あらすじ
イスラーム文化を真にイスラーム的ならしめているものは何か。――著者はイスラームの宗教について説くことからはじめ、その実現としての法と倫理におよび、さらにそれらを支える基盤の中にいわば顕教的なものと密教的なものとの激しいせめぎ合いを認め、イスラーム文化の根元に迫ろうとする。世界的な権威による第一級の啓蒙書。
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Posted by ブクログ
イスラーム文化をイスラーム的にたらしめているものは何か
イスラーム文化の独自性に迫る名著!
イスラームというと、時局的な事件や歴史的背景の解説にとどまることが多いが、本書はその根本にあるイスラーム教そのものに光を当てている。
キリスト教や仏教と並ぶ世界三大宗教の一つでありながら、現代でもたびたび社会を揺るがすイスラーム。その力強さの背景には、単なる信仰を超えて人々を動員する強大な教義がある。私自身、イスラームの「強さ」を人口増加や「子供を産み育てる」という行動様式に感じていたが、本書を通じてその一端に触れられたように思う。
印象に残ったポイント
1. 絶対帰依の宗教である
イスラームをイスラームたらしめているのは「絶対帰依」。神に対する無条件の自己委託、絶対他力信仰の姿勢である。ムスリムという語そのものが「帰依する者」を意味しており、宗教の中核をなす。この徹底した信仰ゆえに、背信者やイスラーム法を破る者への処罰は厳しい。
2. 世界性と強い共同体意識
ユダヤ教やヒンドゥー教のような民族宗教と異なり、イスラームは普遍性を備え、血縁を超えてすべての人を受け入れる。そして契約によって結ばれた人々は、ムハンマドの権威のもと同胞となる。強い連帯意識を生み出す宗教である。
3. 聖俗の区別を持たない
キリスト教や仏教が「聖」と「俗」を区別するのに対し、イスラームは生活の隅々まで宗教が浸透する。コーランの教えはイスラーム法として人々を統治し、法を破ることは即ち神に背くことを意味する。政治をも包含する全生活的な宗教である。
4. スンニ派とシーア派の違い
スンニ派はイスラームの教えをもとに社会・政治体制を築く「外への道」。一方、シーア派は形而上学的な真理を探究する「内への道」として発展した。
5. イラン政治の不安定さの背景
シーア派思想は「絶対的な答えは存在しない」という前提に立つ。そのため人々は常に疑心暗鬼になり、政治的確実性を欠く傾向がある。イマームの意思を汲む哲人政治と、神から権威を与えられた王権政治の対立が繰り返され、その帰結としてイラン革命が起こったともいえる。
イスラームの動員力の源泉は、神への絶対的信仰と、それを法のレベルまで具体化した点にあると実感した。個人の信仰から社会制度まで宗教が貫いている。なるほど、これでは強いはずだ!と腑に落ちた。
時事的な説明にとどまらず、イスラームそのものを描き出す本として非常に貴重である。さらに、宗教書にありがちな著者の価値判断が極力排除されている点も好印象。入門書として最初に読むのに強く勧めたい一冊だ。
Posted by ブクログ
めっちゃくっちゃ分かりやすかった!
イスラームにおいて『コーラン』ってものがどれほど重要のものかわかったし イスラームの考え方とか、世界観 宗教がどれほど生活に密着してるか分かった
Posted by ブクログ
イスラーム文化を根元的に、統括的に、述べようとする良書。
イスラーム文化と一口に言っても、多層的多面的であることがよくわかる。
イスラームの大まかな概要を掴むのと同時に、ユダヤ教やキリスト教との相違点の理解も深まる。
Posted by ブクログ
イスラーム教に関する基本書。勿論日本のイスラム研究の初期に位置する学者であるため、イスラム世界の多様性や現代のイスラムへのまなざし等が踏まえられていないが、それをおしても、やはり本書はイスラム教という宗教の大枠を捉えるには格好の書籍。
Posted by ブクログ
いやぁ、これまた滅茶苦茶面白かった
スンニーとシーアとスーフィズムなんて、ろくな説明聞いたことなかったけども、凄くわかった
例えば、
スンニー派は、コーランに描かれる世界の後半期であるメディナ期の方向性に近く、感覚的で現実主義的なアラブ社会的感覚にのっとった考えで、イスラーム法を守ることを至上とし、いわゆる顕教的にコーランに対する。
