湯澤規子のレビュー一覧
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ウンコという言葉をこの本以上に目にすることはないだろう。
そして、冒頭からいきなり、「はたしてウンコは『汚い』のだろうか」(13頁)と聞かれることも、またないだろう。
ウンコは汚いか?と問われれば、「そりゃそうでしょ」と答える人がほとんどだろう。
しかし、まずその常識を疑うのが学問である。
ウンコは汚いのだろうか?
さっきまで体内にあったものが排泄行為によって出た瞬間から気持ちの悪いもの、関係のないもの、となる。
それは、抜けた髪や切った爪、身体中から出る垢も同じだ。
もちろん感染症に敏感になっている今は、感染対策を取らなければならないものもあるだろうが、単純に不思議な気がする。
さっきまで、私の体であったものなのに、と。
ウンコが高値で買われ、肥料として使われていた時。
都市部に人が流入し、水洗トイレが出てきた時、ウォシュレットが使われた時…人はどんどんウンコから遠ざかる。
けれども、それでよかったのか?
私は東京育ちの人間だから、綺麗で高機能で臭わないトイレが当たり前だった。
昔田舎にあった「ボットン便所」はごめん被りたい(使ったことはある)。
しかし、子供のうんこを日々見て(嗅いで)いると、うんことは生きている証だと思う。。
ニラを食べれば臭くなるし、ヨーグルトを食べさせれば綺麗なバナナ型になる。
コロコロだったり、軟便だったり、「くっさ!」「ああー漏れているー!」「ぎゃぁ手についたぁーーー」も生きているからこそ。
あわやウンコ、なぜかウンコ。されどウンコ。
本書の最後でゴーギャンの話が出るなんて!
ウンコから人類の来し方を考える良書であった。 -
Posted by ブクログ
お目当ての本がなく、たまたま目についたので。
精神年齢が小学生なので無意識にウンコに惹かれて読んだけど、こんなにウンコについて考えたことがなかった。
ウンコに対する考え方、捉え方にその人のバックボーンや地域性が出てて興味深かった。
保育園の頃に親戚の家に行ったら、まだボットン便所で、怖いし暗いし絶対入りたくなくて震えた記憶がある。もう久しくお目にかかってない。
"汚穢屋"のエピソードから三島由紀夫の仮面の告白を思い出した。主人公の"私"が汚穢屋に憧れるシーンである。ここからも当時の都会と田舎のウンコに対しての価値観などが現れていると感じた。
まだ糞尿が買取制だった頃、栄養価の高いものを摂る武家のものは高額で買い取られたことについては、今の感覚とは全然違うけど、納得できるしおもしろいな〜と思った。 -
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「おふくろの味」という概念はいつ、どこから生まれて、どのように共有、拡散され、変化したのかを探る。湯澤規子氏のことは深緑野分『福神漬』で知り、『胃袋の近代』が面白かったのでこれも読んでみた。
「おふくろの味」と言われたら、私は母がつくる肉じゃがのような家庭料理を想起する。少なくとも明治時代までに生まれた言葉だと思っていたが、この本で戦後生まれの概念と知り驚いた(肉じゃがのレシピが明文化されたのも1960年代だった)。
そして「おふくろ」と「ふるさと」のイメージは密接な関係があり、本書では昭和30-40年代に栄えた郷土食ブームが母の味に転換された過程が明かされるが、私はその説明には資料が乏しく、やや強引さを感じた。背景に戦後の核家族化、男女の性別役割分担の固定化があるとしても、具体的な文献例示に欠けたのではないか。
とはいえ、最終章の戦後の家庭料理と料理研究家の分析は面白い。土井勝は「おふくろの味」を広めた立役者の一人だが、その息子の土井善晴が「一汁一菜」に至ったこと、小林カツ代と栗原はるみの存在意義などは的を射た指摘だと思う。
そして令和の今、「主婦」という言葉の意味は昭和時代とは全く変容した。巻末には「おふくろの味」を冠した書籍リストが載っている。関連本を多く出し、イメージの共有拡大を努めてきたのが、「主婦」を社名に冠した2つの出版社だ。理想的な家庭的な主婦像は崩れ落ちた。今後10-20年で社名変更もありうるのではないか。 -
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農学部の学生の1人として、知っておかなければならないと感じる内容だった。
