【感想・ネタバレ】イスラーム文化 その根柢にあるもののレビュー

あらすじ

イスラーム文化を真にイスラーム的ならしめているものは何か。――著者はイスラームの宗教について説くことからはじめ、その実現としての法と倫理におよび、さらにそれらを支える基盤の中にいわば顕教的なものと密教的なものとの激しいせめぎ合いを認め、イスラーム文化の根元に迫ろうとする。世界的な権威による第一級の啓蒙書。

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Posted by ブクログ

ネタバレ

これまでに10冊ぐらい読んできた様々なイスラム教/ムスリム文化の解説書の中では一番読みやすかった。文庫サイズでここまで理路整然と論を展開する本に出合えるとは思っていなくて、嬉しい喜び。

アラブのスンニ派とイラン人(ペルシア人)のシーア派は対照的な信仰体系を持ち、内的矛盾を抱えているものの、その矛盾も包括して全てを統一しているのが「コーラン」であること。

コーランは神の言葉であるがそれを解釈するのは人間的な営みであり、どう読むかは個人の自由に任されていること。それによりイスラムの多様性、多層性が生まれていること。

コーランにおいては聖俗の区別はなく、すべての営みがイスラームの範囲に入るため、生活のすべてが宗教になること。そのため、協会と世俗とを切り離すキリスト教とは、ルーツを共有するにも拘らず決して相いれない対立が生じること。

イスラーム発祥の時期のアラビア世界において常識だった「血の共同体」を破壊することによって、単なる「アラブの宗教」だったイスラム教が一般性・普遍性を獲得できたということ。

外面にある共同体を探求する道と内面にある密教的な要素とが混在する中で、外面を探求する側が体制派となり内面的イスラームであるシーア派が迫害に晒され、それが現在も続く禍根となっていること。
こうした、外面を辿る顕教的要素と内面を突き詰める密教的要素とが緊張感をもって混ざり合うことで、多層的な文化を織り成すのが即ちイスラームであること。

ほかにも、書ききれないほど多くの「イスラム教の基礎知識」が解説されています。これまで、いろいろと呼んでみてもイマイチしっくり理解できなかったシーア派とスンニ派の対立の軸や原因が、この本でだいぶ腑に落ちました。
イスラム入門書にもなりえるし、自分のようにいくつか読んでみたら余計わからなくなったという人の論点整理にも使える本だと思います。

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2017年12月29日

Posted by ブクログ

ネタバレ

『後記』にあるが、本書は1981年に著者が行った3回の講演を文字起こししたものにペンを入れたものである。本書冒頭の『はじめに』は講演の導入部であり、本書の構造については触れていないので、読み始めると「口頭発表みたいな口調(の文体)だな」と思うかもしれない。

本書は40年以上前の古いものだが、当時の時流を追う内容ではないため現在でも十分に読む意味はある。私は本書をイスラーム文化を教養程度に知る目的で購入したが、冒頭の『はじめに』を読むだけでそれ以上の価値があったと思うことができた。

『はじめに』では『あかの他人』であるイスラーム文化を知る意味について述べられている。
カール・ポッパー(ポパー)の文明間の邂逅・衝突とそれによる文化的危機により「自身の属する文明をはじめて批判的に見る視座を持つ」ことや「その視座を持つことによって、相手も自己も超えたより高い次元への跳躍も可能になる」という内容からや、あるいは「グローバルでなければいかに自己のルーツを知ったとて死物を抱えているのと異なるところがない」という叱咤からも、縁遠く、とっつきにくいものを深く知ることが大きな創造へとつながることを説いている。
新型コロナウイルスの流行やウクライナ紛争以降、世界の雰囲気は変化してしまったように思う。あちこちで保守、保護主義、自国優先政策が台頭している現在だからこそ異質な文明(これはもっと小さなスケールで”他者”と置き換えても良いと思う)を知ることの意義を訴える本書の序文は心に響くものがあった。
また、この『はじめに』の内容は、こちらからの一方的な学びであっても相手方の文化(本書でいえばイスラーム文化側)にも、「自分たちだけでは決して見ることのできない視点から新たな気づきを得られる」という恩恵があることを示してもいる。これは私が読んできた書籍で意識した「非キリスト教圏から見たヨーロッパ(:日本人がヨーロッパを研究する意味)」や「西洋から見た東洋」という見方にも通じる考え方であった。


第Ⅰ部へ進んで早速びっくりするのはコーランの文言はだいぶ俗物だという点。商業に関する表現が非常に多いようで、イメージしていたものと大きく違った。
他の宗教との違いも所々で示されるが、預言者の存命中に信仰の中心となる聖典を確定しておくことができたことが、イスラームが他と決定的に異なる部分だと感じた。やはり後発は強い。
それでもムハンマドの死後、イスラームは速やかに分派していくのだが、それはムハンマドの後継をめぐる考え方の違いのほかにコーランやハディースの解釈をめぐってでもあった。
この”聖典の解釈が執拗に行われる”ことにはかねてより疑問があったのだが、本書で「聖俗の区別がない」「日常生活の隅々まで宗教が浸透」という、他の宗教との大きな違いを知ることで、生活の変化に対する聖典の解釈の必要性が理解できた。
また、他の宗教を引き合いに出すことで、全く同じ神を信仰するはずのキリスト教やユダヤ教と決して相容れないイスラームの物の見方(立場)というものを理解することができた。穏健派ならば付き合えると思う反面、この違いを絶対に譲らない原理主義者とはわかり合えないことも理解できた。

ところで、(本質とは関係ないが)第Ⅰ部のなかで特別に印象に残っているのが74-77ページの内容で、読みながら「量子重力理論!?」と驚嘆した。時間の存在性や連続性は今でも先端物理のテーマであり、それがイスラームや仏教の話で出てきたことには非常に驚いた。長い時間をかけた哲学的な思索の果てに得た境地と量子論が開いた世界の表皮をめくった先の世界は一致しているのだろうか?