シーア派は、コーランの前半期のメッカ期的な感覚が強く、ゾロアスター教をルーツにもつ幻想的で神話的な世界観を持つイラン的なものであって、密教的にコーランに対する。ただ、密教的解釈ができるのは歴史的に承認されたイマームだけ。
スーフィズムは、密教的だけど、シーア派よりも更にオープンというか、承認されたイマームでなく、修行をつむことでワリーという状態に、いわゆる解脱できる
すげー雑に説明するとこうなる
こんな言い方、誰もしてくれない
コーランに描かれている世界は20年間の時間的広がりがあること、イラクなどのアラブ世界と、イランとには違いがあること
それは砂漠の騎士道的世界と、ゾロアスター教的世界と
無我を説いても、仏教とは確実に異なるのは、あくまでイスラムは絶対的一神教の一元論がベースだということ
などなど
やー面白かった
次はついにコーラン行きます
Posted by ブクログ
イスラム教圏の文化についてよくわかる。
疑問に思っていた、
・ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の関係
・コーランだけが聖典なのか
・アラブ人とイラン人の違いとは
・スンニ派とシーア派の違いとは
・それぞれの宗派の考え方とは
を解決してくれた。
キーワード:
1次聖典コーラン、2次聖典ハディース:言行録、ムハンマドはただの預言者、メッカ期とメディナ期、聖俗不分離、イスラム法(シャリーア:水場への道)、ウラマー(外面への道をとる人)とウラファー(内面をへの道をとる人)、シャリーアとハキーカ、タアウィール(原初に引き戻す)
Posted by ブクログ
井筒俊彦氏(1914~1993年)は、日本で最初の『コーラン』の原典訳を刊行した、イスラーム学者、言語学者、東洋思想研究者。アラビア語、ペルシャ語、サンスクリット語、ギリシャ語等30以上の言語を流暢に操る語学の天才と言われ、多くの著作が英文で書かれていることから、欧米での評価も高い。
本書は、1981年に著者が行った講演を基に同年に出版された作品を、1991年に岩波文庫から再刊したものである。
本書は、副題に「その根柢にあるもの」と付けられているが、その意図について著者は、「「根柢にあるもの」と申しますのは、教科書風、あるいは概説書風に、イスラーム文化の全体を万遍なくひととおりご説明するのでなしに、ひとつの文化構造体としてのイスラームの最も特徴的と考えられるところ、つまりイスラーム文化を他の文化から区別して、それを真にイスラーム的たらしめているものをいくつか選びまして、それを少し掘り下げて考えてみたいということでございます」と言い、①イスラーム文化の宗教的基底、②イスラームの法と倫理、③イスラームの内面への道、という3つの側面についての考察を語っている。
そして、講演を基にした滑らかな文章を読み進めるうちに、コーランとは? ユダヤ教・キリスト教・イスラームの関係は? イスラームの神アッラーとは? ムハンマドとは? イスラーム法とは? メッカ期とメディナ期(の違い)とは? 共同体(ウンマ)とは? ハディースとは? ウラマーとウラファーとは? シャリーアとハキーカとは? スンニ―派とシーア派(の違い)とは? イマームとは? イスラーム神秘主義(スーフィズム)とは?。。。等の、イスラームのポイントが次々に明らかにされ、まさに「イスラームとは?」が浮かび上がってくるような気がするのである。
近時、イスラームに関する書籍は数多出版されているが、イスラームの根柢にあるものをこれほどわかりやすく、かつ簡潔に語ったものは少ないのではないだろうか。
30年以上前の著作であるが、イスラームを理解する上で比類ない良書と思う。
(2018年4月了)
Posted by ブクログ
これまでに10冊ぐらい読んできた様々なイスラム教/ムスリム文化の解説書の中では一番読みやすかった。文庫サイズでここまで理路整然と論を展開する本に出合えるとは思っていなくて、嬉しい喜び。
アラブのスンニ派とイラン人(ペルシア人)のシーア派は対照的な信仰体系を持ち、内的矛盾を抱えているものの、その矛盾も包括して全てを統一しているのが「コーラン」であること。
コーランは神の言葉であるがそれを解釈するのは人間的な営みであり、どう読むかは個人の自由に任されていること。それによりイスラムの多様性、多層性が生まれていること。
コーランにおいては聖俗の区別はなく、すべての営みがイスラームの範囲に入るため、生活のすべてが宗教になること。そのため、協会と世俗とを切り離すキリスト教とは、ルーツを共有するにも拘らず決して相いれない対立が生じること。
