【感想・ネタバレ】人間の条件のレビュー

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Posted by ブクログ

アーレントの軽快な文章構成のおかげでスラスラ読み進められるが、一つの言葉に対して特有の意味をもたせる彼女のスタイルに慣れるまでが大変。

本著で考察される労働、仕事、活動という三つの題目が西洋の歴史のなかで、どのようにして各時代を渡ってきたのか、その経緯をアーレントは入念に考察する。
古代ギリシャを筆頭に言語の起源を辿ることで、その「言葉」そのものの語源、根本に立ち返りながら、意味の変遷過程を見据え、現代性を再考し、今一度冷静に捉え直す。
プラトンやソクラテスによってテオリアが活動の上位に置かれ、それ以降の西洋史を大きく支配することに至るが、近代において生産消費の活動そのものがその上位の位置を奪うに至る。
デカルト的懐疑も、その内省という終わりのない精神的活動を促進させる原動力ではあったが
そうしてアルキメデスの点を見出したことこそが、近代特有の有用性、つまり自然そのものを理解する以上に、その生成「過程」を対象に向ける契機へとつながっていく。

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2024年02月10日

Posted by ブクログ

私的領域よりも公的領域に、そして労働や仕事よりも活動に、人間としての善き生を思い描くアーレントの議論は、ポリス的な生き方(公的領域で人々が交わる)を理想化しすぎでは?という不満はある。

でも、読むといろんな疑問がわいてきて、つまりそれだけいろんな閃きの可能性に満ちていて、興奮ずくめの読書だった。とくに活動についての第5章は、§24の誕生と始まり、§33の許し、§34の約束など、人間への希望を感じさせる発想がたくさんあって感動した。

むずかしくて分からない箇所も多かったけど、何度も読み返して食らいつきたい。

【疑問リスト】

Q. 公的領域における「現れ」だけがリアリティのすべてなの?
・他人によって見られ、聞かれること=「現れ」が世界と自分自身にリアリティを与える、というふうに言ってしまうと、たとえばレイプ被害者や自死遺族などのように、誰にも言えないし言いたくもない、自分自身思い出したくもないような経験をした人たちの、辛い過去や傷つきにはリアリティがない、と見放すことになってしまわないか?

Q. アーレントは「喜び」についてどんな考えを持っていたのだろう?
・アーレントは「私的なもの」を生命ゆえの必然性や必要の領域として描いているが、「私的なもの」の典型である家は、必然(生命への従属)だけでなく喜び(生命への愛)もあるのでは?
・自然と人間の物質代謝を支える労働ではなく、自然の循環過程に抗して世界を作り上げる仕事=制作の方により高い価値を置いたアーレントは、書く人ではあったかもしれないが、「喜んでオムレツを作る人」ではなかったのかもしれないと思った。労働のくりかえしにだって喜びはある、と個人的には思う。

Q. 書かれたものだけがすべてなの?
・活動、言論、思考は物になる(=書かれる)ことで初めてリアリティを得るという考えは、たしかにその通りだなと思ういっぽうで、書くことを特権視する西洋の知的伝統そのまんまだとも思った。また人間のあり方をめぐって、ギリシャ語やラテン語の語源にさかのぼって考えようとするなど、アーレントの議論にはエリート主義の傾向がひそんでいるように感じられた。
・書かれた歴史の後ろで人知れず世を去っていった数多の無名の人たちの、書かれることのなかった生のリアリティは?
・歴史的資料として残らなかった口承は?

【目次】

プロローグ

第一章 人間の条件
1 〈活動的生活〉と人間の条件
2 〈活動的生活〉という用語
3 永遠対不死

第二章 公的領域と私的領域
4 人間──社会的または政治的動物
5 ポリスと家族
6 社会的なるものの勃興
7 公的領域──共通なるもの
8 私的領域──財産
9 社会的なるものと私的なるもの
10 人間的活動力の場所

第三章 労働
11 「わが肉体の労働とわが手の仕事」
12 世界の物的性格
13 労働と生命
14 労働と繁殖力
15 財産の私的性格と富
16 仕事の道具と労働の分業
17 消費者社会

第四章 仕事
18 世界の耐久性
19 物化
20 手段性と〈労働する動物〉
21 手段性と〈工作人〉
22 交換市場
23 世界の永続性と芸術作品

第五章 活動
24 言論と活動における行為者の暴露
25 関係の網の目と演じられる物語
26 人間事象のもろさ
27 ギリシア人の解決
28 権力と出現の空間
29 〈工作人〉と出現の空間
30 労働運動
31 活動の伝統的代替物としての製作
32 活動の過程的性格
33 不可逆性と許しの力
34 不可予言性と約束の力

