あらすじ
18歳でわたしは年老いた―。あの青年と出会ったのは、靄にけむる暑い光のなか、メコン河の渡し船のうえだった。すべてが、死ぬほどの欲情と悦楽の物語が、そのときからはじまった…。仏領インドシナを舞台に、15歳のときの、金持の中国人青年との最初の性愛経験を語った自伝的作品。センセーションをまきおこし、フランスで150万部のベストセラー。J・J・アノー監督による映画化。
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映画を2〜3回観てから読んでみた。本の方が間に今現在の描写が何度も出てくるので、回想感が強い分ちょっとあっちこっち気が飛んでしまうかも。
読んでも観てもお話のような運命の出会いだよなぁと思う。男はロリコンでもなさそうだし、むしろ15歳という歳に似合わず大人びている彼女に一目惚れしたんだろう。その男が大金持ちで彼女は家が貧乏で苦労している…なんて。なんてドラマみたいなの!交際?している間は淡々と付き合って深入りはしないようにしていたけれど、最後の客船での涙は愛していたから流れたのよねぇ。それでもあの当時もう2度と会えないかもしれない距離に帰ってしまったことは、彼女にとっては忘れられる、思い出にできる機会ではあったよな。全てをサイゴンに置いてきた。
読み終えた今、あたしはホーチミン(サイゴン)に居て、この地で映画も本も目を通せて良かった。異常と言っても良いスピードで経済発展をしたサイゴンにインドシナの面影はもう無く、港も寮の建物も残っては居るけれど映画のソレでは無い。映画撮影当時、色補正やセットの作り込みはしているだろうけれどあの時が1930年代を辛うじて感じ取れる最期の時だったのではと思う。
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映画よりも、小説のほうが中国人の愛人のことより、母親のことが書かれていると思った。母親の関心をひきたいから、愛人を作ったようにも見える。母親の愛は上の兄に注がれるだけ、主人公と下の兄は母を愛していたが、愛に飢えていた。母親は娘のことを殴ったりするけど、外を向いては子供たちを絶対に否定しない。そこには強い女、母親が見てとれる。一人で3人の子供たちを育てた強い母親。お金が必要だから、娘が金持ちの中国人の愛人になっても、見えないふりを続けた。否定も肯定もない分からない行動。娘自身も愛というものがどんなものなのか、体の関係と割りきっていたはずなのに、本国に還る船の中で、突然彼を愛していたのかもしれないと気がついて涙を流す。それは、最後の子供時代との決別でもあたたのかもしれない。大人になってしまった、自分への涙でもあったのかも。
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母によって粗末に扱われたデュラスが、中国人男性とのマゾキスティックな性愛関係にアディクトすることで、必死にうちなる悲しみをのりこえようとする様が痛々しい。またそこに、植民地における支配-被支配の脈絡が、性愛化されて現れていく。この関係性の輻輳を破綻なくまとめあげるデュラスの力量が堪能できる一冊。
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はじめてデュラスを読む。
映画の中のインドシナの退廃的な雰囲気が忘れられず原作をと。
映画では2人の逢瀬に多くの時間が割かれていた記憶があるのだが原作での描写は家族と私,彼と私,自分の周りの女性と私,という3つ程度にカテゴライズされる印象を受けた。
そのため最初は暴力的な家庭と悦楽の記憶が交互に立ち現れ,独白の羅列かのように見えるのだけれど,なぜか暴力ゆえにあれがさらに輝きを増していき,混濁が次第にエロスとタナトスの濁流を作り始める。私はその濁流にうっかり飲み込まれる(そうなることを望んでいたのだが)。メコンの流れを思い出す。あの土褐色の大河。
原作に忠実に映画化したら相当前衛的だっただろうな。とも。
たしか映画は時系列が割とシンプルだったような。
一方,原作はむしろそれを破壊し再構築し
それによって未知の世界観を紡ぎ出す試みがある気がする。
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大好きな小説です。フランス語分からないので原文がどうなってるのか分からないんだけど、とにかくアーティスティックな文体が大好きです。文がどんどん「、」でつながって行って最初は分かり辛いけどすごいパワーを感じる。翻訳本ってどうしても原文が透けて見えるようなものが多く、言葉としては元から日本の作家によって書かれたものには遠く及ばないものがほとんどだと思ってましたが、この本だけは凄いなー原文どうなってるんだろう?ってすごい好奇心を刺激されました。
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その頃のインドシナの情景も目に浮かぶようです。
「シロップを焦がした匂いが部屋の中に漂ってくる、それから南京豆を炒る匂い、中国風スープの、焼き肉の、いろいろな薬草の、ジャスミン茶の、埃の、香料の、木炭の火の匂い、」と続いて行く匂いを描写したところなんて、まるで自分がそこに居るような奇聞になった。
