井筒俊彦のレビュー一覧
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ネタバレ『後記』にあるが、本書は1981年に著者が行った3回の講演を文字起こししたものにペンを入れたものである。本書冒頭の『はじめに』は講演の導入部であり、本書の構造については触れていないので、読み始めると「口頭発表みたいな口調(の文体)だな」と思うかもしれない。
本書は40年以上前の古いものだが、当時の時流を追う内容ではないため現在でも十分に読む意味はある。私は本書をイスラーム文化を教養程度に知る目的で購入したが、冒頭の『はじめに』を読むだけでそれ以上の価値があったと思うことができた。
『はじめに』では『あかの他人』であるイスラーム文化を知る意味について述べられている。
カール・ポッパー(ポパー)の文明間の邂逅・衝突とそれによる文化的危機により「自身の属する文明をはじめて批判的に見る視座を持つ」ことや「その視座を持つことによって、相手も自己も超えたより高い次元への跳躍も可能になる」という内容からや、あるいは「グローバルでなければいかに自己のルーツを知ったとて死物を抱えているのと異なるところがない」という叱咤からも、縁遠く、とっつきにくいものを深く知ることが大きな創造へとつながることを説いている。
新型コロナウイルスの流行やウクライナ紛争以降、世界の雰囲気は変化してしまったように思う。あちこちで保守、保護主義、自国優先政策が台頭している現在だからこそ異質な文明(これはもっと小さなスケールで”他者”と置き換えても良いと思う)を知ることの意義を訴える本書の序文は心に響くものがあった。
また、この『はじめに』の内容は、こちらからの一方的な学びであっても相手方の文化(本書でいえばイスラーム文化側)にも、「自分たちだけでは決して見ることのできない視点から新たな気づきを得られる」という恩恵があることを示してもいる。これは私が読んできた書籍で意識した「非キリスト教圏から見たヨーロッパ(:日本人がヨーロッパを研究する意味)」や「西洋から見た東洋」という見方にも通じる考え方であった。
第Ⅰ部へ進んで早速びっくりするのはコーランの文言はだいぶ俗物だという点。商業に関する表現が非常に多いようで、イメージしていたものと大きく違った。
他の宗教との違いも所々で示されるが、預言者の存命中に信仰の中心となる聖典を確定しておくことができたことが、イスラームが他と決定的に異なる部分だと感じた。やはり後発は強い。
それでもムハンマドの死後、イスラームは速やかに分派していくのだが、それはムハンマドの後継をめぐる考え方の違いのほかにコーランやハディースの解釈をめぐってでもあった。
この”聖典の解釈が執拗に行われる”ことにはかねてより疑問があったのだが、本書で「聖俗の区別がない」「日常生活の隅々まで宗教が浸透」という、他の宗教との大きな違いを知ることで、生活の変化に対する聖典の解釈の必要性が理解できた。
また、他の宗教を引き合いに出すことで、全く同じ神を信仰するはずのキリスト教やユダヤ教と決して相容れないイスラームの物の見方(立場)というものを理解することができた。穏健派ならば付き合えると思う反面、この違いを絶対に譲らない原理主義者とはわかり合えないことも理解できた。
ところで、(本質とは関係ないが)第Ⅰ部のなかで特別に印象に残っているのが74-77ページの内容で、読みながら「量子重力理論!?」と驚嘆した。時間の存在性や連続性は今でも先端物理のテーマであり、それがイスラームや仏教の話で出てきたことには非常に驚いた。長い時間をかけた哲学的な思索の果てに得た境地と量子論が開いた世界の表皮をめくった先の世界は一致しているのだろうか?