第六章 〈活動的生活〉と近代
35 世界疎外
36 アルキメデスの点の発見
37 宇宙科学対自然科学
38 デカルト的懐疑の勃興
39 内省と共通感覚の喪失
40 思考と近代的世界観
41 観照と活動の転倒
42 〈活動的生活〉内部の転倒と〈工作人〉の勝利
43 〈工作人〉の敗北と幸福の原理
44 最高善としての生命
45 〈労働する動物〉の勝利

謝辞

訳者解説
文庫版解説(阿部齊)

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2023年09月08日

Posted by ブクログ

買ってから2年くらい熟成させてから、一気に読んだ(読めた)。久しぶりに読み応えがある本だった。

アレントは労働の意味が大きく変わった現代における人間の条件や自由のあり方について論考しているわけだが、このまま2020年代も当てはまる話であるなあと感じた。

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2023年05月27日

Posted by ブクログ

本当に読み応えのある深い本でした。本書は20世紀の哲学者ハンナ・アレントの代表作の一つで1950年代に書かれました。訳者の志水氏も最後に述べているように、どちらかと言えば難解な本ですが、アレントの言葉の定義がわかってくると徐々にスラスラと読めるようになってきます。志水氏が最後に本書の概要をとてもわかりやすく説明されていますが、読者の皆さんはまずは自力で本書を読み進め、最後に自分の理解を補う上で志水氏の解説を読むと良いかと思います。

本書は人間の「活動的生活」を「労働」「仕事」「活動」の3つに分類し、アレント氏がそれぞれを定義づけます。そして人類の歴史(古代ギリシャ以降)において、この3つの序列がどう変化してきた、そしてその理由は何か、を解き明かしています。最初はどう違うのか良くわからないかと思いますが、アレントの言葉の使い方に慣れてくるにつれ、本書の後半ではだいぶ違いが理解できます。

アレントは本書の最後の章で「アルキメデスの点」の話を出します。これは何かといえば、人類は地球に拘束されている生き物であるにもかかわらず、地球を離れて宇宙のある点から地球を見ることが出来るようになったことを、ガリレオ・ガリレイの地動説をもって説明しているのですが、私はアレント自身も「アレントの点」なるものを持っていると思いました。しかもこのアレントの点は、空間的に遠く離れた点という意味だけでなく、時間的にも遠く離れた点に自分をおくことが出来る、という意味で時空間を超えた点だと思います。自身を古代ギリシャにおくと、いかに現代社会(20世紀)の常識が非常識であるか、が描写できるというようなことがたびたび登場します。アレントは非常に視野が広いだけでなく深い(つまり事象の根源を突き止める)ことができる卓越した人物であったと感銘を受けました。

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2023年04月30日

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おもしろすぎる!!!!いま自分たちの生きる「社会」への嫌悪の正体がかなり明瞭に示される。均一化や消費主義ときいてポジティブな印象を受けるひとは稀だろうが、そのことが生命過程との同化といった点から語られる。そこにはなによりも労働の優位がある。しかし本書がそのような啓蒙をめざしたものではないとはいえあえて苦言を呈すれば、このただ生命過程を維持するものとしての労働、消費の終わらない循環のなかにあって、いかに公的領域、仕事、そして活動をとり戻せばよいのだろう。そのことを思うと絶望的にならざるを得ない。

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2022年04月13日

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おそらく半分くらいしか理解できていないだろうが、「出生が人間事象への唯一の希望」という表現は心に残っている。

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2021年02月26日

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人間の条件
(和書)2012年01月17日 19:52
1994 筑摩書房 ハンナ アレント, Hannah Arendt, 志水 速雄


最近ハンナ・アレントさんの影響を非常に受けている。

去年、地震があった頃、大杉栄さんの本を読んでいた。そのあたりが奇遇ではあったが、政治哲学というものを自分自身の関係性の中で考えることが必要だと感じるようになった。

僕は政治というものを軽蔑していた。なぜならばナザレのイエスもソクラテスも政治的敗北によって死んでしまったと思っていたからである。どうせ政治的には負けるに決まっていると半ば絶望だと認識していた。しかし自分が生きるなかの関係性において政治的に負けるとわかっていても、やらなければならないことがある。それはマルクスに言わせれば無条件的命令、カントだと至上命令、ナザレのイエス、ソクラテスなら何になるだろうか?

その中で僕は柄谷さんに言わせれば深刻な病に陥った。僕個人にとっては徹底的な政治的敗北を痛感した。それに対しどうすればいいか途方に暮れるばかりだった。イエスのように「何故神は我を見捨てた給うたのか」と言いたい状況だった。政治的敗北ではあったが宗教的には成功したのか?そういう見方もあるだろう。それは考えない。そんなことを期待すること自体間違っていると感じる。

そんな中で政治的敗北を考えるより政治哲学としてそれを止揚するというか乗り越えることを僕は考えるべきだった。実際、考えていた。しかしそれをもっと明確にして行くべきだと考えるようになった。そのためにハンナ・アレントさんの作品はずば抜けて有益である。

これからも他の作品を読んでいきたい。

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2020年09月26日

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長かったし、半分も理解できたのか分からないのだが、「何かの始まり」であるような気がする。つまり、数十年後に読み返したとき、「これは自分の思索の出発点だった」と振り返るような予感である。

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2019年10月19日

Posted by ブクログ

3回目のチャレンジにしてようやく読み終わった…!

