岡本茂樹のレビュー一覧
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Posted by ブクログ
親にとって言うこと聞いていい子にというのは
本当に良い子もいるが、一方でk怒られないように、親に良い子と褒めてもらうために演じて、そのストレスが外に向かうことがあり危険ということ
素直な自分の気持ちや感情が出せる環境、甘えられること、スキンシップ取る、子供らしさ、安心できる環境作りが家庭には必要
嘘はついてもいい
嘘ついて叱るのもよくない
嘘ついたら、我慢してることないか、嫌なことがあったか
嘘の原点を探る
本当のことを言ってもらえるかもしれない
嘘つけないと、おおきな嘘で問題起こすことも
感情を大切に
反抗期は自己表現期であっていいもの
発達の過程
耳を傾け落とし所を見つける
親もつい叱ってしまうが
それは本当に叱らなけばいけないのか
よく考えること
著書にはh実際の犯罪者の家庭環境が語られており興味深い
普段から嬉しいありがとうをいう
子供も、真似する
何かあっても
どんなことがあっても
味方だよと抱きしめる -
匿名
購入済みいい子に育てると犯罪者になりま
毒親育ちなので、いい子に育てると〜と、こちらを読みました。購入前に試し読みで目次まで読めたので助かりました。私も私の子供も犯罪者にはならなかったけど、家庭環境と躾という暴言や暴力についてとても学びになりました。
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匿名
購入済み読んで良かったです
もうすぐ50になり、子供も大きくなってきたけど、読んで良かったです。
私の育った家庭環境は悪く、子供の頃に兄は問題をおこし、私は抑圧。
父親は20年以上前に亡くなり、毒母は今も兄に寄生している。
私は10年以上前に毒母や親戚とも絶縁し、一人で母子家庭をやってきている。毒親関連の本は沢山読み、親を反面教師にしてきたけれど、もっと早く読めば良かったです。
凶悪犯罪者こそ更生します も読みました。
なんとか子供にだけは幸せになってもらいたいので勉強になりました。 -
Posted by ブクログ
人は、自分がされたことを、人にして返すものです。優しくされれば、人に優しくすることができます。冷たくされると、人に冷たくしたくなります。そう考えると、人を傷つける人は、自分自身が傷ついていると理解できます。自分自身が傷ついているから、自分自身を大切にできないのです。自分自身を大切にできないと、当然のことながら、他者も大切にできません。自分自身を大切にできず、自分の「心の痛み」に鈍感になっているから、他者の「心の痛み」にも気づけなくなります。和子が犯罪行為を重ね覚醒剤を使用したことにも罪悪感を抱かなくなっていった背景には、和子の心が長い時間かかって深く傷ついていった過程があるのです。
こうしてみると、2つのケースとも、問題行動が出たときは、反省文を書かせるのではなく、受容的な対応をすれば、その後の子どもの人生は良い方向に向かうことが分かります。だからこそ、繰り返しになりますが、問題行動が出たときは「支援のチャンス」なのです。どこかで誰かが介入して、負の連鎖を断ち切らないといけません。
どうしてこういうことになるのでしょうか。受刑者は、入所したときと出所したときでは考え方が変わっていないと書きましたこのことも問題ですが、さらに注目しないといけないことは、入所しているとき「まじめに務めていること」が受刑者の心に重大な影響を与えているのです(もちろんまじめにめないで、規則違反を連発し、仮をあきらめている受刑者も少なくありませんが)。まじめにめることは、自分の思いや感情を誰にも言わないで、抑圧することになります。それが長く続けば続くほど、抑圧は大きなものとなります。そうすると、彼らは抑圧している分だけ「パワーアップ」して出所していくと言うこともできます。出所した受刑者が大きな犯罪を起こす場合はこれに当てはまることが多いと思います。