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大好きな友達と、自分の人生で好きな本10冊あげようという会話をしている中であげていたので。
あっという間に読んでしまいました。
あの映像(イマージュ)…
海、かたちのない、単純に比類のない海。
男は女に言った、以前と同じように、自分はまだあなたを愛している、あなたを愛することをやめるなんて、けっして自分にはできないだろう、死ぬまであなたを愛するだろう。
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文章が独特で、一人称から三人称になったり実験的な小説だったように思う。それでもデュラスの言葉は芳しく広がり、とても自由奔放のそのものだ。
ストーリーを堪能するまえに、まずはデュラスの背景を知らなければならないように思う。自伝的小説による宿命だ。
「十八歳でわたしは年老いた」嵐が過ぎ去ったあとのデュラスは何を見ただろう。
中国の男性と白人の娘による決して官能的ではない、愛の物語。
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「仏領インドシナを舞台に15歳のときの、
金持ちの中国人青年との最初の性愛経験を語った自伝的作品。」(表紙裏より)
映画は観ていないが、予告編の雰囲気に記憶があるので、
エロティックで妖艶な恋の物語だろうと思っていた。
ところがなんと哀しい可憐な少女の心。
そして文章の美しさ。
インドシナのメコン川デルタ地帯、靄と湿地とのけだるい空気。
愛人との出会いの迫力、愛人と過ごす時間の濃密さ。
そのひまに見え隠れする少女の家族。
その家族の精神のあやうさ、すさまじさ。そして、貧しさの原因。
文章が美しいと言ったが翻訳とて、言葉というより構成がいいのかもしれない。
一人称、三人称と自在に変わり、情景もめくるめく、時も行ったり来たり、
まるでデュラスが思い出を思いつくまましているようにみえて、
しかし、印象深い作者の思索。書きたい意欲。みずみずしさ。
作者これを書いたとき60歳だったのだ!
もうひとつ。
この本の表紙、18歳の美少女が作者自身で、
みかえしの老いた作者のお顔をみて、のけぞってしまった。
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この作品は映画でセンセーショナルな反響があったと記憶していますが、こうやって原作を読むとこれは年寄り婆さんの遠い昔の思い出に耽った繰り言ですね。(笑)
少女時代に彼ー愛人とひたすら性愛に溺れた日々の感傷に耽るみたいな感じですかね。
ただ、マルグリット・デュラスの少女時代はかなり悲惨だったようで、当時生まれ住んでいたベトナムでは父が早くに亡くなり母が土地投資に失敗し、母や上の兄からはモラハラ紛いのことをされていたようです。
なので家庭的な要請や自己逃避など複雑な背景があったように思いますが、金持ちのちょっと気弱な中国人男性に目をつけたのもある意味必然だったのかもしれないですね。
15才のマルグリットは、三つ編みに縁の平らな男物のソフト帽をかぶり金ラメの靴をトレードマークにして男を誘惑し周囲の気を惹く術を心得ていたのでしょう、これに金持ちの愛人の黒塗りリムジンで学校に通っていたとはかなり異様な光景でみんなさぞ近寄り難かったでしょうね。(笑)
年老いたデュラスはそうした孤独な日々と愛人との関係がふつふつと思い出される境地になったのでしょう。
この本では年寄りの昔ばなしよろしく、時空間がころころと変わるだけでなく、自分自身の主語でさえ、私だったり彼女だったりと主観と客観も入れ替わったりするわ、話が愛人と思っていたら友達の話だったりその親の話だったり、そうかと思うと兄の話になっていたりと状況がすぐに変わるので読みづらいことこの上ないですが、こうしたデュラスのごちゃ混ぜの記憶が怒濤のようになって思い出されるのを文章化するのはさぞ大変だったでしょうね。
生々しい少女時代の過去を題材に、ある意味、内面を見つめ直し、熱量や香りや匂いまでもそのままに赤裸々な描写で文学にまで昇華させるところなどはさすがとしか言いようがないですが、ここまでくると、もはや年寄り婆さんの自慢話の域に達しているかもしれません。(笑)
原作の方はデュラスの複雑な心境を淡々と描写していましたが、映画の方はエロティックな方で話題だったように思います。
ぜひ映画の方も鑑賞してみたい。(笑)
Posted by ブクログ
1984年ゴンクール賞受賞作品。
1992年発行の文庫本が本棚に積まれてました…(;'∀')
1929年のフランス領インドシナ。
関係も家計も破綻した家庭の貧しいフランス人少女が
華僑の中国人青年と愛人関係を持つようになる。
しかし、人種差別的にはフランスが強く中国は
弱い立場なので少女の家族を含んで非常に
ゆがんだ関係が築かれる。
日本では1992年に映画が公開されました。
映画のちょっと妙な服装をした少女と
イケメンだけどおどおどした中国の青年、
よどんだメコン川がはっきりと思い出されます。
友人と観に行きました。懐かしいなぁ。
Posted by ブクログ
