倉本知明のレビュー一覧
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決して他人事で言ってるわけではないですが、台湾の歴史はすごい。とても複雑に絡まり合ってるし、親子でも言葉通じないくらい変化が激しい。
そんな大変な社会に生きながら、悲しいことも乗り越えながら、タフでエネルギッシュで明るく暮らしている台湾の人たちを心底尊敬します。
主人公の蔡焜霖さん、調べたら一昨年92歳でお亡くなりでした。もっと早く知りたかったな。お疲れ様でした。
自分と40年近くも人生がオーバーラップしている方がこんなに大変な人生を送ってたなんて。親とか祖父母とか同じ時代を生きたどなたかの目線で社会を振り返るって、教科書的な歴史の勉強とまた違う。知ってるつもりで知らなかったことがいろいろ出 -
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呉明益の最初の長編小説。解説にも書いてあるが、『歩道橋の魔術師』で描かれる中華商場、『自転車泥棒』で描かれる台湾の過去、『雨の島』『複眼人』などに出てくる超自然的な視点等々、その後の呉明益作品のエッセンスがこれ一つの中にほぼほぼ全て含まれているように読める。本当に面白い。
が、しかし、全く分からんというのが率直な感想である。
大筋だけをざっくり捉えるなら、語り手の「ぼく」に突然現れた規則的な睡眠という睡眠障害が治るまでの物語、という説明で合っていると思う。基本線をそう考えるなら、問題は、どうして「ぼく」は睡眠障害になってしまったのか? どうしてその睡眠障害は、8時間の睡眠が3時間ずつ後ろにず -
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漫画の4分冊の大作といえば私は「アドルフに告ぐ」(手塚治虫)を思い出す。私が大学時代に読んだ「初刊『アドルフに告ぐ』(文藝春秋刊全4巻)」のことだ。だが「アドルフ~」が史実を下敷きとしながら登場人物のほとんどは手塚の創作なのに対して、「台湾の少年」は蔡焜霖という実在した台湾人の波乱の生涯が脚色された物語だ。
ところで私が改めてこの本の読後に愕然としたのは、私が台湾の歴史をあまりに知らないという事実を突きつけられたことだ。私が「アドルフ~」を読んでいた1980年代後半の大学生の頃までに並行して、台湾では1987年7月15日に解除されるまで、1949年5月に発布された戒厳令が数十年継続していたの -
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前々回の台湾総統選挙。国民党の朱立倫が負けて民進党の蔡英文が選出されたあの歴史的選挙から8年も経ったことになる。早いものだ。台湾には2015年10月13日から2016年3月19日までおよそ半年間の在外研究で滞在したのだが、ランタン飛ばしのイヴェントに朱候補が来ていたのが思い出される。あの時の国民党は内部紛争もあり、ガタガタで到底朱候補が勝てそうな雰囲気ではなく、結局、総統選も立法院の議員選挙も民進党が圧勝した。ただ、私も周りの先生方の中では必ずしも蔡英文支持が多かったわけではなく、何となく醒めた目で見ていたのも印象的であった。現地の雰囲気というのはそこにいないとなかなかわからないもので、その意
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台湾が好きで、何度も旅行したことがある。
とても風通しがよい国だと感じていたが、ほんの数年前、数十年前に、このようなことがあったのかと、驚く。
私は、白色テロの時代、緑島に収監されていた人々はヒーロー的存在で、人々から尊敬されていたのかな?なんて呑気な想像をしていたが、釈放後もその身分は監視され、社会に適応できず長く苦しめられていたこと、また、その過去を自分の子供たちにも伝えられない期間が長くあったことなどを知り、まちがった政治が人々をどんなに苦しめていたのか改めて知った。
1988年の天安門事件が起きるまで、中国が台湾よりも開放的な国だと思っていたという発言にも驚いた。
台湾の歴史を勉強し -
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台北で暮らすフリーライターの「ぼく」は、数十年に一度と言われる竹の開花を見るために陽明山に登るが、その日から睡眠のリズムに異常が起きていることに気づく。睡眠の異常に悩む「ぼく」の意識は、やがて太平洋戦争末期に神奈川県の高座海軍工廠に少年工として十三歳で渡り、日本軍の戦闘機製造に従事した父・三郎の人生を追憶していく。戦後の三郎は、海軍工廠で働いた影響から難聴を患いながらも、台北に建設された中華商場で修理工として寡黙に生活を送っていた。中華商場での思い出やそこでの父の姿を振り返りながら「ぼく」は睡眠の異常の原因を探るために日本へ行くことを決意し、沈黙の下に埋もれた三郎の過去を掘り起こしていく。三
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『なぜなら、記者の同情が嘘っぱちだなんてことは誰でも知っていたからだ。それに比べて、作家という存在はいわゆる作品の「深さ」を表現するために、物語を盗んだ後に憐みからかあるいは対象への理解からか、二粒ほど涙を流すふりをしなければならなかった。たとえその物語の主人公が、自分の両親であったとしてもだ』―『第二章 夜は最もいい時間だ。眠りに落ちるのが困難なとき、それはお前の耳にちょうど死者たちの叫び声が届いてしまったからだ。J・M・クッツェー「夷狄を待ちながら」』
ああここに「複眼人」に、ここには「自転車泥棒」に、そしてもちろん物語全般を通して「歩道橋の魔術師」に展開していく筈の物語の種が既にある。