【感想・ネタバレ】意識と本質 精神的東洋を索めてのレビュー

あらすじ

東洋哲学の諸伝統の分析から得た根元的思想パターンを己れの身にひきうけて主体化し、その基盤の上に新しい哲学を生み出さなければならない。本書はこうした問題意識を独自の「共時的構造化」の方法によって展開した壮大な哲学的営為であって、その出発点には自分の実存の「根」が東洋にあるという著者の痛切な自覚があった。

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Posted by ブクログ

河合隼雄さんののオススメの一冊なので読むことにしたが、数年来、途中で文章が入ってこなくなり読書が頓挫した、さすがに3度目のチャレンジで挫折したときは自己嫌悪になった。
しかし、読む姿勢を変えて4度目で成功?した。
その姿勢とは、宇宙の法則、つまりは「神の意志」と「人間の理性」の科学的な相関性について説いた「神々の沈黙 ジュリアン・ジェインズ」を事前に読んだからなのだ。実はこの本も河合隼雄さんのオススメ本。
この本のおかげで、「意識と本質」の読者としての立ち位置を変えることができたので、やっと「意識と本質」を最後まで読むことができた。
要は、この本のタイトルは「宗教の解体新書」なのだ。「神はいる」という前提がなければ読み進められない本なのだ。ブルーバックスを読むように理解するのではなく聖書をよむように信じることができなければ、跳ね返されてしまう。

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2025年06月17日

Posted by ブクログ

ネタバレ

帰省時に改めて読み直した。大学入って最初に読んだ本。半年かけて1/3くらいしか読めんくてそこで断念した。
わかりやすいのに、1時間かけて数ページしか読み進められないっていう内容のその密度と伏線の張り具合に対して半年かけて戦ったおかげで、読書へのキャパシティが異常にあがった。そのおかげでそれ以降本読むこと自体のハードルが異様に下がった。
無意識を通した文化、宗教、言語が人の捉え方にどう影響するかっていう内容自体、全て自明のもんだと思ってた自分にとって全て新しくて、それからの人の思考過程に対する興味はこの本が原体験になって派生した。
東洋の思想が豊かだったっていう主張も、西洋が一番かっこいいし進化してるぐらいの知能やった自分にとって、目から鱗やったし、他の文化をもっと知りたいっていう志向性に繋がった。ひいては二元論的なものの見方を避けようと思うようになった。
っていう色んな点で、自分の原体験の一つになってる。読んでよかった本ナンバーワン

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2018年01月01日

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以前読んだ『マホメット』『イスラーム文化』の著者であり、東洋哲学者。また、イスラム研究家でもある井筒俊彦さんを読む。
他の方のレビューを拝見するととても評価が高くきっと素晴らしい本なんだろうと思い、つい手にとってしまったが、極めて難解である。
どれ程の知識を持ってすればこの様な本が書けるのか、改めて著者の天才ぶりに脱帽す。
本質は西洋哲学が有であるなら東洋哲学は無であり、それぞれは背景にある宗教的は排除出来ない。
p233より、
「ア」(a-)はサンスクリット語では否定を表わす接頭語である。「非×」、「不×」、「無×」、どんなものをもってきても、「あらず、あらず」とそれは言う。経験的事物、事象の一切をあますところなく否定する「ア」は、確かに無的、無化的性格をもつ。

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2016年02月26日

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分厚い氷の上を滑るようだ。
p41 我々が何故に本質を求めるのか。もの事に同一性を認めることによって、既知とする。これによって、再利用が可能となり、(ある程度の)予知が可能となる。
p241 「神は世界を創造した」というのは、言語によって世界を表現したという理解でよいのか。世界を記述する表現の無限性、あらゆるものを内包しうる事を神性に喩えるということだろうか。
前段に、「文字の組合わせ」を変えると世界が変る、とあった。
「太始に」とは時間的始まりを意味しない。〜どの一点を取って見ても、そこに必ず太始がある、これは道元の世界にも通ずるか。

