ハンナ・アレントのレビュー一覧
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去年飲み友だちのまりちゃんが「最近アレントが流行っているし、私も買ったんだよね」と話していて、私はアレントはかろうじて聞いたことがあるくらいだったから、相槌を打つのに焦った。そして、その夜まりちゃんと解散して一人で家の近くのバーに入ったら、アレント関連の本が数冊置いてあった。このバーには何度も来ていたけど、今まではなかったはず。バーテンダーに聞いてみたら、彼のお父さまがアレントに憧れてやまない学者さんらしく、確かに置かれた本のうちの数冊には彼と同じ苗字の著者の名前も見られた。ウクライナ戦争で再びアレントのことを思い出している人が多いらしく、バーテンダーも店に置く本を入れ替えることにしたらしい。
この日に二度もアレントが私の前に現れたという偶然を逃したら、私はアレントを読まないまま死ぬに決まっていると思った。それで本屋に平積みになっていたこの本を読んだのだけど、100ページだからあっさり読み終えてしまったし、あまり歯ごたえも感じられなかった。バーテンダーにそう話すと笑われた。
「アレントの解説書でしょ。それじゃわかるわけないよ。人間の条件くらい読まないと」
というわけで、次は「人間の条件」に挑戦する所存です。私の現在の恋人はアレントの名前も聞いたことがないらしく、今後の付き合いを考えてしまいます。 -
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ジャンルで言えば「全体主義」についての本ということで「社会」にあたるのでしょうけど自分は「思想、考え方」寄りの内容と捉えました。
前半の方はアレント入門といったテイストでしたが、4章から趣が変わりアレントの考え方を引用した著者自身の全体主義というものの考え方というか向き合い方の主張?のような内容となっているように思います。私自身はアレント自身について書かれた本は何冊か読んだことがありますがその思想についての本はほぼほぼ読んだことがなく、そこの知識がないので入門として読むのに良かったです。
しかしあんまり理解できなかった気がする。著者の方は、多分私のように興味はあってもなんの知識もない人間のために出来るだけ分かりやすくポイントを要約しつつ書かれたのだろうと思いますが(いかに噛み砕こうか、という表現の工夫は感じられました)私の頭が悪いのか知識がなさすぎるのか…もう一回読んでもきちんと理解できる自信がない。
ただ、3章を読むと、とても十九世紀の話しとは思えない今の日本の話では?と思うような不穏な内容で、今の日本の社会に警鐘を鳴らすべく今発刊されたのかなというふうに自分には感じられました。
巻末にもっとアレントの思想を深く知りたい人のための読書リストが挙げられており、そちらを読もと思われるような人には本書は物足りなく感じられるんでしょうね。
意外と読者層を選ぶ一冊かも。私は多分あんまり呼ばれる読者じゃなかったんですね。 -
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アーレントを100ページで紹介する入門書。
アーレントは屈折の多い思想家なので、100ページにまとめるのは無理だろうと思いつつ、読んでみたら、かなりいい線でまとまっていると思った。
もちろん、議論はかなりフォーカスされていて、「全体主義の起源」を中心に説明されている。あとは、それに関連するところとして、「人間の条件」がすこし、ポスト・トゥルースの時代に参照されることが多くなった「真理と政治」や「政治における嘘」に言及。そして「エルサレムのアイヒマン」を紹介という感じかな。
つまり、全体主義の歴史解釈とそれと比較的関連性の高いものにフォーカスされているということ。アーレントのコアな政治哲学的なところはあまり言及していないので、まとめることができたということかな?
