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犯罪者に反省させるな──。「そんなバカな」と思うだろう。しかし、犯罪者に即時に「反省」を求めると、彼らは「世間向けの偽善」ばかりを身に付けてしまう。犯罪者を本当に反省に導くのならば、まずは「被害者の心情を考えさせない」「反省は求めない」「加害者の視点で考えさせる」方が、実はずっと効果的なのである。「厳罰主義」の視点では欠落している「不都合な真実」を、更生の現場の豊富な実例とともに語る。
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Posted by ブクログ
教育、子育てに携わる人は必読。 ただ、著者のやり方だと「事情があるなら犯罪や問題行動をしてしまうのは仕方ない」というメタメッセージを与えてしまわないか心配
過激なタイトルですが、内容は受刑者たちと沢山関わってきた筆者の経験を元に書かれており、子育て中の保護者や教職員(特に生徒指導)の方々にはぴったりだと思います。私にとって、これまでの子どもとの関わり方をふり返るきっかけとなり、中には耳が痛いような部分もありました。 特に印象に残ったところは、まずは「加...続きを読む害者の視点」から考えるというところです。加害者を初めから反省させるのでは無く、まずはしっかりと向き合って話を聞くことの大切さを学びました。
我が子がしょうもないウソばっかりつくのでこのままだとオオカミ少年どころか犯罪者になるのでは?と不安に思っていたときにタイトルをみて読もうと思い手にした本。 犯罪者を本当の意味で更生させるには反省をさせてはいけない、という内容。 我が子がウソを言ってると気づいたらすぐに指摘して叱ったり反省を促していた...続きを読むけれど、全然効果がないどころかウソが巧妙になってきてると思ってました!我が子の問題行動は私の幼少期の問題かもしれない?という問題は世代間に引き継がれている構造があるかもしれないと考えさせられます。 子どもは愛情一杯に育ててあげたいと思います。子ども時代を子どもらしく過ごせるように子どもの言い分を聴く、親自身の幼少期を振り返る、抑圧されていた感情を解放することをまず親子でやってみたいと思います。
子育て世代、誰かを指導する立場にある人すべてに読んで欲しい良書でした。 ありのままの自分を愛する大切さ 人に頼ることの大切さ これを実現するためのノウハウを具体例をたくさん挙げ解説しています。 【すぐ取り入れたい事】 ⭐︎子どもの前で夫婦喧嘩をしない ⭐︎自分を受け入れてもらったら「ありがとう...続きを読む、嬉しい」と言葉に出す。当たり前と思うことをやってくれただけでもOK! 例「今日も元気に起きてくれて嬉しい!」 ⭐︎逆に受け入れて貰えなかった時は「悲しい、寂しい」と言う。ブチギレない。 例「一体何回デートに遅刻するんじゃ!このボケカスが‼︎社会人としてあり得んやろ‼︎」ではなく、「デートに遅刻されて悲しいわ。」と言う。 【新しい観点を得た点】 ⭐︎被害者感情をコンコンと伝えたところで心に響かない。→思い返せば道徳の授業、免許更新のビデオで人生変わった!という衝撃を受けたことはない。 ⭐︎負の感情を吐き出し尽くすところが反省への第一歩。他責の感情100%でOK。 ⭐︎なぜ問題行動をしなければならなかったのか、その理由、背景を順々に深掘りする。 ⭐︎自分を受け入れる(認める、愛する)事ができて、初めて他者視点の感情を考え始める事ができる。 【犯罪に焦点をあてて新しい観点を得た点】 ⭐︎罪への罰が量刑なのであり、「反省」したら減刑になるのはおかしい。刑罰は刑罰として受け入れる必要があり、反省とは区別して考える必要がある。 ⭐︎逆説的ではあるが、真に反省し幸せになることが、被害者への罪の意識を更に深めることになる。
