井筒俊彦のレビュー一覧

  • イスラーム文化 その根柢にあるもの

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    今年から井筒先生のご著書も読まないとと思っています。まずは、入門編から。講演録ではありますが、イスラームの根底にあるものを、宗教、法と倫理、内面への道(神秘主義)の三つに分けて論じる本格的なイスラーム文化の概説です。

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    2016年10月31日
  • イスラーム文化 その根柢にあるもの

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    イスラーム文化の根底的精神を掘り下げて解説。

    出版年は古いが、古さを感じさせない普遍性を持つ。
    現代のイスラーム情勢を考える上でも必読と言える。

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    2016年10月22日
  • イスラーム文化 その根柢にあるもの

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    イスラムをイスラムたらしめているものを、仏教、キリスト教との比較、日本人の視点から、素人向けに説明。


    20年以上前の本ですが、古さはありません。イスラムについて、正しく知識を吸収しているという、本当によい気分になる本でした。

    これを理解してこそ、いまイスラム世界で起こっている紛争を理解することができると思う。

    ・イスラムは政治・経済・生活のすべてがコーランに帰結する
    ・イスラム世界のすべてが聖であり、聖俗の区別はない。(よって聖職者という人たちも存在しない)
    ・多数派のスンニ派はコーランを外部的に理解する
    ・少数派のシーア派(イラン)は内部的に理解する
    ・中でもスーフィー派、仏教的な思

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    2016年05月16日
  • 意識と本質 精神的東洋を索めて

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    以前読んだ『マホメット』『イスラーム文化』の著者であり、東洋哲学者。また、イスラム研究家でもある井筒俊彦さんを読む。
    他の方のレビューを拝見するととても評価が高くきっと素晴らしい本なんだろうと思い、つい手にとってしまったが、極めて難解である。
    どれ程の知識を持ってすればこの様な本が書けるのか、改めて著者の天才ぶりに脱帽す。
    本質は西洋哲学が有であるなら東洋哲学は無であり、それぞれは背景にある宗教的は排除出来ない。
    p233より、
    「ア」(a-)はサンスクリット語では否定を表わす接頭語である。「非×」、「不×」、「無×」、どんなものをもってきても、「あらず、あらず」とそれは言う。経験的事物、事象

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    2016年02月26日
  • 『コーラン』を読む

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    世界宗教としては一番新しいものであるがゆえに、その時その頃の一神教としては最適化していたがゆえに、思った以上にその在り方が難しく見える。あらためて難しい宗教だなと思った。一神教としてはとても合理的な宗教なのだけど。

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    2016年02月09日
  • 意識と本質 精神的東洋を索めて

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    分厚い氷の上を滑るようだ。
    p41 我々が何故に本質を求めるのか。もの事に同一性を認めることによって、既知とする。これによって、再利用が可能となり、(ある程度の)予知が可能となる。
    p241 「神は世界を創造した」というのは、言語によって世界を表現したという理解でよいのか。世界を記述する表現の無限性、あらゆるものを内包しうる事を神性に喩えるということだろうか。
    前段に、「文字の組合わせ」を変えると世界が変る、とあった。
    「太始に」とは時間的始まりを意味しない。〜どの一点を取って見ても、そこに必ず太始がある、これは道元の世界にも通ずるか。

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    2015年04月09日
  • 意識と本質 精神的東洋を索めて

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    サブタイトルは精神的東洋を索めて。

    その精神的東洋について西洋という対象軸を明示しつつ論じている。今日的な通念=西洋的思考とは違う知の在り方が詳らかにされる。

    東洋を知ることで、私たち日本人がいかに言葉至上主義的なロゴス的な西洋的思考で世の中を見ているかを思い知ることができる。東洋に身を置きながら、東洋的な思考態度を削り取られていることに気づく。もちろん、そのエッセンスは私たちの内奥に伏在している。よくも悪くも借り物のモノサシを当てがわれている。
    イスラームがやはり自分としては興味深い。地球規模で考えるとおよそ4人に1人はムスリムという事実。これが何を意味するか。
    カッバーラーも面白い。

