チャイナ ミエヴィルのレビュー一覧
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人類はは辺境の星で、「アリエカ人」と呼ばれる異星人と共存していた。
彼らの言語は特殊で意思疎通をするための「大使」と呼ばれるクローンを生成し、人類は平和に過ごしていたはずだった。
ところが、新任の「大使」エズ/ラーが登場したことにより、そのバランスが崩れ始める。エズ/ラーの言葉はアリエカ人にとって、麻薬に等しく、エズ/ラーもまたその事を知っていた。
そして徐々に、平和だった星が混乱に巻き込まれていく。
ほぼ逐語しか理解できない「アリエカ人」が暗喩を含んだ言語を獲得していくのはとても感動します。
ただ、理解しやすい話とは言えず、そこに至るまで読み通すのがわりと大変ですが・・・
思考実験としての非常にSFらしいといえば、そうなんだろうか。 -
Posted by ブクログ
帯でなく表紙へ大書されているように
SF関係の賞だけでなく世界幻想文学大賞も受賞している本
中身は解説にもある通りハードボイルド調の警察もので
この前読んだ「愛おしい骨」と同様に
翻訳を透してそれだけで文化の違い(というより日本が島ということか)を
感じる風な小説だが
舞台設定が奇抜でそこがSF側のこれがSFだと推挙するところである
「都市と星」というより「不確定世界の探偵物語」みたいな感じかと読んでいたが
これを書いてしまうと未読のひとにいらぬ先入観を与えそうで嫌だが
書かずにいられないので書くと
「メンインブラック」にしか見えない
一度そう思うとコメディにしか見えない
というわけで読んでいる途中はミステリ→SF?という感じだったが
読み終えた今は
ミステリだろうがハードボイルドだろうがSFだろうがコメディだろうが
なんでも内包する「幻想」「ファンタジー」の懐深さにひれ伏すのみである -
Posted by ブクログ
数々の賞を受賞しカズオ・イシグロも絶賛したという小説。
十何年ぶりに再読した。
ベジェルとウルコーマという壁のない東西ベルリンみたいな話て2つの都市は異なる発展、言語で相互の国民が見ないことによって分断されていて、その境界を乱すものを監視するブリーチという超法規的謎の権力組織がその入り組んで隣接する境界を管理徹底している。
そこに一人の女性の遺体が発見され……
クロスハッチやブリーチなんていう特殊な言葉が普通に使われる。前後の文脈である程度わかるが、この世界の人達にとっては普通なので不都合についての感想は述べるけどその用語の説明はしない。
隣接都市を盲点に追いやり共存するというユニークな設定が事件にもその解決にも複雑に絡んできて面白い。
読み進むにつれてこの特殊な都市設定に慣れていくのも面白い。
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ネタバレ物語の舞台となるのは、ふたつの都市国家。両国の領土は隣り合っているというより、飛び地のように入り混じっている。区画ごとに国が入れ替わるような地域もあれば、公園の真ん中や木立の途中で国境が引かれた地域もある。網目状に入り乱れた国境線には壁はない。しかし両国の住人たちは幼い頃から訓練を受け、たとえそれが目の前にあっても、隣国の情景は意識から追い出すよう求められる。そしてその規則を破ったとき〈ブリーチ〉と呼ばれる組織がどこからともなくやってくる…。
奇抜な着想を、綿密なディテールによって読ませる、ハードボイルド・ミステリーでありSF小説。奇妙な都市と都市との間に、さらにもうひとつの都市が隠されているのでは、という謎が、さらに伝奇的なロマンも感じさせる。訓練された他国・他者への無関心というのは、現代的なテーマとも言えるのかもしれない。 -
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多彩な作風を示すミエヴィル、この『クラーケン』は『アンランダン』に似ている。シュールというよりアブサード。正直、あんまり好きじゃない作風。クラーケン、すなわちダイオウイカの標本が神? アホくさいことを言う。アホくさいことを承知の上で、アホくさいことをアホくさく言うのが、しらけてしまうのだ。アホくさいことに気づかず、アホくさいことをアホくさく言ったり、アホくさいことを承知の上で、アホくさいことを真面目くさって言うのはいいのだが、アホくさいことを承知の上で、アホくさいことをアホくさく言うのは、その内容のアホくささに語りのアホくささが加わって、しらけてしまうしかないではないか。
