湯澤規子のレビュー一覧
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『「おふくろの味」幻想~誰が郷愁の味をつくったのか』『胃袋の近代―食と人びとの日常史―』からの『焼き芋とドーナツ 日米シスターフッド交流秘史』。はっきり言って自分の中では湯澤規子ブームです。前著2冊での「家庭料理」「外食近代史」とテーマを変えながら今までの歴史に中では見過ごさされてきた個人的な「食べる物語」を繋げて生き生きと描かれる日常生活の近現代史に引き込まれてきました。今回は産業革命以降の工場労働者の「食」のストーリーということでは『胃袋の近代』に隣接していますが、テーマを「女性」にフォーカスしたことでまた新たな物語が浮かび上がっています。『胃袋の近代』でも取り上げられていた細井和喜蔵の『
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食にまつわるビジネスをしている知り合いに「食べる」って観点で昭和・平成・令和の社会変化を研究している人っていない?と聞いたらすかさず推薦されたのがこの本の著者の湯澤規子教授でした。で、本書もめちゃ面白い、とおすすめされました。なので、即読み。あまりに面白かったので、すぐ「胃袋の近代」に手を伸ばして、こちらの新書の感想は後回しに。題名からうすうす感じていましたが、冒頭から『結論からいえば、古代、近世、近代、そして現代に至るまでずっと変わらず「お母さんがごはんをつくってきた」というのは実は誤った認識である。』とぶちかまされます。「おふくろの味」というキーワードがどうして生まれ、どう広がったか、とい
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「おふくろの味」と聞いて思い浮かべる料理や
定義は何でしょうか。
「家庭料理」「家庭で作られる料理」と思われ
るかもしれないです。
でも家庭で作られたとしても、カレーライスや
ハンバーグはちょっと違う気がします。やっぱ
り「肉じゃが」かな。でも他に思い浮かばない
人は多いのではないでしょうか。
と言うのが現在の男性の意見かと思います。
この本で考察されているのは実は時代によって
「おふくろの味」から受けるイメージが異なっ
ているのです。
高度成長期には「故郷の味」、バブル期には漫
画「美味しんぼ」で題材にあった「家庭の主婦
が作る毎日食べても飽きのこない料理」、そし
て令和の今では「 -
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ネタバレ現代において、ウンコはトイレに流せば、目の前から見えなくなる存在である。
この言葉は本書の中にあるが、まさにその通りである。幼稚園・小中学校の教育の中で「ウンコは毎日出た方がいい」「健康な証拠」などという事はあるが、一方でその処理の仕方にまでフォーカスしていくのは「タブー」視されている。
我々が子供の頃には、学校のトイレは和式が多く、特に男子は個室に入ればその目的が分かるだけに茶化されるのではないか、という懸念があった。
現在、私自身が教員として小学校に勤務している中で、男子が大便をしづらいということはないように感じる。結構、給食後に行っている男子は多い。自分自身は我慢をしていただけに -
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本来、人間が普通に生活するにあたって絶対に
無視できないのが排泄、つまりウンコを出すこ
とです。
食と同じくらい、この最も身近な行為は、見て
見ぬふりされていました(見てないか)。
とは言っても子どもはウンコが大好きなのです。
NHKのチコちゃんによると、子どもはウンコを
自分の分身と考える傾向があるから好きなのだ
とか。
とにかくタブー視されているウンコを真面目に
研究したのが本書です。
最近見直しされつつある江戸時代の循環社会で
ある、下肥(つまり堆肥ですね)にお言及して
います。古くて新しいのです。
個人的な感想ですが、本書の中でウンコを最初
に扱った漫画のは、あの鳥山明氏の「 -
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女性の近代史を、日常茶飯という観点から整理し、当時の女性の内面に迫った一冊、非常に面白かった。
特に近代における、産業革命からの働き方の変わり方、これが日本とアメリカで意外な接点があり、パッチワークキルトのように全体像が浮かび上がってくる。自分で稼いだお金で、自分の欲求のために使う、というのがどれだけ重要な事であったか。
骨太な一冊であるが、タイトルからは内容が想像しにくく、このタイトルにするのであれば、もっと間食に焦点を当てるべきで、結論も間食に持っていった方が良いのではないかとも思うが、この注目されない感じも、日常茶飯事なのだろう。 -
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テーマは「働く女性の日常茶飯 in 近代日米」(漢字多…)といったところか。
有名無名問わず、歴史上語られてこなかった女性たち、”彼女たち”の生の声がいくつも取り上げられている。名前を再掲されたら何とか思い出せる程度であるが、取り上げる範囲が広すぎて把握するのに難儀した…というのが本音。
でも歴史上スポットが当たらなかった…ではなく、当てられてこなかった事実なだけに、どの話も興味を掻き立てられた。
第一部「日本の女性たち」
『女工哀史』や米騒動で伝えられた女性たちの生き方が教わったものと違う。只々労働の辛さに打ちひしがれ、あるいはまるで本能のままに米問屋を襲撃したと言われる姿が1ミリも見当た -
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このタイトルを見た時に、「なんて著者は冷たい人なのだろう…。この人の真意はなんだ?見てみよう!」と思い、この本を手に取りました。
しかし、この本を読み進めると、「おふくろの味」を解明する中で、日本における食事の価値や家族のあり方、さらにはその背景にある社会情勢を感じとることができ、「おふくろの味」という言葉から壮大な世界に連れて行かれた気がしました。
特に印象に残ったのは、私たちが食べ物をいったいどこで食べているのかについて、
“つまり、戦前期と戦後すぐの時代はとにかく空腹を満たすために「胃袋」で食べ、次に戦後になって美味しさを味わう余裕が出てくると「舌」で食べ、さらに見たmの美しさや珍し -
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ネタバレウンコが現代人にとって忌避すべき存在であるが、それが忌避されるべき存在になったのかを歴史資料や文学資料、マンガまでを駆使してまとめている。
特に江戸時代は肥料として、お金を払って取引されていたが、屎尿として処理されるまでの経緯を丁寧に辿っていく研究が、彼女の本来の研究分野であるが、一番面白かった。都市化と衛生という概念が、糞尿を屎尿にしていくのは近代化の象徴でもあるし、それが今の世界中の共通認識になりつつある姿を見ると、失ってきたものの大きさを感じない訳にはいかない。
著者自身のトイレ体験から書き起こしているが、私自身、汲み取りも水洗も、また糞尿の肥料として使うのも経験していたので、この5 -
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ウンコという言葉をこの本以上に目にすることはないだろう。
そして、冒頭からいきなり、「はたしてウンコは『汚い』のだろうか」(13頁)と聞かれることも、またないだろう。
ウンコは汚いか?と問われれば、「そりゃそうでしょ」と答える人がほとんどだろう。
しかし、まずその常識を疑うのが学問である。
ウンコは汚いのだろうか?
さっきまで体内にあったものが排泄行為によって出た瞬間から気持ちの悪いもの、関係のないもの、となる。
それは、抜けた髪や切った爪、身体中から出る垢も同じだ。
もちろん感染症に敏感になっている今は、感染対策を取らなければならないものもあるだろうが、単純に不思議な気がする。
さっきまで