フィッツジェラルドのレビュー一覧
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Posted by ブクログ
アメリカ文学の古典的名著ということで、読まずにはおれんだろうというミーハーな気持ちで手に取る。
ディカプリオの映画予告編のイメージが強いからか、乱痴気騒ぎのエンタメ小説かと思っていたが抒情的な栄枯盛衰物語でしたね。
後半の展開で徐々に明かされるギャツビーの人物像とその魂胆、終盤の展開とハラハラさせれたな。
ところどころの風景描写の色彩豊かさ、情景を想起させる名文であることが翻訳ではあるが随所に感じられる。名家として根っからの富豪に対するきな臭い成金のギャツビーという対比、もっと大枠の上流階級と一般市民のパワーバランス、作品構成として非常に引き込まれる練り上げ方をされている。時代も国も違うけど -
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何回目かわからないぐらい読んでいるけれど、今回は津村さんの世界文学の紹介をきっかけに再読。
フィッツジェラルド節満載で相変わらず文体がカッコいい。そして前回読んだ村上春樹訳とはまた違った味わいがある。こちらの方が読みやすい。
全員がどこかしら一癖ある西部出身の登場人物達が東部ニューヨークの風に馴染めず、それでもしたたかに生きるトム、デイジー、ベイカーに対し、やはり馴染めずに帰郷する語り手のニック、そして過去よもう一度とばかりに不器用ながら純粋に生きるギャッツビー。誰かに感情移入するということはなく、1920年頃の時代の雰囲気を感じることができる。
難しいといえばそんなことはないのだけれど、決し -
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ネタバレすごく好み。今読んで良かったと思う。
ディカプリオ主演の映画を見て、小説も読んでみようと思った。
何社かから出版されていたので、本屋で迷った。私が外国の本を選ぶ際に重視していることは、日本の小説のように文脈に違和感を感じずに読むこと。外国語に忠実に訳されたところで、回りくどかったり日本語として成り立たず理解できなければ意味がなく、そんなに細かい言い回しが知りたいなら原文で読んだら良いと思うので。
まず村上春樹訳を手にとってみた。装丁の可愛さから初めに目を付けていたけれど、中を見てみるとザ・村上春樹という文体で、「オールドスポート」がそのまま書かれている。次に手に取った新潮文庫は日本語が古 -
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サリンジャーが少年期ならば、フィッツジェラルドはまさに青年期にふさわしい。
失ってしまったもう戻らないもの、失うまいと光を追い求める人々、この短編集に出てくるすべての悲しみや情熱や美しさや儚さは、全部わたしたちの中にあるものだ。失ってしまったものを取り戻すために、それらを思い出すために文学が存在するとしたら、フィッツジェラルドは永遠に忘れ去られることはないだろうと思う。
原題は"ALL THE SAD YOUNG MEN"だが、これを『若者はみな悲しい』と訳した翻訳者のセンスに敬意を表する。
若者はもちろん、かつて若者であったすべての人々に読んでもらいたい作品だ。
中でも -
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『グレート・ギャツビー』との接点は映画版(2013年)くらいで、観た当初は訴えたい内容が何も伝わってこなかった。
原作に挑戦した今でも掴みどころがないのには変わりないが、どことなく記憶に足跡を残す物語である気がしている。
舞台は「狂乱の20年代」と呼ばれた、1920年代のアメリカ。
自動車に映画館、ジャズ・ミュージックで彩られた豪華なパーティーと、作品の端々でギラついたアメリカが垣間見られる。タイトルの『グレート・ギャツビー』自体、まさに「ギラつき」の代表格ではないだろうか。
しかし、当の本人であるギャツビーさんは全くの謎に包まれた人物で、それこそ掴みどころがない。
誰も彼の出身や経歴につ -
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ネタバレ再読。以前に読んだのは15年ほど前。
当時、関西の家を引き払い、金沢に引っ越す直前に読んでいた。
詳しいことは忘れたが、冬の夢を気に入ったのを覚えている。
関西に戻って長く時間が経ったいま、再読し、当時のことを思い出した。
青春の甘さと痛みというかんじ。
小川さんはラヒリの翻訳で出会い、気持ちのいい、キリッとした日本語がカッコよくて大好きだった。
今回、ふとまた再読し、改めていい一冊だなあと思った。
あとがきにあるように、フィッツジェラルドは視覚処理の上手い作家なのだろう。
登場するヒロインや若奥さんがわりとどれも似ている。
(野心的な若いアメリカ男も似ている。整髪料の匂いまでする気がす -
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あくまで平民出身の人は貴族には勝てない、、みたいに感じて辛かった。
トムとデイジーのいいかげんさがすごく苦手。その2人が貴族なのも気に食わない。貴族だからこそ取ってつけたような上辺だけの人間で、芯のない人なのかもしれないけど。
ギャッツビーはすごくまっすぐで自分にも他人にもすごく期待してる気がする。だからこそデイジーの理想像だけで鍛錬みたいなスケジュールを淡々とこなし、成功を収める。貴族への憧れみたいなものもあるんだろうけど、デイジーを目標にしたのが間違いな気がする。他人を目標にするの自体良くないし、人選も間違い。
下剋上は失敗する、みたいな話に感じた。
読み返したけど1回目より色々と発見があ