ミエヴィルはこの作品の前に『言語都市』を書き上げ、『都市と都市』の執筆の合間の気晴らしに,この作品を楽しみながら執筆していたようだが、ひとり悦に入っている感が否めない。
実にいろいろなキャラクターが投入されている。ギャングのボス、タトゥーはある種の拷問として刺青に変えられいて、ある男の背中に掘られてしまったが、そこから指令を発し、昔の部下を集めて、ギャング団を再結成している。彼のもとで働く殺人者、ゴスとサビーが本書における最凶。かつてのロンドンの支配者グリザメンタムは死んだはずだが、生きているらしい、しかも以外なものに姿を変えて。警察のカルト対策班の魔法を操る婦警コリングスウッドとカルト研究家ヴァーディ教授も事件を追う。ゴスに消されてしまったビリーの友人の彼女マージもビリーの居所を探す。
ダイオウイカを手に入れて世界を滅ぼそうとしているのは誰か。最後の最後までわからない。ダイオウイカをあがめる教団にいたデイン、人形ならどこにでも入り込めるワティらとともに、ビリーはダイオウイカを探し出し、世界の終わりを止めようとする。ビリーを助けに来るのは標本を入れる瓶の化け物「記憶のエンジェル」、そして中立を保っていたはずの〈海〉。
惜しげもなく投入された個性的すぎるキャラクターの中で主人公ビリーは地味もいいところ。そして、話はある種の「セカイ系」になり、そのときビリーの職業がものをいうのだが。 -
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「クラーケン」ですよ、海洋冒険SFでしょ、ふつう。オールド・ファンならジョン・ウィンダムを思い浮かべるかもしれません。
ウィンダムのを星新一は「海竜」と訳したけど、クラーケンは本書の場合、ダイオウイカです。NHKが撮影に成功する前にも、ダイオウイカは存在し、その標本はあったわけで、本書はNHKのダイオウイカ・ブームとも関係ありません。
ダイオウイカの標本はとあるロンドンの自然史博物館の呼び物です。ダイオウイカの標本作製を担当した学芸員のビリー・ハロウが主人公です。ある日、ビリーが見学者たちを案内していると、あの巨大なダイオウイカの標本が消えていた。というのが発端。
奇妙な警察官がやってきて、ビリーの取り調べをするあたりから、なにやら不条理劇のような怪しい雰囲気が漂ってきます。
ジャンル横断的というかジャンル混淆的なのがミエヴィルじゃねえか。ハヤカワ文庫の「SF」に収録されているからといってSFと思ったら大間違いだ。遠い惑星の話ということでは、自然科学的スペキュレーションに基づく設定の『言語都市』だって、主たるテーマは言語論的スペキュレーションだぜ。『都市と都市』はまったくもって社会学的スペキュレーションで組み立てられている。『ペルディード・ストリート・ステーション』はSFだか、魔法ファンタジーだか、異世界ものだか、何だかわらかねえ。
では『クラーケン』は何かというと、『アンランダン』に近い手応えである。つまり、『ペルディード・ストリート・ステーション』は異星のあり得ない都市を五感を伴ってそこに存在させてしまう小説だった。『クラーケン』はといえば、現に存在しているロンドンという都市をあり得ないものに変えてしまうのである。裏ロンドンがある『アンランダン』のように、本書のロンドンにも裏の組織やら怪しい登場人物たちがうじゃうじゃと湧いてくるのだ。
誰が、何のために、ダイオウイカを盗んだのかは謎だけど、しかし、どうやらダイオウイカは神らしいんだよね。少なくともダイオウイカを神とあがめる宗教集団なんてのが出てくる。そして、世界の終わりもかかわっているらしい。
ダイオウイカの関係者ということでビリーは命を狙われたり、保護されたりするのだけれど、流されているばかりで主体性がないんだ。そうこうするうちに、警察の原理主義者およびセクト関連犯罪捜査班、喋るタトゥー、得体の知れない殺人者親子ゴスとサビー、日本の折り紙の技術で何でも小さく畳んでしまう収縮術師、エジプト時代に死者とともに埋葬された奴隷像が反乱を起こして現在に至るワティ、使い魔のストライキ、イカれたものがたくさん出てきて、おもちゃ箱をひっくり返したようになるんだな。
