楊双子のレビュー一覧
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鉄道旅行、美食、百合をキーワードにした少女たちの物語。
日本の植民地化にある台湾を舞台に、日本人の女流作家千鶴子と台湾人の千鶴が関係を深めていきます。
台湾の美食、美しい景観はもちろんですが、二人の関係が最も美しいです。支配者、被支配者の関係であるのにもかかわらず、対等だと無神経な発言を繰り返す千鶴子と、柔らかな笑顔の下に頑固で冷ややかな心を隠す千鶴の対照が面白かったです。友達以上の関係性が特別で切なく思いました。
小説内小説では日本も台湾も変わらず封建的な社会で女性の権利が抑圧されていますが、小説内後書き(後世)では女性の社会進出が進んでいることが表現されていて印象的でした。 -
Posted by ブクログ
日本人女性小説家と、本島人の女性通訳が台湾で出会い惹かれていくお話
この本に描かれている台湾を
ただ「台湾っていいところだな」で消費してはいけない気がした
今では当たり前のように語られる
「台湾は親日」という言葉
そこには日本への好意もあるけれど
それを日本人の口から語るのはどこか傲慢さがある
日本と台湾の間に何があったのかを知るなら
台湾を訪れるとき自分が日本人であることに無自覚であってはいけないと思う
自意識過剰なのかもしれない
気にしすぎなのかもしれない
でもそれでもいい
人と人を繋ぐのは気遣いなのだから
文字を通して時を経た愛情が現代まで届いていることがどうしようもなく尊かった -
Posted by ブクログ
日本統治時代(それも日中戦争がすでに始まってかなりひっ迫した状況)の台湾が舞台の歴史百合小説。歴史百合小説!?と思ったが、作者本人が自称しているのでむしろ堂々と掲記させてもらう。これはお腹の空く歴史百合小説である。
作品の舞台は前述の通り日本統治時代の台湾。結婚から逃げる小説家・青山千鶴子が出版社の勧めで台湾に一年ほど滞在することになり、その通訳を務めることになった女性・王千鶴と交流する様を食を題材にして描いていく。奔放ながら良心的で闊達、かつ何よりも「お腹に妖怪が住んでいる」大食らいの千鶴子と、冷静で本心を見せない、そして知識と教養の幅が広すぎて慄くほどの才媛である千鶴の二人のコントラストが鮮やか。二人の小気味よい会話と、(主に千鶴子の)気持ちいいぐらいの食べっぷりで台湾各地の食が食べつくされていくのを楽しむことができる。
ここまで書いた情報だけだとさぞや楽しいグルメ小説と思われるだろう。それは間違いではない。本作は間違いなく台湾美食紀行小説として一級品だし、綿密な資料に基づいた往時の台湾の風俗をがっつり楽しむことができる。
だが、本作が何よりも描いているのは「台湾の歴史そのもの」だ。「日本の植民地とされた」台湾が当時どういう状況にあったか、そして「植民地であった」というのはどういうことか。それをあまりにも残酷に、克明に、私たちの前に突きつけるのである。
正直なところ私は本作を読み始めた時主人公の千鶴子にイラついていた。余りにも無神経で無自覚に傲慢だからだ。『日本が台湾を征服している』ということの加害性、それがもたらした罪過にあまりにも無配慮で、読んでいて怒りを抑えられなくなったのである。
千鶴子は『良い人』だ。内地人への差別意識はなく、千鶴とは屈託なく「友達になりましょう」と語る。出自が特殊なため内地で差別にあった千鶴を守るため「私の連れに何か御用ですか」と堂々と立ち向かい、本島人だからと千鶴がまるで小間使いかの如き扱いを受けそうになったときは「私の正当な通訳者に対してどうして無礼な扱いをするんですか?」と真っ向から反発しその扱いを止めさせる。
観光客向けのいかにもな高級料理には眼もくれず、内地の人間は忌避しがちな現地の郷土料理も積極的に口にし、台湾各地に出向いてはその風土に目を向ける。
顔も知らぬ男の元に嫁ぐことが決まっている千鶴を慮り、「いつかあなたを守る盾になるから」と和服を贈り、自分にあまりにも尽くしてくれる千鶴に報いようと色々な配慮や便宜を行う。
千鶴子は善良だ。当時の内地人としてはかなり平等精神にあふれた人であろう。心根も真っすぐでてらいがない。明るい性格でありながらその実結構な苦労人でもあるが、それをわざとらしくひけらかすこともない。『良い人』と言っていいだろう。事実作中で千鶴もその明るさに惹かれ、徐々に心を開いていっている。
だけど、『だからこそ』むごい。彼女は悪意なしに「植民地である台湾」の立場を考えない言動をする。日本から植え付けられた桜ーー本来の台湾にはないはずの花を見て「美しい桜に罪はない」と恣意的に免罪し、爾来台湾では作られていなかったちくわの製造についての話を聞いて無邪気に「台湾は日本によって磨かれて玉となった」と語る。日本の南進政策を批判しそこに組することを良しとしない立場を取りながら、「不均衡な権力勾配の中で押し付けられ余儀なくされた変容を賛美する」のである。
