【感想・ネタバレ】イスラーム文化 その根柢にあるもののレビュー

あらすじ

イスラーム文化を真にイスラーム的ならしめているものは何か。――著者はイスラームの宗教について説くことからはじめ、その実現としての法と倫理におよび、さらにそれらを支える基盤の中にいわば顕教的なものと密教的なものとの激しいせめぎ合いを認め、イスラーム文化の根元に迫ろうとする。世界的な権威による第一級の啓蒙書。

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Posted by ブクログ

イスラムを理解するのに最もわかりやすい本だと思われる。ムハンマドが商業人であり、そこから起こったイスラムは、アラブの砂漠の民のイスラムとは全く異なる、という指摘は初めて聞いた。2分法で説明しており、内面に向くイランのシーア派と外面に向くスンニ派という分け方もわかりやすい。
 オイルショック後の経済界の人を前に3回の講演記録であるために、学生にとってもわかりやすく、いまではTedあたりで動画が出されるであろう。

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2026年07月20日

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イスラームの根本とも言えるような要素が平易な言葉を通じよく理解できた。歴史的事象を理解する上でも参考になると思う。ただ、考える重責を逃れ楽をしたいという人々の欲求を利用し、支配し、敵を破滅させるといった宗教の特徴は変わらないようだ。

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2026年01月27日

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イスラーム文化をイスラーム的にたらしめているものは何か

イスラーム文化の独自性に迫る名著!
イスラームというと、時局的な事件や歴史的背景の解説にとどまることが多いが、本書はその根本にあるイスラーム教そのものに光を当てている。

キリスト教や仏教と並ぶ世界三大宗教の一つでありながら、現代でもたびたび社会を揺るがすイスラーム。その力強さの背景には、単なる信仰を超えて人々を動員する強大な教義がある。私自身、イスラームの「強さ」を人口増加や「子供を産み育てる」という行動様式に感じていたが、本書を通じてその一端に触れられたように思う。

印象に残ったポイント

1. 絶対帰依の宗教である
イスラームをイスラームたらしめているのは「絶対帰依」。神に対する無条件の自己委託、絶対他力信仰の姿勢である。ムスリムという語そのものが「帰依する者」を意味しており、宗教の中核をなす。この徹底した信仰ゆえに、背信者やイスラーム法を破る者への処罰は厳しい。

2. 世界性と強い共同体意識
ユダヤ教やヒンドゥー教のような民族宗教と異なり、イスラームは普遍性を備え、血縁を超えてすべての人を受け入れる。そして契約によって結ばれた人々は、ムハンマドの権威のもと同胞となる。強い連帯意識を生み出す宗教である。

3. 聖俗の区別を持たない
キリスト教や仏教が「聖」と「俗」を区別するのに対し、イスラームは生活の隅々まで宗教が浸透する。コーランの教えはイスラーム法として人々を統治し、法を破ることは即ち神に背くことを意味する。政治をも包含する全生活的な宗教である。

4. スンニ派とシーア派の違い
スンニ派はイスラームの教えをもとに社会・政治体制を築く「外への道」。一方、シーア派は形而上学的な真理を探究する「内への道」として発展した。

5. イラン政治の不安定さの背景
シーア派思想は「絶対的な答えは存在しない」という前提に立つ。そのため人々は常に疑心暗鬼になり、政治的確実性を欠く傾向がある。イマームの意思を汲む哲人政治と、神から権威を与えられた王権政治の対立が繰り返され、その帰結としてイラン革命が起こったともいえる。

イスラームの動員力の源泉は、神への絶対的信仰と、それを法のレベルまで具体化した点にあると実感した。個人の信仰から社会制度まで宗教が貫いている。なるほど、これでは強いはずだ!と腑に落ちた。

時事的な説明にとどまらず、イスラームそのものを描き出す本として非常に貴重である。さらに、宗教書にありがちな著者の価値判断が極力排除されている点も好印象。入門書として最初に読むのに強く勧めたい一冊だ。

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2025年08月17日

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めっちゃくっちゃ分かりやすかった!
イスラームにおいて『コーラン』ってものがどれほど重要のものかわかったし イスラームの考え方とか、世界観 宗教がどれほど生活に密着してるか分かった

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2025年01月03日

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イスラーム文化を根元的に、統括的に、述べようとする良書。
イスラーム文化と一口に言っても、多層的多面的であることがよくわかる。
イスラームの大まかな概要を掴むのと同時に、ユダヤ教やキリスト教との相違点の理解も深まる。

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2021年03月17日

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イスラーム教に関する基本書。勿論日本のイスラム研究の初期に位置する学者であるため、イスラム世界の多様性や現代のイスラムへのまなざし等が踏まえられていないが、それをおしても、やはり本書はイスラム教という宗教の大枠を捉えるには格好の書籍。

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2020年05月11日

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いやぁ、これまた滅茶苦茶面白かった

スンニーとシーアとスーフィズムなんて、ろくな説明聞いたことなかったけども、凄くわかった

例えば、
スンニー派は、コーランに描かれる世界の後半期であるメディナ期の方向性に近く、感覚的で現実主義的なアラブ社会的感覚にのっとった考えで、イスラーム法を守ることを至上とし、いわゆる顕教的にコーランに対する。
シーア派は、コーランの前半期のメッカ期的な感覚が強く、ゾロアスター教をルーツにもつ幻想的で神話的な世界観を持つイラン的なものであって、密教的にコーランに対する。ただ、密教的解釈ができるのは歴史的に承認されたイマームだけ。
スーフィズムは、密教的だけど、シーア派よりも更にオープンというか、承認されたイマームでなく、修行をつむことでワリーという状態に、いわゆる解脱できる

すげー雑に説明するとこうなる
こんな言い方、誰もしてくれない

コーランに描かれている世界は20年間の時間的広がりがあること、イラクなどのアラブ世界と、イランとには違いがあること
それは砂漠の騎士道的世界と、ゾロアスター教的世界と

無我を説いても、仏教とは確実に異なるのは、あくまでイスラムは絶対的一神教の一元論がベースだということ

などなど

やー面白かった

次はついにコーラン行きます

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2018年11月24日

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イスラム教圏の文化についてよくわかる。

疑問に思っていた、
・ユダヤ教とキリスト教とイスラム教の関係
・コーランだけが聖典なのか
・アラブ人とイラン人の違いとは
・スンニ派とシーア派の違いとは
・それぞれの宗派の考え方とは
を解決してくれた。

キーワード:
1次聖典コーラン、2次聖典ハディース:言行録、ムハンマドはただの預言者、メッカ期とメディナ期、聖俗不分離、イスラム法(シャリーア:水場への道)、ウラマー(外面への道をとる人)とウラファー(内面をへの道をとる人)、シャリーアとハキーカ、タアウィール(原初に引き戻す)

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2018年11月18日

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スンナ派、シーア派、スーフィズムの思想的な特徴が、『コーラン』の解釈の仕方という形で、実にうまく整理されている。