感情の抑圧は犯罪につながる可能性がある。 反省は形だけが多いという事実に納得もした。 やはり、自分の心を知ることが大切。 問題行動はチャンスという見方ができる。 必ず問題行動には理由があるから。心の中の問題に気づけるチャンス。 反省させるのではなく、耳を傾けるが重要。 プライドの高い子ほど自分が...続きを読む弱いと感じている部分を言えない。だからこそ言ってくれたときは、そのままを受け止める。 まず最初に反省や罰を与えるのではなく、気持ちに寄り添うことが大切。 犯罪者だけではなく、これはみんなに言えること。 自分の内面と向き合う機会を奪ってはいけない。問題行動こそが、自分の心と向き合うチャンス。 子供に対して、周りの人に迷惑だから、と言って叱るのは考えた方が良い。 なんでもかんでも当てはまるわけではないが、やめてほしい行動の奥には、子供の寂しさやストレスが隠れているかもしれない。 「自分から相手へ」の順番が大切。 自分を丸ごと受け止めてもらえたという実感があって初めて相手へと意識がむかう。 (真の反省はここから) どんな場合でもその時何が言って欲しかったのか?何をして欲しかったのか? を想像して、 言葉や行動で過去の自分ができなかったことを今の自分がリアルに想像してあげることで過去の記憶の書き換えを行う。 そこで悩みを成仏させる。 愛情不足で育った子供は歪んだ価値観を形成し、その歪んだ価値観を疑うことなく、信じて、自分を守るために罪を犯すこともある。 その時は表面的にうまくいっていても、 心の奥底にある感情が満たされない限り、 心から安らげる感覚というのは得られない。 親が問題の場合、今の年老いた、親を想像するのではなく、昔の親、昔の自分を想像する。 「本当はどうして欲しかったのか」と言う問いを頭で想像するだけではなく、紙に書く、相手に言っていることをイメージして、書くことで思いが成仏する。 子供と親でも横のつながりを意識することが大切。 正論は間違っていないからこそ子供は何も言えなくなる。 それが心を閉ざしてしまう原因になる。 親のせいで歪んだ価値観を形成してしまったとしても親を責めるのは違う。 なぜなら親もそう言った価値観を植え付けられて育っているから。 大切なのはそこに気づくことから。そこが初めの一歩になる。 この順番が大切。 親がいいそうなことを想像していってもらい、その後に出た答えに対して、 質問力によって、自己開示の度合いが変わってくる。 質問者のスキルが問われる。 その後、ホントはどうして欲しかったのか?と言う流れまでがセットで、大切な向き合い方。 問題行動があった時、本人に「今回のことを良い機会にしたい」と言う前置きを置き、 受容的姿勢でいることを伝えることが大切。 問題行動でなくても、 本当はどうして欲しかった?と言う問いは有効かもしれない。 否定的感情がダメなものだと言う認識を外してあげて、とにかく不満やお願いなど含めて自己開示してもらえることが大切。 本人にも気づいていない「何か」を気づかせる声かけや質問がとにかく大切。 寄り添う人は、たくさんの適した質問を用意しておき、 そしてそれらの書かれたものから読み取る力が必要。 表面的に書かれているものであれば、どの質問にすればいいのかなど、判断がとても難しい。 誤りを正すのではなくて、寄り添い、共に考え、立ち直ることを援助していくこと。 全ての人に対して、大切な向き合い方を学ぶことができた。
中々の良書。 何か悪いことをした時、反省させる文化が日本にはあるが、それは社会を満足させる詭弁に過ぎず、問題の本質的な解決にはならない。 犯罪者だけでなく、教育、経営にも当てはまる内容であった。 人の本質的なことが書かれている。 反省させることが再発防止だと考えている人には、是非読んでほしい。
反省、、ニホンザル思い出しちゃった昭和生まれです。 学校で、勤務先で、指導を受け、表面だけの反省。しかしその内面は? 子どもがいる人、教育に携わる人、部下をもつ立場にある人、本書の内容に思い当たることがあるはず。 2013年の発行なので、そこからもう10年。コロナ禍も経て、新たな知見を得た上での筆...続きを読む者の更生論を読みたかった。ご冥福を祈ります。