植民地時代の仏領インドシナ。
貧困家庭の白人の娘と裕福な黄色人種の青年。
そもそも始まりからして歪んでいて、
それは愛として結実できる代物ではなく、
熟んで倦んだ。
昇華できない情欲の関係は
娘の心と若さを削り取っていくしかなかった。
とてもフランス的な自叙伝。
私は好きだったけどね、
こういう救いがないけど抜け出せないような
どうしようもない話は。
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フランス領インドシナで生きるフランス人の主人公の、中国人青年との性愛を中心に描いた自伝的小説。
植民地の中でフランス人としては最下層におり生活に困窮しているため、中国人青年と関係を持つのはある種生活のためであるという義務感と、どれだけ困窮しようとも自分は白人であり黄色人種の中国人青年とは違うのだという差別意識とが綯交ぜになって感情が複雑なまま、一つだけ確かなのはその青年との悦楽のみ。決して青年を愛してはいないと、自分に、彼に言い聞かせながら関係を持ち続けていた主人公が、はたと自分の本心に気づく瞬間のやるせなさにぐっときた。
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p.180「そしていまようやく、彼女はその愛を見出したのだった。
ちょうどのちに、死を横切って、下の兄の永世を見出したように。」
散文詩とでも言うのか、あざやかな言葉と影像の塊によって描かれた小説。インドシナの地で、貧困と憎しみで結び合わされた家族と、思春期の変わった少女と、中国の青年との出会い。
植民地・肌の白い・人種の違い・プライドとコンプレックスといった感情と歴史的背景を完全に理解することはできなかったが、溢れ出るかの地の情緒とコラージュされた映像、とても印象的な小説だった。
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はじめて読んだときは、『太平洋の防波堤』のあの無力感に圧倒されて、ただ、さっと流してしまった。
改めてもう一度読んでみて、デュラスがこれを書かずにはいれなかった情熱と、一方でその情熱を持て余してやりきれないでいる彼女の姿が見えた。
時系列や場所、人物に一貫性はない。彼女の筆が進むまま、記憶の連想が進むままにただただ綴られていく。まるで思い出の活劇を眺めているみたい。その中で一本とおっている筋は、「わたし」という何者かがたしかに生きて考えているということ。時にその言動さえも揺らいでいるようにも見える。シナ人の愛人を持ったのはなにゆえか。金か愛か。そんなものでは決してない。ただ、彼女が生きている。そして、見初められた。彼女には特に断る理由もないから、彼に委ねた。それだけのこと。もしかしたら、「わたし」には思うところがあったのかもしれない。しかし、思い出のままに書き連ねるデュラスは、それをよしとしなかった。自分が生きて確かにあのアジアの片隅で呼吸していたということを、そのようなもので簡単に片づけられるはずない。行動に対する理由ではなく、ひとつの必然を伴ったビジョン。彼女にはそれ以外何もいらなかった。
彼女にとってこれを書くということはかなり一大決心に違いない。創造であることには変わりないが、自分という存在に確かに触れて書かねばならない。自分が一番よく、わからないということを知っている。疑いや歪曲に一番敏感なのは、書いているこの自分に他ならない。けれど、ただただ書き連ねていては物語にならない。あふれそうな記憶を、自分という糸でしっかりとひとつに綴じあわせなければ、書けない。そういうせめぎ合いの中で、これは生まれたんだと思う。
Posted by ブクログ
再々々…読。私が生涯付き合うことになるであろう1冊。とはいえ筆者の脳内のフラッシュバックのように、時代も場面も異なる描写がランダムに出てきて読みづらい。それでも冒頭の「18歳で私は年老いた」からの印象的な数行と、少女がフランスに帰国するために乗った船を桟橋のリムジンが見送る場面からラストの数ページを読みたいがために、それ以外の難解というか面倒な言い回しに耐えている感じ。特に最後の数行のパラグラフが最高に好きで、それを再び読むために何度も読み返す。私にとってはこのラストを読むためだけにある1冊とも言えそう。
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映像(イマージュ)という言葉が何度も出てくる通り、とても映像的な作品でした。正直、1度読んだだけで理解したとは思えないけれど、行った事もないサイゴンの街並みと、小説世界のけだるく倦んだ空気を感じたような気がします。
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とにかく文章が魅力的。
作中には「川」がよく登場し、デュラスもそれは意図的なものだったようだが、この文体にも私は「川」を感じた。
流れるような、ときに歌うような、ときに小石にけつまづいて滞るも、すぐに走り出すような、奔放で流麗な言葉に魅せられた。
イマージュのさざめき。
きっと読むたびに豊潤な味わいを感じさせてくれるであろう、深みのある作品。