また、刑務官の評価を気にするだけでなく他の受刑者に心を開かない状態が続けば、社会に出ても常に他者の目を気にする人間になります。そうした態度は、容易に人間不信となり、人とうまく付き合って生きていく意欲を奪います。結果として、元受刑者は、社会で良好な人間関係をつくれず孤立してしまい、仕事を得たとしても、すぐに人間関係でつまずき、せっかく手にした職さえも辞めてしまいます。何十年も受刑生活をまじめに務めて、「二度と刑務所には戻ってこない」と固く誓った元受刑者が、金に困ってパンを1個盗み、刑務所に舞い戻ってくるという「悲劇」が現実に起きています。刑務所が「福祉の最後の受け皿」と揶揄されるのは、こうした問題が背景にあるのです。
…なぜ受刑者は殺人など重大な事件を起こせるのでしょうか。殺人という行為は、言いかえれば、「他者を極めて大切にできない気持ちがあるからできること」と言えます。ではなぜ他者を大切にできないのか。それは自分自身を大切にできなくなっているからです。自分を大切にできない人間は他者を大切にすることなどできません。逆に言えば、自分を大切にできるからこそ、他者を大切にできるのです。
次に考えないといけないことは、なぜ自分を大切にできなくなっているかという点です。自分を大切にできない理由は、自分自身が傷ついているからです。自分が傷ついていることに鈍感になっている場合もあります。自分の傷つきに麻痺していると考えてもいいでしょう。いずれにしても自分自身が傷ついているから、他者を傷つけられるのです。自分の心の傷に気づいていない受刑者が被害者の心の痛みなど理解できるはずがありません。彼らが被害者の心の痛みを理解するためには、自分自身がいかに傷ついていたのかを理解することが不可欠です。それが実感を伴って分かったとき、受刑者の心に自分が殺めてしまった相手の心情が自然と湧きあがってくるのです。そして、そのときこそはじめて真の反省への道を歩み出せるのです。幼少期に虐待を受けていた受刑者が私に言ったことがあります。「私は父親に殴られて育った。だから痛みには強いんですよ」と。私は「痛みに強いのではなくて、痛みに鈍感になっているのですよ」と返しました。受刑者はハッとしました。自分の痛みに鈍感になっている人間に、被害者の心の痛みを理解させることなどできません。自分の心の痛みを理解しそれを吐き出して、はじめて被害者の心の痛みが心から理解できるようになってくるのです。その逆はあり得ません。
だから、受刑者の話をさかのぼって聞いていくことが必要なのです。どの時点で、受 刑者は寂しさや悲しみを持つようになったのか。 また、そうした感情をどのようにして 閉じ込めたのかをみていかないといけないのです。その作業は、過去を振り返ることに なるので、受刑者にとってはとても辛いものとなります。しかし本当に更生するためには避けて通れない道なのです。険しい道だけに、1人で歩いていくことはできません。支援者が寄り添うことによって、はじめて受刑者は過去の自分の心の傷に向き合えるのです。自分の心のなかにあった否定的感情を吐き出し、それを支援者に受け止められることによって、受刑者は、心の傷が癒され「大切にされる体験」をします。「大切にされた経験」に乏しかった受刑者が、支援者によって大切にされることによって、罪と向き合えるのです。したがって、支援者の存在は不可欠です。自分1人で過去の心の痛みに向き合うことはできません。
問題行動が起きたとき、その直後に反省させることがいかにダメなことか。真の反省は、自分の心のなかにつまっていた寂しさ、悲しみ、苦しみといった感情を吐き出せると自然と心のなかから芽生えてくるものです。自分の心の痛みを全部吐き出せた後に書けた反省文こそ、けっして表面的ではない、心の奥底から自然と湧きでてきた謝罪の言葉です。非行少年であれ受刑者であれ、問題行動を起こした者に対して支援するのであれば、反省をさせるのではなく、なぜ犯罪を起こすに至ったのかを探究していく姿勢で臨むことが、結果として彼らに真の立ち直りを促すのです。