とくに「権威主義体制」、「専制」と「全体主義」の違いをイメージ図で整理しているところが、秀逸。
アーレントの本はある程度読んでいるので、そこまで驚く話しはないのだが、面白かったのは、「共通感覚」や「判断」の話しが「政治」や「活動」との関係で語られるところ。
「判断」といえば、アーレントの書かれなかった「精神の生活」の第3部を思い起こさせる。「判断」が、「活動」で生まれる公的空間や政治、そしてそれを定着化させる政策、事実の真理などなどと関係づけられて議論されるところが頭の整理になった。
アーレントの入門書としては、わかりやすくてよいのではないかと思う。
ただ、前半の「全体主義の起源」関係の説明が、歴史的な事実の説明なのか、アーレントの解釈による説明なのか、著者の読解による説明なのか、あいまいな印象があった。基本、アーレントの説明についての著者の解釈なのだろうと思うが、もうすこし原著との関係を明示してほしかった。(これもやりすぎると読みにくくなるのだが。。。) -
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ネタバレコンセプトがはっきりしており、分量も短くて読みやすかった。もちろん、あとがきにも書かれているように、ある思想の概要を可能な限りコンパクトにまとめるという作業は非常に困難だろうし、これだけを読んでわかったつもりになってはいけないのだろうとは思った。
全体主義について、何となくの言葉のイメージはもっているつもりでも、暴政や権威主義体制といった他の体制との違いや、全体主義の中にいる人はどのような状態になるか、等の新たな発見があった。一方で、共通の感覚が失われる、リアリティを信じられず、想像力、一貫した論理を信じる、といった、全体主義がもたらす状態は、少しだけでも理解できたようにも思うが、では、本当に人間がそうした状態に陥ってしまうのか、そこに至るプロセスをもっと詳しく知りたいようにも感じた。
また、全体主義への抵抗手段として「事実の真理」があり、ただそれを証明する段階で、結局のところ多数決等の脆弱性のある方法によらなければならないというのも、イメージがついたように思った。さらに、アレントは歴史学や人文系の学問にこそ価値を見出していたという。確かに、「事実」だけを告げられるのか、そこに(もちろん虚偽ではない)ある程度の物語性というか背景も含めた語られ方というか、そうったものが必要となるようにも思うが、そのような理解で良いのだろうか。
最初に書いたように本シリーズ「現代新書100」のコンセプトはわかりやすく、ぜひ読んで教養を深めたい、との気持ちにさせてくれる。一方、個人的には、「なぜその思想がいま必要とされるのか」の観点はなくても良く、その分もっとその思想そのもの等について紙面を割いてほしいとの感想をもった。
なぜなら、その思想に触れて、それを現代のあるいは現実の世界にどう還元していくかは、読み手の判断によるべきと考えた。また、それは言い換えれば、「今こそ読まれるべき」でなければ、見過ごされてよい思想があるという発想は、かえって危険ではないかと私は思った。もちろん、現代にどう応用できるかについても書かれていればもっとより理解できるとは、思うのだけれども。
さらに言えば、読書は、読まれる「べき」という視点ではなくて、読みたいものを読まなければいけないとも思う。 -
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リテラシー、判断力は、受け売りや忖度、わがままで意見を表すものではなく、他者への思いやり、想像力を働かせてつくりあげていく。そこで過ちがあってもいい、その都度訂正していけばいいのであって、決して誤魔化したり逃げたりしてはいけない。全体主義は、一人ひとりの判断力が軽んじられ、瞬間の心地良さに安穏としてしまう先にある。常に私たちは考えよう。その日常が辛くても当事者性へのアプローチが大切であり、正しくないものへの寛容へと広げていく。千差万別の意見が飛び交う民主主義はひとつの答えが見つからなくてもその過程から気付くものがあればいい。そして自他共に修正を行っていく。そこに保身や体裁は不要である。このことを為政者の皆さんに諫言する。
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ナチスドイツの体制のもとで、想像を絶する反人道的な犯罪行為を犯したアイヒマンたち。自分は組織の歯車に過ぎなかったと主張する被告たちの個人としての責任を追及できるのか、また、普通の人がなぜこのようなおぞましい行為に加担できたのかをハンナ・アーレントは懸命に思考した。そのことに並々ならぬ思いを感じた。
本書に「過去に立ち返って自分のしたことを思い出すことを拒む」と「人格であることを拒んだ人」になり、最大の悪を犯し得るというようなことが書かれていた。
現代においてもこの考えを持っておきたいと思った。そうすれば大きな声で無責任なことを喚いている人々を注意して見ることができると思った。 -