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    2014年12月07日
  • 意識と本質 精神的東洋を索めて

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    東洋と一口に言っても幅広いのに、よくも日本、中国、イスラムと様々な知見を持って語ることができるものだと大変驚かされる。
    読み始めて思ったことは、そもそも今の時代において、物事の本質についてどこまで語る必要があるのかということだ。
    しかし、そのように考えるより様々な文化がどのように本質を考えてきたか知ることができると思うと面白く感じる。
    内容が東洋思想なのに西洋思想をバックに感じる。
    まず、本質はコトバや意識で世界を分節化されているものだという。
    構造論のように捉えているのではないだろうか。
    そして本質が普遍的である場合と、モノに固有である場合とを挙げる。
    普遍論争のようだ。
    本居宣長のもののこ

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    2017年09月15日
  • 意識と本質 精神的東洋を索めて

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    言語の有意味的使用に対して、禅はまっこうから反抗し挑戦するかのごとくに見える(p356)というような箇所に惹かれて読み始め、おかげさまで言葉への信頼回復。脳ミソっていったい何次元なんだ? 大変なインパクトでした。

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    2013年08月22日
  • 意識と本質 精神的東洋を索めて

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    ネタバレ

    『意識と本質』は、人間の意識の仕組みと、その奥に広がる「本質」の世界について、東洋思想の伝統を縦横無尽に駆使しながら探究した、井筒俊彦の驚くべき著作です。確かに、カスタネダがドンファンとの出会いを通じて体験した「別の現実」を、東洋思想の言葉で解き明かそうとしたら、こんな感じになるのかもしれません。
    井筒の議論は、私たちの「普通の」意識が世界をどう切り分けているのかという分析から始まります。例えば、私たちが「これは木だ」と認識するとき、実は無限の可能性の中から特定のパターンを切り取っているんです。井筒はこれを「意味分節」と呼びます。面白いのは、この分け方が文化によって全然違うということ。まるでド

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    2024年11月27日
  • 意識と本質 精神的東洋を索めて

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    東洋・イスラーム学の碩学である故井筒俊彦氏の力作。東洋哲学の認識論をベースにした<共時的構造化>論を展開しています。実は長年の間、読みかけになっているので、いつかは完読したいと思ってるのですが。

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    2012年12月29日
  • 意識と本質 精神的東洋を索めて

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    この本に出逢って、どのくらいの時が過ぎただろう。

    ”写真を撮る”ということが自分の業で、それにはその対象の本質を掴むことが必要であるとの思いから、この本を読み始めた。

    井筒先生のことを司馬遼太郎は、「天才20人」が一人のひとに凝縮されたようなものだと語っている。

    この著作を読み進めるうえでは、少なくとも仏教、イスラム教、朱子学、言語学、現象学、西洋哲学といった思想・思考を知っておいたほうが良い。


    30カ国語ができた井筒先生は、そうした思想を原典で読んでいる。

    おそらく、メルロ=ポンティやハイデガーなどの著作はリアルタイムで読んでいる筈だ。

    基礎的な著作がひどいときには20年遅れで

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    2012年07月14日
  • 意識と本質 精神的東洋を索めて

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    ネタバレ

    いわずと知れた、「超・天才」。

    「二十人ぐらいの天才が一人になっている」とは、司馬遼太郎の評。

    日本におけるイスラーム研究の開拓者として知られるが、その分野は多岐にわたる。

    この本を読んで、タイトル通り、「意識と本質」という、これほど言葉として表現するのに難しいことを、ここまで平易な文章で書き表せることに、驚嘆した。

    一つの疑問を解消したいがために、様々な本を渉猟していたころ、この本に巡り合えたことに、感謝。

    救いの一冊。

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    2011年12月02日
  • 意識と本質 精神的東洋を索めて

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    僕にとっては,とても難解で理解できたとは言いがたいが,もし時間が許すなら,もう一度読んでみたい著作である.
    交通機関の発達,インターネットの普及等々,グローバリゼーションが進展する中,それぞれの国,民族の基底にあるものに意識を向けることは意味のあることに思われる.