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2018年05月06日

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井筒俊彦氏(1914~1993年)は、日本で最初の『コーラン』の原典訳を刊行した、イスラーム学者、言語学者、東洋思想研究者。アラビア語、ペルシャ語、サンスクリット語、ギリシャ語等30以上の言語を流暢に操る語学の天才と言われ、多くの著作が英文で書かれていることから、欧米での評価も高い。
本書は、1981年に著者が行った講演を基に同年に出版された作品を、1991年に岩波文庫から再刊したものである。
本書は、副題に「その根柢にあるもの」と付けられているが、その意図について著者は、「「根柢にあるもの」と申しますのは、教科書風、あるいは概説書風に、イスラーム文化の全体を万遍なくひととおりご説明するのでなしに、ひとつの文化構造体としてのイスラームの最も特徴的と考えられるところ、つまりイスラーム文化を他の文化から区別して、それを真にイスラーム的たらしめているものをいくつか選びまして、それを少し掘り下げて考えてみたいということでございます」と言い、①イスラーム文化の宗教的基底、②イスラームの法と倫理、③イスラームの内面への道、という3つの側面についての考察を語っている。
そして、講演を基にした滑らかな文章を読み進めるうちに、コーランとは? ユダヤ教・キリスト教・イスラームの関係は? イスラームの神アッラーとは? ムハンマドとは? イスラーム法とは? メッカ期とメディナ期(の違い)とは? 共同体(ウンマ)とは? ハディースとは? ウラマーとウラファーとは? シャリーアとハキーカとは? スンニ―派とシーア派(の違い)とは? イマームとは? イスラーム神秘主義(スーフィズム)とは?。。。等の、イスラームのポイントが次々に明らかにされ、まさに「イスラームとは?」が浮かび上がってくるような気がするのである。
近時、イスラームに関する書籍は数多出版されているが、イスラームの根柢にあるものをこれほどわかりやすく、かつ簡潔に語ったものは少ないのではないだろうか。
30年以上前の著作であるが、イスラームを理解する上で比類ない良書と思う。
(2018年4月了)

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2018年04月17日

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ネタバレ

これまでに10冊ぐらい読んできた様々なイスラム教/ムスリム文化の解説書の中では一番読みやすかった。文庫サイズでここまで理路整然と論を展開する本に出合えるとは思っていなくて、嬉しい喜び。

アラブのスンニ派とイラン人(ペルシア人)のシーア派は対照的な信仰体系を持ち、内的矛盾を抱えているものの、その矛盾も包括して全てを統一しているのが「コーラン」であること。

コーランは神の言葉であるがそれを解釈するのは人間的な営みであり、どう読むかは個人の自由に任されていること。それによりイスラムの多様性、多層性が生まれていること。

コーランにおいては聖俗の区別はなく、すべての営みがイスラームの範囲に入るため、生活のすべてが宗教になること。そのため、協会と世俗とを切り離すキリスト教とは、ルーツを共有するにも拘らず決して相いれない対立が生じること。

イスラーム発祥の時期のアラビア世界において常識だった「血の共同体」を破壊することによって、単なる「アラブの宗教」だったイスラム教が一般性・普遍性を獲得できたということ。

外面にある共同体を探求する道と内面にある密教的な要素とが混在する中で、外面を探求する側が体制派となり内面的イスラームであるシーア派が迫害に晒され、それが現在も続く禍根となっていること。
こうした、外面を辿る顕教的要素と内面を突き詰める密教的要素とが緊張感をもって混ざり合うことで、多層的な文化を織り成すのが即ちイスラームであること。

ほかにも、書ききれないほど多くの「イスラム教の基礎知識」が解説されています。これまで、いろいろと呼んでみてもイマイチしっくり理解できなかったシーア派とスンニ派の対立の軸や原因が、この本でだいぶ腑に落ちました。
イスラム入門書にもなりえるし、自分のようにいくつか読んでみたら余計わからなくなったという人の論点整理にも使える本だと思います。

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2017年12月29日

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858円

185p

再読
2026/08/20

井筒 俊彦
(いづつ としひこ、1914年(大正3年)5月4日 - 1993年(平成5年)1月7日)は、日本の言語学者、イスラーム学者、東洋思想研究者、神秘主義哲学者。慶應義塾大学名誉教授。文学博士、エラノス会議メンバー、日本学士院会員。語学の天才と称され、大部分の著作が英文で書かれていることもあり、日本国内でよりも、海外で高く評価されている[1]。アラビア語、ペルシャ語、サンスクリット語、パーリ語、ロシア語、ギリシャ語などの30以上の言語を流暢に操り、日本で最初の『コーラン』の原典訳を刊行し、ギリシア哲学、ギリシャ神秘主義と言語学の研究に取り組み、イスラムスーフィズム、ヒンドゥー教の不二一元論、大乗仏教(特に禅)、および哲学道教の形而上学と哲学的知恵、後期には仏教思想・老荘思想・朱子学などを視野に収め、禅、密教、ヒンドゥー教、道教、儒教、ギリシア哲学、ユダヤ教、スコラ哲学などを横断する独自の東洋哲学の構築を試みた。


「聖典『コーラン』 預言者ムハンマドが神の啓示を受けて、その神の言葉が記録されることによって成立したといわれている一冊の書物。およそイスラーム的なるものすべてがこの一点に集約され、すべてがこの一点から発出する、まさにイスラームの原点であります。国際的文化構造体として歴史的に自己形成したイスラームが、どれほど複雑な様相を呈しましょうとも、そのどの側面をとってみましても、イスラーム文化は究極的には『コーラン』の自己展開なのであります。」

—『イスラーム文化-その根柢にあるもの (岩波文庫)』井筒 俊彦著

「ですからイスラームにおいては、宗教は人間の日常生活とは別の、何か特別な存在次元に関わる事柄ではない。人間生活のあらゆる局面が根本的、第一義的に宗教に関わってくるのです。個人個人の純粋に自分だけの実存も、家庭生活も、社会における他人との公共の結びつきも。個人的、家族的、社会的、民族的、国家的、およそ人間が現実に生存するところ、そこに必ず宗教がある。そしてこのように人間存在のあらゆる局面を通じて、終始一貫して『コーラン』に表われている神の意志を実現していくこと、それがイスラームの見る宗教生活なのであります。」

—『イスラーム文化-その根柢にあるもの (岩波文庫)』井筒 俊彦著

「イスラームではそんなことはありません。生活の全部が宗教なのです。そしてこのことはすなわち人間生活のいわゆる世俗的な部分まですっかり『コーラン』のテクスト解釈によっているということを意味します。もちろん政治も、法律もそのまま宗教であります。」