イスラーム発祥の時期のアラビア世界において常識だった「血の共同体」を破壊することによって、単なる「アラブの宗教」だったイスラム教が一般性・普遍性を獲得できたということ。
外面にある共同体を探求する道と内面にある密教的な要素とが混在する中で、外面を探求する側が体制派となり内面的イスラームであるシーア派が迫害に晒され、それが現在も続く禍根となっていること。
こうした、外面を辿る顕教的要素と内面を突き詰める密教的要素とが緊張感をもって混ざり合うことで、多層的な文化を織り成すのが即ちイスラームであること。
ほかにも、書ききれないほど多くの「イスラム教の基礎知識」が解説されています。これまで、いろいろと呼んでみてもイマイチしっくり理解できなかったシーア派とスンニ派の対立の軸や原因が、この本でだいぶ腑に落ちました。
イスラム入門書にもなりえるし、自分のようにいくつか読んでみたら余計わからなくなったという人の論点整理にも使える本だと思います。
Posted by ブクログ
イスラム教を理解する入門書として最高。非常にわかりやすい。他の有名宗教との違い、コーランのメッカ期とメディナ期の特徴、スンニー派のシャリーアと共同体思想、それに反するシーア派のハキーカの概念、そしてスーフィズムの神秘主義について、丁寧に解説している。中近東の歴史や現在も起きている国・権力者・民族の紛争を理解するにおいて、イスラムを避けて通る事は不可能であると改めて実感した。
Posted by ブクログ
今年から井筒先生のご著書も読まないとと思っています。まずは、入門編から。講演録ではありますが、イスラームの根底にあるものを、宗教、法と倫理、内面への道(神秘主義)の三つに分けて論じる本格的なイスラーム文化の概説です。
Posted by ブクログ
イスラーム文化の根底的精神を掘り下げて解説。
出版年は古いが、古さを感じさせない普遍性を持つ。
現代のイスラーム情勢を考える上でも必読と言える。
Posted by ブクログ
イスラムをイスラムたらしめているものを、仏教、キリスト教との比較、日本人の視点から、素人向けに説明。
20年以上前の本ですが、古さはありません。イスラムについて、正しく知識を吸収しているという、本当によい気分になる本でした。
これを理解してこそ、いまイスラム世界で起こっている紛争を理解することができると思う。
・イスラムは政治・経済・生活のすべてがコーランに帰結する
・イスラム世界のすべてが聖であり、聖俗の区別はない。(よって聖職者という人たちも存在しない)
・多数派のスンニ派はコーランを外部的に理解する
・少数派のシーア派(イラン)は内部的に理解する
・中でもスーフィー派、仏教的な思索”自我の放棄”を志し、世を捨てることで神との一体化を求める
・神と民の関係は、父と子のような親しいものではなく、主人と奴隷という、絶対的な主従関係。
・コーランの新たな解釈をしない、ということもすでに決めらており、ゆえに石油でお金を持っている国も民主化することに躊躇する
・トルコは聖を捨て、世俗化した。(アラビア語も捨て、アルファベットのトルコ語を採用した)
Posted by ブクログ
『後記』にあるが、本書は1981年に著者が行った3回の講演を文字起こししたものにペンを入れたものである。本書冒頭の『はじめに』は講演の導入部であり、本書の構造については触れていないので、読み始めると「口頭発表みたいな口調(の文体)だな」と思うかもしれない。
本書は40年以上前の古いものだが、当時の時流を追う内容ではないため現在でも十分に読む意味はある。私は本書をイスラーム文化を教養程度に知る目的で購入したが、冒頭の『はじめに』を読むだけでそれ以上の価値があったと思うことができた。
『はじめに』では『あかの他人』であるイスラーム文化を知る意味について述べられている。
カール・ポッパー(ポパー)の文明間の邂逅・衝突とそれによる文化的危機により「自身の属する文明をはじめて批判的に見る視座を持つ」ことや「その視座を持つことによって、相手も自己も超えたより高い次元への跳躍も可能になる」という内容からや、あるいは「グローバルでなければいかに自己のルーツを知ったとて死物を抱えているのと異なるところがない」という叱咤からも、縁遠く、とっつきにくいものを深く知ることが大きな創造へとつながることを説いている。