第Ⅱ部は冒頭から第Ⅰ部の続きのような話が続く。イスラーム法の話が出てくるのは145ページからになる。
イスラーム法の細かさを不思議に思っていたのだが、聖俗の区別がないことが生活の上での広範な規定を必要とすること、コーラン(とハディース)からそれを規定するために言葉の解釈が猛烈な発達を見せたこと、がうまく説明されており納得できた。
ところで、神の言葉という「絶対のものに基づく法律」という稀な存在は、科学(;科学も絶対の真理に基づく。そのため理系分野のバックグラウンドを持って法曹界へ入り込むと、心理も含んだ軸のブレに苦しむ場合も多いと聞く)を思わせた。そう考えると、科学はイスラーム法のイジュティハードに相当するものは全く自由である(;事象に対する新しい解釈(とそれを支持する新たな実験・観測)により新たなパラダイムが打ち立てられ、学説の転換が起きることが常にあり得る)ので、逆説的に、イジュティハードが禁じられると発展が停滞することは想像できた。本書には書かれている内容ではないが、オリエントを席巻しヨーロッパにも侵攻したイスラーム勢力が、西欧諸国に科学、哲学を学ばれ、やがて追い越されていく(振るわなくなっていく)という世界史的な大きな流れもイジュティハードの門が閉ざされたことに一因があるのかもしれないと思った。
第Ⅲ部はスンニ派以外の考え方についてなのだが、これまでの内容と毛色が変わるのでこの短いページ数では2派の良さが分からなかった。
ここまでの二部を読んでスンニ派の論理性に親近感を覚える私としては、シーア派はだいぶ異端だと感じた。ところどころでコーランの教えを破っているようであり、それを万人が追試験ができない『内面世界』で答えているところがいかにもカルトっぽい。妙な理屈でアリーの一族だけを持ち上げたり、組織化しているのも印象が良くない。(コーランからは逸脱していそうだが)血筋を問わず、人数も限らないスーフィーの方がこの点は潔く見える。歴代の為政者が迫害したくなるのもよくわかる。
スーフィーはスーフィーで「彼らの思想は神の絶対性を否定しているのでは?」という疑問が湧いた。現世が根源的な悪であり神の意志が実現されない場所だと言うなら、「(そんな場所を残して)神は何やってるんだ」となる。「絶望的な世界に捨て置かれている人間は神に見捨てられているのではないのか?スーフィーは無駄な修行などせず自殺でもして現世を去ったらいいのでは?」という極端な結論も考えてしまう。こちらは異端というより邪教であるという感想を強く感じた。
スーフィーに関しては疑問だらけで、読みながら細かい疑問や反論が次々に出てきて共感することはできなかった。
我を消すということは子供も作らないのだろうが(神が人間の子を望むか?)、ならばなぜスーフィーは絶えないのだろうか。
『我こそは神』『自己がそのまま絶対者』という言い方が実に傲慢で、自己を消しきれていないとも感じた。人間が迫れるのは「自我の奥底に座す神を知り、そこに触れた」程度で、どこまで行っても自我を消すことはできない(限りなく漸近することはできてもゼロにはできない)だろう。もし、我と神が同義なら預言者を超えることになるし、それなら人間の肉体はなんなのかということになる。
結局、第Ⅲ部の内容はページ数(= 講演時間、回数)が足りなかったのだろうと思う。駆け足で2派を取り扱ってしまったが、内面世界の概論と、それぞれの派で2〜3部が必要だったのだろう。丁寧な解説があれば印象が変わったかもしれないとは思う。
著者の別著『イスラーム思想史』が面倒(:イスラームの用語がポンポンと出てくるが、巻末に用語集も無いので自作しながら読み進めないと内容についていけない。だが、理解が浅い段階での自作が非常に面倒)で、いつまでも読めないままとなっている。それを補おうとより簡易な本書を購入したのだが、家で両書を並べた際に同じ著者だと気付いて愕然とした。
書店で軽く目を通しているので大丈夫だとは思いながらも「同じような書き口だったらどうしようか」と戸惑いながら本書を読んだが、著者が円熟した頃に書かれた文章(;本書で『若気の気負い』とも述べている『イスラーム思想史』は著者が20代で書いた文章を元に増補したもののようだ)ということもあって、非常に読みやすかった。懸念していたイスラーム特有の用語については、文中の各所で出てくるが、その数は抑えられており、前提となる知識が無くても十分に追っていくことができる。