—『イスラーム文化-その根柢にあるもの (岩波文庫)』井筒 俊彦著

「 こうして、イスラームの考え方によりますと、『コーラン』は神の意志の直接の言語化、あるいは神の言葉そのものなのであります。要するに神の人間に対する言語的コミュニケーションの形態です。この意味において『コーラン』は、本来、断絶してまったく懸け橋のない神と人とのあいだをつなぐ唯一の手段として、神と人との中間にその位置を占めます。  なおこの問題との関連でぜひ注意しておかなければならないのは、人類創造の初めから、神はこのような預言者をつぎつぎに立ててきた、その連綿たる預言者系列の最終点に、イスラームの預言者ムハンマドが現われるということであります。つまり、イスラームの主張によれば、ムハンマドは人類の歴史に現われる最後の預言者であって、ムハンマド自身がそう信じていた。『コーラン』に ​ kh tam ​ ​ al ​​-nab y na ​「すべての預言者たちの封緘」(三三章、四〇節)とあるのがそれの証拠です。いままで続いてきた預言者の系列は彼で完全に終りまして、これからあとは世の終末まで人類の間に預言者は現われない。つまり神の啓示はここで終了し、完了するということでありまして、この考えが後世、イスラーム思想史で大問題を引き起すことになります。なぜかといいますと、啓示がそこで止まって、これからはもう神の言葉を聞くことができない、つまりどんな問題が起ってもそれにたいする神の判決を直接に知るすべがないということになると、たいへん困ることが出てくるからです。しかしそれについては、この次にイスラーム法の成立のところでもっと詳しくお話いたします。」

—『イスラーム文化-その根柢にあるもの (岩波文庫)』井筒 俊彦著

「前回の主題はイスラーム文化の「宗教」、今回は「法と倫理」ということになっておりますが、勿論、ぜんぜん関係のない別々のことをお話するわけではございません。むしろ同じ一つの主題の継続、あるいは展開であります。それと申しますのは、イスラームの見地からいたしますと、宗教と法、あるいは宗教と倫理とは密接に結びついて一体化しておりまして、とくに正統派、すなわちイスラームの主流、イスラーム共同体の大多数を占めておりますいわゆるスンニー派は、イスラーム即イスラーム法、つまり宗教即法律といういわば極端な立場をとりますので、この見解によりますと、イスラームという宗教はイスラーム法の名で知られる整然たる法的結晶体となってはじめて完全な意味での宗教として成立するといえるほどであるからであります。ですから、この前お話し始めましたイスラームの宗教的根柢という主題は、今日の主題であるイスラーム法のところまで進んでやっと何とか一応完了することになる。つまり、そこまで来てはじめて、少なくともスンニー派の理解する形での宗教としてのイスラームの全貌にやや近いものがおわかりいただけるということでございます。この意味で今回は、この前始めたイスラーム文化の宗教的根柢についての考察を、イスラーム法と倫理の方向に絞って集中的に追求し展開していくということになります。」

—『イスラーム文化-その根柢にあるもの (岩波文庫)』井筒 俊彦著

「 「では、信仰ぶかいイスラーム教徒が噓つきであるというようなことがありうるでしょうか。」  「絶対にありえない」と預言者は答えた、と。  イスラームでは噓はよく盗賊にたとえられます。盗賊が他人の財産を盗む。それと同じように噓をつくことは人間の理性 理性は人間の人間たる所以 を盗む、というのです。  西暦十一世紀の政治理論家マーワルディー ​( M ward ) ​がこう言っております。 ​「噓 ​はあらゆる悪の綜括、あらゆる非難の大本である。それが生み出す結果があまりにもひどいからだ」と。しかし噓が悪であるのは、本当はそれの実際上の結果が悪いからだけではなくて、もっと根本的理由は、神そのものの倫理的性質に背くからなのです。そして、神の倫理性を己れの身に反映させ、己れの人間的倫理性として生かすことこそ人間の宗教的生の理想であるのだからであります。」

—『イスラーム文化-その根柢にあるもの (岩波文庫)』井筒 俊彦著

「イスラームが宗教的共同体の理念をひっさげて、真正面から衝突していったのは、まさにこういう砂漠的人間の精神だったのであります。すなわち、イスラームは血縁意識に基く部族的連帯性という社会構成の原理を、完全に廃棄しまして、血縁の絆による連帯性の無効性を堂々と宣言し、その代りに唯一なる神への共通の信仰を、新しい社会構成の原理として打ち出しました。たとい血を分けた兄弟であっても、生みの親ですら、本質的にはなんの意義ももたなくなってしまうような、まったく新しい社会が構想されるのです。  「信徒らよ、たとい己れの親、兄弟だとて、もし信仰より無信仰を好むようならば、決して同志と思ってはならぬ。汝らの中で、そういう人々を同志とする者があれば、それこそまぎれもない不義の徒。」(九章、二三節)  親兄弟の血縁が、人情としてどれほど大切なものであるにせよ、宗教的にはまったく無価値であることは、人が本当に緊迫した、最高に真剣な状況に落ちこんだとき暴露されると『コーラン』は教えます。その状況とは、具体的には終末論的事態のことです。終末の日、その到来を知らせるために天使が喇叭を吹き鳴らす。それを耳にしてあわてふためき、逃げまどう大群集。もう父もなければ母もない。親子のつながりも夫婦の縁も、もはやなんの役にも立ちません。」

—『イスラーム文化-その根柢にあるもの (岩波文庫)』井筒 俊彦著

「 こういいましても、勿論、イスラーム共同体が、どこにでもあるふつうの人間集団と少しも変るところがないということではありません。逆に、イスラーム自身の見地からすると、イスラーム共同体は神によって特別に選ばれた特別の人間集団です。『コーラン』の第三章第一〇六節に、「汝らイスラーム教徒はいままで人類の歴史に現われた数ある共同体のなかの最高(あるいは最善)のもの」と宣言されております。そしてそういう最高の共同体の宗教として特別に神によって選ばれた宗教、イスラームが最高の宗教であると考えられることは当然です。最高の宗教を授けられた最高の共同体 われわれはここに一種の選民思想を見出すのでありまして、この意味ではイスラームの共同体の観念にも明らかにユダヤ人のそれに似た選民思想の要素があるといわなければなりません。」

—『イスラーム文化-その根柢にあるもの (岩波文庫)』井筒 俊彦著

「ですから、法理論としては、イスラームは自然法理論と正反対の立場をとります。何が善であり、何が悪であるのか、それが一にかかって神の意志によるとなれば、人が正しく行動し、正しく生きるためには、まず何をおいても神の意志を知らなければならない。では、どこからどうやって神の意志を知ったらいいのか。もちろん『コーラン』から知るほかはありません。『コーラン』は神の意志を直接に人間の言語に移して表明した唯一の、絶対確実な資料だからです。  しかし、『コーラン』はすべての場合に具体的な規定を与えているわけではありません。ですから『コーラン』のテクストをただそのまま読んでも神の意志が奈辺にあるか判然としない場合がある。というより、実際はそういう場合のほうがずっと多いのです。そこで、与えられた問題に関連ある箇所をいろいろ集めてきて突き合わせ、比較して、それを解釈しなければならない。こうして『コーラン』解釈学というものが、ここでもまたイスラーム法の形成過程で決定的な重要性を帯びて現われてまいります。」

—『イスラーム文化-その根柢にあるもの (岩波文庫)』井筒 俊彦著

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2026年08月22日

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イスラーム世界、アラブ世界を分かりやすく説明してくれている。著者の井筒先生の講義が本になったものということもあり、書き言葉ではなく話し言葉でイキイキと綴られていて読んでいて飽きることがなかった。
スンニ派とシーア派の違いやその成り立ち、現世界での位置や緊迫した関係。
何も知らなかった私は、その二つの全く違う考え方に驚いた。密教的でコーランを暗号として読み解くシーア派の見解。この歳になるまで知らなかったことが恥ずかしい。
とても勉強になった。