受刑者にとって、出所後に絶対にあってはならないことは再犯です。再犯しないためには、「二度と事件を起こしません」と固い決意をすることよりも固い決意も必要ですが、何より人に頼って生きていく生き方を身に付けることです。そのことだけでも理解できたら、再犯しない可能性が高まります。
人に頼って生きていくことができれば、彼らは「人」の存在の重要性に気づくことが期待できます。そのとき、自分が殺害した被害者の「命の重み」にも思いが至ります。自分の生き方の問題に気づき、人に頼ることの大切さを実感できた受刑者は、出所後に自然と罪の意識が深まっていくのです。そして、真の「更生」への道は、刑務所内での刑務作業をりっぱに務めることではなく(社会的な罰を受ける意味では刑務作業は必要ですが)、出所後に待ち受けているのです。
本章では、これまで受刑者の問題を取り上げてきましたが、受刑者の問題は普通に社会で暮らしている私たちの内面の問題とけっして無縁ではありません。すでに述べてきたように、受刑者は抑圧し我慢を繰り返し、最後に爆発しているのです。私たちは、爆発とまではいかなくとも、抑圧し我慢をする生き方をしていないでしょうか。少なくとも、「我慢すること」がいいことと思い込んでいないでしょうか。「1人で何でもやり抜くこと」が絶対に正しいと考えていないでしょうか。実は、当たり前だと思い込んでいる価値観が、私たちに生き辛さをもたらしている場合があるのです。
確かに「我慢できること」「1人で頑張ること」「弱音を吐かないこと」「人に迷惑をかけないこと」といった価値観は、社会生活を送るうえでは必要なことです。ほとんどの者は、これらの価値観を何の疑いもなく「正しいもの」と受け入れているのではないでしょうか。
しかしこれらの価値観は、子どもに大人にとっても)生き辛さを与える側面があることに気づいている人は少ないでしょう。「我慢できること」は、見方を変えれば、「自分の気持ちを出させないこと」になります。そうするとストレスがたまっていき、爆発(犯罪か心の病気を引き起こすことになります。
また、我慢をすることは、「人に頼らない態度」を身に付けることになり、他者との間に良い人間関係を築けなくなります。人に頼らないということは、「1人で頑張ること」「弱音を吐かないこと」「人に迷惑をかけないこと」という考え方に通じます。人に頼らないで弱音を吐かず1人で頑張ることを人は賞賛しがちですが、実は犯罪者のなかには人に頼らない生き方をしてきた結果、自分に無理をして強がって犯罪を起こした者が多くいます。本当は寂しくて苦しいのに、それを言うと「恥ずかしい」とか「格好悪い」と考えて、逆に強がって生きてきたのです。犯罪者になる人は、強い自分を見せることで、人に承認されていると考えます。したがって、弱い自分を出すことは「絶対に許されない」と思い込んでいます。そして、弱い自分を出すことで、人が離れていくと考えています。彼らの心の奥底には、人が自分から離れていくという恐怖感が常にあるのです。孤独になること、言いかえれば、愛されなくなることを最も恐れるのです。こうしてみると、犯罪者が抱く価値観は、それらが生まれる背景や表現の仕方こそ違えども、私たちが抱いている価値観と大差ないと言えます。
人は皆、弱い生き物です。だからこそ、人は人に頼って生きていかないといけません。しかし、素直に自分の気持ちを表現することが不得手な人は、人に頼ることが苦手となります。そして、人は人に頼れなくなると、「モノ」に頼る、すなわち「依存」するようになります。本来なら「人」に頼ると「心」が満たされるので健康的になれるのに、それができないからモノで満たされない部分の「埋め合わせ」をしているのです。ある覚醒剤使用の受刑者が「人は離れていくけど、薬は逃げないですからね」と私に本音を言ったことがあります。人に裏切られた経験を持つ人がよく言う言葉です。
