品をある程度知らないと勿体ないので、私の知識最弱なドストエフスキーを読んだ上で、読み直さないと行けないなと思いました...カフカはこのあと再読しよう...

    好きだったところ、印象的だったところをいくつか。
    ・この世界はそれ自体としては人間の理性を超えている、--この世界について言えるのはこれだけだ。不条理という言葉のあてはまるのは、この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死者狂いの願望が鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態についてなのだ。(p.35-36)

    ・人生は意義がなければないだけ、それだけいっそうよく生きられるだろうと思える(p.78)

    ・自殺とは、飛躍がそうであるように、ぎりぎりの限界点で受入れることだ。いっさいが消尽されつくしたとき、人間はその本質的歴史へと帰る(p.79)

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    2022年08月25日
  • 愛人ラマン

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    文章が独特で、一人称から三人称になったり実験的な小説だったように思う。それでもデュラスの言葉は芳しく広がり、とても自由奔放のそのものだ。
    ストーリーを堪能するまえに、まずはデュラスの背景を知らなければならないように思う。自伝的小説による宿命だ。

    「十八歳でわたしは年老いた」嵐が過ぎ去ったあとのデュラスは何を見ただろう。
    中国の男性と白人の娘による決して官能的ではない、愛の物語。



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    2022年01月19日
  • 愛人ラマン

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    「仏領インドシナを舞台に15歳のときの、
    金持ちの中国人青年との最初の性愛経験を語った自伝的作品。」(表紙裏より)

    映画は観ていないが、予告編の雰囲気に記憶があるので、
    エロティックで妖艶な恋の物語だろうと思っていた。

    ところがなんと哀しい可憐な少女の心。
    そして文章の美しさ。

    インドシナのメコン川デルタ地帯、靄と湿地とのけだるい空気。
    愛人との出会いの迫力、愛人と過ごす時間の濃密さ。
    そのひまに見え隠れする少女の家族。
    その家族の精神のあやうさ、すさまじさ。そして、貧しさの原因。

    文章が美しいと言ったが翻訳とて、言葉というより構成がいいのかもしれない。

    一人称、三人称と自在に変わり、情景もめくるめく、時も行ったり来たり、
    まるでデュラスが思い出を思いつくまましているようにみえて、
    しかし、印象深い作者の思索。書きたい意欲。みずみずしさ。

    作者これを書いたとき60歳だったのだ!

    もうひとつ。
    この本の表紙、18歳の美少女が作者自身で、
    みかえしの老いた作者のお顔をみて、のけぞってしまった。

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    2021年08月31日
  • 愛人ラマン

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    この作品は映画でセンセーショナルな反響があったと記憶していますが、こうやって原作を読むとこれは年寄り婆さんの遠い昔の思い出に耽った繰り言ですね。(笑)
    少女時代に彼ー愛人とひたすら性愛に溺れた日々の感傷に耽るみたいな感じですかね。

    ただ、マルグリット・デュラスの少女時代はかなり悲惨だったようで、当時生まれ住んでいたベトナムでは父が早くに亡くなり母が土地投資に失敗し、母や上の兄からはモラハラ紛いのことをされていたようです。
    なので家庭的な要請や自己逃避など複雑な背景があったように思いますが、金持ちのちょっと気弱な中国人男性に目をつけたのもある意味必然だったのかもしれないですね。
    15才のマルグリットは、三つ編みに縁の平らな男物のソフト帽をかぶり金ラメの靴をトレードマークにして男を誘惑し周囲の気を惹く術を心得ていたのでしょう、これに金持ちの愛人の黒塗りリムジンで学校に通っていたとはかなり異様な光景でみんなさぞ近寄り難かったでしょうね。(笑)

    年老いたデュラスはそうした孤独な日々と愛人との関係がふつふつと思い出される境地になったのでしょう。
    この本では年寄りの昔ばなしよろしく、時空間がころころと変わるだけでなく、自分自身の主語でさえ、私だったり彼女だったりと主観と客観も入れ替わったりするわ、話が愛人と思っていたら友達の話だったりその親の話だったり、そうかと思うと兄の話になっていたりと状況がすぐに変わるので読みづらいことこの上ないですが、こうしたデュラスのごちゃ混ぜの記憶が怒濤のようになって思い出されるのを文章化するのはさぞ大変だったでしょうね。
    生々しい少女時代の過去を題材に、ある意味、内面を見つめ直し、熱量や香りや匂いまでもそのままに赤裸々な描写で文学にまで昇華させるところなどはさすがとしか言いようがないですが、ここまでくると、もはや年寄り婆さんの自慢話の域に達しているかもしれません。(笑)