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2026年08月05日

Posted by ブクログ

ネタバレ

『後記』にあるが、本書は1981年に著者が行った3回の講演を文字起こししたものにペンを入れたものである。本書冒頭の『はじめに』は講演の導入部であり、本書の構造については触れていないので、読み始めると「口頭発表みたいな口調(の文体)だな」と思うかもしれない。

本書は40年以上前の古いものだが、当時の時流を追う内容ではないため現在でも十分に読む意味はある。私は本書をイスラーム文化を教養程度に知る目的で購入したが、冒頭の『はじめに』を読むだけでそれ以上の価値があったと思うことができた。

『はじめに』では『あかの他人』であるイスラーム文化を知る意味について述べられている。
カール・ポッパー(ポパー)の文明間の邂逅・衝突とそれによる文化的危機により「自身の属する文明をはじめて批判的に見る視座を持つ」ことや「その視座を持つことによって、相手も自己も超えたより高い次元への跳躍も可能になる」という内容からや、あるいは「グローバルでなければいかに自己のルーツを知ったとて死物を抱えているのと異なるところがない」という叱咤からも、縁遠く、とっつきにくいものを深く知ることが大きな創造へとつながることを説いている。
新型コロナウイルスの流行やウクライナ紛争以降、世界の雰囲気は変化してしまったように思う。あちこちで保守、保護主義、自国優先政策が台頭している現在だからこそ異質な文明(これはもっと小さなスケールで”他者”と置き換えても良いと思う)を知ることの意義を訴える本書の序文は心に響くものがあった。
また、この『はじめに』の内容は、こちらからの一方的な学びであっても相手方の文化(本書でいえばイスラーム文化側)にも、「自分たちだけでは決して見ることのできない視点から新たな気づきを得られる」という恩恵があることを示してもいる。これは私が読んできた書籍で意識した「非キリスト教圏から見たヨーロッパ(:日本人がヨーロッパを研究する意味)」や「西洋から見た東洋」という見方にも通じる考え方であった。


第Ⅰ部へ進んで早速びっくりするのはコーランの文言はだいぶ俗物だという点。商業に関する表現が非常に多いようで、イメージしていたものと大きく違った。
他の宗教との違いも所々で示されるが、預言者の存命中に信仰の中心となる聖典を確定しておくことができたことが、イスラームが他と決定的に異なる部分だと感じた。やはり後発は強い。
それでもムハンマドの死後、イスラームは速やかに分派していくのだが、それはムハンマドの後継をめぐる考え方の違いのほかにコーランやハディースの解釈をめぐってでもあった。
この”聖典の解釈が執拗に行われる”ことにはかねてより疑問があったのだが、本書で「聖俗の区別がない」「日常生活の隅々まで宗教が浸透」という、他の宗教との大きな違いを知ることで、生活の変化に対する聖典の解釈の必要性が理解できた。
また、他の宗教を引き合いに出すことで、全く同じ神を信仰するはずのキリスト教やユダヤ教と決して相容れないイスラームの物の見方(立場)というものを理解することができた。穏健派ならば付き合えると思う反面、この違いを絶対に譲らない原理主義者とはわかり合えないことも理解できた。

ところで、(本質とは関係ないが)第Ⅰ部のなかで特別に印象に残っているのが74-77ページの内容で、読みながら「量子重力理論!?」と驚嘆した。時間の存在性や連続性は今でも先端物理のテーマであり、それがイスラームや仏教の話で出てきたことには非常に驚いた。長い時間をかけた哲学的な思索の果てに得た境地と量子論が開いた世界の表皮をめくった先の世界は一致しているのだろうか?


第Ⅱ部は冒頭から第Ⅰ部の続きのような話が続く。イスラーム法の話が出てくるのは145ページからになる。
イスラーム法の細かさを不思議に思っていたのだが、聖俗の区別がないことが生活の上での広範な規定を必要とすること、コーラン(とハディース)からそれを規定するために言葉の解釈が猛烈な発達を見せたこと、がうまく説明されており納得できた。
ところで、神の言葉という「絶対のものに基づく法律」という稀な存在は、科学(;科学も絶対の真理に基づく。そのため理系分野のバックグラウンドを持って法曹界へ入り込むと、心理も含んだ軸のブレに苦しむ場合も多いと聞く)を思わせた。そう考えると、科学はイスラーム法のイジュティハードに相当するものは全く自由である(;事象に対する新しい解釈(とそれを支持する新たな実験・観測)により新たなパラダイムが打ち立てられ、学説の転換が起きることが常にあり得る)ので、逆説的に、イジュティハードが禁じられると発展が停滞することは想像できた。本書には書かれている内容ではないが、オリエントを席巻しヨーロッパにも侵攻したイスラーム勢力が、西欧諸国に科学、哲学を学ばれ、やがて追い越されていく(振るわなくなっていく)という世界史的な大きな流れもイジュティハードの門が閉ざされたことに一因があるのかもしれないと思った。


第Ⅲ部はスンニ派以外の考え方についてなのだが、これまでの内容と毛色が変わるのでこの短いページ数では2派の良さが分からなかった。
ここまでの二部を読んでスンニ派の論理性に親近感を覚える私としては、シーア派はだいぶ異端だと感じた。ところどころでコーランの教えを破っているようであり、それを万人が追試験ができない『内面世界』で答えているところがいかにもカルトっぽい。妙な理屈でアリーの一族だけを持ち上げたり、組織化しているのも印象が良くない。(コーランからは逸脱していそうだが)血筋を問わず、人数も限らないスーフィーの方がこの点は潔く見える。歴代の為政者が迫害したくなるのもよくわかる。
スーフィーはスーフィーで「彼らの思想は神の絶対性を否定しているのでは?」という疑問が湧いた。現世が根源的な悪であり神の意志が実現されない場所だと言うなら、「(そんな場所を残して)神は何やってるんだ」となる。「絶望的な世界に捨て置かれている人間は神に見捨てられているのではないのか?スーフィーは無駄な修行などせず自殺でもして現世を去ったらいいのでは?」という極端な結論も考えてしまう。こちらは異端というより邪教であるという感想を強く感じた。
スーフィーに関しては疑問だらけで、読みながら細かい疑問や反論が次々に出てきて共感することはできなかった。
我を消すということは子供も作らないのだろうが(神が人間の子を望むか?)、ならばなぜスーフィーは絶えないのだろうか。
『我こそは神』『自己がそのまま絶対者』という言い方が実に傲慢で、自己を消しきれていないとも感じた。人間が迫れるのは「自我の奥底に座す神を知り、そこに触れた」程度で、どこまで行っても自我を消すことはできない(限りなく漸近することはできてもゼロにはできない)だろう。もし、我と神が同義なら預言者を超えることになるし、それなら人間の肉体はなんなのかということになる。