第Ⅱ部は冒頭から第Ⅰ部の続きのような話が続く。イスラーム法の話が出てくるのは145ページからになる。
イスラーム法の細かさを不思議に思っていたのだが、聖俗の区別がないことが生活の上での広範な規定を必要とすること、コーラン(とハディース)からそれを規定するために言葉の解釈が猛烈な発達を見せたこと、がうまく説明されており納得できた。
ところで、神の言葉という「絶対のものに基づく法律」という稀な存在は、科学(;科学も絶対の真理に基づく。そのため理系分野のバックグラウンドを持って法曹界へ入り込むと、心理も含んだ軸のブレに苦しむ場合も多いと聞く)を思わせた。そう考えると、科学はイスラーム法のイジュティハードに相当するものは全く自由である(;事象に対する新しい解釈(とそれを支持する新たな実験・観測)により新たなパラダイムが打ち立てられ、学説の転換が起きることが常にあり得る)ので、逆説的に、イジュティハードが禁じられると発展が停滞することは想像できた。本書には書かれている内容ではないが、オリエントを席巻しヨーロッパにも侵攻したイスラーム勢力が、西欧諸国に科学、哲学を学ばれ、やがて追い越されていく(振るわなくなっていく)という世界史的な大きな流れもイジュティハードの門が閉ざされたことに一因があるのかもしれないと思った。


第Ⅲ部はスンニ派以外の考え方についてなのだが、これまでの内容と毛色が変わるのでこの短いページ数では2派の良さが分からなかった。
ここまでの二部を読んでスンニ派の論理性に親近感を覚える私としては、シーア派はだいぶ異端だと感じた。ところどころでコーランの教えを破っているようであり、それを万人が追試験ができない『内面世界』で答えているところがいかにもカルトっぽい。妙な理屈でアリーの一族だけを持ち上げたり、組織化しているのも印象が良くない。(コーランからは逸脱していそうだが)血筋を問わず、人数も限らないスーフィーの方がこの点は潔く見える。歴代の為政者が迫害したくなるのもよくわかる。
スーフィーはスーフィーで「彼らの思想は神の絶対性を否定しているのでは?」という疑問が湧いた。現世が根源的な悪であり神の意志が実現されない場所だと言うなら、「(そんな場所を残して)神は何やってるんだ」となる。「絶望的な世界に捨て置かれている人間は神に見捨てられているのではないのか?スーフィーは無駄な修行などせず自殺でもして現世を去ったらいいのでは?」という極端な結論も考えてしまう。こちらは異端というより邪教であるという感想を強く感じた。
スーフィーに関しては疑問だらけで、読みながら細かい疑問や反論が次々に出てきて共感することはできなかった。
我を消すということは子供も作らないのだろうが(神が人間の子を望むか?)、ならばなぜスーフィーは絶えないのだろうか。
『我こそは神』『自己がそのまま絶対者』という言い方が実に傲慢で、自己を消しきれていないとも感じた。人間が迫れるのは「自我の奥底に座す神を知り、そこに触れた」程度で、どこまで行っても自我を消すことはできない(限りなく漸近することはできてもゼロにはできない)だろう。もし、我と神が同義なら預言者を超えることになるし、それなら人間の肉体はなんなのかということになる。

結局、第Ⅲ部の内容はページ数(= 講演時間、回数)が足りなかったのだろうと思う。駆け足で2派を取り扱ってしまったが、内面世界の概論と、それぞれの派で2〜3部が必要だったのだろう。丁寧な解説があれば印象が変わったかもしれないとは思う。


著者の別著『イスラーム思想史』が面倒(:イスラームの用語がポンポンと出てくるが、巻末に用語集も無いので自作しながら読み進めないと内容についていけない。だが、理解が浅い段階での自作が非常に面倒)で、いつまでも読めないままとなっている。それを補おうとより簡易な本書を購入したのだが、家で両書を並べた際に同じ著者だと気付いて愕然とした。
書店で軽く目を通しているので大丈夫だとは思いながらも「同じような書き口だったらどうしようか」と戸惑いながら本書を読んだが、著者が円熟した頃に書かれた文章(;本書で『若気の気負い』とも述べている『イスラーム思想史』は著者が20代で書いた文章を元に増補したもののようだ)ということもあって、非常に読みやすかった。懸念していたイスラーム特有の用語については、文中の各所で出てくるが、その数は抑えられており、前提となる知識が無くても十分に追っていくことができる。
ページ数も少なく読みやすい、イスラームの考え方を知るための入門書として良い一冊だったと思う(本書の元となる講演から40年以上、もうすぐ半世紀が近づいているなかで、当時と同じように日本人が『あまりにも無関心』なままでいることは著者としては不本意かもしれないが・・)。

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2025年10月06日

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