これ一冊に物凄い量の教養が詰まってることだけはわかった、人に説明せよと言われてもできないけど。

しかし、善意は大っぴらにやってはすでに善意ではないとか、物は使われなければ意味がないとか、自分なりに共感する部分は多々あった。

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2017年06月24日

Posted by ブクログ

読み直したさ:★★★
労働・仕事・活動。世界性。多数性。マルクス。第六章にて「最大多数の最大幸福」についての指摘あり(その点に関して、功利主義の失敗などにも他箇所で言及あり)。
〈感想〉
たしかに、しかし、〜だからである、と分かりやすく文章が続くので読みやすい。最初のうちは諸概念の理解に苦労したが、考えて読んでいれば後半は楽になる。自分のもつ視点によって得られるものが違うと思うので、また読み返したい。

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2015年01月28日

Posted by ブクログ

アーレントのいう「人間の条件」とはつまり、生命それ自体=生命を維持しなければならないということ、世界性=耐久性をもった人工的環境がなければならないということ、多数性=一人一人違った人間が共生しているということ、の3つである。
そして人間はこの3つの条件に基づき、消費物を生産する「労働」、耐久財を製作する「仕事」、公的領域に出現して他者と関係を結ぶ「活動」を行っている。
本書は、「労働」「仕事」「活動」それぞれの特性を、哲学史的背景とともに掘り下げながら、3つのうち何が最も重要だとみなされてきたかという、ヒエラルキーの変遷を記述するものである。
アーレントの議論は時系列に沿って展開するわけではないが、あえて時系列に沿って整理すると次のようにいえると思う。

古代ギリシアにおいて市民たちは、「労働」「仕事」を私的領域(家政)に属するものとして軽蔑した。自分たちはといえば、ポリスという公的領域において自らの卓越を表現する「活動」に余暇を費やした。【活動>仕事>労働】
プラトンは、「知っている者=思考する支配者」と「行為する者=実行する被支配者」を二分する哲人政治を提唱し、「活動」=政治のもろさを「仕事」の確実性に置き換えようと試みた。【仕事>活動>労働】
キリスト教は、個人の生命の不死を説き、生命を神聖視した。「労働」「仕事」「活動」のすべてが生命に従属するものと見なされ、均質化をもたらした。結果として、労働はかつてのように軽蔑されなくなり、むしろ奨励されるようになった。【労働≧仕事=活動】
あらゆるものに「疑い」の目を向けたデカルトは、あの有名な「われ思う、ゆえにわれあり」という一つの真理を、自己の精神の内側に見出した。「デカルト以降」の近代人は、自己の外側を取り巻く世界のリアリティを失い、他者の存在や人間一般に対する関心は薄れた。【労働?仕事>活動】
マルクスは「労働」こそが最高の価値であるとし、ニーチェは生命こそが人間のすべての力の根源であるとした。【労働>仕事>活動】
そしてデカルト的懐疑によりかつての信仰は失われ、近代人は再び死すべき存在となった。が、世界は依然としてリアリティを欠いている。人間はいわば自己の精神の内部に幽閉された。その結果、唯一不死のものと見なされうるものとしては、「種としてのヒト」の生命だけが残った(種として永遠の循環を繰り返す動物と同じレベルに成り下がった)。

アーレントは現代における「活動」の地位低下を嘆く。
自由な「活動」を保証するということ。日本はどうか?
市民参加を是とする政治制度、異なる意見を尊重する成熟した雰囲気、公的領域と私的領域の峻厳な区別……いずれも日本はまだまだ未熟と言わざるを得ない。
党議拘束が存在する議会政治は民意を正しく反映していないし、人々の間で政治的話題はタブー視される。ほとんどすべての選挙において、本来的には公的領域に属さない「経済」が争点となる……

もちろん、アーレントが理想としたような“純度”の高い公的領域は、現代では実現不可能だろう。しかし、「活動」が軽んじられ、個人が尊重されない現状に甘んじていれば人間の自由は侵されかねない。人間は自らの尊厳を保つために、絶対的真理など存在しないこの世界で、終わりのない「活動」に身を投じなければならない。