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2015年04月09日

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サブタイトルは精神的東洋を索めて。

その精神的東洋について西洋という対象軸を明示しつつ論じている。今日的な通念=西洋的思考とは違う知の在り方が詳らかにされる。

東洋を知ることで、私たち日本人がいかに言葉至上主義的なロゴス的な西洋的思考で世の中を見ているかを思い知ることができる。東洋に身を置きながら、東洋的な思考態度を削り取られていることに気づく。もちろん、そのエッセンスは私たちの内奥に伏在している。よくも悪くも借り物のモノサシを当てがわれている。
イスラームがやはり自分としては興味深い。地球規模で考えるとおよそ4人に1人はムスリムという事実。これが何を意味するか。
カッバーラーも面白い。

西と東を縦横無尽に往来して知の舞台を賑やかに描き出してくれた著者に敬服。
★5つでは足りない。

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2014年12月07日

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東洋と一口に言っても幅広いのに、よくも日本、中国、イスラムと様々な知見を持って語ることができるものだと大変驚かされる。
読み始めて思ったことは、そもそも今の時代において、物事の本質についてどこまで語る必要があるのかということだ。
しかし、そのように考えるより様々な文化がどのように本質を考えてきたか知ることができると思うと面白く感じる。
内容が東洋思想なのに西洋思想をバックに感じる。
まず、本質はコトバや意識で世界を分節化されているものだという。
構造論のように捉えているのではないだろうか。
そして本質が普遍的である場合と、モノに固有である場合とを挙げる。
普遍論争のようだ。
本居宣長のもののこころを知るの説明は、実存は本質に先立つという実存主義のようだ。
そのような西洋と東洋の対比を考えながらじっくりと読み進めることができる。
人間が別の場所べつの時代で考えていること、それはどこかで共通項があり限界もあるのだと思いを馳せた。

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2017年09月15日

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言語の有意味的使用に対して、禅はまっこうから反抗し挑戦するかのごとくに見える(p356)というような箇所に惹かれて読み始め、おかげさまで言葉への信頼回復。脳ミソっていったい何次元なんだ? 大変なインパクトでした。

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2013年08月22日

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ネタバレ

『意識と本質』は、人間の意識の仕組みと、その奥に広がる「本質」の世界について、東洋思想の伝統を縦横無尽に駆使しながら探究した、井筒俊彦の驚くべき著作です。確かに、カスタネダがドンファンとの出会いを通じて体験した「別の現実」を、東洋思想の言葉で解き明かそうとしたら、こんな感じになるのかもしれません。
井筒の議論は、私たちの「普通の」意識が世界をどう切り分けているのかという分析から始まります。例えば、私たちが「これは木だ」と認識するとき、実は無限の可能性の中から特定のパターンを切り取っているんです。井筒はこれを「意味分節」と呼びます。面白いのは、この分け方が文化によって全然違うということ。まるでドンファンが、私たちの「普通の見方」が世界の一つの解釈に過ぎないと指摘したように、井筒も私たちの「当たり前」を揺さぶってきます。
でも本書の本当にすごいところは、その先にある「本質」の世界についての探究です。禅の悟りの体験や、イスラーム神秘主義での神との一体感は、普段の意識の仕切りを超えた「別の現実」との出会いなんです。カスタネダが砂漠でペヨーテと出会って体験した世界の見え方の変容と、東洋の賢者たちが伝えてきた体験には、不思議な共通点があるように感じられます。
井筒は、このような深い洞察を、様々な思想伝統を比較しながら展開していきます。イスラームのスーフィたち、道教の達人たち、禅の達人たち―彼らは違う言葉で語っているけれど、どうやら同じような「現実」を体験していたらしいのです。それは、ドンファンが語る「力の場」や「見ること」という体験と、どこか響き合うものがあります。
本書の面白さは、これらの探究が単なる机上の空論ではなく、人間の意識と存在の本質に迫る実践的な意味を持っている点です。私たちの「普通の意識」がいかに限定的なものか、そしてそれを超えた体験の可能性について、東洋思想の伝統は具体的な道筋を示してくれているのです。
現代を生きる私たちにとって、この本は貴重な道しるべとなるはずです。私たちの「当たり前」の認識を超えた世界の広がりを、東洋思想の言葉で鮮やかに描き出してくれているからです。それは、ドンファンが若きカスタネダに示した「別の現実」への扉を、哲学の言葉で開いてくれる本なのかもしれません。