ページ数も少なく読みやすい、イスラームの考え方を知るための入門書として良い一冊だったと思う(本書の元となる講演から40年以上、もうすぐ半世紀が近づいているなかで、当時と同じように日本人が『あまりにも無関心』なままでいることは著者としては不本意かもしれないが・・)。 -
Posted by ブクログ
3回の講演をまとめたもの、聴衆が一般人なのと、井筒さんも口語なので、とてもわかりやすい。
岩波の担当者は、おそらく、井筒さんの一番やさしい論考をシリーズの1回目に置きたかったのではないだろうか。
40年前のこの講演の時も現在もイランはシーア派政権だが、シーア派とはコーランに忠実で、それゆえに頑固で西洋的な近代化を拒む宗派であることがこの本でわかる。しかし、井筒さんはシーア派が悪いとは言っていない。逆に、その教説にはイスラム教の情念が宿っていると展開している。
イスラムには僧侶はいなし、お寺もない。政治と宗教が一体化している。輪廻という考えはない、仏教を宗教とはおもえないのでは、などイスラムのなるほどな話題が多い。
井筒シリーズの手引の本としてふさわしい内容だと思う。 -
Posted by ブクログ
井筒俊彦の文章が初めてわかりやすく感じて、何が書いてあるのか朧げに浮かび上がってきた。
若松英輔が新聞の文芸欄で井筒の偉業を解説して、柳田國男や折口信夫の巫女や神話の話、言語のもつ霊性、アラヤ識、大乗仏教や空海、禅や無の思想などのことを書いていたのが印象に残っていた。自分の読書体験のなかでも井筒の東洋哲学や思想がいろいろなところで目につき気になって仕方がなかった。そうした経緯で彼の著書『イスラーム思想史』が重要な必読書となっていた。しかし哲学と宗教の専門用語と彼一流の深い表現についていけず何度となく途中で読むのを諦めた。彼の思想は難しくて自分には理解するのは無理だと思い込んでいた。
なのに、古本屋で彼のこの本を見つけ思わず手に取った。潜在的な知りたい思いが相手を呼び込んだような気がする。
結果、この本を読んでもっと難しい専門用語の羅列にもかかわらず、今までの彼の本の難解さが嘘であったかのように内容が理解できた。読んでいて驚きとともに気持ちよく何ともいえない喜びすら感じた。
井筒俊彦は人間存在の本質を宇宙生命の根源にまで突き詰めて解明しようとする。哲学や宗教、言語学や認識論、人類学や社会学などあらゆる知を総動員する作業だ。彼は人間が生きて学ぶ目的とそのための課題と方法を示唆する。
それは自分の濫読による知識の混然への啓示のようであり読書本来の目標や方法が示された気がする。真理への道筋を感受することはこれ程力を呼び起こすということを初めて知った。
読みながら、力が湧いてくる経験をした。
入り口に立てた気がする。
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Posted by ブクログ
イスラーム文化という壮大なテーマを、わずか1時間×3回に凝縮して語られた講演録である。書籍化するにあたって加筆修正もされているようであるが、もともと話し言葉で語られたものであるだけに、とてもわかりやすく、私は行間からいくつもの絵や図を想起した。
本書では、クルアーンやハディースなど聖典をめぐる問題、神と個人との関係から始まり、シャリーアといった法や倫理をめぐる問題、シーア派とスンニ派、イマームやスーフィズムに至るまで多岐にわたるテーマが出てくるが、それが紀元610年~622年のメッカ期と、622年~ムハンマドが亡くなる632年までのメディナ期という性格の異なる2つの時代にきれいに整理・収斂させてあり、これが分かりやすさを一層促している。他方で、わかりやすいから表面的説明に終始しているかと言えばそうではなく、第2章から第3章、特に第3章の「内面への道」では、イマーム、スーフィーというテーマを扱いながら、イスラームの持つ深い内面世界を端的に解説している。
さて、本書を読んで気になった点を少し残しておこう。