人は、自分がされたことを、人にして返すものです。優しくされれば、人に優しくすることができます。冷たくされると、人に冷たくしたくなります。そう考えると、人を傷つける人は、自分自身が傷ついていると理解できます。自分自身が傷ついているから、自分自身を大切にできないのです。自分自身を大切にできないと、当然...続きを読むのことながら、他者も大切にできません。自分自身を大切にできず、自分の「心の痛み」に鈍感になっているから、他者の「心の痛み」にも気づけなくなります。和子が犯罪行為を重ね覚醒剤を使用したことにも罪悪感を抱かなくなっていった背景には、和子の心が長い時間かかって深く傷ついていった過程があるのです。 こうしてみると、2つのケースとも、問題行動が出たときは、反省文を書かせるのではなく、受容的な対応をすれば、その後の子どもの人生は良い方向に向かうことが分かります。だからこそ、繰り返しになりますが、問題行動が出たときは「支援のチャンス」なのです。どこかで誰かが介入して、負の連鎖を断ち切らないといけません。 どうしてこういうことになるのでしょうか。受刑者は、入所したときと出所したときでは考え方が変わっていないと書きましたこのことも問題ですが、さらに注目しないといけないことは、入所しているとき「まじめに務めていること」が受刑者の心に重大な影響を与えているのです(もちろんまじめにめないで、規則違反を連発し、仮をあきらめている受刑者も少なくありませんが)。まじめにめることは、自分の思いや感情を誰にも言わないで、抑圧することになります。それが長く続けば続くほど、抑圧は大きなものとなります。そうすると、彼らは抑圧している分だけ「パワーアップ」して出所していくと言うこともできます。出所した受刑者が大きな犯罪を起こす場合はこれに当てはまることが多いと思います。 また、刑務官の評価を気にするだけでなく他の受刑者に心を開かない状態が続けば、社会に出ても常に他者の目を気にする人間になります。そうした態度は、容易に人間不信となり、人とうまく付き合って生きていく意欲を奪います。結果として、元受刑者は、社会で良好な人間関係をつくれず孤立してしまい、仕事を得たとしても、すぐに人間関係でつまずき、せっかく手にした職さえも辞めてしまいます。何十年も受刑生活をまじめに務めて、「二度と刑務所には戻ってこない」と固く誓った元受刑者が、金に困ってパンを1個盗み、刑務所に舞い戻ってくるという「悲劇」が現実に起きています。刑務所が「福祉の最後の受け皿」と揶揄されるのは、こうした問題が背景にあるのです。 …なぜ受刑者は殺人など重大な事件を起こせるのでしょうか。殺人という行為は、言いかえれば、「他者を極めて大切にできない気持ちがあるからできること」と言えます。ではなぜ他者を大切にできないのか。それは自分自身を大切にできなくなっているからです。自分を大切にできない人間は他者を大切にすることなどできません。逆に言えば、自分を大切にできるからこそ、他者を大切にできるのです。 次に考えないといけないことは、なぜ自分を大切にできなくなっているかという点です。自分を大切にできない理由は、自分自身が傷ついているからです。自分が傷ついていることに鈍感になっている場合もあります。自分の傷つきに麻痺していると考えてもいいでしょう。いずれにしても自分自身が傷ついているから、他者を傷つけられるのです。自分の心の傷に気づいていない受刑者が被害者の心の痛みなど理解できるはずがありません。彼らが被害者の心の痛みを理解するためには、自分自身がいかに傷ついていたのかを理解することが不可欠です。それが実感を伴って分かったとき、受刑者の心に自分が殺めてしまった相手の心情が自然と湧きあがってくるのです。そして、そのときこそはじめて真の反省への道を歩み出せるのです。幼少期に虐待を受けていた受刑者が私に言ったことがあります。「私は父親に殴られて育った。だから痛みには強いんですよ」と。私は「痛みに強いのではなくて、痛みに鈍感になっているのですよ」と返しました。受刑者はハッとしました。自分の痛みに鈍感になっている人間に、被害者の心の痛みを理解させることなどできません。自分の心の痛みを理解しそれを吐き出して、はじめて被害者の心の痛みが心から理解できるようになってくるのです。その逆はあり得ません。 だから、受刑者の話をさかのぼって聞いていくことが必要なのです。