小林多喜二のレビュー一覧
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難しい内容だったけど、割とあっという間に読めた。
1920年代のこういった劣悪な環境での労働があたりまえのようになされていたのかと思うと、本当に悲惨で恐ろしい。蟹工船の中の、ムッとくる臭いや、糞壺の中で虱や南京虫に這回される夜、凍てつく寒さや船の揺れなどが生々しく感じた。
いつか殺されるのではなく、今すでに少しずつ殺されているという表現が印象的。
過去のものに思われるけど、どこか一部は現代日本にも通じるものがあると思った。
そんな絶望の中でも労働者たちが皆で一致団結して共通の敵と立ち向かう姿が、希望に向けて諦めずに戦う強さや大切さを教えてもらえた気がする。 -
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小林多喜二「蟹工船・党生活者」
国家体制として、今や手練手管を尽くした独裁的な手法になりつつある共産主義は、この2作品と登場人物(作者の生涯も含めて)で如実にわかるように、もっと切実な思いと公平な理論から提唱された主義だっただろう。そこには確かに、プロレタリアの悲痛な叫びと清貧な生活とが描かれている。
物語中途でもあるように、資本家と労働者は、切っても切りはなせない関係だ。労働者がいなければ資本家は存在しない、というか存在しても意味がない。だから手を取り合って、それぞれの特徴や強みを発揮した対等な関係が理想だ。しかしそうはいかない。死ぬまで駒として利用され、死んだら経費が浮くと考えるか、新しい -
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現在のブラック企業、パワハラ問題など労働状況にも通じる部分があり、ある種で普遍的なテーマを扱っている作品のように思う
古典的な作品であるものの今なお評価される理由もそういうテーマ性から出ているという事がわかる
一方で作中にも記載があった『赤化』を勧める部分を槍玉に挙げる人間も少なくはないが、基本的には労働者側の目線に立って描写された小説で共産主義の基本的な理念である資産分配や革命推進まで進んでいる描写までは記載していない
故にこの小説はあくまで当時の社会問題を描き出した現在の社会派小説として機能した小説だと自分は考える
また思っていた以上に残酷で暴力的な描写も目立つ為、タイトルを学校教育で知る -
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蟹工船に集められた人たち。
彼らは日雇い労働者のようなもので、かつては土地の開墾や炭鉱で働き、たまたま今回はここに流れ着いた。
淡々と描かれる労働の描写は返って凄惨さを増す。
ひどいの一言では済まない感情が湧く。
炭鉱で働いていた祖父を思う。
昔々の話ではない。まだこのような状況が残っていたに違いないのだ…
戦争だけが祖父母の代の代名詞ではない。
過酷な過去を背負い、生きていくのはどんな心情だったことか。いくら年月が過ぎて幸せを手に入れても、拭いきれない思いがあったはず。
一般的にはプロレタリア文学として知られる本書であるが、個人的にはそんな想いを起こさせる小説だった。 -
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小林多喜二の「蟹工船」と「一九二八・三・一五」を読んだのは約30年前。
30年前も岩波文庫で読んだが、今度はワイド版岩波文庫。
最初に読んだときは、
漁夫たちは寝てしまってから、
「畜生、困った! どうしたって眠れないや!」と、体をゴロゴロさせた。「駄目だ、伜が立って!」
「どうしたら、ええんだ!」―終いに、そういって、勃起している睾丸を握りながら、裸で起き上がってきた。大きな体の漁夫の、そうするのを見ると、体のしまる、なにか凄惨な気さえした。度肝を抜かれた学生は、目だけで隅の方から、それを見ていた。(蟹工船 p56)
のような強烈な描写に圧倒され、それが小林多喜二の作品のイメージになっ -
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最初はプロレタリア文学として、その思想的背景が嫌であえて避けていた。
間違いだった。
少なくとも「蟹工船」は、共産主義やその周辺の思想的な記述はポツポツと出るだけ。
しかも見かけ上は過度の共産主義賛美な箇所は見当たらなかった。
作者の意図を度外視すれば、この小説の面白さはイデオロギー(団結、反権威など)とは別のところにあると思う。
現代に生きる我々としては、例えば多彩な人物の登場であるとか、セリフを多用した臨場感や濃密な空間を設定し、そこで起こる出来事や感情の動きを一つ一つ追うとかといったいわばオーソドックスな手法から、小説的面白さを汲み取ることができるのではないか。
そもそも「蟹工船」の -
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ネタバレ「おまえたちをどだい人間だなんて思っていないよ」
プロレタリア文学の代表作
序盤、425名の乗組員が見殺しにされる苛烈さに慄く
資本主義のもと人間性を剥奪され、虐使され、生命まで搾取され、交換可能な労働力として消費される労働者の描写に、著者の怒りが刻まれている
著者の小林多喜二は特高警察から残酷な拷問を受け、29歳の若さで虐殺された
自宅に戻った多喜二の遺体は、ペンを握る右人差し指が無残に折り曲げられていたそうだ
権力に抗し、弱い者や虐げられた者の側に立った若者の生命が国家権力によって奪われてしまったわけだけど、それは過去に限った話だろうか