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2024年11月27日

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東洋・イスラーム学の碩学である故井筒俊彦氏の力作。東洋哲学の認識論をベースにした<共時的構造化>論を展開しています。実は長年の間、読みかけになっているので、いつかは完読したいと思ってるのですが。

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2012年12月29日

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この本に出逢って、どのくらいの時が過ぎただろう。

”写真を撮る”ということが自分の業で、それにはその対象の本質を掴むことが必要であるとの思いから、この本を読み始めた。

井筒先生のことを司馬遼太郎は、「天才20人」が一人のひとに凝縮されたようなものだと語っている。

この著作を読み進めるうえでは、少なくとも仏教、イスラム教、朱子学、言語学、現象学、西洋哲学といった思想・思考を知っておいたほうが良い。


30カ国語ができた井筒先生は、そうした思想を原典で読んでいる。

おそらく、メルロ=ポンティやハイデガーなどの著作はリアルタイムで読んでいる筈だ。

基礎的な著作がひどいときには20年遅れで翻訳・出版されるこの国の文化程度を軽軽と越えていた人だ。

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2012年07月14日

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ネタバレ

いわずと知れた、「超・天才」。

「二十人ぐらいの天才が一人になっている」とは、司馬遼太郎の評。

日本におけるイスラーム研究の開拓者として知られるが、その分野は多岐にわたる。

この本を読んで、タイトル通り、「意識と本質」という、これほど言葉として表現するのに難しいことを、ここまで平易な文章で書き表せることに、驚嘆した。

一つの疑問を解消したいがために、様々な本を渉猟していたころ、この本に巡り合えたことに、感謝。

救いの一冊。

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2011年12月02日

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僕にとっては,とても難解で理解できたとは言いがたいが,もし時間が許すなら,もう一度読んでみたい著作である.
交通機関の発達,インターネットの普及等々,グローバリゼーションが進展する中,それぞれの国,民族の基底にあるものに意識を向けることは意味のあることに思われる.

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2011年05月05日

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東洋思想と西洋思想を架橋する試み。至極平易に書かれているが、射程は広く深い。

注意しなければならないのは、本書において東洋に引き寄せて分析・説明されているハイデガー等の西洋思想を、本書だけで理解した気分に陥ってはならないということである。

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2010年11月15日

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生きることに疲れたら、自己啓発本を読んで気を紛らわすのも、小説を読んで現実から逃げるのも、マンガを読んで時を遊ばすのもいいだろう。

だが、本格的に人生の悩みを捨て去りたいのなら、いっそのこと「悟って」しうのもありなんじゃないのか。

井筒俊彦のこの本は座禅を中心とし、東の洋のを問わずの本質を網羅している。

そこにあるのは悟りへの道だ。

井筒の主張では(恐らくは真実だが)この世を分け隔てているのは言葉である。

言葉を全て捨て去ればこの世は一つである。


さて、人間の悩みの中に言葉はいくつあるか?
言葉がなければそれも喪失する。


座禅の先の悟りがいかなるものかもうお分かりだろう。
根元から悩みを絶ちたい方にお奨めする。

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2010年05月23日

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詩は言葉で出来ているものの、言葉なき世界にその根を下ろしている。
詩とは何かを問うすべての人にとって、本書は必読の一冊である。
四元康裕さんより

雑誌・文藝(2009年冬)のアンケートの答え:藤沢周より

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2009年10月15日

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井筒俊彦の文章が初めてわかりやすく感じて、何が書いてあるのか朧げに浮かび上がってきた。

若松英輔が新聞の文芸欄で井筒の偉業を解説して、柳田國男や折口信夫の巫女や神話の話、言語のもつ霊性、アラヤ識、大乗仏教や空海、禅や無の思想などのことを書いていたのが印象に残っていた。自分の読書体験のなかでも井筒の東洋哲学や思想がいろいろなところで目につき気になって仕方がなかった。そうした経緯で彼の著書『イスラーム思想史』が重要な必読書となっていた。しかし哲学と宗教の専門用語と彼一流の深い表現についていけず何度となく途中で読むのを諦めた。彼の思想は難しくて自分には理解するのは無理だと思い込んでいた。
なのに、古本屋で彼のこの本を見つけ思わず手に取った。潜在的な知りたい思いが相手を呼び込んだような気がする。
結果、この本を読んでもっと難しい専門用語の羅列にもかかわらず、今までの彼の本の難解さが嘘であったかのように内容が理解できた。読んでいて驚きとともに気持ちよく何ともいえない喜びすら感じた。

