小林多喜二のレビュー一覧
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小林多喜二「蟹工船・党生活者」
国家体制として、今や手練手管を尽くした独裁的な手法になりつつある共産主義は、この2作品と登場人物(作者の生涯も含めて)で如実にわかるように、もっと切実な思いと公平な理論から提唱された主義だっただろう。そこには確かに、プロレタリアの悲痛な叫びと清貧な生活とが描かれている。
物語中途でもあるように、資本家と労働者は、切っても切りはなせない関係だ。労働者がいなければ資本家は存在しない、というか存在しても意味がない。だから手を取り合って、それぞれの特徴や強みを発揮した対等な関係が理想だ。しかしそうはいかない。死ぬまで駒として利用され、死んだら経費が浮くと考えるか、新しい -
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プロレタリア文学の代表作。
行き過ぎた資本主義への抑制、という観点では、現代社会においても、共感できるところ、学ぶべきところはあるのだろう。
最後に監督が解雇され、自分もまた大きな社会構造の歯車でしかないことに気づかされる。
厳しい労働環境を具体的に描く一方、この終わり方を以って社会構造全体の問題として提起することの効果はあるのだと思う。(文中にも、そのようなことは触れられているが)
小林多喜二自身は、国家権力に抹殺されたわけでが、この作品が今なお読み続けられているということは、イエスキリストではないが、殉教者として将来への影響を却って大きくしているのだろう。 -
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蟹工船に集められた人たち。
彼らは日雇い労働者のようなもので、かつては土地の開墾や炭鉱で働き、たまたま今回はここに流れ着いた。
淡々と描かれる労働の描写は返って凄惨さを増す。
ひどいの一言では済まない感情が湧く。
炭鉱で働いていた祖父を思う。
昔々の話ではない。まだこのような状況が残っていたに違いないのだ…
戦争だけが祖父母の代の代名詞ではない。
過酷な過去を背負い、生きていくのはどんな心情だったことか。いくら年月が過ぎて幸せを手に入れても、拭いきれない思いがあったはず。
一般的にはプロレタリア文学として知られる本書であるが、個人的にはそんな想いを起こさせる小説だった。 -
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小林多喜二の「蟹工船」と「一九二八・三・一五」を読んだのは約30年前。
30年前も岩波文庫で読んだが、今度はワイド版岩波文庫。
最初に読んだときは、
漁夫たちは寝てしまってから、
「畜生、困った! どうしたって眠れないや!」と、体をゴロゴロさせた。「駄目だ、伜が立って!」
「どうしたら、ええんだ!」―終いに、そういって、勃起している睾丸を握りながら、裸で起き上がってきた。大きな体の漁夫の、そうするのを見ると、体のしまる、なにか凄惨な気さえした。度肝を抜かれた学生は、目だけで隅の方から、それを見ていた。(蟹工船 p56)
のような強烈な描写に圧倒され、それが小林多喜二の作品のイメージになっ -
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最初はプロレタリア文学として、その思想的背景が嫌であえて避けていた。
間違いだった。
少なくとも「蟹工船」は、共産主義やその周辺の思想的な記述はポツポツと出るだけ。
しかも見かけ上は過度の共産主義賛美な箇所は見当たらなかった。
作者の意図を度外視すれば、この小説の面白さはイデオロギー(団結、反権威など)とは別のところにあると思う。
現代に生きる我々としては、例えば多彩な人物の登場であるとか、セリフを多用した臨場感や濃密な空間を設定し、そこで起こる出来事や感情の動きを一つ一つ追うとかといったいわばオーソドックスな手法から、小説的面白さを汲み取ることができるのではないか。
そもそも「蟹工船」の -
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北海道出身として読んでおかねばならない気がしたので、買っておいた本。読んでみた。
まず、この本を読むまで赤とかプロレタリアとか知識も興味もなかった。
「蟹工船」は北海道人ならなんとなく読み進めることが出来るレベルの強い方言が強烈な作品だと思う。主人公のいない作品、というのも面白い構造だなと思う。
「党生活者」は当時の共産党の組員(?)たちがどんな風に生活しているかを覗き見るような作品であったと思う。
どちらも、現代の日本からは考えられない「闘争」が描かれている。日本の近代史年表を読むくらいならこの作品等を読んでいた方がよほど当時の情景がありありと目に浮かぶ気がする。
極限状態の生活の中でも