【感想】
「独裁主義は失敗し、民主主義がかならず勝つ」
天安門事件について論じる書は、いつも同じような結びで終わっている。
しかし、あの事件をそんな単純にカテゴライズしてよいのか?
「民主化を求める学生たちと彼らを鎮圧した政府」という構図だけでは、当時の空気感やデモに至るまでの人々の心理状態を、詳細に論じきることはできない。
筆者は「民主主義vs独裁政権」という画一的な論調を嫌い、天安門事件のOB・OGに当時を語ってもらうべくインタビューを敢行した。そうして編まれたエッセイ集が本作である。
事件の参加者は多種多様であり、お祭り気分で座り込みをする者から、有り金をはたいて学生を支援する者までいた。
彼らに共通していたのは、「民主化」という夢に賭けていたことである。しかし、「運動の意味を正しく理解していたか?」という点ではNOだ。情報統制下にあっては民主運動についての明確な概念を抱けるはずがない。みんなして何となく「現状のどん詰まりを打破するには、独裁主義を壊すしかない」と思っていたにすぎず、論理立ったイデオロギーは存在しなかった。
事件後、参加者の運命は二分される。
1 運動に入れ込みすぎたあまりに共産党から目をつけられ、自由を奪われた者
2 抱えていた不満が経済発展により解消された結果、運動をやめた者
1の立場から語られる天安門事件は、いつもの論調、つまり「民主主義vs独裁政権」による悲惨な結末につながる。中国という国が、過去から変わらず統制を敷いている証拠が浮き彫りにされるだけだ。
筆者が求めていたのは2の立場から語られる天安門事件だ。運動から30年近く経ったのに、民主化の要求が強まらない理由はなぜなのか。単純な「民主主義vs独裁政権」では論じえない中国の複雑さを裏付ける言葉が欲しいのだ。
そしてその言葉は、インタビューのトップバッターである張宝成によって端的に述べられている。
「何より中国は豊かになった。現代中国は昔ほど困窮しておらず、一党主義への不満を持たずにいれば、それなりに人生の幸福を享受して生きていくことも可能になった。裕福が民主化運動の衰退を担ったのだ。」
彼らが抱いていた「独裁主義を壊す」という野望は、「良い暮らしが欲しい」という俗っぽさが変化したものにすぎなかったのだ。そのため、体制に不満を抱いていたほとんどの人間は、その後の目覚ましい経済発展によって溜飲を下げたのである。
となると、中国の経済成長が下り坂になったとき、真の問題が起こるのではないだろうか。
ソ連が五か年計画によって世界恐慌の影響を受けなかったとき、西側諸国は社会主義を肯定的に論じていた。しかし、経済発展が下り坂になるにつれてメッキが剥がれ、急速に社会体制が瓦解していった。
それと同じ現象が、中国にも起こる。天安門事件は過去でもあり未来でもあるのだ。
将来、中国に景気後退局面が訪れたときに何が起こるか。癒着と既得権益、格差が無視できないほど露呈してしまっても、何億人もの人々は黙ったままでいられるのだろうか。
そして1989年と違って、多くの情報が正確に手に入る時代において、共産主義を壊すイデオロギーは本当に生まれないのか?