本書では、イスラームには業(カルマ)の概念がなく、輪廻転生を否定していると書かれている。つまり、私たちの生は1回きりであり、それゆえにこの世(今生)での生が重要なのであると。ここを読んだ時、私は「自爆テロ」ということを考えた。輪廻転生は無く、人生はここ1回きりと考えて疑わないムスリムの人々が、体に爆弾を巻きつけ「アッラーフ・アクバル!」と叫んで体当たりをしていく時、頭から灯油をかけて焼身自殺を図る時、彼らは何を思うのか。1回きりの人生と知りながら、それでもなお自爆テロや焼身自殺に走らなければならない、止むに止まれぬ彼らが置かれた状況とはどのようなものか。彼らの心理的状況とはいかなるものか。新聞やテレビに出る小さな記事をそこまで読まなければ、「自爆テロ」というニュースの意味は理解できないだろうと思われた。
本書の最後では、イスラームはアジアの西端を占めるダイナミックな多層文化であり、それこそがまさにイスラームなのだと説かれている。その上で、日本はこれまでイスラームに対してあまりにも冷淡・無関心でありすぎたとして、アジアの東端に位置する国として、イスラームに対する日本的理解の生成を呼びかけている。本書の講演が行われたのは昭和56年春というから既に40年ほど年月が経っており、社会は「グローバル化」という号令とともに、40年前よりはいささか緊密化してきたことは事実であろう。この間、湾岸戦争や9.11、アフガン戦争、イラク戦争、邦人人質事件、パレスチナに対するイスラエルのジェノサイドに対する国際世論の広がり、原油の高騰などがあって、我が国も中東に目を向ける(あるいは目を向けざるを得ない)ようになってきてはいるが、しかし戦争や紛争、物資の供給という点を除いて、文化としてのイスラームを私たちが理解しようとしているか、それが身近になっているかというと、大手を振ってYES!とは言い難いだろう。アジアの東西を占める我ら、と言っても、言葉も違い、文字も違い、文章を書く方向も(アラビア語は右から左へ書くのだ)、人種も民族も、宗教も、食べるものも、これまでの歴史も、物の考え方もあらゆるものが異なるけれど、両者で何らかの文化的プロジェクトが生まれればとっても面白いことになるんじゃないかと思っている。
取り止めのない話になってきたが、イスラームを知りたい人、ちょっと気になっている人には格好の入門書である。またイスラームを知る人も、わかりやすくイスラームを整理し理解するには最適な1冊である。時を経て再読したい。 -
Posted by ブクログ
六信。アッラー・天使・啓典・預言者・来世・予定を信じなさい。アッラー以外に神はなし(47:19)。ムハンマドはアッラーの使徒(48:29)。アッラーは全能(35:1)。神に並ぶものは存在しない(4:48)。
※ムハンマドは預言者・人間。神ではない。クルアーンの著者はあくまで神アッラー。アッラーが天使ジブリール(ガブリエル)を通じて、ムハンマドに伝えた内容。
※カリフは「ムハンマドの後継者」という意味。
※「アッラー」は固有名詞ではない。唯一神を意味する言葉。
※ラー・イラーハ・イッラッラー。ムハンマドゥッラスールッラー。
五行。信仰告白、礼拝、断食、喜捨、巡礼をしなさい。礼拝。決まった時間にメッカの方向に頭を下げて祈る。毎日5回(夜明け前、12時、15時、18時、20時)。始まる前に祈りの呼びかけ(アザーン)がある。細かな礼拝の方法はスンナに書いてある。ラマダン(イスラム歴9月)の間は、1カ月、太陽が出ている間は何も食べてはいけない。太陽が沈んだら、食べてもよい。空腹に耐えながら神さまのことを思う。喜捨=税金(所得の40分の1)は神に対する義務。脱税・節税の発想がない。現世で差し出した財産は、来世で受け取ることができる。イスラム歴12月に、聖地メッカのカーバ神殿の儀式に参加。一生に最低1回は行うべき。信徒の平等。神の前ではみな平等。巡礼中は、敵も味方も、人種・社会的地位、関係なく平等。連帯が生まれる。
※モスクは礼拝の場。夏は涼しい。信仰の対象物を設置する施設ではない。キブラ(メッカにあるカーバ神殿の方向)。ミフラーブ(キブラを示すモスク内の壁のくぼみ)。
※礼拝中の人の前を遮ってはいけない。その人と神とのつながりを遮ることになる。
禁止。ワインと賭け矢、偶像と占い矢はこれを避けよ(5:90)。死んだ動物の肉、血、豚肉は不浄(6:145)なので、食べることを禁ずる(2:173)。ひづめが割れていて反芻するものは食べてよい。盗みをした者は両手を切断せよ(5:38)。
