鴨志田一のレビュー一覧
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私はこの作品がとても感動的でした。咲太の妹・かえでが引きこもりから脱出しようとする姿や、咲太がかえでを支える姿が切なくて涙が出ました。かえでは、2年前にいじめに遭って解離性障害と思春期症候群を発症し、自分の記憶を失ってしまったことが明らかになります。そのため、かえでは自分の本当の名前である花楓という名前を忘れてしまっています。しかし、咲太はかえでを花楓としても受け入れてくれます。かえでは、咲太や麻衣、のどかの協力を得て、「今年の目標」というリストを作り、電話や外出などの練習を始めます。その中で、かえでは自分に自信を持ち始め、学校に行くことも決意します。しかし、学校に行こうとするときに思春期症候群が再発し、かえでは苦しみます。そんなかえでに、咲太は夜の学校に連れて行って「今年の目標」を達成させます。その後、かえでは自分の記憶が戻り、花楓として生きることを選びます。咲太と別れることになったかえでは、咲太に感謝の言葉と笑顔を残して消えていきます。この作品は、引きこもりや不登校などの社会問題や、解離性障害や思春期症候群などの心理的な問題について考えさせられる作品です。かえでや花楓の気持ちや苦悩がリアルに描かれています。また、咲太や麻衣、のどかなどの周囲の人々がかえでや花楓を支える姿も心温まります。特に、咲太とかえでの兄妹愛は素晴らしいです
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思春期症候群という不思議な現象に巻き込まれるヒロインたちと、それを助ける咲太の関係がとても感動的でした。特に、麻衣と咲太のカップルは、お互いに信頼し合っていて、素直に愛情を表現していて、とても微笑ましかったです。麻衣がバニーガールのコスプレをして咲太に会いに行くシーンや、咲太が麻衣のために学校で告白するシーンなどは、胸がキュンとしました。他のヒロインたちも、それぞれに魅力的でした。古賀朋絵は、咲太の幼なじみでありながら、彼のことを想って自分を犠牲にする姿が切なかったです。如月かえでは、咲太の妹でありながら、彼のことを恋愛対象として見てしまう姿が可哀想でした。牧之原翔子は、咲太の先輩でありながら、彼のことをライバルとして認める姿がかっこよかったです。梓川花楓は、咲太の双子の姉でありながら、彼のことを守ろうとする姿が優しかったです。この作品は、思春期症候群というファンタジー要素と、リアルな青春ドラマという対比が魅力的な作品です。ヒロインたちの個性や魅力も豊かで、視聴者や読者の心をつかんで離しません。
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ネタバレ咲太の同級生である広川卯月が主人公です。卯月は、アイドルグループ『スイートバレット』のリーダーであり、天然で明るい性格ですが、周りの空気を読んで自分を抑えるようになってしまいます。それが思春期症候群によって、彼女の外見や性格が変わってしまう原因になります。咲太は卯月の本当の姿や願いを知ろうと努力しますが、卯月自身も自分が何を望んでいるのか分からなくなってしまいます。
私はこの作品を読んで、卯月の葛藤や成長に感動しました。彼女は最初は自分のアイドルとしての仕事や人気に満足していましたが、次第に自分の歌や表現に対する思いや、咲太や仲間たちとの関係に悩むようになりました。特に印象的だったのは、卯月が自分の夢を書き込んだSNSで正夢になるという都市伝説『#夢見る』を利用して、自分が本当に望むことを見つけ出そうとしたことです。卯月は自分の夢や願望を素直に表現することができました。
また、この作品では咲太や桜島麻衣も重要な役割を果たしています。咲太は卯月の思春期症候群に対応しながらも、麻衣との恋愛関係を深めていきます。麻衣は卯月の先輩としても咲太の恋人としても素敵な女性でした。二人は卯月を大切に思いながらも甘やかさず、自分らしく生きるように助けてあげました。二人の関係はとても微笑ましくてキュンとしました。
この作品は、思春期症候群という不思議な要素を使っても、登場人物たちの感情や人間関係をリアルに描いています。それゆえに読者も感情移入しやすく、物語に引き込まれます。私はこの作品を読んで、アイドルや歌手という職業や夢について考えさせられました。また、仲間や恋人との絆の大切さも感じました。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ手短に書くと、いろいろ考えさせられることがあって良かった。面白かった。
以下、取り留めのない雑多な感想。
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これまでの登場人物が一同に集まったかのように話の中に出てきて、何か青ブタの走馬灯のようなお話に感じた。
あとがきを受けて、遠くない未来にこの物語が終わることに対して、寂しさを覚えると共に、物語の完結を見届けられることに対して嬉しさもあり、半々の気分。
完結を前にして、こんなことを書くのもどうかと思うが、終了後10年ぐらいはこの作品の存在は認識されていると思う。20、30年経ってもまぁ認識されているとは思う。
しかし、その存在を認識している人が全くいなくなるぐらいに遠い未来(例えば100年後)になった場合、誰がその存在を証明できるのだろうか。その時点において記録が存在したとしても、AIによるフェイクが自由に作り出せる世の中、より精巧なものが作り出せるようなはるか未来――自分が体験しなかったものは存在しないものと同義になるかもしれない未来――において、過去にこういった作品が存在していたという記録はおろか、作品自体についてももしかすると実在性に疑問が生じてくるのかもしれない。
確かに存在は何時か消える。記憶は上書きされるし、人の認識というものはあやふやでエラーだらけの不正確なものだ。
しかし、存在に影響を受けた者たちはその影響によって思考を変え、また同時に行動を変えることによって影響を受けた人間が周囲に影響を及ぼすことができる。存在そのものではないが、存在の一部分が断片的に受け継がれて行く。
「ありがとう」、「頑張ったね」、「大好き」の三大好きな言葉が、その体験は各人に認識されていなくても継承されているように。
青ブタに限ったことではないが、作品の完結は作品自体の将来・未来に向かうベクトルを失わせるものかもしれない。だけれども、物語に触れることを通して、長く引きずっていたを思春期の悩みに折り合いをつけるなど、作品に影響を受けた私を含めた各人が、青ブタという物語の断片(作中の登場人物のスピリット・精神など)を周囲への影響という形で必ず未来へと伝え届け、その存在を証明し続けるものと信じている。
まあ要は、実体が存在を証明するのではなく、存在に影響を受けたことこそが存在の証明になると思いました。