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2014年10月11日

Posted by ブクログ

10年程前に精読し、書き込みなどでかなり痛んでしまったので、今回新たに買い直して再読しました。
私は長年「なぜこんなに辛いのに死んではならないのか?」「なにを心の中心に置けば安心できるのか?」「私はなにのために生きれば良いのか?」といった問いに苦しまされ、若い頃から哲学や宗教などの思想を学んできましたが、この本以上に心にしっくりくる思想には未だに出会ったことがありません。かなりさりげなくですが、アレントも指摘している通り、あらゆる哲学は、それぞれに参考になり面白みもあるけれど、結局は都合の良い究極の真理(=神)を創造しているに過ぎないようにしか思えないからです。宗教も同じことですが、それはただ神という架空の概念に寄り掛かり、思考停止しているだけであるように私には思えます。アレントはそういったわかりやすい神を創造せず、そのために人類の絶望的な状況への対策も提示していません。この意味でアレントの思想はインパクトに欠けるかもしれませんが、でも誠実だと私は思います。
難解ではありますが、古代から近代までの様々な思想を網羅し、「労働・仕事・活動」や「公的領域・私的領域」といった興味深い概念を用いて「我々がしていること」を精密に分析していますので、少しでも哲学に興味のある方にはぜひ読んでいただきたい一冊です。

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2014年09月07日

Posted by ブクログ

読み終わるのに3ヶ月ぐらいかかった。
本書の内容は殊更に述べる必要もないだろう。人間の活動力を労働、仕事、活動(言論など人々の間で行われるもの)に分け、今日は人々が種々の利害に囚われず活動する公的領域がなく、労働だけが支配し、人々が政治に参加せず(=活動せず)ただ生産と消費に終始する虚しい社会になったよね、という話。

僕が注目するのは、以下のようなことである。
アレントは、ただ食っちゃ寝の「労働」の虚しさから人を救うのは永続する世界を作り出す仕事で、何のために作るんだかわからない「仕事」の虚しさから人を救うのは物語を作り出す「活動」であるという。
そして、注目すべきは(あとがきでもスルーされているが)、何やっても思い通りにはいかない「活動」に救いを与えるのは「許し」と「約束」であるということである。
これは目に見える人と人との関係性の中でのみ生まれ、あらゆる形で概念化され習慣化されている。しかし今までそれはよく研究されてこなかった。それは手段としてしか考えられてこなかったからだ。しかし、それはもしかしたらそれ自体として重要な……あるいは可能性としては絶対的な……価値を持つものかもしれない。

何を言っているかわからないという人はよろしい。ともあれ、本書はあまりに示唆に富み、学ぶところ多い書である。是非根気よく取り組んでみてほしい。

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2012年03月23日

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内容にも納得やし、自分の経験と結びつけて考えられる話も多い。人の前に現れないとと思う。なるほどな、の段階にはいけたので、その上での意見は?

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2024年03月24日

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全体主義の問題に向き合った政治哲学の書籍である。
本書はジャン・ジャック・ルソーについて、国家の抑圧に対する反抗ではなく、「人間の魂をねじまげる社会の耐え難い力にたいする反抗や、それまで特別の保護を必要としなかった人間の内奥の地帯にたいする社会の侵入にたいする反抗」を評価する(61頁)。この視点は集団主義的な日本社会にとって特に重要である。
本書は詩や音楽、小説のような芸術の隆盛と連動して建築のような公的芸術が衰退したと指摘する(62頁)。ここにはトレードオフの関係がある。公的芸術は壮大であるが、集団的な成果を追求することは個人を押し潰す面がある。大勢の人を駒としなければ成立しない芸術が衰退することは個人主義の見地から好ましいことになる。
本書はプルードン解釈も面白い。プルードンは私有財産を批判したが、全面廃止には躊躇したとする(95頁)。何故ならば全面廃止は暴政というより大きな悪をもたらすためである。これはソ連型社会主義の失敗を予見する指摘である。
その上で本書は私的領域の重要性を指摘する。金儲けのための私有財産ではなく、生活の場として私的領域が保護されるものである(102頁)。この点はマネーゲームや競争重視の自由主義者や新自由主義者にはき違えがあるだろう。

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2021年09月17日

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公的領域。活動。言論活動で政治生活。差異をもった他者との対話。集会での発言。言葉で説得。各個人の経済利益の調整ではなく、共通の利益や関心について話し合う。自分がだれであるかを示す開かれた場。多様な意見をもつ人々が自発的に政治に関わる。政治に自ら積極的に参加し、公共的な役割に身を投じ、戦争のときには国のために勇敢に命を捧げる。スポットライトを浴びる場。自らの卓越さをしめす場。素晴らしい領域。人はポリス的動物(アリストテレス)。言葉を発することのできる存在。古代ギリシアのポリス素晴らしい。▼しかし、経済論理で動く政府、政治の大衆化が公的領域を侵食し始めた。社会的領域。大衆の世界。画一主義(全体主義の種)。受動的な生活で満足。経済の論理で動く。けしからん領域。現代の大衆は労働と消費を重視、古代ギリシアでは労働と消費は否定的に捉えられた。現代の大衆は公共の領域で他者といっしょにあまり活動しない。古代ギリシアでは公共の領域で活動していた。現代では社会的領域が巨大化した。古代ギリシアでは私的空間か公共の空間だけで、「社会」という領域はなかった。 ▼評議会に期待したい。市民の間で自然発生的に評議会が形成され、それらをまとめる評議会が生まれ、革命を推し進める。フランス革命、ロシア革命、ハンガリー革命。1930年代ドイツではそうした市民が発言する場・公的な領域が失われていた。ハンナ・アレントArendt『人間の条件』1958 →参加民主主義