たぶんビリーは何か重要なことを知らず知らず知っているのか、特殊な能力を持っているのだけど、まだ上巻ではそれはわからないんだ。 -
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『ペルディード・ストリート・ステーション』を読み終えて、私はミエヴィル中毒になった。これはミエヴィルの短編集。『ペルディード』ふたたび、と思っていると、やはりちょっと違う。彼はホラーとかウィアードの作家ということになっており、そういう掌編が並ぶ。マンガも。
何だかダメになったロンドンでジェイクと別れた話。建物の基礎の声を聴く男。デパートのボールルームの怪異。魔法使いの使ったスプラッタな使い魔の行状。ある言葉を聞くと脳の一部が蠕虫状になって脳を食い荒らしてしまう病気についての医学事典の記載。クリスマスのあらゆる細部が商標登録されてしまったロンドンのお祭り騒ぎ。外界の線が相貌になって迫ってくることから逃れようとする老婆。などなど。
いずれも奇妙な話だが、現実世界に悪魔が登場するような類のホラーではない。森永のコマーシャルに「誰もいないと思っていても、どこかで、どこかでエンゼルが」という歌があったが、これ、改めて考えてみるととても不気味な歌であって、ミエヴィルの不気味さも日常に天使が浸透してくるような不気味さである。福山庸治の『臥夢螺館』というマンガを思い出した。そういえば『ペルディード』もそんな天使(?)が解き放たれたことで話が進んでいく。
そしてオチがないのも特徴。
『ペルディード』の終盤にかけて、苦しい戦いを強いられる主人公たちが見守るなか、突然、敵方の中に現れて、彼らと言葉を交わすこともなく、何だか解らないが手助けしてくれる「お祈りジャック」。曲者揃いの『ペルディード』の登場人物の中でも最高にファンキーな彼を扱った「ジャック」だけが、ニュー・クロヴゾンを舞台にした作品だ。
最後に「鏡」という中編が収められている。鏡の向こう側で長年、人間のまねを強いられてきた存在が、自由を求めてこっちに飛び出してきて崩壊したロンドン。どうやら「ジェイクをさがして」と同じ舞台らしい。
この不気味な手応え。
しかしやはり長編が読みたいと思ってしまったことも事実。 -
Posted by ブクログ
我ながら500pよく読んだ。
この本は読む人の想像力が問われるかも知れない。同じ空間に2つの都市、がお互いに目を合わさない事で成立しているという設定は面白い。映像的でもある。自国でないものにはフォーカスが合わずに、ぼやっとブラーがかかるイメージ。
分かりづらいていう人もいるけど、常日頃見て見ぬふりってしてるし、今の時代隣人をあまり知らなかったりするし、割とリアリティーがあると感じた。
ストーリー自体は、もはや映画化考えてるんじゃないの?と思うほどシンプル。映画の時間にちょうど収まりそう。ラストはもっとどんでん返しがあっても良かったかも。 -
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何だこれはSFなのか?
物理的に重なり合った都市国家??でも異次元で重なり合うとか、パラレルワールドとかSF的な設定はありません。見えているのに見ないようにするぅ???もう想像力の限界です。
日常的には目には写ってはいるけれど見えていないものは多いもので、意識して視ることが重要なんてことは言われますが、意識して見えていないようにするのは、かなり難しいです(歩きながらやってみた)。しかも、国という境界を識別して。隣の建物を見ないとか、倒れている人を障害物として認識するとか・・・眩暈がしてしまいます。ミエヴィル恐るべし。
でも、何故そんな境界を引いているのか?と考えると、もちろん歴史的背景はあるのでしょうが、かえってややこしいのでは?などと、見えないことにまでしている「境界」というものを考えてしまいました。作者は寓話は嫌いだそうですが、読むほうとしてはなんか考えてしまいます。
なんだか今回は「?」が多い感想だったな。