清水徹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
「仏領インドシナを舞台に15歳のときの、
金持ちの中国人青年との最初の性愛経験を語った自伝的作品。」(表紙裏より)
映画は観ていないが、予告編の雰囲気に記憶があるので、
エロティックで妖艶な恋の物語だろうと思っていた。
ところがなんと哀しい可憐な少女の心。
そして文章の美しさ。
インドシナのメコン川デルタ地帯、靄と湿地とのけだるい空気。
愛人との出会いの迫力、愛人と過ごす時間の濃密さ。
そのひまに見え隠れする少女の家族。
その家族の精神のあやうさ、すさまじさ。そして、貧しさの原因。
文章が美しいと言ったが翻訳とて、言葉というより構成がいいのかもしれない。
一人称、三人称と自在に変わり -
Posted by ブクログ
この作品は映画でセンセーショナルな反響があったと記憶していますが、こうやって原作を読むとこれは年寄り婆さんの遠い昔の思い出に耽った繰り言ですね。(笑)
少女時代に彼ー愛人とひたすら性愛に溺れた日々の感傷に耽るみたいな感じですかね。
ただ、マルグリット・デュラスの少女時代はかなり悲惨だったようで、当時生まれ住んでいたベトナムでは父が早くに亡くなり母が土地投資に失敗し、母や上の兄からはモラハラ紛いのことをされていたようです。
なので家庭的な要請や自己逃避など複雑な背景があったように思いますが、金持ちのちょっと気弱な中国人男性に目をつけたのもある意味必然だったのかもしれないですね。
15才のマルグ -
Posted by ブクログ
カミュ 「 シーシュポスの神話 」 不条理をテーマとした重厚エッセイ
不条理な論証(筋の通らない論証)
自殺を 哲学上の重要問題として、不条理ゆえに自殺するのか(不条理に基づき生きることはできるのか) 論証。「不条理な自由」は 論証に対する結論、生きる力がすごい
不条理と自殺
*哲学の根本問題=人生が生きるに値するか→人生が生きるに値しないから 自殺する
*自殺に至る不純分子=人の心の内部を食い荒らす虫
*自分を異邦人と感じる→人間と生の断絶の感覚=不条理の感覚→死に至るまで 論理的か
不条理の壁
不条理は 人間と世界から生まれる
*人間と世界を結ぶ唯一の絆
*人間的な呼びかけと世界の不 -
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はじめて読んだときは、『太平洋の防波堤』のあの無力感に圧倒されて、ただ、さっと流してしまった。
改めてもう一度読んでみて、デュラスがこれを書かずにはいれなかった情熱と、一方でその情熱を持て余してやりきれないでいる彼女の姿が見えた。
時系列や場所、人物に一貫性はない。彼女の筆が進むまま、記憶の連想が進むままにただただ綴られていく。まるで思い出の活劇を眺めているみたい。その中で一本とおっている筋は、「わたし」という何者かがたしかに生きて考えているということ。時にその言動さえも揺らいでいるようにも見える。シナ人の愛人を持ったのはなにゆえか。金か愛か。そんなものでは決してない。ただ、彼女が生きている。 -
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カミュ
シーシュポスの神話
真に重大な哲学上の問題は一つしかない。自殺。人生が生きるに値するか否かを判断する、これが哲学の根本問題に答えること。それ以外のこと、つまりこの世界は三次元よりなるとか、精神には9つの範疇があるとかはそれ以降の問題。
ニーチェの望んでいること-哲学者たるもの身を以て範をたれてこそはじめて尊敬に値するというのが真実ならこの根本命題に答えるのがどれほど重要かわかる。(これによって自殺を左右する)
ある問題の方が別のある問題より差し迫っているということを一体何で判断する? -その問題が引き起こす行動を手掛かりにして(カミュの意見)
ガリレオの自殺は根本的でない。取るに -
Posted by ブクログ
カミュは本当に頭がいいなぁ。
正直難しかった(笑)
こんなにも不条理についてこと細かく書けるというか思考できるというのがすごい。
ドストエフスキー論とカフカ論は大好きな作家なので、なかなかおもしろく読めました。
偉大な作家とは哲学者的小説家である。バルザック、サド、メルヴィル、スタンダール、ドストエフスキー、プルースト、マルロー、カフカっておれが好きな作家多し(笑)
やっぱカフカやドストエフスキーってすごいよな~って思ったし、カラマーゾフの兄弟がよりいっそう楽しみになった。
いっさいは許されているとは、なにひとつ禁じられていないという意味ではない。不条理は、ただ、これらのどの行為の結果も等価 -
Posted by ブクログ
読んだのは1年も前だけど感想書いてなかった。まとめないと忘れる。
不条理と自殺との関係についての本。
曰く、「不条理」とは”この世界が理性では割り切れず、しかも人間の奥底には明晰を求める死に物狂いの願望が激しく鳴りひびいていて、この両者がともに相対峙したままである状態”、或いは“欲望する精神とそれを裏切る世界とのあいだのあの背反状態”、或いは”人間と世界とを結ぶ唯一の絆”。
実存哲学者達は人の理解を超えたものを神と呼び、不条理を生きる苦しみから逃れようとする。世界の不思議を全て神様の仕業にして受け入れてしまう。が、カミュは「不条理=神」とするのは飛躍だ、逃避だと批判する。
“シェストフにとっ