私は、講演会などで子育てに関する話をするとき、「小さい子どもが大人の振る舞いをすることは大変危険です」と言います。そうならないための方法として、「両親が仲良くすること」を一番に挙げます。両親の価値観に多少偏りがあったとしても、仲が良ければ大丈夫です。両親が不仲であると、子どもは「自分が悪い子だから、お父さんとお母さんは仲が悪いんだ。いい子になろう」と考えます。子どもは常に親が気に入る態度を取ろうとして、大人の振る舞いをするのです。家が暗い雰囲気なので、無理して明るくしようとするかもしれません。子どもながらに「大人として」懸命の努力をするのです。その姿を見て、「小さいのに偉いね」と褒めてしまうと、後々に必ず大きな問題が起きます。昨日までまじめだったのに、突然非行に走るケースも珍しくありません。非行や心の病気という形で、一気に爆発する場合もあります。爆発に至らない場合でも深刻な事態を招きます。普通に生活しているようにみえていても、成人になってから本人は大変な生き辛さを感じることになるからです。
どんなに幼くても、子どもは親の態度に敏感に反応するものです。したがって、子どもが大人の振る舞いをしていると感じたときは、なぜそのような態度を取らせているのか、親は我が身の言動を振り返らないといけません。
普通、問題行動を起こした子どもは、叱られるものと思っています。 そこで大人が、「今回、問題を起こしたことは、君がいい方向に向かうためのチャンスとしたい」と伝え、「今回、なぜこのようなことが起きたのか、いっしょに考えよう」と問題行動を起こした背景を子どもといっしょに考える姿勢でいることを伝えます。
家庭と学校とでは、少し言葉がけが違ってくるでしょう。しかし基本的な進め方は同じです。いずれも、叱るという態度ではなく、受容的な態度で臨みます。まずは「日頃から思っていたことを自由に話してくれないか」と切り出してみましょう。
本音を言ってもかまわないという気持ちに子どもがなれば、時間がかかるかもしれませんが、子どもは少しずつ本音を語り始めます。本音を語り出したら、大人はしばらく口をはさむことは控え、子どもの言葉にひたすら耳を傾けます。途中で、子どもが間違った考え方を言ったとしても、それを指摘せずに、子どもの語りをさえぎらないようにしてください。話のなかで、子どもが不満やストレスを話し出せば、それが問題行動を起こした要因と捉えることができるでしょう。親が聞き手であった場合、親自身が否定されるような言葉を聴くことになって、耳の痛い思いをするかもしれませんが、親も自分の気づいていなかったことを子どもから教えてもらう気持ちになって、子どもの話を最後まで聴いてください。
そして、大人は、子どもが不満やストレスといった否定的なことを話すためには勇気が必要であることを知っておいてください。子どもでなくても、誰もが自分のネガティブな感情を人前で話すことを恥ずかしく思うものです。だからこそ、子どもが本音を言えたら、大人は「よく話してくれたなあ」と子どもが話してくれたことをねぎらいます。「辛い思いをしていたんだな。1人でずっと悩んでいたのではないの?話してくれてありがとう」などと言ってください。親が自分に問題があることに気づいたら、「お父さん(お母さん)にもまずいところがあったんだなあ。ごめんな」と言って素直に謝罪しましょう。本音で話し合えれば、親子関係はぐっと深くなります。問題行動をきっかけに親子関係が好転し、その後は素直に本音を言い合える豊かな関係になります。
また、教師であれば「そんな嫌な気持ちでいたのか。それはしんどかっただろう。長い間、誰にも言えなかったのではないかな。話してくれてありがとう」と伝えたいものです。このように共感してもらえると、生徒は教師を信頼するようになり、その後の生徒の人生も変わってきます。生徒は教師を通じて大人という存在を信頼するようになります。子どもが自分の不満やストレスを言語化し、苦しい思いを受け止めてもらうことによって、子どもも問題行動の過ちに自ら気づくことができます。