どの時点で、受 刑者は寂しさや悲しみを持つようになったのか。 また、そうした感情をどのようにして 閉じ込めたのかをみていかないといけないのです。その作業は、過去を振り返ることに なるので、受刑者にとってはとても辛いものとなります。しかし本当に更生するためには避けて通れない道なのです。険しい道だけに、1人で歩いていくことはできません。支援者が寄り添うことによって、はじめて受刑者は過去の自分の心の傷に向き合えるのです。自分の心のなかにあった否定的感情を吐き出し、それを支援者に受け止められることによって、受刑者は、心の傷が癒され「大切にされる体験」をします。「大切にされた経験」に乏しかった受刑者が、支援者によって大切にされることによって、罪と向き合えるのです。したがって、支援者の存在は不可欠です。自分1人で過去の心の痛みに向き合うことはできません。 問題行動が起きたとき、その直後に反省させることがいかにダメなことか。真の反省は、自分の心のなかにつまっていた寂しさ、悲しみ、苦しみといった感情を吐き出せると自然と心のなかから芽生えてくるものです。自分の心の痛みを全部吐き出せた後に書けた反省文こそ、けっして表面的ではない、心の奥底から自然と湧きでてきた謝罪の言葉です。非行少年であれ受刑者であれ、問題行動を起こした者に対して支援するのであれば、反省をさせるのではなく、なぜ犯罪を起こすに至ったのかを探究していく姿勢で臨むことが、結果として彼らに真の立ち直りを促すのです。 受刑者にとって、出所後に絶対にあってはならないことは再犯です。再犯しないためには、「二度と事件を起こしません」と固い決意をすることよりも固い決意も必要ですが、何より人に頼って生きていく生き方を身に付けることです。そのことだけでも理解できたら、再犯しない可能性が高まります。 人に頼って生きていくことができれば、彼らは「人」の存在の重要性に気づくことが期待できます。そのとき、自分が殺害した被害者の「命の重み」にも思いが至ります。自分の生き方の問題に気づき、人に頼ることの大切さを実感できた受刑者は、出所後に自然と罪の意識が深まっていくのです。そして、真の「更生」への道は、刑務所内での刑務作業をりっぱに務めることではなく(社会的な罰を受ける意味では刑務作業は必要ですが)、出所後に待ち受けているのです。 本章では、これまで受刑者の問題を取り上げてきましたが、受刑者の問題は普通に社会で暮らしている私たちの内面の問題とけっして無縁ではありません。すでに述べてきたように、受刑者は抑圧し我慢を繰り返し、最後に爆発しているのです。私たちは、爆発とまではいかなくとも、抑圧し我慢をする生き方をしていないでしょうか。少なくとも、「我慢すること」がいいことと思い込んでいないでしょうか。「1人で何でもやり抜くこと」が絶対に正しいと考えていないでしょうか。実は、当たり前だと思い込んでいる価値観が、私たちに生き辛さをもたらしている場合があるのです。 確かに「我慢できること」「1人で頑張ること」「弱音を吐かないこと」「人に迷惑をかけないこと」といった価値観は、社会生活を送るうえでは必要なことです。ほとんどの者は、これらの価値観を何の疑いもなく「正しいもの」と受け入れているのではないでしょうか。 しかしこれらの価値観は、子どもに大人にとっても)生き辛さを与える側面があることに気づいている人は少ないでしょう。「我慢できること」は、見方を変えれば、「自分の気持ちを出させないこと」になります。そうするとストレスがたまっていき、爆発(犯罪か心の病気を引き起こすことになります。 また、我慢をすることは、「人に頼らない態度」を身に付けることになり、他者との間に良い人間関係を築けなくなります。人に頼らないということは、「1人で頑張ること」「弱音を吐かないこと」「人に迷惑をかけないこと」という考え方に通じます。人に頼らないで弱音を吐かず1人で頑張ることを人は賞賛しがちですが、実は犯罪者のなかには人に頼らない生き方をしてきた結果、自分に無理をして強がって犯罪を起こした者が多くいます。本当は寂しくて苦しいのに、それを言うと「恥ずかしい」とか「格好悪い」と考えて、逆に強がって生きてきたのです。