新型コロナウイルスの流行やウクライナ紛争以降、世界の雰囲気は変化してしまったように思う。あちこちで保守、保護主義、自国優先政策が台頭している現在だからこそ異質な文明(これはもっと小さなスケールで”他者”と置き換えても良いと思う)を知ることの意義を訴える本書の序文は心に響くものがあった。
また、この『はじめに』の内容は、こちらからの一方的な学びであっても相手方の文化(本書でいえばイスラーム文化側)にも、「自分たちだけでは決して見ることのできない視点から新たな気づきを得られる」という恩恵があることを示してもいる。これは私が読んできた書籍で意識した「非キリスト教圏から見たヨーロッパ(:日本人がヨーロッパを研究する意味)」や「西洋から見た東洋」という見方にも通じる考え方であった。
第Ⅰ部へ進んで早速びっくりするのはコーランの文言はだいぶ俗物だという点。商業に関する表現が非常に多いようで、イメージしていたものと大きく違った。
他の宗教との違いも所々で示されるが、預言者の存命中に信仰の中心となる聖典を確定しておくことができたことが、イスラームが他と決定的に異なる部分だと感じた。やはり後発は強い。
それでもムハンマドの死後、イスラームは速やかに分派していくのだが、それはムハンマドの後継をめぐる考え方の違いのほかにコーランやハディースの解釈をめぐってでもあった。
この”聖典の解釈が執拗に行われる”ことにはかねてより疑問があったのだが、本書で「聖俗の区別がない」「日常生活の隅々まで宗教が浸透」という、他の宗教との大きな違いを知ることで、生活の変化に対する聖典の解釈の必要性が理解できた。
また、他の宗教を引き合いに出すことで、全く同じ神を信仰するはずのキリスト教やユダヤ教と決して相容れないイスラームの物の見方(立場)というものを理解することができた。穏健派ならば付き合えると思う反面、この違いを絶対に譲らない原理主義者とはわかり合えないことも理解できた。
ところで、(本質とは関係ないが)第Ⅰ部のなかで特別に印象に残っているのが74-77ページの内容で、読みながら「量子重力理論!?」と驚嘆した。時間の存在性や連続性は今でも先端物理のテーマであり、それがイスラームや仏教の話で出てきたことには非常に驚いた。長い時間をかけた哲学的な思索の果てに得た境地と量子論が開いた世界の表皮をめくった先の世界は一致しているのだろうか?
第Ⅱ部は冒頭から第Ⅰ部の続きのような話が続く。イスラーム法の話が出てくるのは145ページからになる。
イスラーム法の細かさを不思議に思っていたのだが、聖俗の区別がないことが生活の上での広範な規定を必要とすること、コーラン(とハディース)からそれを規定するために言葉の解釈が猛烈な発達を見せたこと、がうまく説明されており納得できた。
ところで、神の言葉という「絶対のものに基づく法律」という稀な存在は、科学(;科学も絶対の真理に基づく。そのため理系分野のバックグラウンドを持って法曹界へ入り込むと、心理も含んだ軸のブレに苦しむ場合も多いと聞く)を思わせた。そう考えると、科学はイスラーム法のイジュティハードに相当するものは全く自由である(;事象に対する新しい解釈(とそれを支持する新たな実験・観測)により新たなパラダイムが打ち立てられ、学説の転換が起きることが常にあり得る)ので、逆説的に、イジュティハードが禁じられると発展が停滞することは想像できた。本書には書かれている内容ではないが、オリエントを席巻しヨーロッパにも侵攻したイスラーム勢力が、西欧諸国に科学、哲学を学ばれ、やがて追い越されていく(振るわなくなっていく)という世界史的な大きな流れもイジュティハードの門が閉ざされたことに一因があるのかもしれないと思った。
第Ⅲ部はスンニ派以外の考え方についてなのだが、これまでの内容と毛色が変わるのでこの短いページ数では2派の良さが分からなかった。
ここまでの二部を読んでスンニ派の論理性に親近感を覚える私としては、シーア派はだいぶ異端だと感じた。ところどころでコーランの教えを破っているようであり、それを万人が追試験ができない『内面世界』で答えているところがいかにもカルトっぽい。妙な理屈でアリーの一族だけを持ち上げたり、組織化しているのも印象が良くない。(コーランからは逸脱していそうだが)血筋を問わず、人数も限らないスーフィーの方がこの点は潔く見える。歴代の為政者が迫害したくなるのもよくわかる。