台湾の人たちが一度でも故郷の景色が変わる事を望んだだろうか。近代化したいなどと言っただろうか。日本からの支配という歪な権力構造の中で、町並みは日本式に帰られ、本土の人間が第一を関する学校に通い、言語を強制され、伝統的な衣服を着るだけで顔を顰められ…。これらの変化はまだいいのかもしれない。そこには簒奪された悲しみをはっきりと誰でも感じ取ることができる。
だが征服者側があっさりと宣うのである。「日本の支配に寄り台湾は近代化した。前より『良くなった』」と。食料供給の増加、交通網の整備、インフラの発達……確かに「よかった」のだろう。一方的に押し付けられ、変化を余儀なくされ、アイデンティティを簒奪されたとしても、「恩恵を受けたのだから感謝しろ」というわけだ。『良くなった』からいいのか。『近代化』したから罪が消えるのか。ましてそれらを征服者の側が、何の悪意もなく口にするのか。余りにも傲慢ではないか。千鶴子の行動は、彼女自身が忌避する帝国の南進政策と同じだけの傲慢がにじみ出てしまっている。
ある種彼女が千鶴に贈った和服すらそうなのだ。「和服は千鶴を守る盾になる」というが、「どうして和服が権威と成りえるのか」という状況を考えるとあまりにもむごい。「征服者の権威」を身にまとうことで自己の身を守れるということだろう。虎の威を借る狐……ではないが、「征服者の権力におもねり庇護を得なければいけない被征服者」としての悲哀を身にまとうのと同じだ。お前は慈悲を乞い施しを受ける側の人間である、とする権力勾配に由来する歪な関係性が、善意の贈り物にすら含意されてしまっている。
イライラした、と言っておいてアレだが、私は千鶴子を責めることはできない。仮に私が当時の日本人だったとしてこの「征服者の無自覚な傲慢」に気づけるか?と言われたら無理だからだ。
現代日本に生きていて植民地という概念を知っており、その産み出した罪過を学ぶ教育の機会に恵まれたからこそ、俯瞰した視点で千鶴子を見た時のその行動の無神経さにようやく気付けたのである。ポストコロニアル思想なんて言葉すらない時代、何ならまだ「植民地=非道な行いである」という意識すらないだろう。
その状況でむしろ千鶴や美島の態度から自己の振る舞いを振り返し、自らの加害性に気づけた千鶴子は素晴らしく聡い。私だったら絶対に「台湾人は薄情」とかいうカスみたいな感想だけ持って帰って日本に帰ってると思うから。自分の悪い所を見つめてしっかり改められる人間がどれだけいるだろうか、と私はこの作品を読みながらしみじみと感じた。
この作品が現代日本に出版された意義を強く感じる。現在、一般的な日本人の台湾に対するイメージは何か。「美食」「親日」「南国」……まあ大体そんなところか。
特に「親日」の部分。「台湾は日本の植民地支配に思う所はあれど、日本の功績を正当に評価して親日でいてくれている。だから私も台湾が好き」的な言説はかなりの頻度で目にする。
だが、本当にその認識だけでいいのか。「植民地時代の日本の功績を正当に評価して」云々だの、植民地支配してた側が無邪気に宣っていていいものではない。
だいたい台湾の人たちの内心が本当にそれだけで済むのだろうか。中国からは統一の圧力を強く感じ、地理的にもそれ以外の諸国との協力関係を結びにくい中で、台湾の人たちは自国の独立を守るために必死で抗っている。小国の生存戦略としての国際協調や外交を選んでいる台湾の人たちの態度は、決して「日本の免罪」を意味するものではない。
「昔の帝国日本がやったことだから関係ない」じゃない。日本に住み日本の住人であることをアイデンティティとして掲げるのであれば、その日本の起こした罪も平等に向き合う義務があるだろう。かつて日本が台湾にしてしまった行いと向き合い、そして今後も彼らと親交を深めたいと思えばこそ、私たちはその歴史についても真正面から学ばなければならないと思う。
本作は「歴史百合小説」である。千鶴子と千鶴の関係性は尊い素晴らしい「百合」であった。彼女たちは時代と立場が違えばそれこそ添い遂げることができたかもしれない。だが、単なる愛だけでは埋められない差というものはある。というより、「どんなに愛や情を持っていたとしても、征服・被征服という関係性はそこに影響せざるを得ない」のである。どんな人間にも生まれがある。どんな人間にも故郷となる土地があり、その土地の歴史があり、背負うアイデンティティがある。絶対に埋められない分断や分かち合えない差というものは厳然として存在し、それ自体が悲劇の温床になることも事実だ。