犯罪者になる人は、強い自分を見せることで、人に承認されていると考えます。したがって、弱い自分を出すことは「絶対に許されない」と思い込んでいます。そして、弱い自分を出すことで、人が離れていくと考えています。彼らの心の奥底には、人が自分から離れていくという恐怖感が常にあるのです。孤独になること、言いかえれば、愛されなくなることを最も恐れるのです。こうしてみると、犯罪者が抱く価値観は、それらが生まれる背景や表現の仕方こそ違えども、私たちが抱いている価値観と大差ないと言えます。 人は皆、弱い生き物です。だからこそ、人は人に頼って生きていかないといけません。しかし、素直に自分の気持ちを表現することが不得手な人は、人に頼ることが苦手となります。そして、人は人に頼れなくなると、「モノ」に頼る、すなわち「依存」するようになります。本来なら「人」に頼ると「心」が満たされるので健康的になれるのに、それができないからモノで満たされない部分の「埋め合わせ」をしているのです。ある覚醒剤使用の受刑者が「人は離れていくけど、薬は逃げないですからね」と私に本音を言ったことがあります。人に裏切られた経験を持つ人がよく言う言葉です。 私は、講演会などで子育てに関する話をするとき、「小さい子どもが大人の振る舞いをすることは大変危険です」と言います。そうならないための方法として、「両親が仲良くすること」を一番に挙げます。両親の価値観に多少偏りがあったとしても、仲が良ければ大丈夫です。両親が不仲であると、子どもは「自分が悪い子だから、お父さんとお母さんは仲が悪いんだ。いい子になろう」と考えます。子どもは常に親が気に入る態度を取ろうとして、大人の振る舞いをするのです。家が暗い雰囲気なので、無理して明るくしようとするかもしれません。子どもながらに「大人として」懸命の努力をするのです。その姿を見て、「小さいのに偉いね」と褒めてしまうと、後々に必ず大きな問題が起きます。昨日までまじめだったのに、突然非行に走るケースも珍しくありません。非行や心の病気という形で、一気に爆発する場合もあります。爆発に至らない場合でも深刻な事態を招きます。普通に生活しているようにみえていても、成人になってから本人は大変な生き辛さを感じることになるからです。 どんなに幼くても、子どもは親の態度に敏感に反応するものです。したがって、子どもが大人の振る舞いをしていると感じたときは、なぜそのような態度を取らせているのか、親は我が身の言動を振り返らないといけません。 普通、問題行動を起こした子どもは、叱られるものと思っています。 そこで大人が、「今回、問題を起こしたことは、君がいい方向に向かうためのチャンスとしたい」と伝え、「今回、なぜこのようなことが起きたのか、いっしょに考えよう」と問題行動を起こした背景を子どもといっしょに考える姿勢でいることを伝えます。 家庭と学校とでは、少し言葉がけが違ってくるでしょう。しかし基本的な進め方は同じです。いずれも、叱るという態度ではなく、受容的な態度で臨みます。まずは「日頃から思っていたことを自由に話してくれないか」と切り出してみましょう。 本音を言ってもかまわないという気持ちに子どもがなれば、時間がかかるかもしれませんが、子どもは少しずつ本音を語り始めます。本音を語り出したら、大人はしばらく口をはさむことは控え、子どもの言葉にひたすら耳を傾けます。途中で、子どもが間違った考え方を言ったとしても、それを指摘せずに、子どもの語りをさえぎらないようにしてください。話のなかで、子どもが不満やストレスを話し出せば、それが問題行動を起こした要因と捉えることができるでしょう。親が聞き手であった場合、親自身が否定されるような言葉を聴くことになって、耳の痛い思いをするかもしれませんが、親も自分の気づいていなかったことを子どもから教えてもらう気持ちになって、子どもの話を最後まで聴いてください。 そして、大人は、子どもが不満やストレスといった否定的なことを話すためには勇気が必要であることを知っておいてください。子どもでなくても、誰もが自分のネガティブな感情を人前で話すことを恥ずかしく思うものです。