子どもが本音を話しているときに、絶対に言ってはいけないことがあります。正論です。「お前の考えは間違っている」「未成年なのにタバコを吸うことは許されない。身体にも悪い」や「このままだと、いい学校に行けなくなる」などといった説論です。大人の言っていることは間違っていません。間違っていないからこそ、子どもは何も言い返せなくなるのです。そうすると、子どもはようやく開きかけた心を再び閉ざします。子どもは本音を話したことを後悔し、結局反省の言葉を引き出すパターンに陥ってしまいます。下手をすると、それ以降、子どもは親や大人に対して「絶対に本当のことは言わない!」と心のなかで決意し、二度と本音を話さなくなるかもしれません。あるいは、面従腹背の態度になるかもしれません。表面上はまじめな態度を取りながら、心のなかで舌を出しているのです。こうなると最悪です。ピンチがチャンスとはならず、さらなるピンチを招き、それが爆発(非行や犯罪)へと向かう出発点となります。
正論を言えば、親が勝って子どもが負けるという構図に必ずなります。結果として残るのは、親子関係の悪化です。正論は、相手の心を閉ざす「言葉の凶器」と考えてもいいでしょう。親と子どもの関係にとどまらず、あらゆる人間関係において、正論を言うことは相手との関係を悪くする可能性があることを理解しておきたいものです。 -
Posted by ブクログ
■内観療法とは過去の自分自身と関係の深かった人物(母親、父親が中心になる)に関して「お世話になったこと」
して返したこと」「迷惑をかけたこと」の三つを考えさせて(内観させて)「こんなにも多くの迷惑をかけてきた私が見捨てられることもなく今もなお生かされている。だから感謝しなければならない」という気持ちにさせるもの。
内観療法の問題点は「迷惑をかけたこと」に重点を置いていること。これだと「迷惑をかけた→自分が悪かった」という反省させるパターンになる。「迷惑をかけたこと」を考えさせるなら「迷惑をかけられたこと」も考えさせないとバランスが悪い。
■心の傷は身体の傷と同じで外に出さない限り消えることはない。
■ストレスを生み出す20の価値観
①「しっかりしなければいけない」という気持ちが強い
⓶「(親や周りの人に)迷惑をかけてはいけない」と思う気持ちが強い
③「(親や周りの人の)期待に応えないといけない」と思う気持ちが強い
④「我慢することが大切である」と思っている
⑤自分の素直な気持ち(「うれしい」「悲しい」「つらい」など)をなかなか出さない方である
⑥嫌なことがあったり辛いことがあったりしても、そのことを人にはなかなか見せない方である
⑦人前では「暗い面を見せてはいけない」と思い明るく振舞ってしまうことが多い
⑧「弱いことは情けない」とか「弱いことはいけない」とか思っている
⑨泣くことは恥ずかしいことだと思っている
⑩人にはなかなか甘えない方である
⑪「わがままやジコチュウであることはいけない」と思っている
⑫子供っぽい面は出してはいけないと思っている
⑬「男(女)は男(女)らしくしなければいけない」という気持ちが強い
⑭お金の面で裕福になることが人生で成功することだと思っている
⑮完璧さを求めてしまうところがある
⑯ミスや失敗をしてはいけないという気持ちが強い
⑰「白」か「黒」かをはっきりさせないと気が済まない
⑱「勝つこと」に対してのこだわりや執着心が強い
⑲他の人から自分に対して何かされたときに「自分のことを拒否された」とか「自分を悪く思われた」と受け止めてしまいやすい面がある
⑳「悪いことは許さない」という気持ちが強い
これは私たちが生まれながらに持っている価値観ではない。誰か(特に親)から「もらったもの」か周囲の環境に影響される中で形成されたもの。
■愚痴を言うことは自分自身が「子供の心」になって心を開いていること。人間関係は「子供の心」を持たないとうまくいかない。子供の心になるとは「ありのままの自分」になるということ。「ありのままの自分」になれば自分自身を受け入れられる。
■幼少期に子供に身に付けて欲しいことは親に十分に甘えられることに尽きる。
親との関係で甘えることを体験できた人は他者にも甘えられる人になる。他者に甘えられることとは他者から援助をもらって生きる生き方を身に付けること。