    原作の方はデュラスの複雑な心境を淡々と描写していましたが、映画の方はエロティックな方で話題だったように思います。
    ぜひ映画の方も鑑賞してみたい。(笑)

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    2021年03月14日
  • 愛人ラマン

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    1984年ゴンクール賞受賞作品。
    1992年発行の文庫本が本棚に積まれてました…(;'∀')

    1929年のフランス領インドシナ。
    関係も家計も破綻した家庭の貧しいフランス人少女が
    華僑の中国人青年と愛人関係を持つようになる。
    しかし、人種差別的にはフランスが強く中国は
    弱い立場なので少女の家族を含んで非常に
    ゆがんだ関係が築かれる。

    日本では1992年に映画が公開されました。
    映画のちょっと妙な服装をした少女と
    イケメンだけどおどおどした中国の青年、
    よどんだメコン川がはっきりと思い出されます。

    友人と観に行きました。懐かしいなぁ。

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    2021年01月04日
  • シーシュポスの神話(新潮文庫)

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    年配の方に勧めて頂きました。若い頃、中年期、老齢になって読んで、それぞれに感じいることが違うとおっしゃってました。
    読み始めた初期は、何も頭に入らなくて苦戦しましたが、段々と脳が慣れてきたのか、最後の方は抵抗少なく読めた気がします。また数年後に読んでみようかな。

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    2020年08月16日
  • 愛人ラマン

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    植民地時代の仏領インドシナ。
    貧困家庭の白人の娘と裕福な黄色人種の青年。
    そもそも始まりからして歪んでいて、
    それは愛として結実できる代物ではなく、
    熟んで倦んだ。
    昇華できない情欲の関係は
    娘の心と若さを削り取っていくしかなかった。
    とてもフランス的な自叙伝。

    私は好きだったけどね、
    こういう救いがないけど抜け出せないような
    どうしようもない話は。

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    2020年03月08日
  • 愛人ラマン

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    フランス領インドシナで生きるフランス人の主人公の、中国人青年との性愛を中心に描いた自伝的小説。
    植民地の中でフランス人としては最下層におり生活に困窮しているため、中国人青年と関係を持つのはある種生活のためであるという義務感と、どれだけ困窮しようとも自分は白人であり黄色人種の中国人青年とは違うのだという差別意識とが綯交ぜになって感情が複雑なまま、一つだけ確かなのはその青年との悦楽のみ。決して青年を愛してはいないと、自分に、彼に言い聞かせながら関係を持ち続けていた主人公が、はたと自分の本心に気づく瞬間のやるせなさにぐっときた。

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    2019年01月03日
  • シーシュポスの神話(新潮文庫)

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    カミュ 「 シーシュポスの神話 」 不条理をテーマとした重厚エッセイ

    不条理な論証(筋の通らない論証)
    自殺を 哲学上の重要問題として、不条理ゆえに自殺するのか(不条理に基づき生きることはできるのか) 論証。「不条理な自由」は 論証に対する結論、生きる力がすごい

    不条理と自殺
    *哲学の根本問題=人生が生きるに値するか→人生が生きるに値しないから 自殺する
    *自殺に至る不純分子=人の心の内部を食い荒らす虫
    *自分を異邦人と感じる→人間と生の断絶の感覚=不条理の感覚→死に至るまで 論理的か

    不条理の壁
    不条理は 人間と世界から生まれる
    *人間と世界を結ぶ唯一の絆
    *人間的な呼びかけと世界の不当な沈黙が対置

    不条理な自由
    *人生は 意義がないほど、よく生きられる
    *生きるとは 不条理を生かすこと〜不条理を生かすとは 不条理を見つめること

    反抗とは
    *不条理を見つめる哲学的姿勢のひとつ
    *運命に伴う諦めを切り捨てた確信
    *自殺は 反抗の論理的到達点をなすものではない
    *自殺は 不条理への同意→反抗と正反対

    不条理とは 死を意識しつつ死を拒否すること→こうした反抗が生を価値あるものにする


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    2025年03月21日
  • 愛人ラマン

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    p.180「そしていまようやく、彼女はその愛を見出したのだった。

    ちょうどのちに、死を横切って、下の兄の永世を見出したように。」


    散文詩とでも言うのか、あざやかな言葉と影像の塊によって描かれた小説。インドシナの地で、貧困と憎しみで結び合わされた家族と、思春期の変わった少女と、中国の青年との出会い。
    植民地・肌の白い・人種の違い・プライドとコンプレックスといった感情と歴史的背景を完全に理解することはできなかったが、溢れ出るかの地の情緒とコラージュされた映像、とても印象的な小説だった。