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植民地時代の東南アジアが舞台の、エキゾチックな感じの恋愛小説だった。なかなか背徳的な感じもして面白いんだけど、場面の切り替えが多いし、外国文学特有の分かりにくい表現も多くてちょっと難しかった。
主人公はフランス人の少女だけど、父親を亡くしており、家は貧しい。周囲とも上手くいっていない感じ。そんな環境だから、恋愛に没入していったのかなあ。すげえ浅い読みだな。
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南方の植民地小説の典型かもしれないが、それでもデュラスの自伝的な作品という意味で私小説的な側面もあり、興味深く読めた。私小説的であるがゆえにデュラジア(デュラス+アジア)の真骨頂ともいえる。幻想と現在と過去と、そこを行き交う肉親と友人と愛人。南方独特の高湿な空気と、性に目覚めることでしか自我を獲得できない主人公の価値観が絶妙な交配をみせる。圧倒的。
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たたみかけるように澱みなく言葉が迫ってくる文章が印象的。文の途中で主語が変わったり、時系列がばらばらだったり、地の文に直接話法の会話表現が用いられたりと、一見読みにくさを感じさせるような文法が目立つ(訳によるのかもしれない)。肌にまとわり付くように濃密な文章でありながら、肝心なことは何一つはっきりと語らないという点で淡々としている。好き嫌いは分かれそうだけれど、わたしは結構好き。言葉の本流に身を任せてほしいままに翻弄された。
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サイゴンが舞台ですが、フランス領で教師として働く母とその子どもたち、植民地の不動産を扱う華僑一家と中国人が住むショロン地区…ベトナム人が登場しないお話でした。
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もう大変。
とんだおおやけどってやつです。
読み方がまずわからん。
彼女はわたし?彼女もわたし?
飲み込まれ、放り出され、やけどしつつ、溺れたり、慣れない読書でした。
この暑い中読むのには適してしたかな。
一言では言えない濃密な人生、しかもかなり前半で。
生き延びるために快楽を存分に解放する。閉じ込めておくわけにはいかなかった、そうしたら死んでしまう。
解説を読んだら理解が深まるかと思ったら、ますますドツボ。
修行が全然足りませぬ。
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作者の自伝的小説。少女の愛と死、情念と苦悩の物語。作者は、作者自らの経験をもって、生きることがいかに愛と死に近く狂気に満ちているか詩情豊かに描いている。読者を作者の心酔する「美」の世界に誘う。
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マルグリットが少女だったころ
さまざまな事情からデュラス家は貧乏だった
早くに夫をなくした母は、実らない耕作地を知らずに買ってしまった
フランス領インドシナにあるその土地で
白人の最下層に立った母は、誰にも見下されまいと身をこわばらせ
それがよくなかったのか
子供たちの教育に失敗したあげく、精神を病んだ
マルグリットはのちに、そのころを小説に書いて名声を得るのだが
必ずしもそのことに満足したわけではなかった
なぜならそこでは不道徳な真実が省かれていたからだ
母の不安はマルグリットの不安だった
精神的に、経済的に
それを癒すため、彼女はみずから男を求めたのだった
母が死に、兄たちも死に、年老いた彼女は
すべてを暴露してみずからの物語を破壊することに決めた
それはひょっとしたらありえたかもしれないもう一つの人生
失われたイマージュ、失われた愛情をとりもどそうとする試みだった
あるいは、社会が望む物語のため犠牲になったものたちへの
鎮魂の試みであったかもしれない
Posted by ブクログ
確か島本理生さんが文体に魅せられたと紹介していたので読んでみた。
自伝的小説なのにほとんど現在形で語られ、一人称と三人称が混在しているのが斬新だった。が、翻訳によるところが多いので、たとえば村上春樹が訳したら1Q84みたいな普通の語りになるのではないか。
この訳はかなり原文に忠実なようで、翻訳小説らしくセンテンスが長く、挿入句、修飾句が多く入り、日本人にはかなり読みにくいと思う。
内容的には、長男にだけ異常な愛情を注いで家を破滅させた母親のせいで、15歳の若さで愛人を持ったヒロインに深く同調した。顧みられずに死んでいった下の息子も哀れであった。
表紙の写真は著者が18歳のときのものだそうな。なんと妖艶な。
Posted by ブクログ
最後まで読み終わってから全体を振り返ると、素敵なキレイな恋愛小説であった。かと思いきや、自伝であったようだ。
中国人青年の思いは一方通行で報われないのかと思ったが、実は報われていてホッ。
しかし、このあっちいったりこっちいったりの文章はなかなか読むのが辛かった。私には合わないのか、フランス文学を読みなれてないためか