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    2011年05月05日
  • 意識と本質 精神的東洋を索めて

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    東洋思想と西洋思想を架橋する試み。至極平易に書かれているが、射程は広く深い。

    注意しなければならないのは、本書において東洋に引き寄せて分析・説明されているハイデガー等の西洋思想を、本書だけで理解した気分に陥ってはならないということである。

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    2010年11月15日
  • 意識と本質 精神的東洋を索めて

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    生きることに疲れたら、自己啓発本を読んで気を紛らわすのも、小説を読んで現実から逃げるのも、マンガを読んで時を遊ばすのもいいだろう。

    だが、本格的に人生の悩みを捨て去りたいのなら、いっそのこと「悟って」しうのもありなんじゃないのか。

    井筒俊彦のこの本は座禅を中心とし、東の洋のを問わずの本質を網羅している。

    そこにあるのは悟りへの道だ。

    井筒の主張では(恐らくは真実だが)この世を分け隔てているのは言葉である。

    言葉を全て捨て去ればこの世は一つである。


    さて、人間の悩みの中に言葉はいくつあるか?
    言葉がなければそれも喪失する。


    座禅の先の悟りがいかなるものかもうお分

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    2010年05月23日
  • 意識と本質 精神的東洋を索めて

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    詩は言葉で出来ているものの、言葉なき世界にその根を下ろしている。
    詩とは何かを問うすべての人にとって、本書は必読の一冊である。
    四元康裕さんより

    雑誌・文藝(2009年冬)のアンケートの答え:藤沢周より

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    2009年10月15日
  • 『コーラン』を読む

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    ネタバレ

    ムスリムが良かった時などにマーシャアッラーと言うのを知っていたが、日常生活においてもアッラーの名前を口にするのが普通で、深い宗教的意義をもたらすため、神の名前を事あるごとに口にするのがイスラム教の特徴らしい。ユダヤ教のヤハウェとは真逆だ。そして、神は絶対的支配者であり、人間は神に従うしもべとして位置づけられるのがイスラーム的な信仰の在り方。普通一神教と聞くと、全知全能で抽象的な神というイメージだが、アッラーはそういう哲学的・形而上学的な神ではない。アッラーは歴史の中でアブラハムやイサクやヤコブと関わった人格神だ。つまり遠い存在、抽象概念としての神ではなく、人間の歴史や生活、行動に直接関わる神で

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    2025年10月05日
  • イスラーム文化 その根柢にあるもの

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    ネタバレ

    『後記』にあるが、本書は1981年に著者が行った3回の講演を文字起こししたものにペンを入れたものである。本書冒頭の『はじめに』は講演の導入部であり、本書の構造については触れていないので、読み始めると「口頭発表みたいな口調(の文体)だな」と思うかもしれない。

    本書は40年以上前の古いものだが、当時の時流を追う内容ではないため現在でも十分に読む意味はある。私は本書をイスラーム文化を教養程度に知る目的で購入したが、冒頭の『はじめに』を読むだけでそれ以上の価値があったと思うことができた。

    『はじめに』では『あかの他人』であるイスラーム文化を知る意味について述べられている。
    カール・ポッパー(ポパー

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    2025年10月06日
  • イスラーム文化 その根柢にあるもの

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    3回の講演をまとめたもの、聴衆が一般人なのと、井筒さんも口語なので、とてもわかりやすい。
    岩波の担当者は、おそらく、井筒さんの一番やさしい論考をシリーズの1回目に置きたかったのではないだろうか。
    40年前のこの講演の時も現在もイランはシーア派政権だが、シーア派とはコーランに忠実で、それゆえに頑固で西洋的な近代化を拒む宗派であることがこの本でわかる。しかし、井筒さんはシーア派が悪いとは言っていない。逆に、その教説にはイスラム教の情念が宿っていると展開している。
    イスラムには僧侶はいなし、お寺もない。政治と宗教が一体化している。輪廻という考えはない、仏教を宗教とはおもえないのでは、などイスラムのな

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    2025年08月18日