結局、第Ⅲ部の内容はページ数(= 講演時間、回数)が足りなかったのだろうと思う。駆け足で2派を取り扱ってしまったが、内面世界の概論と、それぞれの派で2〜3部が必要だったのだろう。丁寧な解説があれば印象が変わったかもしれないとは思う。


著者の別著『イスラーム思想史』が面倒(:イスラームの用語がポンポンと出てくるが、巻末に用語集も無いので自作しながら読み進めないと内容についていけない。だが、理解が浅い段階での自作が非常に面倒)で、いつまでも読めないままとなっている。それを補おうとより簡易な本書を購入したのだが、家で両書を並べた際に同じ著者だと気付いて愕然とした。
書店で軽く目を通しているので大丈夫だとは思いながらも「同じような書き口だったらどうしようか」と戸惑いながら本書を読んだが、著者が円熟した頃に書かれた文章(;本書で『若気の気負い』とも述べている『イスラーム思想史』は著者が20代で書いた文章を元に増補したもののようだ)ということもあって、非常に読みやすかった。懸念していたイスラーム特有の用語については、文中の各所で出てくるが、その数は抑えられており、前提となる知識が無くても十分に追っていくことができる。
ページ数も少なく読みやすい、イスラームの考え方を知るための入門書として良い一冊だったと思う(本書の元となる講演から40年以上、もうすぐ半世紀が近づいているなかで、当時と同じように日本人が『あまりにも無関心』なままでいることは著者としては不本意かもしれないが・・)。

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2025年10月06日

Posted by ブクログ

3回の講演をまとめたもの、聴衆が一般人なのと、井筒さんも口語なので、とてもわかりやすい。
岩波の担当者は、おそらく、井筒さんの一番やさしい論考をシリーズの1回目に置きたかったのではないだろうか。
40年前のこの講演の時も現在もイランはシーア派政権だが、シーア派とはコーランに忠実で、それゆえに頑固で西洋的な近代化を拒む宗派であることがこの本でわかる。しかし、井筒さんはシーア派が悪いとは言っていない。逆に、その教説にはイスラム教の情念が宿っていると展開している。
イスラムには僧侶はいなし、お寺もない。政治と宗教が一体化している。輪廻という考えはない、仏教を宗教とはおもえないのでは、などイスラムのなるほどな話題が多い。
井筒シリーズの手引の本としてふさわしい内容だと思う。

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2025年08月18日

Posted by ブクログ

イスラーム文化という壮大なテーマを、わずか1時間×3回に凝縮して語られた講演録である。書籍化するにあたって加筆修正もされているようであるが、もともと話し言葉で語られたものであるだけに、とてもわかりやすく、私は行間からいくつもの絵や図を想起した。

本書では、クルアーンやハディースなど聖典をめぐる問題、神と個人との関係から始まり、シャリーアといった法や倫理をめぐる問題、シーア派とスンニ派、イマームやスーフィズムに至るまで多岐にわたるテーマが出てくるが、それが紀元610年~622年のメッカ期と、622年~ムハンマドが亡くなる632年までのメディナ期という性格の異なる2つの時代にきれいに整理・収斂させてあり、これが分かりやすさを一層促している。他方で、わかりやすいから表面的説明に終始しているかと言えばそうではなく、第2章から第3章、特に第3章の「内面への道」では、イマーム、スーフィーというテーマを扱いながら、イスラームの持つ深い内面世界を端的に解説している。

さて、本書を読んで気になった点を少し残しておこう。

本書では、イスラームには業(カルマ)の概念がなく、輪廻転生を否定していると書かれている。つまり、私たちの生は1回きりであり、それゆえにこの世(今生)での生が重要なのであると。ここを読んだ時、私は「自爆テロ」ということを考えた。輪廻転生は無く、人生はここ1回きりと考えて疑わないムスリムの人々が、体に爆弾を巻きつけ「アッラーフ・アクバル!」と叫んで体当たりをしていく時、頭から灯油をかけて焼身自殺を図る時、彼らは何を思うのか。1回きりの人生と知りながら、それでもなお自爆テロや焼身自殺に走らなければならない、止むに止まれぬ彼らが置かれた状況とはどのようなものか。彼らの心理的状況とはいかなるものか。新聞やテレビに出る小さな記事をそこまで読まなければ、「自爆テロ」というニュースの意味は理解できないだろうと思われた。

本書の最後では、イスラームはアジアの西端を占めるダイナミックな多層文化であり、それこそがまさにイスラームなのだと説かれている。その上で、日本はこれまでイスラームに対してあまりにも冷淡・無関心でありすぎたとして、アジアの東端に位置する国として、イスラームに対する日本的理解の生成を呼びかけている。本書の講演が行われたのは昭和56年春というから既に40年ほど年月が経っており、社会は「グローバル化」という号令とともに、40年前よりはいささか緊密化してきたことは事実であろう。この間、湾岸戦争や9.11、アフガン戦争、イラク戦争、邦人人質事件、パレスチナに対するイスラエルのジェノサイドに対する国際世論の広がり、原油の高騰などがあって、我が国も中東に目を向ける(あるいは目を向けざるを得ない)ようになってきてはいるが、しかし戦争や紛争、物資の供給という点を除いて、文化としてのイスラームを私たちが理解しようとしているか、それが身近になっているかというと、大手を振ってYES!とは言い難いだろう。アジアの東西を占める我ら、と言っても、言葉も違い、文字も違い、文章を書く方向も(アラビア語は右から左へ書くのだ)、人種も民族も、宗教も、食べるものも、これまでの歴史も、物の考え方もあらゆるものが異なるけれど、両者で何らかの文化的プロジェクトが生まれればとっても面白いことになるんじゃないかと思っている。

取り止めのない話になってきたが、イスラームを知りたい人、ちょっと気になっている人には格好の入門書である。またイスラームを知る人も、わかりやすくイスラームを整理し理解するには最適な1冊である。時を経て再読したい。

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2024年08月13日

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予備知識が無かったが読みやすかった。もちろん専門用語は多いし哲学の話も入ってくるが、都度必要なだけ説明があったのが良かった。
『脱常識の社会学』に引き続き、講演を書籍化したものは良著が多いなというイメージ。

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2024年05月08日

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一昔前のビジネスマン?向けの公演の内容ということらしい。
堅苦しさはなく、読みやすい。
一宗教としてでなく、文化そのものを包含し吸収と発展を遂げてきたイスラームと、イスラームを育てた中近東について体系的に知ることができる。
イスラームとはなんぞや、という入門にはうってつけの本と言えるだろう。
詳しいことは他の本を読む必要があるが、読みやすさと幅広さをして良書と言える。

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2022年01月03日

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“言い換えますと、イスラーム法とは、神の意志に基づいて、人間が現世で生きていく上での行動の仕方、人間生活の正しいあり方を残りなく規定する一般規範の体系でありまして、それに正しく従って生きることがすなわち神の地上経綸に人間が参与することであり、それがまた同時に神に対する人間の信仰の具体的表現となるのでありまして、その意味でイスラーム法がすなわち宗教だといわれるのであります。“