「天安門事件は再び起こるか」
それは「民主化の是非」という避けられない難題を、一旦保留してしまった中国へ向けられたメッセージである。
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【本書のまとめ】
1 本書の構成について
天安門事件の全体を貫く論調はいつも同じだ。
「民主主義は正しい。ゆえに民主化運動は正しい。それを潰すのは悪いこと」
しかし、正しい民主化運動が悪い武力鎮圧に歯が立たなかった点は仕方ないとしても、何故その後もながらく、民衆のあいだで民主化の要求が強まらないのか。あの渦のなかにいた一般人は事件をどう思っているのか。
60人以上の人間から聞いた六四天安門事件の現場感覚を、一冊の本にまとめた。
2 あの時代に生きた人々へのインタビュー
①張宝成
現代の中国内外で、民主化についての統一した思想は「ない」。
中国の社会で、共産党以外の強い組織を作るだの、イデオロギーを統一するだのは簡単にできることではない。
何より中国は豊かになった。現代中国は昔ほど困窮しておらず、一党主義への不満を持たずにいれば、それなりに人生の幸福を享受して生きていくことも可能になった。裕福が民主化運動の衰退を担ったのだ。
②魏陽樹
みな自分に実感がない社会問題の解決を訴えていた。刺激や娯楽の少ない社会で、体制の圧迫感から解放される非日常を味わう人々がいるだけであり、「もう少しましな世の中にしてほしい」といった程度の現状改善を望んでいた。
しかし、六四天安門事件を境に価値観が変わる。「これから何が起こるかわからない」恐怖が蔓延したのだ。
強大な権力の統治がひとたび緩めば、世の中の一切がめちゃくちゃになる。そうした危険性が中国にあることを再認識した。
「仮に当時の学生が天下を取っていたら、別の独裁政権ができただけだろうと思う」
「体たらくなのは共産党だけじゃない。学生の側だって、いまの人よりずっと視野が狭かった。情報統制のせいで、学生は中途半端にしか情報を仕入れられず、民主主義への薄い理解から、外国=天国だと空想していた。だからあんなことになった。それが天安門の真実だと僕は思うんだよ」
「中国は変わったということなのさ。天安門事件のときにみんなが本当に欲しかったものは、当時の想像をずっと上回るレベルで実現されてしまった。だから、いまの中国では決して学生運動なんか起きない。それが僕の答えだ」
③佐伯加奈子
「あのとき、仮にデモも何も起きなくたって、中国は多分、徐々にいまと似たような社会になっていったと思うんですよ。」
だが仮に、向かっていく未来の方角は一緒にせよ、中国社会の変化はもっと緩やかで、1980年代の純粋でおっとりした部分を残しながら現代につながってゆけたのではないか。
事件後、中国では政治的な議論がタブーになり、デモに共感した人たちの多くは、社会に対して一種のシニシズムやニヒリズムを抱きながら、エネルギーの全てをカネ儲けに注ぐようになった。
こうして、現代まで続く拝金主義ができあがる。当局側も、金を自由に儲けられる社会を「統治の正当性」の根拠に据えるようになったのだ。
④呉凱
「東側の人間は、――たとえ体制を変えたって、もともと西側だった連中からはワンランク下に見られる。一次的な感情に突き動かされて、あとさきを考えずに国家を壊したらどうなるかわかったもんじゃない」
「だから、中国の人民解放軍は、あんな方法を取ってでもデモ隊を止めざるを得なかった。鎮圧は仕方ない。正しいことだったのだと考えるようになったよ」
⑤凌静思
「仮に現在、再びデモが起きたとしても支持する。中国の政治体制の本質的な問題点は天安門事件から変わっていないが、これは変わらなくてはいけない。」
⑥ラウ・シンライ(香港人)
「簡単な話さ。現在の香港における天安門追悼運動に価値があるとすれば、『中国共産党が嫌がる』という一点につきる。香港はこういう主張ができる自由な場所だ、と内外にアピールできる点だけは、有意義な活動だと言えるだろうね」
「天安門事件の当時は、多くの中国人が理想を持つ立派な人たちであるように見えた。だが、中国共産党の洗脳教育と拝金主義によって、いまの中国人はなんら敬意を払うに値しない連中であるというしかないさ。僕は香港人だ。香港人は大陸の中国人とは異なる歴史を持つ民なんだ」
⑦ウアルカイシ
「われわれは何が民主であるのかは知らなかったが、何が民主にあらざるものかは知っていた。すなわち、人民を主役にしない世の中は民主ではないということだ」
●王丹による天安門運動が失敗した要因
・一人一人の参加者が「民主や民主運動についての明確な概念」を欠いていた。その結果、運動方針の混乱が起こった。
・参加者に対するしっかりした指導や、参加者をまとめる指揮系統が存在せず、途中から運動が四分五裂に陥った。
・学生と知識人だけが盛り上がり、一般国民への参加の呼びかけを怠った。
・運動を政治目的達成のための手段として使うという意識が薄かった。交渉の落としどころを準備するという概念がなかった。
3 インタビュイーに共通する性質
一見バラバラの個性を持つ天安門OB・OGたちも、ひとつの最大公約数的な共通点がある。
それは「自分が中国の未来を担って、この国を変えてやるのだ」という妙に気負った感情を、少なくとも1989年の時点では誰もが持っていたように思える点だろう。
だが、今の世代はそういう思いを抱かなくなった。彼らよりも若い中国人が国家に対して取る選択肢は、巨大な体制に積極的に協力するか、もしくは関心を示さずに距離を置くかだ。
それは、過去の学生運動の挫折体験が強すぎるからなのかもしれない。