※”労働”は日々の糧を得るため毎日やるもの。自分と家族の生存のため。働いて、生きるために必要なものを買う。生命を維持するためのもの。死んだら何も残らない。閉ざされた薄暗い場。くつろぐ場。▼労働が人間をつくる(マルクス)のではない。公的な領域で活動することで、自分が誰であるかを示す。
※”仕事”は一回限りの個性的・創造的な作品(芸術・文学作品)を残すもの。
※古代ギリシアのポリス。人口多くても数万人。

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2021年08月23日

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人間の条件すなわち労働と仕事と活動を分析し考察することで近代社会における思想的体系の再構築を図る。

ハンナ・カレント氏自身、ナチス政権下で祖国ドイツそしてパリを追われ国家の庇護を得ぬ脆弱な基盤を背景に、思想と行動をより強固により具現にすべく社会運動家と思想家として彼女の熱量を感じる。

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2021年04月17日

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(01)
一義的には労働批判であり,特に近代の人間の条件として現れた労働についての批判である.しかし,射程は宇宙的であり,地球規模をも超えており.個と全体との間にある様相を世界として,活動と仕事という人間の他の条件により,労働に並置して,批判を企てている.
古代ギリシア(*02)の市民文化を説き起こし,近代英語の語幹に残る原義を用い,デカルトやマルクス,あるいはハイデッガーを越える議論を目論んでいる.宗教,経済はもちろん,政治や権力,そして科学の姿をひととおり描いたうえで,家や個人,プライバシーの領域にも縦横無尽に切り込んでいる.
芸術や歴史,あるいは倫理,そして愛や救済についても筆は及んでおり,それら人間を条件づける諸属性の連関を解き明かしている.
したがって,20世紀から21世紀(*03)にかけての哲学や人間性についての基礎テキストとしての使用に耐えうる聡明さが本書には著されている.

(02)
プラトンやアリストテレスへの立ち戻りと批判は,近代と古代の比較により,次を論じるために重要な過程となっている.古代ポリスの奴隷制度から近代都市の労働者へとつなぎ,近代において特殊に現れた「社会」という場(あるいは,昨今,プラットフォームと呼んでいるもの)や権力という統治手法についての理解を助けてくれる.
イエスやキリスト教の相対化についても興味深い指摘がある.神学の問題としてよりも,哲学の問題として,イエスの言動を取り上げ,聖書テキストに取り組んでいる点は,神と神々についての言及とともに注意が必要だろう.

(03)
消費社会の入口において書かれた本書に,富や財産がこれまでどのように扱われてきたかを示し,その先に起こった問題のありどころも示唆している.オートメーション,進化論,ミメーシス,ポイエーシス,共生など,その後の現代思想に引き継がれた課題も本書に散見される.
都市問題としても,例えば,活動の古代,労働の現代をごくおおまかに布置すれば,仕事の中世が見えてくるのかもしれない.仕事人や工作人といった類の人間の条件は,それゆえに,中間項として見出されているようでもある.この仕事について,ディテールを描く作業は,わたしたちに残されているようにも感じた.

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2019年06月02日

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アーレントの『人間の条件』をおもむろに手にとって読んでいた。「人間の条件は、自然にも人工物にも条件づけられた存在である」というテーゼ。特に、人工物に条件づけられる存在であることがポイント。

人工物を生産するのは、工業化の中での生産や、科学的実験における人工的状況の生産。

近代科学の始まりとともに、それまで自然を対象にしていた(人類の)思考は、自らの行為を対象にした。科学は、自然の中の真理ではなく、自らで仮説を創造し、その仮説の中の真理を確認する営みであるとしている。

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2018年05月22日

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 人間の活動を分析した本。生命を維持するための労働。物による人の世界をつくり出すための製作。人と人のつながりをつくり出す活動。今まで一度たりとも考えたことがなかった視点から人間が分析されていた。
 差別や貧困、政治的腐敗、終わらない戦争等々なんと人類は愚かなのだろうと絶望していたが、この本を読むとそれが当たり前なのかなという気がしてきた。そして、その人間の本性は少しづつ変化しながら未来へと続いていくのだろうな。
 希望は持てないが多少冷静にはなれる本。