例えば日本文化について3つのテーマから述べよ、と言われたら、仏教や神道などの宗教をテーマの一つに選ぶことはあるだろう。
しかし、法について、というのはどうだろう。
ちょっと思いつかない。
漠然とした「文化」なるものをどう切り分けるか、そこに各文化の特色が表れているとしたら、私たちの文化とどう異なっているのか、というのが本書を手に取った動機だった。
テーマは別れているが、副題の「その根底にあるもの」についての切り口が異なるだけで、常にイスラーム文化の核を見定めようとする姿勢は一貫しているのだと読み始めて気がついた。
期待以上の内容。


読書メモ
① 宗教
001 イスラーム文化の国際的性格と複雑な内部構造
002 「砂漠的人間の宗教」という誤解
003 商業専門用語に満ちた聖典
004 商業取引における契約との類似
005 アラブ(スンニー派的イスラーム)とイラン人(シーア派的イスラーム)
006 すべてのイスラーム的なものを集約する聖典『コーラン』
007 イスラーム文化は究極的には『コーラン』の自己展開である
008 『コーラン』と『ハディース』、第一の啓示と第二の啓示
009 『ハディース』というプリズムを介した『コーラン』の解釈の多様化
010 『コーラン』の解釈学的展開こそイスラーム文化の形成史
011 『コーラン』の特徴①神の言葉のみを綴った単一構成の書物
012 その②聖俗不分、「神のものは神のもの、カエサルのものも神のもの」
013 坊主のいない宗教
014 神と人の垂直関係と「預言者」という中間項
015 「イスラーム」=「絶対依嘱」
016 「子もなく親もなく、これとならぶもの絶えてなし」
017 非連続的存在観と原子論的存在論、因果律の存在しない世界

②法と倫理
018 「コーランの歴史」20年、前期メッカ期と後期メディナ期
019 「神の倫理学」
020 メッカ期の不義不正を罰する復讐の神
021 「怖れ」=「信仰」
022 メディナ期の慈悲と恵みの神
023 「感謝」=「信仰」
024 イスラーム教徒、嘘つかない
025 実存的宗教から社会的宗教、個人から共同体へ
026 砂漠的人間の精神(血の連帯感)の廃棄
027 「物を盗んではいけない」は神がそれを悪いことと決定したから
028 「最後の預言者」の死と「ハディース」による補完
029 神の言葉という非合理的な啓示を合理的思惟によって解釈する
030 神の言葉そのものではなく、それを理性によって合理的に解釈したものこそがイスラーム法である
031 我々の法律は普段法の網の中にいることを意識せず、法が出張る事態となって初めてその存在に気がつく
032 イスラーム法は規範として常に意識される
033 自由解釈の禁止
034そしてイジュティハードの門は閉じる

③内面への道
035 二つの「知者」、ウラマーとウラファー
036 ザーヒリー的イスラーム、バーティニー的イスラーム、顕教と密教
037 シャリーアとハキーカ、イスラーム法と内面的実在性
038 二つの「内面への道」
039 シーア派的イスラームと神秘主義的イスラーム(スーフィズム)
040 シーア派のイマーム=内面的預言
041 外的啓示は終わったが、内的啓示は続いている
042 十二代目イマームの蒸発
043 「小さなお隠れ」と「大きなお隠れ」
044 不可視の次元、精神の王国の支配者

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2020年05月26日

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1981年、第2次石油ショック、イラン革命、イラン・イラク戦争の衝撃がおさらないなか、一般の人を対象とした講演を本にしたもの。

といっても時事的な話になるはずもなく、著者は、日本におけるイスラームがほとんど関心外であったことを指摘しつつ、その根源にあるイスラーム教の根本的な構造を明快に説明してくれる。

さすがに当時よりは、現在日本での一般的なイスラーム理解は進んだんだろうと思うのだが、それでも、知らなかったことをたくさんあった。

イスラーム文化というからには、やはりコーランが中心になって、それを絶対的な基準とするというところでの共通性がイスラーム社会にはあるのだが、その解釈の違いなどから、スンニ派とシーア派が分断していく内的な必然性がよくわかる。

それは宗教思想的な対立で、もともとコーランに内在する2つの方向から生じるものではあるのだが、そこにイスラーム教以前のアラブ社会とペルシア社会の文化の違いが影響していそう。

が、著者は、そうした対立まで含めて、ダイナミックな統合がイスラーム文化の特徴というふうに考えているみたい。

本論に入る前に、異文化と遭遇したときの葛藤、そこから争いが生じるとともに、違う文化が統合され、新しい文化が生み出される可能性について話してあって、この辺の議論の先見性はすごいな〜と思う。

個人的には、シーア派、そしてその中の神秘主義的なスーフィズムのあたりが、一番、面白かったな。

その辺が著者の一番の専門分野だと思うので、もうちょっと、その辺を読んでみることにする。

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2019年11月12日

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「イスラーム生誕」に続けて読んだ。これまたおもしろかった!
シャリーアに依拠するスンニー派(アラブ)と、ハキーカに基づくシーア派(イラン)、そしてハキーカそのものから発出する光の照射のうちに成立するスーフィズムの3つについて述べられている。
スンニー派とシーア派の違いについてよくわかった。かたや「外面への道」、かたや「内面への道」というまったく逆の道をたどるのだと。
スンニー派もシーア派も、現世を悪と考えるところまでは同じだが、シーア派は悪いスンニー派のように悪い現世を良くしようとはせず、現世に背を向ける。隠者、世捨て人として長い修行の道を行く。これが自己否定の道であり、これを突き詰めていくと、まるでヒンドゥー教の「解脱」のように、「照明体験」(イシュラーク)に到達し、人間が神になってしまう。
これに対して筆者はこう述べる。
こうしてイスラームにおける「内面への道」はスーフィズムとともについに行き着くところまで行き着いたという感があります。これでもなお、「内面への道」はイスラームなのでありましょうか。(略)これほどまでに純化されたイスラームは、もうイスラーム自身の歴史的形態の否定スレスレのところまできているのであります。(P223)

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2019年10月21日

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◯イスラーム文化を理解するための入門書。
◯大学受験で世界史を選択した者であれば、おおよそ知っている話が多いが、その文化や精神世界を改めて論理的に説明されると、なるほど、理解が深まり、面白い。
◯歴史的なイランとイラクの相克や、トルコやエジプトに関するイスラーム世界での立ち位置なんかも知ることができる。
◯現代の中近東における国際政治の動向を知る上でも、導入書としてオススメの一冊。

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2019年08月18日

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知的好奇心を満たすとてもおもしろい本。
イスラーム文化の精神性、多重性、信仰だけに留まらず、社会規範としての役割など、までもわかりやすく説明されている。手元に置き、線を引いて読み返す。

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2018年10月15日

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1981年に3回にわたって行われた講義を書籍化。メッカ、メディナそれぞれの時代の成立の歴史、メディナ期以降のイスラーム法成立と政治運営の関係、外面的な方向性を持つスンニ派と内面的な方向性を持つシーア派の比較、さらには自己を否定するがゆえに「我=神」の境地となるスーフィズムまで。再読しなくては。