スーフィーはスーフィーで「彼らの思想は神の絶対性を否定しているのでは?」という疑問が湧いた。現世が根源的な悪であり神の意志が実現されない場所だと言うなら、「(そんな場所を残して)神は何やってるんだ」となる。「絶望的な世界に捨て置かれている人間は神に見捨てられているのではないのか?スーフィーは無駄な修行などせず自殺でもして現世を去ったらいいのでは?」という極端な結論も考えてしまう。こちらは異端というより邪教であるという感想を強く感じた。
スーフィーに関しては疑問だらけで、読みながら細かい疑問や反論が次々に出てきて共感することはできなかった。
我を消すということは子供も作らないのだろうが(神が人間の子を望むか?)、ならばなぜスーフィーは絶えないのだろうか。
『我こそは神』『自己がそのまま絶対者』という言い方が実に傲慢で、自己を消しきれていないとも感じた。人間が迫れるのは「自我の奥底に座す神を知り、そこに触れた」程度で、どこまで行っても自我を消すことはできない(限りなく漸近することはできてもゼロにはできない)だろう。もし、我と神が同義なら預言者を超えることになるし、それなら人間の肉体はなんなのかということになる。
結局、第Ⅲ部の内容はページ数(= 講演時間、回数)が足りなかったのだろうと思う。駆け足で2派を取り扱ってしまったが、内面世界の概論と、それぞれの派で2〜3部が必要だったのだろう。丁寧な解説があれば印象が変わったかもしれないとは思う。
著者の別著『イスラーム思想史』が面倒(:イスラームの用語がポンポンと出てくるが、巻末に用語集も無いので自作しながら読み進めないと内容についていけない。だが、理解が浅い段階での自作が非常に面倒)で、いつまでも読めないままとなっている。それを補おうとより簡易な本書を購入したのだが、家で両書を並べた際に同じ著者だと気付いて愕然とした。
書店で軽く目を通しているので大丈夫だとは思いながらも「同じような書き口だったらどうしようか」と戸惑いながら本書を読んだが、著者が円熟した頃に書かれた文章(;本書で『若気の気負い』とも述べている『イスラーム思想史』は著者が20代で書いた文章を元に増補したもののようだ)ということもあって、非常に読みやすかった。懸念していたイスラーム特有の用語については、文中の各所で出てくるが、その数は抑えられており、前提となる知識が無くても十分に追っていくことができる。
ページ数も少なく読みやすい、イスラームの考え方を知るための入門書として良い一冊だったと思う(本書の元となる講演から40年以上、もうすぐ半世紀が近づいているなかで、当時と同じように日本人が『あまりにも無関心』なままでいることは著者としては不本意かもしれないが・・)。
Posted by ブクログ
3回の講演をまとめたもの、聴衆が一般人なのと、井筒さんも口語なので、とてもわかりやすい。
岩波の担当者は、おそらく、井筒さんの一番やさしい論考をシリーズの1回目に置きたかったのではないだろうか。
40年前のこの講演の時も現在もイランはシーア派政権だが、シーア派とはコーランに忠実で、それゆえに頑固で西洋的な近代化を拒む宗派であることがこの本でわかる。しかし、井筒さんはシーア派が悪いとは言っていない。逆に、その教説にはイスラム教の情念が宿っていると展開している。
イスラムには僧侶はいなし、お寺もない。政治と宗教が一体化している。輪廻という考えはない、仏教を宗教とはおもえないのでは、などイスラムのなるほどな話題が多い。
井筒シリーズの手引の本としてふさわしい内容だと思う。
Posted by ブクログ
イスラーム文化という壮大なテーマを、わずか1時間×3回に凝縮して語られた講演録である。書籍化するにあたって加筆修正もされているようであるが、もともと話し言葉で語られたものであるだけに、とてもわかりやすく、私は行間からいくつもの絵や図を想起した。
本書では、クルアーンやハディースなど聖典をめぐる問題、神と個人との関係から始まり、シャリーアといった法や倫理をめぐる問題、シーア派とスンニ派、イマームやスーフィズムに至るまで多岐にわたるテーマが出てくるが、それが紀元610年~622年のメッカ期と、622年~ムハンマドが亡くなる632年までのメディナ期という性格の異なる2つの時代にきれいに整理・収斂させてあり、これが分かりやすさを一層促している。他方で、わかりやすいから表面的説明に終始しているかと言えばそうではなく、第2章から第3章、特に第3章の「内面への道」では、イマーム、スーフィーというテーマを扱いながら、イスラームの持つ深い内面世界を端的に解説している。
