渡辺正峰のレビュー一覧
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ネタバレ意識をコンピュータ上にアップロードする。
SFではよく見かける設定だが、私は以前からその考えに懐疑的だった。
アップロードされた「私」は、現在の私と同じ記憶や人格を持っていたとしても、結局は別の存在なのではないか。そこに意識の連続性はなく、元の人間を複製しただけにすぎない。私はそう考えていた。
しかし、この本はそんな私の疑問に、一つの回答を示してくれた。脳を半分ずつ段階的に電脳化していけば、意識の連続性を保ったまま、最終的に脳全体をコンピュータ上へ移行できるという。
技術的に実現できるかどうかはさておき、理論上は可能なのかもしれない。そう思い直すきっかけになった。著者は、今後20年ほどで電脳化が可能になると見積もっているようだ。
ただし、電脳化した後も、機械化された脳やサーバーを維持するための費用がかかる。そのため、実用化されたとしても、当初は富裕層から利用が始まるだろう。
特に衝撃を受けたのは、本の終盤に書かれていた内容だ。たとえ十分なお金がなくても、電脳世界で現実社会のシミュレーションを行い、その結果を現実世界へ還元する「労働」に従事すれば、電脳世界で生き続けられる可能性があるという。
著者が明確に述べているのはここまでだ。しかし私は、そこから一つの恐ろしい可能性に思い至った。
もし電脳世界の住人が、現実社会を再現したシミュレーションの中で生きるのだとしたら、私たちが現実だと思っているこの世界もまた、すでに何者かによって作られたシミュレーションである可能性を否定できないのではないか。
この本は、暗にその可能性まで示しているように感じられた。 -
Posted by ブクログ
意識の不思議 を読み、意識とは何かを科学・哲学・AI研究の観点から考えさせられた。特に印象的だったのは、脳が単に外界を受動的に受け取るのではなく、「生成モデル」として世界を予測しながら仮説的に体験しているという考え方である。コーラだと思って飲んだらコーヒーだった漫画の例を思い出し、人間は予測によって世界を見ている部分が確かにあると感じた。一方で、カフェで聞こえる雑多な会話や音楽のように、脳の仮説だけでは処理しきれない現実の入力もあり、世界全てが脳の作る仮説とは思えないとも感じた。
また、分離脳の話も衝撃的だった。右脳と左脳が脳梁によって統合されているからこそ「一つの私」が成立しているという説明から、意識の統一感そのものが脳の構造によって成り立っていることを実感した。脳梁を切断すると左右で別々の情報処理が行われるという話は、「私」という感覚が思った以上に脆いものかもしれないと考えさせられた。
後半の意識アップロードの議論も興味深かった。死後に脳情報をコピーする方法と、生きているうちに少しずつ機械に置き換えていく方法では、「本人性」の捉え方が大きく異なる。筆者が重視していた「時間の連続性」という考え方は納得感があったが、一方で肉体を失い意識だけが残る存在を本当に「生きている」と呼べるのかという疑問も残った。
さらに、仮想空間の中で感覚まで完全に再現される世界ができれば、現実とバーチャルの境界は曖昧になり、「本物の生」の定義そのものが変化する可能性も感じた。ただ、現時点ではバーチャル空間はまだ未成熟で、秩序や生活基盤という意味では現実世界の方が安心感があるとも思った。科学の本でありながら、「私とは何か」「生きるとは何か」を深く考えさせる一冊だった。 -
Posted by ブクログ
ネタバレタイトルの通り、意識はどこからやってくるのか。
死んだらどうなる、と同様、簡単なようでずっと解けない謎。ただし研究者も手をこまねいているわけではない。
脳をいくら切り刻んでも意識を摘出することはできない。では、どのように意識を捕まえるのか。実際には、脳をごく薄くスライスし、その断面に現れる神経線維を観察し、同じような配線を電子的に作り上げ、脳の働きをシュミュレーションできる、疑似脳、電子脳のようなものを作りそれで研究を重ねる、というプランがあるそう。
また、脳を機能学的に電子情報として読み取り、外部スト―レージに複写してその働きを調べる、という方法も提示される。
本書の中でいくつか仮説が提示されていて、右脳左脳をつなぐ脳梁に電子信号を読み取るチップを挟み、脳のあらゆる情報処理を電子的に読み取れば、脳の働き引いては意識とは何かに肉薄できるのではないか、とする。
本書は、思考実験の塊のような本なのだが、いろいろな仮説をあてはめられるのが楽しい。