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2017年09月27日

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あまりにも馴染みがなく、理解の手がかりをどこに得るべきかすらわからない、イスラムの文化や考え方。だが、井筒の講演録をベースとしたこの本は、ビジネスパーソンを聴衆として内容が選択され練られたものだけに、とてもわかりやすい。
アッラーは、哲学的、抽象的な「神」だと思い込んでいた。しかし、井筒によれば、人間と絶対超越ではあるが「生ける神、生きた人格神」であるとのこと。

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2018年10月14日

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イスラーム文化を
真にイスラーム的
ならしめているものは何か。
その本質に迫る一冊。

筆者の井筒俊彦は
日本の言語学者、
イスラーム学者、
東洋思想研究者。

本誌は3章で構成される。

第1章 宗教

イスラーム文化の
宗教的根底から始まる。

信仰としてのイスラーム。
その根底にあるのは
聖典「コーラン」。

預言者ムハンマドが神の啓示を受け、
その神の言葉が記録されることによって
成立した一冊の書物。

この「コーラン」をもとにして、
解釈学的展開としてできあがったのが
イスラーム文化。

深く言うと、
聖典解釈学的原理が
大規模に、組織的に、意識的に適用され、
公私にわたる人間生活の内外すべてが
全面的にカバーされているのが、
イスラーム文化だ。

つまり、生活全部が宗教となる。

そして、宗教イスラームは
ユダヤ教とキリスト教による
歪みをもとに戻して、
「アブラハムの宗教」を
根源的、形而上的理念に最も近い
純正な形で立て直そうとするものだった、

それは神は上、人は下。
神は絶対的超越者であるということ。
そして、「コーラン」は
神と人との間をつなぐ
唯一の手段であるということ。

人類創造の初めから、
神は預言者を次々に立ててきた。
その最終点として
預言者ムハンマドが現れたとされる。

イスラームでは
神に対する絶対帰依、
絶対帰属が根源的立場。

そして、イスラームの神アッラーは、
人格性、絶対的唯一性、全能性をもつ。
つまりはキリスト教の
三位一体などは入り込むすきがない。


第2章 法と倫理

「コーラン」は約20年の年月をかけて
少しずつ断片的に
預言者ムハンマドに下った。

この20年は前期と後期に分かれる。

前期は、
一介の商人であったムハンマドが、
西暦610年頃、故郷のメッカで
最初の啓示を受け、
預言者となり、使徒となり、
周囲のアラブたちの猛烈な反対運動に対抗して
わずか数人の同志とともに悪戦苦闘した時期。
これをメッカ期と呼ぶ。

後期は、
西暦622年、ムハンマドが活路を求めて、
ヤスリブ(後のメディナ)に移り住んで、
632年に世を去るまで時期。
これをメディナ期と呼ぶ。

この前期と後期で
イスラームはがらりと性格を変えてしまう。
ここにイスラーム文化の
二つの根源的パターンの萌芽がある。

イスラーム法(シャリーア)は
後期メディナ期の文化である。

イスラームでは、
全知全能の人格神と人間が契約を結ぶ、
それが信仰であり、宗教である。

しかし、この契約が
前期と後期では異なる。
神と契約を結ぶ人間が、
個人であるか共同体であるか、
つまり実存的であるか社会的であるか
という違いが出てくる。

イスラームでは
神が人格的である、
つまりは倫理的な神である。

その特性のひとつに
神の義がある。
イスラームの神は
厳粛な、峻厳な正義の神。
人間が少しでも正義にはずれたことをすれば、
絶対に許さない。
罰を下さずにはおかない怒りの神。
これが前期メッカ期の宗教性を
根本的に性格づける。

これがメッカ期の宗教的世界観、人間観を
暗い雰囲気で包み込む。

人間は放っておけば
いくらでも悪いことをする。
機会さえあれば
すぐにでも罪を犯そうとする。
己のいかに罪深い存在であるかという
痛切な自覚をもたざるをえない。
この罪の自覚から「怖れ」という
実存的態度が生まれる。

イスラームの世界観では、
死の向こう側、現世の彼方には来世がある。
重要なのは、メッカ期では来世である。
終末の日と審判の日に向かう終末論的怖れが
神の倫理に対する人間の倫理となってくる、

メディナ期に入ると、
神が人の目に
慈悲と慈愛、恵みの神として映り始める。
信仰深い人々、善人には、
来世で天国の素晴らしい歓楽を
与えるであろうことを約束する。

メッカ期の怖れに対して、
メディナ期では感謝が象徴される。

メディナ期では
神と人の契約が
ムハンマドと人の第一義的な契約になる。
そして、ムハンマドと契約した人々は
お互い同士が同胞として契約を結ぶ。

つまり、神と倫理的関係に入った
人間同士の人間的倫理学へとなる。

嘘をつかないこと、
慈悲、親切、寛大さ、赦し、
物惜しみしないこと。
およそ神の属性と考えられる性質は
人間の次元で求められてくる。

神と人との縦の結びつきが、
預言者ムハンマドを中心とする
人と人との同胞的結びつき、
純人間的な横の広がりを加え、
イスラームが社会性を帯びて、
ひとつの社会的宗教に転生していく。

イスラームとは、
この共同体的宗教の正式名称なのである。

ムハンマドは
宗教人であると同時に、
急速に膨れ上がっていく
共同体の主権者として
それを制御する政治家になっていく。

はじめは個々の
実存的宗教であったイスラームは、
社会的宗教となり、
社会的、政治的に組織され、
制度化されていく。
そして、完全に制度化され、
ひとつの社会秩序の構造となった時点での
イスラーム共同体の宗教が自己表現した形、
それがイスラーム法である。

このひとつの信仰共同体が出現したことは
アラブの歴史では未曽有の大事件だった。

太古以来、アラビアでは
部族が人間存在そのものの基礎だった。
この砂漠的人間の血の連帯感に、
イスラームは宗教共同体の理念で
真正面から衝突していった。

イスラームは、
血縁関係に基づく部族的連帯感という
社会構成の原理を完全に破棄し、
その代わりに唯一なる神への共通の信仰を、
新しい社会構成の原理として打ち出した。

イスラーム共同体の特徴として、
普遍性、平等性がある。
改宗は要求せず、
ユダヤ教、キリスト教、ゾロアスター教、
その他の宗教集団をを
「啓典の民」として認めた。
この「啓典の民」として認められれば、
イスラーム共同体の内的構成員でありえた。
この「啓典の民」からは
特別の税金が課せられ、
これがイスラームの主たる財源となった。

イスラームでは生まれ変わり、
輪廻転生を否定する。

また、人間は原罪によって
本質的には汚されていない。
現実の人間はたしかに悪に染まり、
堕落して汚れたものであるけれど、
本本質的な汚れではない。
人間の力で直していけるものである。
このような自身、自己肯定的態度が、
メディナ期にはっきり出てくる。
つまりは現世肯定的な世界観が成立していく。

そこには聖俗不分という
イスラームの大原則も出てくる。

イスラームの世界観は
現世と来世という二重構造である。
その二重構造全体が、
神の絶対的管理のもとにある点において
現世が俗で、来世が神聖だというわけではない。

また、現世のなかに
世俗的次元と神聖な次元をも立てない。

だからもし現世が、神の世界として
正しい形で実現していないなら、
正しい形に向かって立て直さなければならない。
その実践的機能を十分に発揮するために
とるに至った具体的形態がイスラーム法だ。