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2018年03月11日

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人間の条件 ハンナ・アレント ちくま学芸文庫

政治思想家と言う触れ込みだけれど
哲学者と言うべきだと思う
しかし法律書を読むように気の重い文章である
単語がシックリとこないしクドイ
それでも内容に惹かれて五百ページも読むことになる

プルードンの格言に
「財産とは盗みなり」とあるという
しかも彼は財産をすべて人間社会から
取り上げてしまうことで
暴政を発生させてしまうことの方を恐れたとある
コレこそ何とかしなければならない
パラドキシカルで皮肉な話だ
視野を広げた意識の成長によって邪な自らを
管理する方法を編み出せるはずであると思う

(私とあなたが双方に選び合うことで出合いが起こる
個と集合の対等観の関係がつくりだす相乗効果
生き延びる為の行為である天性による《労働》から
物質的に豊かになるための行為である人為的な《仕事》へと発展し
更に精神的に成長するための行為であるお互いの《関わり》へと向う
アクションを起こして意識上の全体観へと飛躍する)

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2018年01月30日

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ハンナ・アーレントの代表作の一つ。vita activaの三類型として、労働、仕事、活動が提示され、その各々の領分が、古代ギリシャ以来の思想や歴史を参照することによって、画定されていく。極めて多くの素材が取り込まれており、『全体主義の起原』や『革命について』など他の彼女の作品との関連も匂わせる記述が多々見られる。そういう意味で、彼女の代表作と呼ばれてしかるべき一冊だろう。

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2016年04月16日

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第1章 人間の条件

[要旨]

〈活動的生活〉は人間の3つの基本的な人間の条件である、労働・仕事・活動を示すものである。その中核は、不死への努力である。一方で、それと本性上矛盾する形であるのが、〈観照的生活〉である。これは、絶対的な「静」を理想としており、永遠なるものの経験をその中核にもつ。そして、ローマ帝国の没落や永遠なる個体の生命を説くキリスト教の福音が、西洋人の排他的な地位を占めるようになったという2つの事件を通して、不死への努力が空虚なものとなったことで、前者は後者の侍女となり下がってしまった。近代がこうした伝統と訣別し、ヒエラルキーの転倒がマルクスとニーチェによって行われたが、〈活動的生活〉の中核である不死への努力が忘れられたままであったので本質的な違いは生まれなかった。

第2章 私的領域と公的領域

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2015年02月24日

Posted by ブクログ

この本は、生き甲斐を考える上での思考の土台を作ってくれる。自分探しの前に読むべき。
人間の条件を、「労働」「仕事」「活動」の三点から、数多くの思想家の言葉や書物や当時の科学の発見を引用しながら、淡々と現したものである。その幅は広く、そして深い。理解に達しているとは言い難く、これから何度も読むことになりそうだ。
結局のところ、どう生きるかは、どう世界を捉えるかとほぼ同義である。故にその前提を何処に置くかが重要である。生物学的にヒトだとしても「人間の条件」を必ずしも有しない、というのがこの本の言いたいことでもある。
友情ものの物語では、「ヒトは一人では生きていけない」という思考停止ワードだけで終わらせるところであるが、この本は最初に提示した三つの言葉を中心に掘り下げる。補足もたくさんあり興味深い。

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2014年07月10日

Posted by ブクログ

本書では、「活動的生活」の中核たる不死への努力を浮き彫りにしている。第1章によれば、「活動的生活」は、労働、仕事、活動という三つの活動力からなる。第2章によれば、かつてポリスでは家族という私的領域を前提とし、その上に公的領域での政治的活動は展開されていた。しかし、公的でもなく私的でもない社会的領域が近代に勃興したという。第3章の議論によれば、「労働」とは、生命維持の必要物を生産するための活動であり、マルクスのようにこれを「仕事」と混同すべきではない。第4章は、「仕事」を扱っている。「仕事」とは、耐久性のある物をもたらす行為であり、これが活動や言論が存続するための条件となる。第5章によれば、「活動」は、たんなる生命維持の過程から人間を解放して新しい「始まり」を示す行為であり、これは、人間が活動と言論という他者との関係の中でユニークなアイデンティティを示すことでもある。第6章は、活動的生活と近代の関係が扱われている。それによれば、近代では生命過程こそが最高位に位置づけられるようになり、近代の技術と諸理論は、いわばこれに貢献している。アレントは、労働や仕事が人間生活に不可欠だが、これらからは人間的な生の意味が生じないとを訴えているように見える。

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2018年02月20日

Posted by ブクログ

500頁を超え、さまざまなテーマやアイデアが布置されているこの著書をレヴューするのは難しい。
観照(理論)と対照させながら、〈活動的生活〉内の、労働、仕事、活動の推移を見るというのが概略。
第1、2章の読みにくさを通り越せば、いくらかアレントの言いたいことが視えてくる。