さて、本書を読んで気になった点を少し残しておこう。
本書では、イスラームには業(カルマ)の概念がなく、輪廻転生を否定していると書かれている。つまり、私たちの生は1回きりであり、それゆえにこの世(今生)での生が重要なのであると。ここを読んだ時、私は「自爆テロ」ということを考えた。輪廻転生は無く、人生はここ1回きりと考えて疑わないムスリムの人々が、体に爆弾を巻きつけ「アッラーフ・アクバル!」と叫んで体当たりをしていく時、頭から灯油をかけて焼身自殺を図る時、彼らは何を思うのか。1回きりの人生と知りながら、それでもなお自爆テロや焼身自殺に走らなければならない、止むに止まれぬ彼らが置かれた状況とはどのようなものか。彼らの心理的状況とはいかなるものか。新聞やテレビに出る小さな記事をそこまで読まなければ、「自爆テロ」というニュースの意味は理解できないだろうと思われた。
本書の最後では、イスラームはアジアの西端を占めるダイナミックな多層文化であり、それこそがまさにイスラームなのだと説かれている。その上で、日本はこれまでイスラームに対してあまりにも冷淡・無関心でありすぎたとして、アジアの東端に位置する国として、イスラームに対する日本的理解の生成を呼びかけている。本書の講演が行われたのは昭和56年春というから既に40年ほど年月が経っており、社会は「グローバル化」という号令とともに、40年前よりはいささか緊密化してきたことは事実であろう。この間、湾岸戦争や9.11、アフガン戦争、イラク戦争、邦人人質事件、パレスチナに対するイスラエルのジェノサイドに対する国際世論の広がり、原油の高騰などがあって、我が国も中東に目を向ける(あるいは目を向けざるを得ない)ようになってきてはいるが、しかし戦争や紛争、物資の供給という点を除いて、文化としてのイスラームを私たちが理解しようとしているか、それが身近になっているかというと、大手を振ってYES!とは言い難いだろう。アジアの東西を占める我ら、と言っても、言葉も違い、文字も違い、文章を書く方向も(アラビア語は右から左へ書くのだ)、人種も民族も、宗教も、食べるものも、これまでの歴史も、物の考え方もあらゆるものが異なるけれど、両者で何らかの文化的プロジェクトが生まれればとっても面白いことになるんじゃないかと思っている。
取り止めのない話になってきたが、イスラームを知りたい人、ちょっと気になっている人には格好の入門書である。またイスラームを知る人も、わかりやすくイスラームを整理し理解するには最適な1冊である。時を経て再読したい。
Posted by ブクログ
予備知識が無かったが読みやすかった。もちろん専門用語は多いし哲学の話も入ってくるが、都度必要なだけ説明があったのが良かった。
『脱常識の社会学』に引き続き、講演を書籍化したものは良著が多いなというイメージ。
Posted by ブクログ
一昔前のビジネスマン?向けの公演の内容ということらしい。
堅苦しさはなく、読みやすい。
一宗教としてでなく、文化そのものを包含し吸収と発展を遂げてきたイスラームと、イスラームを育てた中近東について体系的に知ることができる。
イスラームとはなんぞや、という入門にはうってつけの本と言えるだろう。
詳しいことは他の本を読む必要があるが、読みやすさと幅広さをして良書と言える。
Posted by ブクログ
“言い換えますと、イスラーム法とは、神の意志に基づいて、人間が現世で生きていく上での行動の仕方、人間生活の正しいあり方を残りなく規定する一般規範の体系でありまして、それに正しく従って生きることがすなわち神の地上経綸に人間が参与することであり、それがまた同時に神に対する人間の信仰の具体的表現となるのでありまして、その意味でイスラーム法がすなわち宗教だといわれるのであります。“
例えば日本文化について3つのテーマから述べよ、と言われたら、仏教や神道などの宗教をテーマの一つに選ぶことはあるだろう。
しかし、法について、というのはどうだろう。
ちょっと思いつかない。
漠然とした「文化」なるものをどう切り分けるか、そこに各文化の特色が表れているとしたら、私たちの文化とどう異なっているのか、というのが本書を手に取った動機だった。
テーマは別れているが、副題の「その根底にあるもの」についての切り口が異なるだけで、常にイスラーム文化の核を見定めようとする姿勢は一貫しているのだと読み始めて気がついた。