井筒俊彦は人間存在の本質を宇宙生命の根源にまで突き詰めて解明しようとする。哲学や宗教、言語学や認識論、人類学や社会学などあらゆる知を総動員する作業だ。彼は人間が生きて学ぶ目的とそのための課題と方法を示唆する。
それは自分の濫読による知識の混然への啓示のようであり読書本来の目標や方法が示された気がする。真理への道筋を感受することはこれ程力を呼び起こすということを初めて知った。
読みながら、力が湧いてくる経験をした。
入り口に立てた気がする。

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2024年11月25日

Posted by ブクログ

かなり興味深く面白いものの、井筒さんの知識量と引用範囲が広すぎて、時々著書の趣旨を見失いそうになる。後半の8、9、10あたりはかなり難解だった。

表層意識、深層意識。分節、無分節。などなど難しい言葉が結構出てくるものの、かなり丁寧に反復しながら言葉の説明をしてくれる印象。とにかく東洋思想の意識・本質の捉え方は、極めて多層的で反二元論的であることがわかった。サルトルの嘔吐、荘子の道など、読んでみたい本が多く出てきた。

普段自分がどのようにして事物を捉えているのか。言葉無くしてその物の存在を証明することは可能なのか。その物を表す言葉(名前)は何を持ってそれになるのか。つまり言葉には必ず本質が求められるということなのか。

謎は深まるばかり。

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2023年02月05日

Posted by ブクログ

意識とは何か?を知るに非常に勉強になりました。
著者はイスラム哲学、仏教、禅、老荘思想、儒学、ソクラテス、プラトンのイデア論などのあらゆる角度から意識の本質を説明します。
意識にも表層意識と深層意識があり、著者はこの深層意識に立ち現れてくる存在の実体と表層意識に現れる実体の違いなどを様々な思想をでかがりに、さまざまな角度から物の本質を媒介として意識の本質を説明します。
説明された内容はすでに概念化されているため、この概念化を脱した脱概念のむき出しの実在の本質について解き明かします。なかなか面白く手応えがある読み物ですが意識を知るに大変参考になりました。

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2022年05月14日

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ネタバレ

サルトルは嘔吐で、神降ろしに失敗して、それが"得体のしれない"ものに見えた。悟りや禊を終えてないものが、偶然、原初の存在を見せられるとどうなるかを示している。

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2019年12月19日

Posted by ブクログ

手が届きそうで、そうはいかない。そう易々と分からせてもらえない。なのにあとちょっとで届きそうだから追い求める。また今度リベンジしてやる。

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2009年12月08日

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2025年3月11日、グラビティで京大医学部目指してて京大理学部合格したと報告してる高三の子が投稿してた。試験問題を撮影した画像を載せてたらしく、京大入試問題だったのかな?

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2025年03月12日

Posted by ブクログ

とりあえず、読んでみたで終わる
残念ながらほとんど理解できず、井筒さんの世界観や考え方を勉強してから再チャレンジしてみる

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2024年08月30日

Posted by ブクログ

本質をどう認識するのか(あるいはしないのか)という切り口から東洋哲学を分類し、論じた本。主張の全体像を見失わないようにしながら、かつ詳細をちゃんと理解するのはすごく骨が折れる作業だった。

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2013年06月09日

Posted by ブクログ

 言葉とは、本質とかなにか。哲学的には実に普遍的なテーマだが、それを東洋哲学の視点から語った本は案外貴重だ。とにかくよくもまぁこんだけ幅広くポンポン話が出てくるもので、著者の名を世に知らしめているイスラーム哲学は当然ながら、その出典は世の東西を問わずアリストテレスら西洋古典哲学に、儒学・老荘思想に禅の言語論や仏教的世界観、あげくにカバーラまで登場する。ただ、語られている論点は非常に限定されているし、文章自体は難解でもないので、案外読みやすい。あくまで「東洋思想によってどう語られてきたか」という切り口。それほど身構える必要はなく、場合によっては興味のあるところからじっくり読んでいけばよい。ただその場合、目次・章立てが非常に貧弱なのが難ですが・・・・・・

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2011年08月25日

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