畜産の授業で、家畜の糞の量はとても多く、処理するために活性汚泥法が利用され、有機質肥料になることを学んだ。その授業を聞きながら、現代社会でふと人間の排泄物はどのように利用されているのか疑問に思った。それまで深く考えたことがなかった排泄物の行方。トイレに流して終わりじゃない。
排泄物を上手く利用することが出来れば肥料の輸入に頼らなくてすむ。日本社会を明るくする存在になる可能性を秘めたうんこに魅力を感じずにはいられなかった。
学校のトイレが徐々に洋式化が進んでいるのはニュースで見た。私自身も、学校のトイレは汚くて嫌だった。トイレは生活に欠かせないものだから、快適に過ごせるような空間にして欲しい。
災害時のトイレについてもしっかりと考えておかないといけない。ただでさえ、ストレスが溜まる中でトイレが使えなかったり、トイレが汚かったりするとさらに不快な気持ちになる。自分で携帯用トイレを準備しておこうと思った。 -
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江戸時代の頃人糞は農業における肥料としてなくてはならないものだったが、今ではほとんど価値もなくなりただの汚物でしかなくなってしまった。さらに人は水洗トイレを発明しウンコを流してすぐに視界から消し去ることで、いつしかウンコを自分事として見られなくなってしまった。子どもの頃は自由帳にうんこを描き、うんこの話をするだけで笑いがとれたというほど万人のヒーローであった筈のうんこも年齢が上がると自然にゴミを見るような目でしか見られなくなってしまったのはなぜだろう。うんこについての知識を深め、うんこを他人事ではなく自分事として捉えられるようにするためにもこの本は読んだ方がいいと思った。
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現代生活では欠かせない電力については憂慮される問題が山積みなので今も話題が絶えない一方、下水道については多くの人が何も考えることなく日常を過ごしていると思う。しかし改めて考えると、都市の超絶膨大な人口のうんこ、しょんべんをここまで処理しているシステムってすごいことで、もう少しそれを個人で勉強してもいいんじゃないかって思った。
実際に下水道には糞尿以外に強酸洗剤のような危険な薬品も結構流れてる訳で、ゴミの分別とかと同じように環境に優しい下水道の使い方って何だろうって今考えている。
うんこは土に埋めれば簡単に肥料になるのは自明である一方、衛生面や強烈な臭い等、取扱厳重注意な物体であることも改めて認識することができた。
これからはウンコの処理を「他人事」として見るのではなく「自分事」として見る意識で考えていきたいと思いました! -
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タイトル買いした一冊。
前半は人糞と肥料の話がちょっと厚すぎなのだが、後半からはウンコをめぐるネタがあれこれ登場して面白くなってくる。
人糞が価値あるものから汚物となり、処理方法が河川・海洋への投棄から屎尿処理へとむかう過程はギリギリで見ることができた。ウォシュレットの登場には、心底驚いた(もう当たり前だけど)。
著者が欧州で経験して驚いたという、線路上へ捨て去るタイプのトイレも、昔どこかで経験した記憶がある。
昔、農地が広がる地域で車の窓を開けて走っていると、口の悪い子どもたちが“田舎の香水”と呼んでいた糞(家畜か人糞かはわからない)的な臭いにおいがしてきたものだ。そういえば、めっきりそんな機会も減ったような。
男の子は基本、ウンコ話が好きなのだけれど、著者は女性。案外女の子も好きなのかも。 -
Posted by ブクログ
近世から現代にかけての日本の屎尿処理の話を中心に、ウンコに纏わるあれこれと作者のウンコ感?をまとめたもの。「人糞地理学ことはじめ」とサブタイトルにあるが、人糞地理学について本文中で軽く触れられてはいるけれど、具体的にそれがどのような学問なのかは良く判らなかった。愛知や長野のローカルな話題は出てくるが他地域との比較がないので地域に根ざしたものなのか判断がつかない。ことはじめとあるので、そういうのは今後ということか…
(江戸時代に屎尿処理の話は良く出てくるが、江戸や大阪といった都市部と農村との関係の話が多く、ではもっと田舎ではどうったんだとかいろいろ知りたいことは山ほどある)