神を利用する必要のなくなったあとの哲学書は、別のところに人間の行動の根拠や目的、担保を求めなければならず、
アレントのそれへの応答が〈約束〉や〈許し〉なんだろうけど、代置された概念は、なんと脆くみえることだろうか。
それが人間のもつ困難だ。
そのことからか、アレントは仕事に依拠した科学への関心を示しているんだろう。

活動、とくに言論に価値を見出そうとする彼女の筆。
テーブルである公的空間と活動のかけあわせによる論筋は、さすがオオモノ現象学者のもとにいただけはある。
ただ、言論に何をどう見出そうとしたのかは具体的にはわからない。
公的〈場〉の設定をした後は?
〈最大多数の幸福〉という語が散見され、ベンサムが最後に登場しているように、
おそらくこういうところに、彼女の政治の目的が見えるんだけれども、
どう政治‐言論と、生の幸福を結びつけるのかという部分は、
『革命』『暴力』に持越しかな、というところ。

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2012年07月02日

Posted by ブクログ

名著だと思う。ハイデガー・ブルトマン・ヤスパース等に薫陶をうけながらも、ナチスの台頭によって、フランスへ逃れ、ユダヤ人として収容所暮らしもしたアレントが、国を失った人間の「生存の恐怖」を感じながら、亡命先のアメリカで1958年に上梓した政治哲学の書である。テーマは「私たちが行っていること」を理解することで、文中では「どうすべきか」という主張を抑制しているが希望も語っている。全体として、西洋古典文明・キリスト教・デカルトの懐疑・ガリレオの科学革命などの分析を通し、生命観・宗教・科学などを分析し、これらの営みが深く政治に関わっていることを指摘している。人間の行動は「労働」(生存のため消費されすぐに消える物を作る行為)、「仕事」(世界のなかで比較的長く残る物を作る行為)、「活動」(演じる等の行為で人の多数性に依存する行為)の三つに分かれる。また、公共は「テーブル」であり、そこに集う人間を集めると同時に切り離す。テーブルがなくなれば、私的領域も消え、ただただ孤独な人間たちが、同じように振る舞うように強制される「社会」が台頭してくる。ギリシア・ローマの古典文明では、公共の領域は人に見られることで「自分が誰か」を示す場であり、はかない生命の人間がその中に「勇気」をもって自己を顕し「活動」することで、不死の生命(名声)を得ようとする場であった。キリスト教はこの価値観を転倒し、世界こそはかなく、「魂こそ不死」と主張した。これによって、公共で不死を得ようとする「活動する人間」の源泉を奪ったのである。しかし、キリスト教的生命観もデカルトの懐疑によって決定的痛手をうけ、「欺く神」の「不条理」のなかで、魂の不死も信じられなくなった。「仕事」は芸術作品のように「世界」にのこる物を樹立しようとする孤独な行為であるが、イデアを「世界」に写し取る行為でもある。イスを作る職人はイスのイデアをみて設計するのだ。プラトンはこの「仕事」の行為を政治に応用し、哲人王が考え、民が行動するという支配を考えた。アレントによれば支配は政治からの逃走である。政治は本来、多数の人間が「活動」することなのだが、「活動」は人の網の目の中で作用・反作用をくり返し、本来、とりかえしもつかないし、一定の範囲に閉じ込めておくこともできない。これを無理矢理、型にはめるのが支配なのである。この型が「仕事」をする人が用いるイデアである。「仕事」は近代の価値観のなかで勝利を収めるが、ガリレオによる望遠鏡の利用は人間に地球外へ離脱することを教え、デカルトの方法的懐疑によって「世界」からも離脱し、存在するものは自分の精神だけとなった。「仕事」をする人間は自分が働く場であり、物を残す場でもある「世界」を失ったのである。こうして、自然への無制限の暴力、環境破壊がおこってくる。「労働」は生存と結びつき、自然のリズムのなかで行動する喜びをともなっていたが、産業革命以降、消費社会の台頭と連動して、リズムが加速され、人間的な行動ではなくなっていく。そして、ただやみくもに消費し生存する形にゆがめられた「労働」だけが残る。ここでは「生命」が「最高善」とされる。歴史は「労働する動物」の勝利の過程であった。現代は「不死」を信じないのに「人の命は地球より重い」と考える時代で、「生きるために働く」のか「働くために生きる」のか分からない時代である。生命を維持するという目的はあるが、生きる意味を見出せないのだ。だが、「目的」ではなく「意味」を思考し、「活動」の「とりかえしのつかない」ことを「許し」、「約束」をして「活動」の意味をふたたび見いだすところに希望はあるのである。アレントは東洋の思想については述べていない。東洋思想がアレントの指摘とどう結びつくのかということは課題として残る。