「もし、脳の中の情報をすべて電子的にコピーできたとする。そうすると、私と私コピーができることになる。これは両方とも私なのか」。本書では、同時に存在する私は一人だから、コピーの方は偽物、と論じる。別に読んだ量子論をあてはめれば、「あるようでない」「観測しようとすると性質が変わる」「マルチバース」という視点で見れば、別に私が何人いても矛盾はしないのでは、と思う。(複数の同一人格が同じ宇宙にいてはならん、ということか)
また、同時に存在しない、というのは時間的に、という視点からも述べられるのだろうと思うが物理学的には時間は存在しない…。(「時間は存在しない」カルロ・ロベッリ)となると、これはまさに持続する意識を前提にした話ではないか。(意識は連続して存在するのだからそれと矛盾しない時の流れ、を想定せざるを得ない)
意識の問題から、私とは何か、人格とは?生命とは?という問題にもつながる。
コンサルタントのような仕事をしている私が悩んでいる、「どうして人は変われるのか」にもつながる。意識は連続していて、一定の不変性を持っている。その意識を抱えたままで人はどうやって変わっていけるのだろう。若いころと60歳を越えた今、明らかに私は変化しているけど、それは持続した意識と矛盾しないのだろうか。
短い本だが、いろいろな論点、問題が提示される。 -
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意識って何だろうか?
ある研究者は、情報が意識なので、月の石にも意識はある、と考えているそうです。
生き物の意識は、ニューロンの働きの中にあるようです。
ニューロンひとつの働きは、機械で再現できるので、ヒトの脳内のニューロンをひとつずつ機械に置き換えていけば、最終的には脳を機械に置き換えて、機械の中に意識が宿るとのことです。
そうなんだ〜と信じたい気持ちがありますが、その反対に、これってゼノンのパラドックスのアキレスと亀みたいなものじゃないかなと疑う気持ちがあって、現時点は、疑う気持ちのほうが強いです。
どっちにしても、錯覚の絵があったりして、難しいけど知的興奮をひきおこす内容いっぱいで面白かったです。 -
Posted by ブクログ
来たぞ!傑作!
これまで、意識の正体については、「科学的に全くの謎のままである」「究極的には人工的に再現可能な物質による構造体に過ぎない脳の情報処理の結果であるに過ぎない」という整理を自分の中の最も正解に近い席に座らせてきた。それを本書は突き崩した。
物理的に脳の構造を詳しく調べても意識は見当たらない(これはユヴァル・ノア・ハラリも言っていた)。しかし、我々が実感しているとおり、意識=主観的感覚体験は確かに存在する(「わたし」という感覚すら錯覚に過ぎない という説は今でも支持するが、それにしても、その「錯覚」はやはり存在しているとしか言えないだろう)。しかし、例えば石ころには意識が宿っていない(ように思える。厳密にはどうかわからないが、万物に意識が宿るとする説に違和感を覚えざるを得ない私にはしっくりくる考え方だ)。でも、物質であることに変わりはない。この断絶をどう説明するのかというハードプロブレムに、本書は真っ向から答え(仮説ではあるが)を出しに行く。
要は、「こうなったら意識=主観的感覚体験が生じる」という新たな自然法則を発見することが答えだと言うことだ。光速度不変の法則や質量を持つ物質が引力を有するといった物理法則は、それが確かであることは現在のところ科学的に証明されているが、なぜそうなのかについては何もわかっていない。ただ、間違いなくそうなのだ。と言えるだけだ。同様に、「これこれこうなったら意識が生じる」ということを科学的に証明できれば、意識の存在と仕組みを解明した(=意識の発生に係る自然法則を発見した)ことになるという。目から鱗❗
その発生メカニズムについての著者の仮説は、「入力された情報を処理し、内部で仮想世界を形成するシステムが意識を宿す」というもの。
そしてこれを科学的に検証する手法として、この仕組みを持たせた機械脳半球を構築して、それと生体脳半球を接続した時に、機械脳側の世界を体験する統一された意識の発生を主観的に体験するという手段を主張する(分離脳患者が接続時に一つの意識、分離時に2つの意識であることとの整合によりこれが妥当であると言える)。
そして、意識の発生メカニズムが解明されれば、時をおかずして、意識のアップロードが可能になり、不死の時代がやってくるだろう、という壮大な主張。