※食べてよい(ハラール)と食べてはいけない(ハラーム)。
※豚がもつ病原菌による感染症を抑えようとした。
天国。絶対に腐らない水、涼しい木陰(※灼熱のアラビア半島の人にとっての楽園イメージ)。澄みきった蜜の川。あらゆる種類の果実。美味しい酒、質がよくて悪酔いしない。美しい乙女を妻にできる。永遠の至福。※来世をとにかく重視。よりよい来世のために現世を神の導きに従って生きる。
ジハード(神のために奮闘努力する)。多神教徒を見つけ次第、殺せ。捕まえよ。拘束せよ。あらゆる場所で待ち伏せせよ。だが彼らが悔い改め、礼拝を行い、喜捨するなら、放免してやれ。アッラーは寛容で慈悲深い(9:5)。不信仰者と出会ったときはその首を打ち取れ(47:4)。神の道のために殺された者は主のもとで十分養って頂きながら生きている(3:169)。現世の享楽は些細なもの。来世こそ神を畏れる者にとっては最もありがたいもの(4:77)。あなた達はあなた達自身を殺してはならない(4:29)。
※クルアーンの解釈は複数あり、「これが正しい」と最終判断する機関や権威は存在しない。真実は神のみぞ知る。
一夫多妻。あなたがよいと思う2人、3人または4人の女をめとれ(4:3)。だが公平にしてやれそうにないなら、ただ1人だけめとれ。もしくは、女奴隷(右手が所有する者)で我慢しなさい(4:3)。女はお前たちの耕作地である。思うままに手を付けるがよい。反抗的な女はよく諭し、寝床に追いやって叩け。言うことを聞けば、それ以上の手に出てはならない。
※戦争で夫を亡くした女性たちの生活対策だった。
悪霊(ジン)イフリートは、女王シバの玉座を一瞬のうちにソロモン王のもとに運んだ(27:39)。※千夜一夜物語では、瓶に閉じ込められていたイフリートが外に出て巨大化して活躍。
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※成立。第3代カリフ、ウマイヤ家ウスマーン時代(在位644-656)。
※啓典(キターブ)の民。ユダヤ・キリスト教徒は同じ一神教の仲間。旧約・新約聖書も(クルアーンと比べて不完全だが)イスラム教の聖典。預言者モーセ(ユダヤ)、イエス(キリスト)、ムハンマド(イスラム、一番偉い)。イエスは神ではなく人間(4:171)。
※クルアーンは声を出して高らかに読むもの。声に出して読むとき、一字一句間違ってはいけない。
※ハディース。ムハンマドの言葉や行いが書かれている。ムハンマドの日常の行為スンナ。
※安息日は金曜。ユダヤ教は土曜、キリスト教は日曜。
※キリスト教は神を信じる以外求めないが、コーランはよいことをせよと繰り返し書いてある。良い行い・悪い行いはシャリーアが決める。
『コーラン』610
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※シーア派はアリー(ムハンマドの娘の夫)の直系子孫だけが指導者(イマーム)であると考える。十二イマーム派(シーア主流派)は、最後のイマームは亡くなったのではなく、隠れているだけで、いつか再び姿を現すと考えている(ガイバ)。
※タキーヤ。危害を加えられる恐れがあるなら、意図的に信仰を隠してもよいという思想。たびたび攻撃を受けたシーア派が自分たちを守るために生み出した。
※シーア・イスマーイール派。神秘的・直感的にとらえられた神の啓示体験における英知(グノーシス)を重視。
※アゼルバイジャンはシーア派。
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※ジズヤ(人頭税)を支払うならば、ユダヤ・キリスト教徒もズィンミー(庇護民)として信仰の自由。イエスを神とするコプト教をイスラム教のエジプトは寛大に受け入れた。
※アフガーニー。固き絆。英の侵略に抵抗するため、イスラーム教徒たちよ、団結しよう。人種や民族が違っていても同じイスラーム。スンナ派もシーア派も同じイスラーム。団結すべき。パン・イスラーム主義。
※汎アラブ色。国旗。赤(聖戦で流れた血)・黒(黒は過去の圧政)・白(清浄)・緑(豊かな国土)。
※二カーブ禁止。仏、ベルギー、オーストリア。
※アブド。しもべ。