期待以上の内容。
読書メモ
① 宗教
001 イスラーム文化の国際的性格と複雑な内部構造
002 「砂漠的人間の宗教」という誤解
003 商業専門用語に満ちた聖典
004 商業取引における契約との類似
005 アラブ(スンニー派的イスラーム)とイラン人(シーア派的イスラーム)
006 すべてのイスラーム的なものを集約する聖典『コーラン』
007 イスラーム文化は究極的には『コーラン』の自己展開である
008 『コーラン』と『ハディース』、第一の啓示と第二の啓示
009 『ハディース』というプリズムを介した『コーラン』の解釈の多様化
010 『コーラン』の解釈学的展開こそイスラーム文化の形成史
011 『コーラン』の特徴①神の言葉のみを綴った単一構成の書物
012 その②聖俗不分、「神のものは神のもの、カエサルのものも神のもの」
013 坊主のいない宗教
014 神と人の垂直関係と「預言者」という中間項
015 「イスラーム」=「絶対依嘱」
016 「子もなく親もなく、これとならぶもの絶えてなし」
017 非連続的存在観と原子論的存在論、因果律の存在しない世界
②法と倫理
018 「コーランの歴史」20年、前期メッカ期と後期メディナ期
019 「神の倫理学」
020 メッカ期の不義不正を罰する復讐の神
021 「怖れ」=「信仰」
022 メディナ期の慈悲と恵みの神
023 「感謝」=「信仰」
024 イスラーム教徒、嘘つかない
025 実存的宗教から社会的宗教、個人から共同体へ
026 砂漠的人間の精神(血の連帯感)の廃棄
027 「物を盗んではいけない」は神がそれを悪いことと決定したから
028 「最後の預言者」の死と「ハディース」による補完
029 神の言葉という非合理的な啓示を合理的思惟によって解釈する
030 神の言葉そのものではなく、それを理性によって合理的に解釈したものこそがイスラーム法である
031 我々の法律は普段法の網の中にいることを意識せず、法が出張る事態となって初めてその存在に気がつく
032 イスラーム法は規範として常に意識される
033 自由解釈の禁止
034そしてイジュティハードの門は閉じる
③内面への道
035 二つの「知者」、ウラマーとウラファー
036 ザーヒリー的イスラーム、バーティニー的イスラーム、顕教と密教
037 シャリーアとハキーカ、イスラーム法と内面的実在性
038 二つの「内面への道」
039 シーア派的イスラームと神秘主義的イスラーム(スーフィズム)
040 シーア派のイマーム=内面的預言
041 外的啓示は終わったが、内的啓示は続いている
042 十二代目イマームの蒸発
043 「小さなお隠れ」と「大きなお隠れ」
044 不可視の次元、精神の王国の支配者
Posted by ブクログ
1981年、第2次石油ショック、イラン革命、イラン・イラク戦争の衝撃がおさらないなか、一般の人を対象とした講演を本にしたもの。
といっても時事的な話になるはずもなく、著者は、日本におけるイスラームがほとんど関心外であったことを指摘しつつ、その根源にあるイスラーム教の根本的な構造を明快に説明してくれる。
さすがに当時よりは、現在日本での一般的なイスラーム理解は進んだんだろうと思うのだが、それでも、知らなかったことをたくさんあった。
イスラーム文化というからには、やはりコーランが中心になって、それを絶対的な基準とするというところでの共通性がイスラーム社会にはあるのだが、その解釈の違いなどから、スンニ派とシーア派が分断していく内的な必然性がよくわかる。
それは宗教思想的な対立で、もともとコーランに内在する2つの方向から生じるものではあるのだが、そこにイスラーム教以前のアラブ社会とペルシア社会の文化の違いが影響していそう。
が、著者は、そうした対立まで含めて、ダイナミックな統合がイスラーム文化の特徴というふうに考えているみたい。
本論に入る前に、異文化と遭遇したときの葛藤、そこから争いが生じるとともに、違う文化が統合され、新しい文化が生み出される可能性について話してあって、この辺の議論の先見性はすごいな〜と思う。
個人的には、シーア派、そしてその中の神秘主義的なスーフィズムのあたりが、一番、面白かったな。
その辺が著者の一番の専門分野だと思うので、もうちょっと、その辺を読んでみることにする。
Posted by ブクログ
「イスラーム生誕」に続けて読んだ。これまたおもしろかった!