著者の言うように、本当に20年後にこのような技術が確立されれば、人類の、生物の歴史が大きく変わることになるだろう。そして、それは夢物語ではないと確かに感じた。
星5つ❗
ただ、さらに議論を進めて、何十人、何百人の意識を接続して巨大な一つの意識に統一したらどんなことが起こるか、などに踏み込んで欲しいところであった。 -
Posted by ブクログ
混みいった内容もありましたが、全体を通してとてもエキサイティングな内容でした。
まず1章では、脳の情報処理のメカニズムについて述べられています。
次に、2章で両眼視野闘争を例に出し、感覚器に入力されている=意識に上る、という訳ではないことを説明します。また、視覚野のどの箇所が意識に上るかどうかに連動して応答が変化するのかを調べた研究で、低次の視覚野よりも高次の視覚野の方が意識と関連しているニューロンが多いと述べられています。
3章では、操作実験(脳に刺激を与えるような実験)を利用して、NCC(意識の生成に必要な脳領域)を特定する研究について述べます。
4章では、主観的な経験である意識の、満たすべき要請(物理学で言うところの運動方程式やシュレーディンガー方程式)を明らかにする難しさについて述べられます。それでも、意識の自然則を実験により検証可能にする方法について議論がなされます(むしろ実証&反証可能性がなければ科学的な要請とは呼べないとも述べられている)。
5章では、統合情報理論のような情報(の統合)を意識であるとする理論と、情報処理のアルゴリズム自体が意識の担い手であるという2つの仮説について述べられています。なお、著者は後者の、特に脳内の生成モデルを意識の担い手として妥当だと考えているそうです。
終章では、脳と機械を繋いで機械に意識をアップロードするというSFチックな話が最後に著者の夢として語られます。
また、本書の趣旨とは逸れますが、fMRIがニューロンの入力信号を、電気生理実験でのスパイクが出力を反映しており、これらの結果を単純比較することができない場合があると言うのは面白かったです。また、統合情報理論の説明も分かりやすく、勉強になりました(説明例:2つのニューロンが同時発火した時に得られる情報量がそれぞれの単独での発火の際に得られる情報量の和よりも大きいとき、情報が統合されている状態であり、意識が存在する)。 -
Posted by ブクログ
90年代以降の脳科学の進展をよく解説してくれています。前半は基礎的な解説が多いですが、それらを踏まえて後半になると、機械でつくった脳半球と人間の脳半球を接合する構想などが登場。なんとサイバーパンクな!
絵空事としてではなく、工学者でありながら脳の解剖学的構造や生理に真正面から取り組んでこられた科学者としての本気の考察で、とてもエキサイティング。
意識にのぼる前に体が勝手に反応しているスポーツ選手の脳内で起こっていることなども本書で説明されていて、自動車を運転している時の危険回避の自分の体験などとも通ずるものを感じました。
自分としては90年代は脳関係の本をずいぶん読んでいましたが、その後の脳科学を本書で概観することもできて、とても面白かったです。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ知覚には遅れがあり、それが物理的感覚とのずれを生じさせる。これが意識の過去と未来の関係性に大きな影響を及ぼす。例えば、バッターが160kmの球を打つとき、その時およそ0.4秒で到達し、知覚には0.5秒の遅れが生じるから、この球を打つという命令をしたのは何なのかという問題が出てくる。つまり、意思を司る何かがあるのではないかということだ。
意識の本質は、脳の客観と主観の境界にあると述べられている。脳の客観とは、三人称的に物が見えるという意識のメカニズムであり、脳の主観は、なぜ、物が見えるという意識(クオリア)が生まれるのかということだ。
この本質に迫っていきたいが、そもそも科学というのは客観性を証明することが宿命であり、意識という主観を客観性で証明するのは、困難だという。ゆえに、既存の科学から逸脱したアプローチで取り組むべきか、それとも従来の客観的なアプローチでいくべきかはわからないそうだ。
決定論カオスによる因果性の網はとても興味深い。
最後に、人の意識を機械に送るときに重要となるポイントは、自分というものが何者なのかを知覚し、そしてそれ以前の記憶が存在するのかということだ。
脳科学の分野の発展は著しく、読んでいてとてもワクワクしたが、倫理的な問題もかなりあると思う。 -
Posted by ブクログ