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ムスリム同胞団(1928-)(エジプト)。ハサン・アルバンナーが創設。コーランに基づく新国家の建設を目指す。エジプトのソ連系の社会主義政権に反発し、イスラム主義を掲げる。暴力によってイスラム主義国家を作るべきと考える一派(ジハード団)がサダトを暗殺。 -
Posted by ブクログ
かなり興味深く面白いものの、井筒さんの知識量と引用範囲が広すぎて、時々著書の趣旨を見失いそうになる。後半の8、9、10あたりはかなり難解だった。
表層意識、深層意識。分節、無分節。などなど難しい言葉が結構出てくるものの、かなり丁寧に反復しながら言葉の説明をしてくれる印象。とにかく東洋思想の意識・本質の捉え方は、極めて多層的で反二元論的であることがわかった。サルトルの嘔吐、荘子の道など、読んでみたい本が多く出てきた。
普段自分がどのようにして事物を捉えているのか。言葉無くしてその物の存在を証明することは可能なのか。その物を表す言葉(名前)は何を持ってそれになるのか。つまり言葉には必ず本質が求められるということなのか。
謎は深まるばかり。 -
Posted by ブクログ
意識とは何か?を知るに非常に勉強になりました。
著者はイスラム哲学、仏教、禅、老荘思想、儒学、ソクラテス、プラトンのイデア論などのあらゆる角度から意識の本質を説明します。
意識にも表層意識と深層意識があり、著者はこの深層意識に立ち現れてくる存在の実体と表層意識に現れる実体の違いなどを様々な思想をでかがりに、さまざまな角度から物の本質を媒介として意識の本質を説明します。
説明された内容はすでに概念化されているため、この概念化を脱した脱概念のむき出しの実在の本質について解き明かします。なかなか面白く手応えがある読み物ですが意識を知るに大変参考になりました。 -
Posted by ブクログ
“言い換えますと、イスラーム法とは、神の意志に基づいて、人間が現世で生きていく上での行動の仕方、人間生活の正しいあり方を残りなく規定する一般規範の体系でありまして、それに正しく従って生きることがすなわち神の地上経綸に人間が参与することであり、それがまた同時に神に対する人間の信仰の具体的表現となるのでありまして、その意味でイスラーム法がすなわち宗教だといわれるのであります。“
例えば日本文化について3つのテーマから述べよ、と言われたら、仏教や神道などの宗教をテーマの一つに選ぶことはあるだろう。
しかし、法について、というのはどうだろう。
ちょっと思いつかない。
漠然とした「文化」なるものをどう切り分けるか、そこに各文化の特色が表れているとしたら、私たちの文化とどう異なっているのか、というのが本書を手に取った動機だった。
テーマは別れているが、副題の「その根底にあるもの」についての切り口が異なるだけで、常にイスラーム文化の核を見定めようとする姿勢は一貫しているのだと読み始めて気がついた。
期待以上の内容。
読書メモ
① 宗教
001 イスラーム文化の国際的性格と複雑な内部構造
002 「砂漠的人間の宗教」という誤解
003 商業専門用語に満ちた聖典
004 商業取引における契約との類似
005 アラブ(スンニー派的イスラーム)とイラン人(シーア派的イスラーム)
006 すべてのイスラーム的なものを集約する聖典『コーラン』
007 イスラーム文化は究極的には『コーラン』の自己展開である
008 『コーラン』と『ハディース』、第一の啓示と第二の啓示
009 『ハディース』というプリズムを介した『コーラン』の解釈の多様化
010 『コーラン』の解釈学的展開こそイスラーム文化の形成史
011 『コーラン』の特徴①神の言葉のみを綴った単一構成の書物
012 その②聖俗不分、「神のものは神のもの、カエサルのものも神のもの」
013 坊主のいない宗教
014 神と人の垂直関係と「預言者」という中間項
015 「イスラーム」=「絶対依嘱」
016 「子もなく親もなく、これとならぶもの絶えてなし」
017 非連続的存在観と原子論的存在論、因果律の存在しない世界
②法と倫理
018 「コーランの歴史」20年、前期メッカ期と後期メディナ期
019 「神の倫理学」
020 メッカ期の不義不正を罰する復讐の神
021 「怖れ」=「信仰」
022 メディナ期の慈悲と恵みの神
023 「感謝」=「信仰」