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公的領域。活動。言論活動で政治生活。差異をもった他者との対話。集会での発言。言葉で説得。各個人の経済利益の調整ではなく、共通の利益や関心について話し合う。自分がだれであるかを示す開かれた場。多様な意見をもつ人々が自発的に政治に関わる。政治に自ら積極的に参加し、公共的な役割に身を投じ、戦争のときには国のために勇敢に命を捧げる。スポットライトを浴びる場。自らの卓越さをしめす場。素晴らしい領域。人はポリス的動物(アリストテレス)。言葉を発することのできる存在。古代ギリシアのポリス素晴らしい▼しかし、経済論理で動く政府、政治の大衆化が公的領域を侵食し始めた。社会的領域。大衆の世界。画一主義(全体主義の種)。受動的な生活で満足。経済の論理で動く。けしからん領域。現代の大衆は労働と消費を重視、古代ギリシアでは労働と消費は否定的に捉えられた。現代の大衆は公共の領域で他者といっしょにあまり活動しない。古代ギリシアでは公共の領域で活動していた。現代では社会的領域が巨大化した。古代ギリシアでは私的空間か公共の空間だけで、「社会」という領域はなかった▼評議会に期待したい。市民の間で自然発生的に評議会が形成され、それらをまとめる評議会が生まれ、変化を生む。1930年代ドイツではそうした市民が発言する場・公的な領域が失われていた。ハンナ・アレントArendt『人間の条件』1958 (90) →参加民主主義
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※”労働”は日々の糧を得るため毎日やるもの。自分と家族の生存のため。働いて、生きるために必要なものを買う。生命を維持するためのもの。死んだら何も残らない。閉ざされた薄暗い場。くつろぐ場。労働が人間をつくる(マルクス)のではない。公的な領域で活動することで、自分が誰であるかを示す。
※”仕事”は一回限りの個性的・創造的な作品(芸術・文学作品)を残すもの。
※古代ギリシアのポリス。人口多くても数万人。
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アーレントは”活動”を重視しているが、古代ギリシアの市民たちが”活動”に集中できたのは、奴隷が経済活動である”労働”を担っていたから。奴隷がいない現代社会で人は”活動”に専念できない。 -
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(01)
一義的には労働批判であり,特に近代の人間の条件として現れた労働についての批判である.しかし,射程は宇宙的であり,地球規模をも超えており.個と全体との間にある様相を世界として,活動と仕事という人間の他の条件により,労働に並置して,批判を企てている.
古代ギリシア(*02)の市民文化を説き起こし,近代英語の語幹に残る原義を用い,デカルトやマルクス,あるいはハイデッガーを越える議論を目論んでいる.宗教,経済はもちろん,政治や権力,そして科学の姿をひととおり描いたうえで,家や個人,プライバシーの領域にも縦横無尽に切り込んでいる.
芸術や歴史,あるいは倫理,そして愛や救済についても筆は及んでおり,それら人間を条件づける諸属性の連関を解き明かしている.
したがって,20世紀から21世紀(*03)にかけての哲学や人間性についての基礎テキストとしての使用に耐えうる聡明さが本書には著されている.
(02)
プラトンやアリストテレスへの立ち戻りと批判は,近代と古代の比較により,次を論じるために重要な過程となっている.古代ポリスの奴隷制度から近代都市の労働者へとつなぎ,近代において特殊に現れた「社会」という場(あるいは,昨今,プラットフォームと呼んでいるもの)や権力という統治手法についての理解を助けてくれる.
イエスやキリスト教の相対化についても興味深い指摘がある.神学の問題としてよりも,哲学の問題として,イエスの言動を取り上げ,聖書テキストに取り組んでいる点は,神と神々についての言及とともに注意が必要だろう.
(03)
消費社会の入口において書かれた本書に,富や財産がこれまでどのように扱われてきたかを示し,その先に起こった問題のありどころも示唆している.オートメーション,進化論,ミメーシス,ポイエーシス,共生など,その後の現代思想に引き継がれた課題も本書に散見される.
都市問題としても,例えば,活動の古代,労働の現代をごくおおまかに布置すれば,仕事の中世が見えてくるのかもしれない.仕事人や工作人といった類の人間の条件は,それゆえに,中間項として見出されているようでもある.この仕事について,ディテールを描く作業は,わたしたちに残されているようにも感じた. -
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人間の条件 ハンナ・アレント ちくま学芸文庫
政治思想家と言う触れ込みだけれど
哲学者と言うべきだと思う
しかし法律書を読むように気の重い文章である
単語がシックリとこないしクドイ
それでも内容に惹かれて五百ページも読むことになる
プルードンの格言に
「財産とは盗みなり」とあるという
しかも彼は財産をすべて人間社会から
取り上げてしまうことで
暴政を発生させてしまうことの方を恐れたとある
コレこそ何とかしなければならない
パラドキシカルで皮肉な話だ
視野を広げた意識の成長によって邪な自らを
管理する方法を編み出せるはずであると思う
(私とあなたが双方に選び合うことで出合いが起こる
個と集合の対等観の関係がつくりだす相乗効果
生き延びる為の行為である天性による《労働》から
物質的に豊かになるための行為である人為的な《仕事》へと発展し
更に精神的に成長するための行為であるお互いの《関わり》へと向う
アクションを起こして意識上の全体観へと飛躍する)