だが、「それでも」あなたと関わりたい。「その上で」あなたと交流したい。大事なのはその姿勢ではないのか。「立場が違うから分かり合えない」で何もかも遮断するのではなく、「分かり合えない、乗り越えられない差を抱えて、その上で関係を築く」ことが重要なのではないか。作中の千鶴と千鶴子が添い遂げられずとも互いに抱いた愛情が真実であったように、超えられない谷を正しく見つめながらもどうか仲良くしたいと思うことこそが大事なのではないか。グローバル化が叫ばれ事実として世界中が繋がるようになった昨今で、立場も事情も宗教も何もかも違う人々が繋がっていくために必要なのは、「差を理解しながら交流する」この姿勢なのではないか、ということを強く感じた。
訳者あとがきにも書いているが「真の国際交流とは何か」…本作が書きたかったのはこれではないのか、と読み終わってから思う。勿論本作は往時台湾の姿を克明に写した小説であり、「日本統治時代とはなんだったのか」を台湾人自身が問い直すための作品であることは疑いはない。だが、本作はそれに加えて「差を抱えてそれでも関わる事」の意義を問い直すだけの力がある小説だと感じる。日本、台湾、その二国において読まれることに意味がある以上に、世界中どこにでも通じる普遍的なテーマを持った作品であると、私は本作に対して強く感じた。 -
Posted by ブクログ
一気に読んだ。胸が痛い。
千鶴子の、友人になりたいと願った相手を自分の至らなさのために傷つけてしまったというところに感情移入してしまって、洋子のあとがきのエピソードでずっと後悔していたし千鶴のことを気にかけていたとわかってすごく悲しくなってしまった。
千鶴子が千鶴と友人になりたいという気持ちは本気だったんだろうけど、植民地支配される側の意識や感情について無頓着すぎて眉を顰めてしまった。でも内地良家出身のお嬢さんが持つ感覚としてはこんなものだったのかもしれない。千鶴子が己のみで気づくのは難しいことだったのかも。
そもそもお嬢様な千鶴子は人の好意に甘えたり人を使うことに躊躇いがない。上の立場に立つことに慣れていて、そういうところも私から見るとモヤモヤした。もちろん何かをやってもらったら全力で感謝を表す人柄はただ厚かましいだけでない、素直な善性を感じられて千鶴や他の人も絆されたのだとわかる。
10年ほど前に台北市内を旅行した際、地下鉄のホームにて日本語で話しかけてくれた年配の台湾人女性がいた。不慣れそうな日本人旅行者の私に親しみを持って優しく声をかけてくださった。彼女のおかげで私は台湾は親日的で優しい人がいる良い所だと思ったし今日までその良いイメージは保たれている。でも今思うのは楽観的すぎる捉え方だったかもしれないということ。彼女が親切にしてくれて私に旅行を楽しんでと言ってくれたことは間違いない。しかしその背景にある歴史にもっと誠実な態度で向き合うべきタイミングだったのではないかと思い返している。今からでも遅くないと良いのだが。 -
Posted by ブクログ
何よりも出てくる台湾の食べ物が美味しそうで、それをダイエットとか関係なしに食べまくるのがうらやましく、そこに惹きつけられた。台湾行って食べたい。私の実力ではどれくらいのもの見つけて食べられるかわからないが。
百合小説というのは全く馴染みがないが、なんかドキドキしてくるように書かれているのでドキドキした。
そして何よりも植民地の人と宗主国の人との関係。友情は成り立つのか。恋愛は成り立つのか。上下の関係にならないでいることはやはり難しい。男女の恋愛なら、いくつかの小説が思い浮かぶし、それが同性同士でも同じとは思うものの、同性であるからこそ、上下であって欲しくない。これって同性同士を特別視してるってことになるのか。
葉山博子「南洋標本館」を少し思い出しながら読んだ。日本人の作家と台湾の作家が台湾の植民地時代を描くのは気持ち的に違うだろうと思う。どちらも30代くらいの作家が描いているというのがとてもいいなあと思う。
小説を読むとその時代にタイムスリップでき、登場人物と一緒に考え、感じることができる。特に日本人にとっては忘れてはいけない歴史だし、それなのに過去を知らなさすぎると思うので、小説を読んで知り、考えたい。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ掘り起こされた未出のこの台湾旅行記は、当時の日本の領地で出会った日本人と内地人の美しくも脆い記憶であり、未来への約束、そして時を超えて子から成し遂げられた友情の手紙である。
なんて言おうかと思ったら"あとがき"で設定は全て嘘だと。元からその設定を知っていたら⭐️4はつけていたと思いますが、ここまで読んで「嘘だよ!」と言われたら、自分の純粋な心を慰めるために反発してしまうこの行為は、心の弱さと懐の狭さからでしょうか、、?