人の意識を宿した機械。SFであるようなイメージが、はたして現実にできるのか。その前に、そもそも「意識」の定義ができていないと、何をもって意識が宿ったとできるのかさえ分からないと。という問題から本書は入っていきます。
視覚という一つの感覚に焦点を当てて、それを見ている私たちは、それをどのように認識しているのか、その仕組みを分かりやすく説かれています。意識の定義など、雲をつかむようで到底できないと読み始めましたが、すごいことに本書はそれに光を当ててきました。意識というものの輪郭が見えてくる知的好奇心の満足を味わうことができる内容になっていると思います。
そこから、その意識を、どのように機械に移植するのかの問題が残っていますが、それも将来の技術の課題がありますが、方向性が見えているということが分かります。未来の技術の発展に対しての希望が見えてくる読後感でした。 -
Posted by ブクログ
ネタバレ池谷先生の「進化しすぎた脳」より本書の方が意識について分かりやすかった。もしかしたら「進化しすぎた脳」の後にこの本を読んだからある程度の基礎知識のおかげで理解がしやすかったのかも知れない。いずれにしても、ただのシナプスの電気信号により意識(らしきもの)が発生するという生物の神秘には本当に脱帽する。哲学が捜し求めている「自分の存在」というものが結局は単なる偶発的な電気信号によって発生するというのはどう考えれば良いのだろうか。意識が視覚をコントロールし、見えないものが見えているように思うなどということを聞くと、やはり「自分の存在」はすべて虚構という哲学の問題に辿りつくように思う。意識は実は未来を先取りして過去に遡及するなどというトリビア的な知識も増えて面白い本だった。
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Posted by ブクログ
ネタバレ脳の意識 機械の意識 - 脳神経科学の挑戦
意識はどうやって生まれるのか?それは機械にも宿るのか?
という問いに対して、さまざまな実験結果を交えながら解説しています。
後半部に入ると、意識という主観でしか感じえないものを科学的な手法を使って客観的に証明するというとても哲学的なテーマでわかりづらくなるのですが、それでも半分だけ脳、半分だけ機械というインタフェースが将来開発されれば断じうる実験方法が提示されて興味深かったです。
渡辺氏はもしインタフェースができるようになったら自らで実験したいという結構ぶっ飛んだことがさらりと書いてあって、それも驚き。
はてさて、意識は機械にも宿るものなのでしょうか・・・
それともどこまで進歩しても機械は精巧に真似をするだけなのでしょうか・・・
竹蔵 -
Posted by ブクログ
★5にするか、すごく迷った。
とてもエキサイティングな内容で、とても面白いのだが難しいというか未知の用語が多くて、自分がきちんと理解出来ているのか、どうにも自信が持てない。その結果として★4なので、実際は4.8とか4.9くらいだと思っていただきたい。
内容は、かなりマッドサイエンティストよりだと思う。意識というものを、永遠に保つためにはどうすればいいのかを、淡々と、時に軽やかな筆致で書いている。
意識とはなにか? についても、かなり踏み込んだ形で買いてあるけれども、そのあたりは割と意図的に凡化してあるように感じられた。
分離脳、脳梁の切断による、半身意識の分割を例にあげて、意識は脳に存在し、なおかつそれは分割出来るものだと提示している。分離脳についての記述はかなり淡々としているが、ホラーやオカルトをたしなんでいれば、だいたいわかると思う。『悪魔の左手』の大元になっているものだ。脳梁が切断されると、身体の左側の感覚が失われる。けれどもそれは見せかけだけで、言語化が出来なくなることで、表向きは左側の感覚がないようになっているだけで、言語化出来ない左半身も反応していると、動くはうごく。ただ統制がとれていないために、右手と左手が文字通りけんかするような状態になってしまう。
これは脳梁を切断したことで、分離脳となった左右の脳がそれぞれに意識を持ったことで生じる現象だという。これだけでも、まあまあオカルトめいていて不穏だが、筆者はこれからさらに事態を展開させる。『脳を分割して、半分ずつ機械化させれば、意識はそのままで残せるのではないか?』と、マッドサイエンスな感じで不穏さ満載である。
それが実際に可能かどうかは別として、意識のありようとか意識が現在にいたった進化経路など、内容については多岐にわたっていて、理解するのは難しいが面白い。
後半になると、科学よりは若干哲学めいたものになっていくのが、今時だなあと感じ入ったりした。