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肉じゃが、ポテトサラダ、オムライス……? 男女の性別によって、あるいは世代によって、「おふくろの味」という言葉に対する認識や意識は異なる。なぜその味は男性にとってはノスタルジーになり、女性にとっては恋や喧嘩の導火線となり得るのか。わかりそうでわからない、正体不明のこの味について、本書は、個人の事情や嗜好というよりもむしろ、社会と時代を丹念に読み解き、その誕生の経緯と実体が何であるかを探る。
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Posted by ブクログ
食にまつわるビジネスをしている知り合いに「食べる」って観点で昭和・平成・令和の社会変化を研究している人っていない?と聞いたらすかさず推薦されたのがこの本の著者の湯澤規子教授でした。で、本書もめちゃ面白い、とおすすめされました。なので、即読み。あまりに面白かったので、すぐ「胃袋の近代」に手を伸ばして、...続きを読むこちらの新書の感想は後回しに。題名からうすうす感じていましたが、冒頭から『結論からいえば、古代、近世、近代、そして現代に至るまでずっと変わらず「お母さんがごはんをつくってきた」というのは実は誤った認識である。』とぶちかまされます。「おふくろの味」というキーワードがどうして生まれ、どう広がったか、という探索ですが、家庭料理という食の形態から見つめる近現代史なのです。その追求は後半に進むにつれ、著者の自分ごとになっていき、それが大きな歴史とつながる感覚にはちょっと興奮を覚えました。この本棚でも中原一歩の「小林カツ代伝」とか阿古真里の「小林カツ代と栗原はるみ」を読んでいたので、何かが繋がった感覚になりました。何よりも、ミシェル・ド・セルトーの『日常的実践のポイエティーク』の著者、ミシェル・ド・セルトーが提起する、「空間は人間が創る物語と関わる舞台である」という言葉に出会ったのは大きいです。バラバラの要素を寄せ集め、一枚の表を作り出す舞台を「地図」と定義する…この本棚もそんな「地図」になれたならいいな…
「おふくろの味」と聞いて思い浮かべる料理や 定義は何でしょうか。 「家庭料理」「家庭で作られる料理」と思われ るかもしれないです。 でも家庭で作られたとしても、カレーライスや ハンバーグはちょっと違う気がします。やっぱ り「肉じゃが」かな。でも他に思い浮かばない 人は多いのではないでしょうか。 ...続きを読む と言うのが現在の男性の意見かと思います。 この本で考察されているのは実は時代によって 「おふくろの味」から受けるイメージが異なっ ているのです。 高度成長期には「故郷の味」、バブル期には漫 画「美味しんぼ」で題材にあった「家庭の主婦 が作る毎日食べても飽きのこない料理」、そし て令和の今では「地域に残る郷土料理」といっ たところでしょうか。 「いや、そうじゃないだろう」と反対する人も いると思います。それぐらい「おふくろの味」 とは曖昧であり、時代による変化が大きい概念 なのです。 それを一冊の本にまとめ上げるのは大変な苦労 があったのではないかと思います。 たとえ一冊にまとめられても、まだ異論を唱え る人が多数出てきそうな程、「おふくろの味」 とは実態のない味覚なのではないかと思わされ る、そんな一冊です。
このタイトルを見た時に、「なんて著者は冷たい人なのだろう…。この人の真意はなんだ?見てみよう!」と思い、この本を手に取りました。 しかし、この本を読み進めると、「おふくろの味」を解明する中で、日本における食事の価値や家族のあり方、さらにはその背景にある社会情勢を感じとることができ、「おふくろの味」...続きを読むという言葉から壮大な世界に連れて行かれた気がしました。 特に印象に残ったのは、私たちが食べ物をいったいどこで食べているのかについて、 “つまり、戦前期と戦後すぐの時代はとにかく空腹を満たすために「胃袋」で食べ、次に戦後になって美味しさを味わう余裕が出てくると「舌」で食べ、さらに見たmの美しさや珍しさを「目」で食べ、そして最後に食べ物の成分や昨日や栄養などを理解し、選別しながら「頭」で食べる時代へと移り変わってきた“ という部分です。 私も実際、ダイエットのために栄養面を重視して、毎日同じような食事を摂ってしまっている事が多く、本当は食べることが大好きなのに、食事の楽しみの面に目を背けている自分がいることにはっとさせられました。 「おふくろの味」は確かに幻想であり、これといった定義もなく、時代や年齢、ジェンダー、地域、これまでに育った生活環境によって異なるものであるし、それに対して、安心感を求める人もいれば、プレッシャーになって呪縛のように感じる人もいる。ですが、「おふくろの味」という幻想は、誰の心にもある孤独感や、閉塞感を解放して、地元や家族のような心がほっとするような空間で、ゆっくりと食事を味わうことで心を満たしていく、そんな思いが詰まっているという考えを著者から感じ、人々の幸せや安らぎを食を通して感じて欲しいという思いが込められていて、決して著者は冷たい人ではないと反省しました。 私の中にある「おふくろの味」をみつけたいと思える本でした。
「おふくろの味」という概念はいつ、どこから生まれて、どのように共有、拡散され、変化したのかを探る。湯澤規子氏のことは深緑野分『福神漬』で知り、『胃袋の近代』が面白かったのでこれも読んでみた。 「おふくろの味」と言われたら、私は母がつくる肉じゃがのような家庭料理を想起する。少なくとも明治時代までに生...続きを読むまれた言葉だと思っていたが、この本で戦後生まれの概念と知り驚いた(肉じゃがのレシピが明文化されたのも1960年代だった)。 そして「おふくろ」と「ふるさと」のイメージは密接な関係があり、本書では昭和30-40年代に栄えた郷土食ブームが母の味に転換された過程が明かされるが、私はその説明には資料が乏しく、やや強引さを感じた。背景に戦後の核家族化、男女の性別役割分担の固定化があるとしても、具体的な文献例示に欠けたのではないか。 とはいえ、最終章の戦後の家庭料理と料理研究家の分析は面白い。土井勝は「おふくろの味」を広めた立役者の一人だが、その息子の土井善晴が「一汁一菜」に至ったこと、小林カツ代と栗原はるみの存在意義などは的を射た指摘だと思う。 そして令和の今、「主婦」という言葉の意味は昭和時代とは全く変容した。巻末には「おふくろの味」を冠した書籍リストが載っている。関連本を多く出し、イメージの共有拡大を努めてきたのが、「主婦」を社名に冠した2つの出版社だ。理想的な家庭的な主婦像は崩れ落ちた。今後10-20年で社名変更もありうるのではないか。
「おふくろの味という実体のないイメージ。メディアによって作り上げられてきたいわば「神話」とも言える。それも時代とともに変化してきた。また、おふくろの味とは、母親の作った味、家庭の味、地域(ふるさと)の味といった様々な「持ち味」とても使われているそうだ。
料理とジェンダーの専門家であるので、もっと鋭い分析があるかと期待していた。今までの料理人の説明よりも詳しい。光文社新書ということで料理の世界に遠慮をして分析が鈍くなったかもしれない。料理人について知りたい人は軽く読めるが、ジェンダーから考える論として読むための本としては役不足であろう。
おふくろの味はさも昔からあった母の味というようなイメージがあるが、母親がご飯を作るようになったのは高度経済成長を経てからである。郷土料理を後世に残すためにいいように[母の味]が使われた
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「おふくろの味」幻想~誰が郷愁の味をつくったのか~
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湯澤規子
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