一部ではこの歴史小説風フィクションで読者を騙すスタイルが、確立された新たなジャンルだとの声があるそうですが、ミステリーとは違うこの騙し方はあんまり気持ちが良くないと思ってしまった。
何れにせよ、台湾特に台中をメインに、当時の日本と台湾の情勢を美しくもギクシャクとした友情で描きながら、鉄道を通してローカルな食べ物を詳細に描くこの作品の細かさは素晴らしいと思います。相当なリサーチを必要としたと思います、拍手です。
このリサーチ量と旅の記録的な描き方はとことん事実と思わせてくれます(チクショー)。
結局ですが完全に騙されたわけですし、子を通して何度もの歴史の転換を経て出版された(フィクション)この旅行記の設定は、物語として良いものであったと思います。
ただ神聖な"あとがき"を汚された感は拭えません。笑
色んな方の意見を後で見てみようと思います。
追記
楊双子さん42歳らしいです。
出版時は30代、この若さだと作品設定の時代とは被っていない人生を送られているはずなので、一層このリサーチ力・量には脱帽です。やっぱりフィクションなの悔しいけど、凄いですわ。⭐️4に変えます!
また、"真のあとがき"にて言及されている主人公2人のモデルについてのお話も非常に面白いです。
諸々含めてこの1冊をまとめ上げたのは素晴らしい功績です。
楊双子さんはこの小説は台湾でいう女同志小説ではなく百合小説と発言しているそうです、この部分のニュアンスの違いや、中国台湾では女同志小説が進んでいると言うことも知れました。台湾文学はまだ日本にない部分で進んだ文学かもしれません。これからも読んでみようと思います。
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Posted by ブクログ
登場人物に嫌な人がいない、読んでいてとても気持ちがいい
全員芯がありつつ迷いもあり、そこがとてもチャーミング
大好きな映画、かもめ食堂を感じた。
謎解き要素あり、なかなかの大掛かりなストーリー
台湾の中の日本や中国文化、歴史との関わりと現代に生きておる女性がどう感じているかが垣間見れてすごく面白かった。
みなさん当たり前の前提としてそれを受け入れて、うまく利用して飄々と生きている感じ。そこに芯を感じた。
大事な時に必ず出てくる料理描写が凄く良い。美味しいものを作り、一緒に食べることで共有して消化して次のステージに行く感じ、女性の生き方として共感できる。
台湾で日本建築を探して美味しいものを食べる旅に行きたくなる。 -
Posted by ブクログ
前半は、主人公・千鶴子のズケズケとした物言いや振る舞いに強い違和感があり、なかなか読み進めることができなかった。
しかし、ふたりの関係に決定的な亀裂が入って以降は一気に引き込まれ、夢中で読み進めた。
物語を通して見えてきたのは、ふたりの関係が本質的には対等ではあり得ないという構造である。
それにもかかわらず、千鶴子の開けっぴろげで率直な性格、そして後半に見せる反省と真っ直ぐな気持ちによって、一瞬ではあっても確かな絆が生まれたことが印象に残った。
前半の読みにくさは、単なる性格の問題ではなく、支配階級に属する者としての無意識の傲慢さが滲んでいたためだと、読み終えてから納得できた。
また、この作品は登場人物だけでなく、自分自身の認識にも揺さぶりをかけてきた。
白色テロの時代との対比などから、日本統治時代について「まだ秩序があった」という一面的な理解に寄りかかっていた自分に気づかされ、その裏で台湾の文化や歴史が踏みにじられていた現実に対して、強い悲しさと苦さを覚えた。
登場人物については、千鶴子のような無遠慮で開かれた態度には苦手意識を持ちつつも、その自由さにはどこか羨ましさも感じる。一方で、王千鶴のように感情を仮面の下に押し込めて生きる在り方は、合理的で賢い選択である反面、あまりにも悲しく過酷に思える。
自分自身もまた、繊細さと鈍感さを併せ持ち、無自覚に踏み込みながら後から気づいて反省するタイプであると感じている。その意味で、この物語は他人事ではなく、自分の在り方への戒めとしても強く響いた。
本作は、無意識の偏見や傲慢さへの警鐘であると同時に、それでもなお人と人との間に一瞬の真実の関係が生まれ得るという希望も描いている。
戒めの書であり、希望の書である。