そのためにしっかりした行動の指針が必要だ。
それが、絶対善、相対善、善悪無記、相対悪、絶対悪
という5つである。

イスラーム法は、命令と禁止の体系となる。

イスラーム法が成立したのは、
ムハンマドの没後まもなく。

神の意志の探求から始まり、
神の意志で善悪が決まる。
それは「コーラン」から始まる。

しかし、「コーラン」だけでは
すべての問題を捌ききれない。
そこで補完するものとして
「ハディース」が出てくる。
これはムハンマドの言行録だ。
この「ハディース」で
「コーラン」を幾重にも取り囲んで
「コーラン」「ハディース」を
テクスト解釈して、イスラーム法が成立した。


第3章 内面への道

第2章で見てきた
共同体への道、
すなわち後期メディナ期の宗教社会化を実現し、
イスラーム法まで仕立てた人々は
主流派であるシーア派である。

一方、内面の道を求めた人々がいた。
それはシャリーア(イスラーム法)に対して、
ハキーカ(真理、実態、実相)を追求した人々だ。

これには大きく二つの違った系統がある。
シーア派とスーフィズム(神秘的イスラーム)だ。

シーア派も分岐していて複雑だが、
文化的に一番重要であり、
イランの国教となっているのが、
十二イマーム派だ。

このシーア派はイラン的だ。
現世を、存在の天上的な次元と
あくまで戦うことを本性とする
悪と闇の世界だと、考える。
これは古代イラン、ゾロアスター教の
二元論的世界表象がイスラーム化されている。
この現世において光の国は、
世俗的世界の内面に潜むハキーカだけだ。

そして、「コーラン」から
それを解釈できるのは、
シーア的霊性の最高権威者
イマームだけだとされる。

「十二イマーム派」は
このイマームを
十二人しか認めない。

第十二代イマームは
四~五歳のときに
行方知れずとなる。

これを姿を隠しただけと見る。
「小さなお隠れ」を経て
今は「大きなお隠れ」の状態だとする。

この隠れたイマームは
常に不可視の世界の奧処にあって
シーア的世界を中心として広がる
全可視的世界を支配している。

終末の日に、メシアとして
再びこの世に姿を現してくると
信じられている。

イラン革命後、
国家最高主権者の地位についた
ホメイニー師は、
イマームの代わりに世を治める人である。

イマームはシーア派の根本的特徴だが、
スーフィズムでは
このイマームを一般化し、
ハキーカに精通した人として
人数に限定がないワリ―と呼ぶ。

修行によってはじめてワリ―になれる。
最終的には神との一体化をめざす。

この目的のために、
まず自意識を払拭しなければならない。
我の内面に、我でなく、
溌溂と創造的に働く生けるハキーカを、
つまり神を見出し、神に会わなければならない。
これがスーフィズムの第一段階である。

つまりは内在神である。
これが人格的一神教スーフィズムである。

イスラームにおける「内面への道」は
スーフィズムで行き着くところまで
行き着いた感がある。

スンニー派イスラーム。
シーア派イスラム。
スーフィズム。

これら三つの潮流の
闘争の歴史こそが、
イスラーム文化。

相対立する三つのエネルギーの
間に醸し出される
内的緊張を含んだ
ダイナミックで多層的な文化、
それがイスラーム文化なのだ、
というふうに考えていくべきだ、
と筆者は結んでいる。

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2026年09月06日

Posted by ブクログ

今から40年以上前のものであるため、現代のイスラム世界とは少しずれる部分もあるかもしれないが、総括的に著者がイスラム世界にある歴史的な経緯や思想をまとめてくれているので非常に参考になる。

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2025年12月28日

Posted by ブクログ

イスラーム文化を、真にイスラーム的ならしめているものとは何か。今や世界動向を左右するほどの力を持つこの宗教の根源に、イスラーム研究の第一人者が迫った書籍。

イスラームは、アラビアの商人であった預言者ムハンマドが興した宗教で、商業取引における契約の重要性を意識している。すなわち、イスラームは商売人の宗教といえる。

神の啓示を受けたムハンマドは、その神の言葉を記録した。それが聖典『コーラン』である。ここに書かれた言葉を解釈するのは人間であり、理解の仕方や解釈は人によって様々だ。この自由性が、イスラーム文化の多様性の源となっている。

イスラームという宗教は、聖と俗の領域を区別しない。神聖な領域のみならず、人間の日常生活のあらゆるところにまで、宗教が関わってくる。この点において、教会と世俗国家とを明確に区分するキリスト教とは大いに異なる。

イスラームの神「アッラー」は、キリスト教の神と同じ人格神である。キリスト教では、神と人との間に親子のような親しさがあるが、アッラーと人との間にそうした親密さはない。神は絶対的権力をもつ支配者で、人間はその奴隷である。

イスラームにおいて、宗教と法は密接に結びついている。善悪は神の意志によって決まり、それは法という形で人間に課される。すなわち、人が正しく行動し、生きるためには、『コーラン』を読み、神の意志を知らなければならない。

イスラーム法は、宗教的儀礼の規則や民法、商法、刑法はもちろんのこと、人々が日常生活においてなすべきこと、なさねばならないことまで細かく規定している。信者は、法を意識することなしに、日常生活を送ることができない。

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2021年08月26日

Posted by ブクログ

イスラム教がキリスト教やユダヤ教と同じ神を崇拝していることすら知らなかった私のような無知者でも一通りの知識は得られた(ような気がする)イスラム教の入門書。キリスト教ひとつとってもカトリック、プロテスタント、東方教会、西方教会、ルター派、カルヴァン派など様々な宗派が存在するのと同様に、イスラム教もまた同じ聖典「コーラン」からさまざまな宗派が派生し今日に至るまで闘争し続けている理由がよくわかった。おそらくこの先も統一されることはないだろうということも。

相関図を書かなきゃ分からなくなるくらい複雑ではあるけれども、キーワードが明示されているので整理すれば非常にわかりやすい説明になっている。


文化というものは個人の思考を消し去り、集団を闘争に導くほど強い影響力をもっている。自分の知らない文化を生きる人たちがどういう価値観で行動しているのか。グローバル化が進む中で避けては通れない知識になると思う。

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2020年07月19日

Posted by ブクログ

イスラム研究の碩学による講演録(81年の講演録なので、岩波文庫というより岩波新書か岩波現代文庫のほうが向いてそう)。
アラブをイスラム的たらしめている要素を、宗教、法と倫理、内面への道という3つの視点から解説している。表層的な制度や習慣ではないその背後にある思想やパターンが立体的に描かれていて、とても面白く読めた。著者独特の偏りがあるようなので鵜呑みは禁物っぽいが、ここまで切れ味のよいイスラム関係の本はなかなかないんじゃないか。

しかし、この井筒俊彦って人、Wikipedia読む限り天才どころの話じゃないな。

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2017年08月16日

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