024 イスラーム教徒、嘘つかない
025 実存的宗教から社会的宗教、個人から共同体へ
026 砂漠的人間の精神(血の連帯感)の廃棄
027 「物を盗んではいけない」は神がそれを悪いことと決定したから
028 「最後の預言者」の死と「ハディース」による補完
029 神の言葉という非合理的な啓示を合理的思惟によって解釈する
030 神の言葉そのものではなく、それを理性によって合理的に解釈したものこそがイスラーム法である
031 我々の法律は普段法の網の中にいることを意識せず、法が出張る事態となって初めてその存在に気がつく
032 イスラーム法は規範として常に意識される
033 自由解釈の禁止
034そしてイジュティハードの門は閉じる
③内面への道
035 二つの「知者」、ウラマーとウラファー
036 ザーヒリー的イスラーム、バーティニー的イスラーム、顕教と密教
037 シャリーアとハキーカ、イスラーム法と内面的実在性
038 二つの「内面への道」
039 シーア派的イスラームと神秘主義的イスラーム(スーフィズム)
040 シーア派のイマーム=内面的預言
041 外的啓示は終わったが、内的啓示は続いている
042 十二代目イマームの蒸発
043 「小さなお隠れ」と「大きなお隠れ」
044 不可視の次元、精神の王国の支配者
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Posted by ブクログ
1981年、第2次石油ショック、イラン革命、イラン・イラク戦争の衝撃がおさらないなか、一般の人を対象とした講演を本にしたもの。
といっても時事的な話になるはずもなく、著者は、日本におけるイスラームがほとんど関心外であったことを指摘しつつ、その根源にあるイスラーム教の根本的な構造を明快に説明してくれる。
さすがに当時よりは、現在日本での一般的なイスラーム理解は進んだんだろうと思うのだが、それでも、知らなかったことをたくさんあった。
イスラーム文化というからには、やはりコーランが中心になって、それを絶対的な基準とするというところでの共通性がイスラーム社会にはあるのだが、その解釈の違いなどから、スンニ派とシーア派が分断していく内的な必然性がよくわかる。
それは宗教思想的な対立で、もともとコーランに内在する2つの方向から生じるものではあるのだが、そこにイスラーム教以前のアラブ社会とペルシア社会の文化の違いが影響していそう。
が、著者は、そうした対立まで含めて、ダイナミックな統合がイスラーム文化の特徴というふうに考えているみたい。
本論に入る前に、異文化と遭遇したときの葛藤、そこから争いが生じるとともに、違う文化が統合され、新しい文化が生み出される可能性について話してあって、この辺の議論の先見性はすごいな〜と思う。
個人的には、シーア派、そしてその中の神秘主義的なスーフィズムのあたりが、一番、面白かったな。
その辺が著者の一番の専門分野だと思うので、もうちょっと、その辺を読んでみることにする。 -
Posted by ブクログ
「イスラーム生誕」に続けて読んだ。これまたおもしろかった!
シャリーアに依拠するスンニー派(アラブ)と、ハキーカに基づくシーア派(イラン)、そしてハキーカそのものから発出する光の照射のうちに成立するスーフィズムの3つについて述べられている。
スンニー派とシーア派の違いについてよくわかった。かたや「外面への道」、かたや「内面への道」というまったく逆の道をたどるのだと。
スンニー派もシーア派も、現世を悪と考えるところまでは同じだが、シーア派は悪いスンニー派のように悪い現世を良くしようとはせず、現世に背を向ける。隠者、世捨て人として長い修行の道を行く。これが自己否定の道であり、これを突き詰めていくと、まるでヒンドゥー教の「解脱」のように、「照明体験」(イシュラーク)に到達し、人間が神になってしまう。
これに対して筆者はこう述べる。
こうしてイスラームにおける「内面への道」はスーフィズムとともについに行き着くところまで行き着いたという感があります。これでもなお、「内面への道」はイスラームなのでありましょうか。(略)これほどまでに純化されたイスラームは、もうイスラーム自身の歴史的形態の否定スレスレのところまできているのであります。(P223)