だからこそ、子どもが本音を言えたら、大人は「よく話してくれたなあ」と子どもが話してくれたことをねぎらいます。「辛い思いをしていたんだな。1人でずっと悩んでいたのではないの?話してくれてありがとう」などと言ってください。親が自分に問題があることに気づいたら、「お父さん(お母さん)にもまずいところがあったんだなあ。ごめんな」と言って素直に謝罪しましょう。本音で話し合えれば、親子関係はぐっと深くなります。問題行動をきっかけに親子関係が好転し、その後は素直に本音を言い合える豊かな関係になります。 また、教師であれば「そんな嫌な気持ちでいたのか。それはしんどかっただろう。長い間、誰にも言えなかったのではないかな。話してくれてありがとう」と伝えたいものです。このように共感してもらえると、生徒は教師を信頼するようになり、その後の生徒の人生も変わってきます。生徒は教師を通じて大人という存在を信頼するようになります。子どもが自分の不満やストレスを言語化し、苦しい思いを受け止めてもらうことによって、子どもも問題行動の過ちに自ら気づくことができます。 子どもが本音を話しているときに、絶対に言ってはいけないことがあります。正論です。「お前の考えは間違っている」「未成年なのにタバコを吸うことは許されない。身体にも悪い」や「このままだと、いい学校に行けなくなる」などといった説論です。大人の言っていることは間違っていません。間違っていないからこそ、子どもは何も言い返せなくなるのです。そうすると、子どもはようやく開きかけた心を再び閉ざします。子どもは本音を話したことを後悔し、結局反省の言葉を引き出すパターンに陥ってしまいます。下手をすると、それ以降、子どもは親や大人に対して「絶対に本当のことは言わない!」と心のなかで決意し、二度と本音を話さなくなるかもしれません。あるいは、面従腹背の態度になるかもしれません。表面上はまじめな態度を取りながら、心のなかで舌を出しているのです。こうなると最悪です。ピンチがチャンスとはならず、さらなるピンチを招き、それが爆発(非行や犯罪)へと向かう出発点となります。 正論を言えば、親が勝って子どもが負けるという構図に必ずなります。結果として残るのは、親子関係の悪化です。正論は、相手の心を閉ざす「言葉の凶器」と考えてもいいでしょう。親と子どもの関係にとどまらず、あらゆる人間関係において、正論を言うことは相手との関係を悪くする可能性があることを理解しておきたいものです。
刑務所で受刑者支援をしていた筆者。過激なタイトルですが、なぜ問題行動を起こしたか、その内面に向き合わず、上辺だけの反省で済ますと、後々爆発することがあるという話し。 どんな子育て本よりはっとさせられる内容で読んで良かったです。
最近自分でたどり着いた結論であった、ネガティブ感情をとことん吐き出すことの重要性について、エビデンスや犯罪者の更生に関わってこられた著者が正しいと証明しれくれたようでとても嬉しい出会いだった。 最近、職場でパワハラとまでは行かないまでも弱いものいじめをする人がいて、その人への対応について頭を悩ませて...続きを読むいた。正直周りも傍観者となって誰も助けようとしない状況がいじめのような状態なのだと感じていた。 そんな状況でこの本を読んで、改めて冷静になることができた。いじめる側への怒りが沸騰していて、私自身その人のやった行為の重みを思い知らせて反省させたい衝動に駆られていたが、その人自身の心の本音を聞いた方がより解決に近づくことに気付かされた。 落ち着いたらわかることなのだけれど、ボルテージが上がっている状態であればなかなかそのことに気づかないので、とてもありがたかった。 また、この本で書かれていた、「ありのまま」の自分を曝け出して、甘えられる人を作ることの大切さは、子育てや人材教育全般につながる。〇〇しなければいけないとか、根性で我慢しなければいけないとかそういう考えではなく、もっと自分の弱みを出してもいい。その人の弱みこそがむしろ強みなのだ。 他罰的な人が多い現代、この本を世の中の多くの人に読んでもらいたい。
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