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    2018年06月30日
  • 愛人ラマン

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    はじめて読んだときは、『太平洋の防波堤』のあの無力感に圧倒されて、ただ、さっと流してしまった。
    改めてもう一度読んでみて、デュラスがこれを書かずにはいれなかった情熱と、一方でその情熱を持て余してやりきれないでいる彼女の姿が見えた。
    時系列や場所、人物に一貫性はない。彼女の筆が進むまま、記憶の連想が進むままにただただ綴られていく。まるで思い出の活劇を眺めているみたい。その中で一本とおっている筋は、「わたし」という何者かがたしかに生きて考えているということ。時にその言動さえも揺らいでいるようにも見える。シナ人の愛人を持ったのはなにゆえか。金か愛か。そんなものでは決してない。ただ、彼女が生きている。そして、見初められた。彼女には特に断る理由もないから、彼に委ねた。それだけのこと。もしかしたら、「わたし」には思うところがあったのかもしれない。しかし、思い出のままに書き連ねるデュラスは、それをよしとしなかった。自分が生きて確かにあのアジアの片隅で呼吸していたということを、そのようなもので簡単に片づけられるはずない。行動に対する理由ではなく、ひとつの必然を伴ったビジョン。彼女にはそれ以外何もいらなかった。
    彼女にとってこれを書くということはかなり一大決心に違いない。創造であることには変わりないが、自分という存在に確かに触れて書かねばならない。自分が一番よく、わからないということを知っている。疑いや歪曲に一番敏感なのは、書いているこの自分に他ならない。けれど、ただただ書き連ねていては物語にならない。あふれそうな記憶を、自分という糸でしっかりとひとつに綴じあわせなければ、書けない。そういうせめぎ合いの中で、これは生まれたんだと思う。

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    2016年06月12日
  • シーシュポスの神話(新潮文庫)

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    カミュ
    シーシュポスの神話

    真に重大な哲学上の問題は一つしかない。自殺。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えること。それ以外のこと、つまりこの世界は三次元よりなるとか、精神には9つの範疇があるとかはそれ以降の問題。
    ニーチェの望んでいること-哲学者たるもの身を以て範をたれてこそはじめて尊敬に値するというのが真実ならこの根本命題に答えるのがどれほど重要かわかる。(これによって自殺を左右する)

    ある問題の方が別のある問題より差し迫っているということを一体何で判断する? -その問題が引き起こす行動を手掛かりにして(カミュの意見)
    ガリレオの自殺は根本的でない。取るに足らない問題。
    これに反して多くの人々が人生は生きるに値しないと考えて死んでゆく。他方また、生きる理由のためを与えてくれるからといって、様々な観念のために、というか幻想のために殺し合いをするという自己矛盾を犯している多くの人々を僕は知っている。(生きるための理由と称するものが同時に死ぬための見事な理由でもあるわけだ)

    だから僕は人生の意義こそ最も差し迫った問題だと判断する。

    あらゆる本質的な問題(ときに人を死なしめるかもしれぬ問題、あるいは生きる情熱を10倍にもする問題)について、おそらく思考方法は二つしかない。

    ラ・パリス的思考方法とドンキ・ホーテ的な思考方法。この二つのもの、つまり自明性と抒情的態度との均衡によってのみ、僕らは感動と明晰とに同時に至ることができる。それゆえ実に目立たぬものだが、同時に悲痛きわまるこのような主題においては精緻な学識に基づく教壇的弁証法は良識と共感との両者から発するより謙譲な精神の態度に席を譲らねばならないことがわかる。

    これまで自殺は一つの社会現象としてしか扱われなかった。しかしここで問題にしたいのは個人の思考と自殺の関係。自殺というこの動作は偉大な作品と同じく、心情の沈黙の中で準備される。当人自身もそれを知らない。思考を始める、これは内部に穴が開き始めるというこよ。発端は人の心の内部。

    実存に真っ向から向き合った明察から光の外への脱出へといたり死をもたらすあの動き、それを追跡し、理解せねば。

    ある一人の自殺には多くの原因があるが、一般的に言ってこれが原因だと一番はっきり目につくものが実は一番強力に作用したという試しがない。熟考の末自殺するということはまずほとんどない。

    自殺はある種「生を理解できない」と告白すること。「苦労するまでもない」と告白すること。習慣や日常の馬鹿ばかしさを認めたことを前提にしている。とすれば精神が生きていくのに必要な眠りを精神から奪ってしまうこの計り知れない感覚とは一体どのようなものか。

    とかく説明できる世界は親しみやすい世界だ。だが反対に幻と光を突然奪われた宇宙の中で人間は自分を異邦人と感じる。(離人感) この追放は失った祖国の思い出や約束の地への希望を奪われている以上、そこではすがるべき綱はいっさい絶たれている。