シャリーアに依拠するスンニー派(アラブ)と、ハキーカに基づくシーア派(イラン)、そしてハキーカそのものから発出する光の照射のうちに成立するスーフィズムの3つについて述べられている。
スンニー派とシーア派の違いについてよくわかった。かたや「外面への道」、かたや「内面への道」というまったく逆の道をたどるのだと。
スンニー派もシーア派も、現世を悪と考えるところまでは同じだが、シーア派は悪いスンニー派のように悪い現世を良くしようとはせず、現世に背を向ける。隠者、世捨て人として長い修行の道を行く。これが自己否定の道であり、これを突き詰めていくと、まるでヒンドゥー教の「解脱」のように、「照明体験」(イシュラーク)に到達し、人間が神になってしまう。
これに対して筆者はこう述べる。
こうしてイスラームにおける「内面への道」はスーフィズムとともについに行き着くところまで行き着いたという感があります。これでもなお、「内面への道」はイスラームなのでありましょうか。(略)これほどまでに純化されたイスラームは、もうイスラーム自身の歴史的形態の否定スレスレのところまできているのであります。(P223)
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◯イスラーム文化を理解するための入門書。
◯大学受験で世界史を選択した者であれば、おおよそ知っている話が多いが、その文化や精神世界を改めて論理的に説明されると、なるほど、理解が深まり、面白い。
◯歴史的なイランとイラクの相克や、トルコやエジプトに関するイスラーム世界での立ち位置なんかも知ることができる。
◯現代の中近東における国際政治の動向を知る上でも、導入書としてオススメの一冊。
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知的好奇心を満たすとてもおもしろい本。
イスラーム文化の精神性、多重性、信仰だけに留まらず、社会規範としての役割など、までもわかりやすく説明されている。手元に置き、線を引いて読み返す。
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1981年に3回にわたって行われた講義を書籍化。メッカ、メディナそれぞれの時代の成立の歴史、メディナ期以降のイスラーム法成立と政治運営の関係、外面的な方向性を持つスンニ派と内面的な方向性を持つシーア派の比較、さらには自己を否定するがゆえに「我=神」の境地となるスーフィズムまで。再読しなくては。
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コーランの内容は商人の言葉で満ちている。
アッラーはヒジュラ(聖遷)の前後で変容する。前期は脅威であり、後期は救いである。
「お隠れ」になったムハンマドの子孫が、終末に姿を現し人々を救うのを待っている。
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あまりにも馴染みがなく、理解の手がかりをどこに得るべきかすらわからない、イスラムの文化や考え方。だが、井筒の講演録をベースとしたこの本は、ビジネスパーソンを聴衆として内容が選択され練られたものだけに、とてもわかりやすい。
アッラーは、哲学的、抽象的な「神」だと思い込んでいた。しかし、井筒によれば、人間と絶対超越ではあるが「生ける神、生きた人格神」であるとのこと。
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マギを読んだので、イスラーム文化・世界について知りたくなり買った
かなり発見はあった
入門ではないって、最初にかいてたのに見逃してた
また入門書とか読みたい
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イスラーム文化を、真にイスラーム的ならしめているものとは何か。今や世界動向を左右するほどの力を持つこの宗教の根源に、イスラーム研究の第一人者が迫った書籍。
イスラームは、アラビアの商人であった預言者ムハンマドが興した宗教で、商業取引における契約の重要性を意識している。すなわち、イスラームは商売人の宗教といえる。
神の啓示を受けたムハンマドは、その神の言葉を記録した。それが聖典『コーラン』である。ここに書かれた言葉を解釈するのは人間であり、理解の仕方や解釈は人によって様々だ。この自由性が、イスラーム文化の多様性の源となっている。
イスラームという宗教は、聖と俗の領域を区別しない。神聖な領域のみならず、人間の日常生活のあらゆるところにまで、宗教が関わってくる。この点において、教会と世俗国家とを明確に区分するキリスト教とは大いに異なる。
イスラームの神「アッラー」は、キリスト教の神と同じ人格神である。キリスト教では、神と人との間に親子のような親しさがあるが、アッラーと人との間にそうした親密さはない。神は絶対的権力をもつ支配者で、人間はその奴隷である。
イスラームにおいて、宗教と法は密接に結びついている。善悪は神の意志によって決まり、それは法という形で人間に課される。すなわち、人が正しく行動し、生きるためには、『コーラン』を読み、神の意志を知らなければならない。
イスラーム法は、宗教的儀礼の規則や民法、商法、刑法はもちろんのこと、人々が日常生活においてなすべきこと、なさねばならないことまで細かく規定している。信者は、法を意識することなしに、日常生活を送ることができない。
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イスラム教がキリスト教やユダヤ教と同じ神を崇拝していることすら知らなかった私のような無知者でも一通りの知識は得られた(ような気がする)イスラム教の入門書。キリスト教ひとつとってもカトリック、プロテスタント、東方教会、西方教会、ルター派、カルヴァン派など様々な宗派が存在するのと同様に、イスラム教もまた同じ聖典「コーラン」からさまざまな宗派が派生し今日に至るまで闘争し続けている理由がよくわかった。おそらくこの先も統一されることはないだろうということも。
相関図を書かなきゃ分からなくなるくらい複雑ではあるけれども、キーワードが明示されているので整理すれば非常にわかりやすい説明になっている。
文化というものは個人の思考を消し去り、集団を闘争に導くほど強い影響力をもっている。自分の知らない文化を生きる人たちがどういう価値観で行動しているのか。グローバル化が進む中で避けては通れない知識になると思う。