他者に甘えられる人になれると他者の「甘え」を受け止められる人になれる。自分の「甘え」を受け止めてもらう体験をしていないと他者の「甘え」を受け止めることができない。
■「困っている人を見たら助けなさい」とよく言われるが「人を助けたい気持ち」とは誰かに教えられて身につくものではなく自分が人に助けられたから自然と人を助けたくなるもの。
「人は自分がされたことを人にして返す」ということを信じて子供に接して欲しい。
■「しつけ」は子供が社会性を身に付けるために必要であるが、子供の自然な欲求を抑える側面がある。自然な欲求を抑えるとどうしても子供の心は歪む。「してはいけない」と言われたら逆にしたくなる。「勉強しなさい」と言われたら逆に勉強する意欲を失う。
■子供が嘘をついたとき一番やってはいけない親の対処法は事実を指摘して「嘘をついてはいけない」と叱ること。
これをすると子供は「ごめんなさい」と謝ることになる。そうして子供も親も子供が嘘をついた理由を考えることなく子供は「謝罪の仕方」を身に付けることになる。それだけではなく、親が「次から絶対に嘘をつくな」と言うことによって親の願いとは裏腹に子供はますます嘘をつく人間になる。しかもバレないように嘘が巧妙になっていく。
■子供の嘘は人生最初の「問題行動」。親が子供の「本音」を知る最初の「チャンス」である。子供の本当の気持ちを知る機会であるのに叱ってしまうと子供の本当の気持ちを知る機会を失う。それどころか子供は「自分は悪い子だ」と自分を責めてしまったり親に心を開かなくなったりするかもしれない。
■子供が問題行動を起こした時の親の対処法は「なぜ」という視点を持つこと。
■人は自分がしてもらったことを自然と人にして返すようになる。 -
Posted by ブクログ
最近自分でたどり着いた結論であった、ネガティブ感情をとことん吐き出すことの重要性について、エビデンスや犯罪者の更生に関わってこられた著者が正しいと証明しれくれたようでとても嬉しい出会いだった。
最近、職場でパワハラとまでは行かないまでも弱いものいじめをする人がいて、その人への対応について頭を悩ませていた。正直周りも傍観者となって誰も助けようとしない状況がいじめのような状態なのだと感じていた。
そんな状況でこの本を読んで、改めて冷静になることができた。いじめる側への怒りが沸騰していて、私自身その人のやった行為の重みを思い知らせて反省させたい衝動に駆られていたが、その人自身の心の本音を聞いた方がより解決に近づくことに気付かされた。
落ち着いたらわかることなのだけれど、ボルテージが上がっている状態であればなかなかそのことに気づかないので、とてもありがたかった。
また、この本で書かれていた、「ありのまま」の自分を曝け出して、甘えられる人を作ることの大切さは、子育てや人材教育全般につながる。〇〇しなければいけないとか、根性で我慢しなければいけないとかそういう考えではなく、もっと自分の弱みを出してもいい。その人の弱みこそがむしろ強みなのだ。
他罰的な人が多い現代、この本を世の中の多くの人に読んでもらいたい。 -
Posted by ブクログ
まえがきからとても興味をひかれ、気がつくと一気に読み切ってしまいました。
第一章は筆者が交通事故を起こしたときのエピソードから始まります。私も経験があるのでそのときの気持ちを思い出し、そうそうと頷きながら読んでしまいました。
「なんてことをしてしまったんだ」「自分はこのあとどうなるのだろう」、という自己保身の気持ちがまず先にきて、落ち着いてからようやく、「申し訳なかった」という謝罪や反省の気持ちが生まれるということ。
これは誰しも心当たりのある感情の推移であると思います。筆者は、問題が起こったあといきなり謝罪や反省を促していくことによって、『本当の』つまり『自分のためではなく相手のことを思った』反省や後悔が促されないと言います。それがタイトルへとつながっていきます。
では、どのように対応していけばよいか。
その問いに対する筆者の答えがこの本に書かれています。
とても分かりやすく書かれており、子どもに対してどのように接していくかの指針になると思います。