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2012年06月01日

Posted by ブクログ

これはいい本だと思う。広く勧めたい。
しかし、かと言ってここでのハンナ・アレントの思想に深く共感できるわけではなく、そもそも彼女の思想は私には非常に隔絶したところから不意にやってくる「他者の声」にすぎない。それでも、この本は素晴らしく豊かな示唆に満ち、読者に沢山の思考をもたらすだろう。考えさせてくれる本である。
ただし、論述が下手なせいもあり、また、発想があまりに独創的なせいもあって、少々わかりづらいかもしれない。たとえばアレントは「活動力」を「労働」「仕事」「活動」の3つに分けるのだが、「労働 Labor」と「仕事 work」の違いは、どうもわかるようでわからない。
先が見えない(論旨のみとおしがたたない)文章なので、どうもわからないようであれば、繰り返して読むことをおすすめする。

現代が「労働」(と消費)に覆い尽くされ、活動(他者とのコミュニケーションや論述)や(創造としての)「仕事」が抑圧されてゆく、というハンナ・アレントの予見は鋭い。この本は1958年のものだが、まさに現代は彼女の予想したとおりの事態に至っているのではないだろうか。

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2011年07月10日

Posted by ブクログ

1958年、ユダヤ系ドイツ人であるハンナ・アレントによって出版された政治理論を扱う英語版の訳書。彼女自身、ユダヤ人であるという偶然性によってナツィによる迫害を受けた経験をもつため、人間は先天的な要素ではなく後天的で自発的な行動が見止められる存在であろうと説かれている。
アレント思想のその後の軸ともなる用語-例えば「労働labor」「仕事work」「活動action」-はたくさん出てくる。けれども、ここで強調されるのは、人間が、有機体として種の生命を担うと同時に、個人として独自的な生も担い、誰一人として同じ人間などいないということ。『人間の条件』では、そのような人びとが、それぞれの独自性を保ちながらも、他の人びとと共生してゆく政治について論じられている。

※アレント自身の英語が整理されきれていないせいか、時に誤訳があるの。例えば27ページ「アウグスティヌスは、少なくとも市民であることが以前は何を意味していたかと言うことを知る最後の人物」など。
またアレントの著書の多くがドイツ語と英語で残されているため、訳語の統一が未だに不完全。

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2019年01月16日

Posted by ブクログ

現代では、人が「必要」から解放され、自由のままに自分が自分であることを表現できる「公的領域」が無くなってしまっている

■本書のメッセージ
・人間は「労働」「仕事」「活動」という3つの活動力で、人間は環境に関わる
・かつてギリシアのポリスにおいては、「活動」が公的領域でなされた。言論によって、自分が何者であるか、他者と異なるということを示していた
・しかし、現代にかけて、公的領域は消滅した。人間の自由な活動は無くなり、生命維持のための必要にかられた労働偏重の世界となっている
・公的領域は無くなり、私的領域が全体に拡大しつくした現代において、本当に、個人本来が自由に生き、行動をすることは極めて困難となっている

【感想】
 生命維持の活動に追われていて、人間本来の活動ができていないのでは、という主張には納得する。これだけ働かないと生きていけない社会はどこかおかしいと思う。現代はどれだけの人が自由さを感じているだろうか。起きている時間の大半を仕事や労働に費やしている。社会のシステムが、それを人々に強いているなと思う。 

 哲学や社会思想家の基礎知識と、偉人たちの論理が自分のアタマの中で整理できていないと、読むのに大変苦労する。哲学科の大学4年生か修士ぐらいの前提知識が要求されている気がする。アリストテレス、プラトン、マルクスなど、有名な哲学者や思想家をたびたび引用しながら語れるが、そもそもその偉人たちが哲学界でどういう位置づけたるかを知らないと、筆者の主張とどう対比されているのかが読み取れない。

 分厚い哲学書は初めて読んだ。読書会で3回で読んだ。自分の主張の正当性をアピールする手法が、社会科学と異なることは、私にとっての発見だった。とにかく文章を重ねて綿密に論理を練る。過去の偉人たちの主張を借りながら、自分のコンセプトを述べていく。データを使ってサポートするのではなく、偉人や有名な書籍の言葉を使いながら論旨展開を行う。そこそこ説得力はあって、「まぁそうかもな」とは思わされる。
 社会科学者の研究は、こういった哲学者たちの作ったコンセプトや問題意識の延長線上にあるのだろうな。

 読んでもここまで理解が困難な文章は初めてだったかもしれない。著者はドイツ語を母国語として、英語で書いたというから仕方ないのかもしれないが。文章が極めて下手なので、人に薦めづらい。主張やコンセプトは練り上げられているから、惜しい。

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2022年08月13日

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