    人間とその生との、俳優とその舞台とのこの断絶を感じ取る、これがまさに不条理の感覚。自殺を想ったことのある健康人なら誰でも、これ以上説明をしなくてもこの感覚と虚無への熱望との間には直接のつながりがあるとは認めることができよう。

    この試論の主題はまさしく不条理と自殺の間の関係、自殺がどこまで不条理の解決となるかというその正確な度合い。

    生に意義を与えることを拒んだ思想家のうち、キリーロフ(文学)、仮説に属するジョージルキエを除いてはこの人生を拒否するに至るほどまでに自己の論理を貫いたものはただ一人もいない。
    ルキエは知識と自由意志の不可分を主張、自殺?
    悲劇性を真面目に取ろうとしない態度が人間としての値打ちが低いということに。。

    いっさいを退けて真の問題へと直進しなければいけない。

    論理的であるというのは常に楽にできる。しかし極限まで論理的であり続けるのはほぼふかのう。「論理的」にも強さというか広さがあるな。
    死に至るまで貫かれた論理が存在するか?(正当で論理的な自殺はあるのか?と)

    ヤスパースは統一的世界像の構成の不可能性を明らかにした「この限界はわたしをわたし自身へと導く、そうやって辿り着いた地点では客観的視点など私がただ表象しているに過ぎない。そこでは私自身も他者の存在も私にとってはもはや客観的対象とはなりえない」ここで多くの人が自殺する。思考の自殺。

    しかし真の努力とはそれとは反対に可能な限りその場に踏みとどまって、この辺境の地の奇怪な植物を仔細に検討すること。
    不条理と希望と死とが互いに応酬しあっているこの非人間的な問答劇を特権的立場から眺めるためには粘り強さと明徹な視力とは必要である。
    その時この基本的でしかも同時に微妙な舞踏について精神はその様々なフィギュアを分析し、続いてそれを明示して、自らそれを再び生きることができる。

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    2016年01月07日
  • シーシュポスの神話(新潮文庫)

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    カミュは本当に頭がいいなぁ。
    正直難しかった(笑)
    こんなにも不条理についてこと細かく書けるというか思考できるというのがすごい。
    ドストエフスキー論とカフカ論は大好きな作家なので、なかなかおもしろく読めました。
    偉大な作家とは哲学者的小説家である。バルザック、サド、メルヴィル、スタンダール、ドストエフスキー、プルースト、マルロー、カフカっておれが好きな作家多し(笑)
    やっぱカフカやドストエフスキーってすごいよな~って思ったし、カラマーゾフの兄弟がよりいっそう楽しみになった。

    いっさいは許されているとは、なにひとつ禁じられていないという意味ではない。不条理は、ただ、これらのどの行為の結果も等価値だとする。
    死が不可避な唯一のものだというこの事実を除けば、悦びであれ苦しみであれ、いっさいが自由である。

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    2015年02月14日
  • シーシュポスの神話(新潮文庫)

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    「真に重要な哲学上の問題はひとつしかない。自殺ということだ。」ああ、全くもってその通りだ。兄に自殺された身にとって、その言葉はより実感を伴って響いてくる。世界はいつも割り切れず、生はいつだって不条理だ。カミュの哲学は難解だが、それは安易な跳躍を良しとせず、不条理という困難さから決して目を逸らさないが故の必然的産物である。「すべてよし!」と未だ断定に辿り着けない生、だが大事なのは到達することではない。カミュは不条理に引き裂かれながらも、それでも「すべてよいものか?」と絶えず問い続ける敗北の人生を肯定する。

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    2013年02月04日
  • 愛人ラマン

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     フランス人がベトナム人を見る、あるいは中国人を見るという視点がわかる本である。現在ならば差別小説になってしまうであろう。

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    2012年11月25日
  • 愛人ラマン

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    再々々…読。私が生涯付き合うことになるであろう1冊。とはいえ筆者の脳内のフラッシュバックのように、時代も場面も異なる描写がランダムに出てきて読みづらい。それでも冒頭の「18歳で私は年老いた」からの印象的な数行と、少女がフランスに帰国するために乗った船を桟橋のリムジンが見送る場面からラストの数ページを読みたいがために、それ以外の難解というか面倒な言い回しに耐えている感じ。特に最後の数行のパラグラフが最高に好きで、それを再び読むために何度も読み返す。私にとってはこのラストを読むためだけにある1冊とも言えそう。

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    2012年11月09日
  • 愛人ラマン

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    映像(イマージュ)という言葉が何度も出てくる通り、とても映像的な作品でした。正直、1度読んだだけで理解したとは思えないけれど、行った事もないサイゴンの街並みと、小説世界のけだるく倦んだ空気を感じたような気がします。

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    2012年07月19日